アダムスキー バビロンの時代 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


今日の記事は12:30頃更新します。


11月09日A。M11:44
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今日の二つ目の記事は


理解者限定と言うことで、愚痴とも言える内容を綴りました。


地震関係で気になることもあるのですが
明日時間をかけて記事にします。



闇政府傀儡を批判しているので
加害者関係者達、ユダヤの傀儡は読まないでください。


怒りの想念を吐き出されることは私の真意ではないからです。


腹を立てるぐらいであれば初めから読まなければ良いのです。


私が遣られていたような誹謗中傷と嘘や捏造とは
わけが違うのですから。


今は耳への音波攻撃、指への痛みなど、
高い電圧に物を言わせてか嫌がらせは続いて居ます。


元はと言えば自分達が挑発したり一方的に攻撃しておいて
広報されると逆恨み。


そして自分達は独自の戒律を持つことで、
その行動を正当化しては攻撃を続けているようです。


朝にはすごい体験をしました。


夜中から遣られていることには気がついていたのですが
怒りの感情を引き出されそれを抑えることが出来ない状態で

室内で工作員達に悪態をついていました。


特定のポイントに刺激を与えることで
怒りの感情は容易に引き出せるようです。


ただ、その引き金が必要なようで、
私の場合は不満を口に出す事がそのまま引き金にされて
とめどなく苛つきがこみ上げました。


私の脳へのマインドコントロールも
ここまできたかという感じです。


たかが電気的刺激といっても
それが強いものであれば
脳はその刺激に過激に反応することになるようです。


一番持たせてはいけないような人間達に
その手段を与えた人間達が悪いのでしょうが

いっぺん与えられた便利な武器を
彼らは手放す気は無いでしょう。


法律で規制されていませんし
証拠は取りにくいですし、
遠隔から人に見られることなく実行できます。


組織的犯罪の被害者には
苦難の時代が続くことになるのでしょうね。


洗脳されておらず、そして生きているのであれば
その行為は死ぬか洗脳されるまで続くことになると思います。


でも決して負けないでください。

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今までは真理を知らずに騙されている人間をも
意識して記事を書いていましたが


やはり理解者限定と言うことを意識して
これからの記事を書きます。


騙されている人間達の中には、
普遍的真理に一瞬は触れながらも


それでも心地良く都合の良い個人的真理を信じたこみたい
人間達が多いようだからです。


心に従う事は楽で、魂に従う事は苦だということは
私も毎日経験し続けていますが、


根底的に自分達が楽であろうとすれば
結局は今まで持ち続けてきた価値観からは
離れることが出来ないのが私達人間のようです。


結局は心が魂に優先してしまうと言うことでしょうか。


エゴの抑制はとても辛いと思いますし、
今まで持ち続けてきた価値観を変える事は大変だと思います。


そしてこんな大変な思想や哲学は今まで存在してはいません。


つまりこの社会の中には真理が存在しては
いなかった事にもなります。


戒律も限りがありませんし
自分の心は不快な思いをすることばかりです。


おまけに常に進化の最中なので達成感も無いのです。


普通それを信じて実行することで
楽になるのが宗教や思想です。


誰もがそこで心の平安を感じることになるのでしょう。


しかし心が楽だと感じる事に執着し
それが正しいと騙され続けてきたからこそ


更なる楽と心地良さを求める心に躍らされて
次から次へと個人的真理を作り上げては
今の社会がこんな状態になっているのです。


私達はその中で敢えて苦労をしようとしています。


誰もが心の価値観に従い楽を選択するその中でです。


楽をしている人間からしてみれば
それは愚かな行為かもしれません。


でも、心をものさしとして物事を図っている人間から見て愚かな物事の中にこそ
今まで存在していなかった真理があるのだと言うことを
私達だけでも理解し実行し続けていきましょう。


手が汚れている人間達は、その事を指摘されることすら不快に思い
自らの過ちも認めるのではなくてそれを隠蔽し、正当化しようとします。


そのためにはそれを漏らそうとしている人間をも攻撃することにもなります。


正当化するためには嘘だってつき続けるのです。


しかし私達は理解しているはずです。


自分を美化し過ちを正当化する姿勢は
心に従う行為に他ならないと言うことをです。


楽な思想、楽な戒律を持って
自分達にとって心地良い神様や思想に従う。


そこに作り上げた神や天国が現実には存在してはいないことを
彼らは最後まで知る事が出来ないのかも知れません。


自らにプライドを持ち、その思想や組織にプライドを持ち、
それが正しいと暴れている人間達には真理は届かないと思います。


きっと彼らはこの社会のある限り、
自分達にとって都合の良い真理を延々と作り上げ


その時々で改造しては、それを後生大事に
守り続けていくのでしょう。


しかし私達は改造する必要のない本当の真理を持っています。


改造すべきは教えや真理ではなくて、
自分達自身の心だと言う事だって理解しています。

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少し闇政府に関して触れようかと思います。


彼らの狡猾さはそれに洗脳され騙されている人間や
従う人間の多さにも現れているようです。


アダムスキー時代にもましてその力は
強大となっているのではないでしょうか。


しかし本当は彼らに力を与える事になっているのは、


私達社会の人間が心を荒ませながらも、
その心に従って生きる事になっている事と無関係ではないと思います。


いくら彼らが金を出そうが
汚いお金は受け取らない意志を持っていれば
彼らに協力はしないでしょう。


圧力で脅されても
勇気があれば意志を曲げることもありません。


騙されそうになっても知恵があれば
自ら思考してそれを避けることも出来ます。


欲や本能をくすぐられ誘惑されても、
本能を抑える術を知っていればそれに乗ることもありません。


私達の社会の人間が思考能力を落とし、
道徳心を失い、勇気を失い、欲に従い
心の心地良い状態を保とうとするからこそ、


力に屈し、自らの存在が脅かされることを嫌い、
欲や本能のために誘惑に乗り、


間違っていることでも指摘せずそれを見てみぬ振りをして、
更には容易に騙されて利用もされる事になっているのだと思います。


つまり私達の社会はアダムスキーの言っている様な
バビロンの時代に突入しているのです。


そこは人々が心を持って快楽を求め
本能に従って争い貪り罵り生きた時代です。


そして聖書にあるようにバビロンは滅びました。


身勝手な生き方をしている人間、
心のエゴを価値観の違いと表しては正当化した人間達が
社会を正常に保ち続けることが出来るわけが無いのです。


そしてそんな社会ではまともな意識を持った人間ほど
早々と心無い人間達に手によって淘汰され
この社会から消えていっているのですから、


この傾向が加速化されるのも当たり前なのです。


私達はいくつものフィルターを運良くクリアすることが出来ました。


争いを望まず、民族や宗教に囚われず、権力に屈せず、
そして自ら思考できる能力もまだ持っていたからです。


しかしこの社会は私達からそれを意図的に奪い取る仕組みすら
出来上がっているのです。


その意味では今後も真理の入り口へと到達して
そこへと足を踏み出していく人間は多くは無いと思います。


誰もが荒れ果てて茨いっぱいの道よりも、
舗装されて歩きやすい道を歩くことになるからです。


残念ながら、狭き道を進んで狭い門から入る人間は
イエスキリストの言っていたようにごく僅かとなるのかもしれません。


今日はアダムスキー全集第三巻”UFOとアダムスキー”から
以前にも引用した”バビロンの時代”と”真実の真理と表面だけの真理”を
一部抜粋して紹介します。


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われわれは現在”バビロン”の時代に生きていると言えます
(訳注=バビロンは紀元前二二二五年頃にアジア南西部に栄えた悪徳の都として有名)。
そこでは人間のエゴがそれ自体を高めて堕落するだけです。


しかし”宇宙の英知”は永遠に働きつづけるでしょう。
イエスが言ったように、実を結ばない木は火の中に投げ入れて燃やされるべきです。
そうです。今は人間の魂がその貞節さを試されている時代です。


”宇宙の英知”かそれとも人間のエゴのいずれかにたいする貞節です。


遺憾ながら右の時代が過ぎ去るまでにはほとんどの人は火に燃やされるでしょう。


人間の心は実にいい加減なもので、
多くの物事にたいする豊富な知識に欠けていますので、
多くの面でだまされやすいのです。


ときとして人間の心は”至上なる英知”を否定する傾向を持ち、
心自体の発作的狂暴性を起こします。


それは自己抹殺に歪るほどに”宇宙の英知”に挑戦することになるでしょう。


もし人間の心が試されつつあるということになれば今こそ、その時です。


私が予定されている”旅”から帰れば以上のことについて、
また未来が人類に何を約束しているかなどについて
もっと詳細を知るようになると思います。


ひとつの事を確言できます。
すなわち、私は自分の快楽のためにスペースプログラムを、


ブラザーズをけっして裏切ることはしないということです。
永遠という長さのなかでは地上の生活は一瞬間にすぎません。
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私は以前から今人間が二極化しているという話を
取り上げてきました。


多くの人間がはっきりと二種類の人間に分かれる事になると言う意味です。


つまりは今まで以上に心に縛られその価値観に従うようになる人間と
そうではなくて理性も道徳も持ったままでエゴから開放されようとする人間とにです。


イエスキリストが
「持っているものは更に与えられ、持たないものは持っているものまで
取り上げられることになる」


と表現していた一番のものは理性や道徳心であり
更には知恵や知識だと思います。


私達の行動を規制するものは情報であり知識でもあります。


それが誤っていれば私達は行動をも誤る事になりかねません。


しかしこの社会の中には殆ど正しい情報がないのですから
そこから導かれる行動の殆どは正しいわけがありません。


私達はその点でも大きく二つに分けられることになります。


私達は真理の枠組を理解しています。


それに照らせば明らかに誤っていると言う知識や思想は
容易に選別することも可能です。


しかし一方では多くの人達はもともと持っている
真理の枠組みさえ私達とは違うのです。


そこに真理の断片は嵌らないでしょう。


結果真理をたくさん集めることの出来る人間と
全く真理からかけ離れる人間とに分かれる事にも
繋がって行きます。


しかも今は更に誤った情報がこの社会に蔓延させられています。


ガラクタを掴まされた人間達は
更なるガラクタを握らされる事になるでしょうし
私達だって真理の欠片を見つける作業は多少は難航するでしょう。


結果的に持っている者は真理を増やしていく事になりますが


持たないものは新たなる誤った価値観やエゴを掴むために、
理性や道徳含めて、更には今まで持っていた真理までも
手放して捨てることになるのだと思います。


この件に関してのイエスの予言は半ば実現しているのです。


無知であることは決して罪ではあり得ませんが
知らないことで真理へと到達しがたい状態が
出来上がっているのであれば、


知らないことは本人にとって大きな損失でもあります。


そしてそんな人間に限って
知らされた知識を鵜呑みにしてはそれを自ら
検証しようとすることも無いでしょう。


イエスキリストはそんな私達の習慣を知っていて
自ら考える機会を与えるためにも何事も例え話で語ったはずです。


そして生命の科学のアダムスキーの言葉も
それを踏襲しているのだと思います。


私はそれを理解しつつも
そのままではハードルが高くなりがちな
真理への道へのハードルを下げようと


出来る限り勤めてきましたがそれにも限界があります。


意志を二転三転しては繰り返し
闇政府の傀儡に騙されるような人たちには
もう何も語ることもありません。


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世のなかには多種類の真理があり、多種類の神があります。
これはすべて、だれが何を支持しているかによります。


ウソさえもときには真理になります。


Aの人にとって真理であるものがBの人にとってはウソになることもあるのです。
こうした大きな相違のために今やこの世ではこれ以上に真理は広まらないとも言えましょう。


どちらか一方にヒューマニティーの根拠をおくことは真理ではないので、
その結果疑惑と不信とが起こるわけです。


これが世界が現状から脱しきれず、
政府ばかりでなく個人間でも互いに信用しない理由です。


 だれもが平和を求めていますが、
真理が存在しないというのにどうして平和が起こりうるのでしょう。


普遍的な真理が実行されないならば
平和はけっして得られないでしょう。


そうなるとこの文明は脇道ヘそれていることになります。

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真理には個人的真理と普遍的真理がありました。


個人的真理はその人間にとっては正しいものであり
誰にでも当てはまるものではありません。


その個人的真理が溢れているのが今のこの社会です。


そして誰もが自分の主義主張もしくは思想こそが正しいと信じて
疑わないのです。


しかし真理はそんなに多種多少になど存在してはいません。


一つが正しければ後は間違いと言うのが実態です。


しかしその誤ったものをも全て容認し
一方では真の情報、普遍的真理を隠蔽し続けているのがこの社会です。


真理が実行されることがなく個人的真理が優先されるから
争いも止まないし、対立も消える事がありません。


私達が共通に持つべき真理が認識されず、
しかも価値観が多種多様に存在しているからです。


まして人と競うこと、争うこと、戦うことを正当化している
この社会の中では平和が実践されることは無いはずです。


そして真理がないという事は
アダムスキーの言っているようにこの社会はわき道へそれていて
本来進むべき道へと進んではない事になります。


私達にしてみれば

「実を結ばない木はまとめて燃やしてしまえ」


というその意識は理解できます。


それを正しいと信じようがいくら懸命に実践しようが
それが決して実を結ぶ事が無いのが誤った真理だからです。


そしてそんなものが蔓延していれば
私達はますます混乱し多くの人間が実りの無い真理に囚われて
それを価値観としてもって生きることにも繋がります。


そしてこの社会自体が人間にとって
実りの無いものへと変貌していくことになります。


現に今はそうなっているのだと思います。


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普遍的な真理と普通の真理との相違は何でしょうか。


普遍的な真理は宇宙的な真理です。


それはどこでも同じものなのであって、
あらゆる状態のもとで真実のままにあります。


それは宇宙の諸原理とともに根源的なものです。


それは一個人を偏愛することなく、全創造物を一つの家族にあらわし、
全創造物を等しく尊重し、全体としてそれに奉仕するものです。


一方、表面だけの真理は浅くて、
個人のエゴを満足させるように個人によって作り出されます。


これは結局疑惑と不信とをうながすことになります。
個人が自分の目的に好都合なように作り出した多くの神についても
これと同じことが起こっています。


このことが”至上なる父”の家族と創造物とを分裂させているのです。


人間同士のあいだにほんとうの真理を探し求めることは、
乾し草のなかに一本の針を探し求めるようなものです。


しかしその場合でも”宇宙の意識”を生かしている人は
その針を見つけることができます。


というのは、その”意識”は”すべてを知る者”であるからです。


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多くの真理は自己満足のために
人間の手によって作り上げられてきました。


それが戒律であっても思想であってもその他の価値観であってもです。


それはその人間達にとって心地良いものであるか
利用の出来るものだったのだと思います。


そしてそれを真理と信じた他の人間達は
それを実行することで自分が真理を実践していると信じるわけです。


その大元となっている個人の意図も、その真理が誤っている事も
自ら思考しないがために理解できずにです。


しかし本当の真理は違います。


ここでアダムスキーが触れているように
私達が手に入れたものは”全てを知るもの”の意識です。


それは私達地球社会含めた宇宙全体の知識であり記憶でもあります。


未だ、未熟な私達はそこから断片的にしか
情報を手に入れることは出来ませんが


既にこの社会の中に存在しているものに関しては違います。


私達はその”全てを知るもの”の意識と照らすことで
大量にばら撒かれている嘘や偽の情報の中からも
真実を拾い出す事が可能になります。


それは私達が自ら体験しては感じていることだと思います。


そしてそれを体験した人間は二度と真理から
反れる事も無いでしょう。


見えない力の存在にはっきりと自覚するからです。


私達は殆ど人畜無害な存在にもなりえます。
正しいことを実践できますし
気がついたことを口にしなければ良いからです。


しかしこの社会の多くの人間はそうではありません。


まして闇政府の傀儡達は誤った真理をばら撒く事と
他人を騙す事に特化しているのです。


そして彼らに騙されている人間達は心の価値観に従って欲を満たし、
本能を満たし、時には不安や恐怖で煽られ、


この社会に悪しき想念をばら撒き続けることになるのですから
決して無害にはなれません。


私達が希望を持っても、そして真理を広めようとしても
そんな人間達は負の想念と誤った価値観をふりかざしては
私達の前に立ちはだかります。


しかも彼らは自分達の持っている誤った価値観で
他人をも裁くのです。


私達の社会のあり方がアダムスキー時代にまして
負の側面へと加速化していることも
私達には理解できると思います。

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現在、ブラザーズに対抗して陰謀が行なわれています。
最近ニュージーランドのティマルーの一グループは,
宇宙の真実”についての虚説を発表しました。


もし宇宙的な理解があったとすればこれは文字で書くことはできないでしょう。
これは個人的な怨恨は真実を避けることになりがちだということのはなはだよい例でした。
この偽りの情報を支持している関係者の氏名をここにあげる必要はありません。


目下私が言いうることは、世界の状況は楽しいものではないということです。
このことはヒューマニティーが変化しないというのではありません。


大衆は極端な貧欲と自尊のとりこになっています。


われわれは科学的な発達のある面では古代文明をしのいでいますが、
自己理解、または”全体”に関する人間の宇宙的な性質などについては
かならずしも古代にまさってはいません。


先に述べましたように、
地球人は自分の目的と個人的なエゴを満足させるために
多くの神々をみずから作り出しています。


これらの神々は自分自身と同じほどに弱いのです。
ひとつの神が人間による防衛を必要とするとき、
その神は他人による防衛を必要とする人間と異なるところはありません。


聖書が言っているように、われわれの前にニセの神々を置いてはなりません。
地球人はニセモノの神々を持っているので、
彼らは自分で作り出した神々と同様にニセモノであるのです。


ニセモノはみずから破壊するでしょう。
聖書が言っている真実の神はかたよることをしません。


イエスはこの真実の神を”父”と呼びました。


ブラザーズはこの事実の神を”至上なる英知”と呼んでいます。
放蕩息子がやったように、われわれが元の住家ヘ帰らなければ、
人間としてのわれわれは他人がやったように自分を破壊するでしょう。


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この社会を支配しているのは偽の神です。


それも一人や二人の神ではありません。


そして彼らはその自らの神の教えを守り
時にはその神の名の下、争い暴走し


自分達の心を不快にしないためにも
嘘までついては神とその思想を美化し続けています。


しかしアダムスキーの言うように
真の神は私達が守ってあげなければならないような
存在ではありません。


そして私達は彼らと違って、
その神の実態を広報するのを止める事も出来ます。


本来であれば私達と神との関係は
一対一の個人的なものであるからです。


私達は広報しても何の得をする事もありませんし、
彼らのように心を喜ばすことも出来ません。


でも何故に私達がこの神を広報しているのか?


全ては地球社会が壊れて欲しくないからだと思います。


そして苦しんでいる同胞を
救いたいと思う気持ちからではないでしょうか。


私達は神や思想を美化するために

そして私達の心を満足させるために
創造主の法を広報しているのではないのです。


そして私達は気がついているはずです。


偽の神や思想を信仰する人間達と違って
本当の神が私達を強くしてくれていると言う実態をです。


私達が神を庇うのではなくて神が私達に力をくれているのです。


偽の神を信仰し誤った思想を信仰している人間達は
粗暴であったり野蛮であったりする事もあります。


彼らの神はそれを認めている事にもなります。


しかし私達の神はそんな行為は認めてはいません。


求めているのは調和であり進化だからです。


そのために私達はこの社会の中とのギャップに
一段と苦しむことにもなります。


誤った価値観で凝り固まった人間達が社会の中に
大量に蔓延しているからです。


地球の法則は次から次へとその時代の人間の
嗜好に合わせた神を作り上げては人々を誘導しています。


その人間の知性や趣味や心の心地良さに合わせた
あらゆるバリエーションの神や思想が
次から次へと増え続けてもいます。


そんな中に本物など存在していないことも
思考すれば誰もが理解できるはずなのにそれを真理と信じ込み、


一方では、真理があるからこそここまで続いているイエスの教えを
イエスごと否定する人間達まで居るのです。


イエスは自らが救おうとした人間達の手によって殺されました。


そして私達の生き方はそうあるべきなのだと思います。


真理を貫くためには命をも投げ出す勇気と意志が
必要だと言うことです。


誰も失っているこの勇気と決意、
私達は決して失ってはいけないと思います。


これはそのまま宇宙の法則、創造主の意識へと
つながるものだからです。


私達は父の元へと帰りました。


でも多くの人達はその予定も無いようです。


そんな中で私達が出来ることは限られていますが
先輩として手を引いて上げられる人間がいるのならば
そんな人達を父の元へと導いてやるのが私達の義務であり希望です。


闇政府が本格的に始動を始めたらしい今、
時間がどれだけ残されているかは判りませんが


イエスが死人達と例えた真理の無い人間社会の中から、
父の子供を救い上げて行きましょう。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


私達の神はとても大らかでこの上なく親切な存在だと思います。


学ぶ機会を与え続けてくれるのですし
学んだ人間には進化の贈り物をもくれます。


しかし、真理が捻じ曲がっているこの社会の中では
私達が信仰の中で受ける物は不快感ばかりかもしれません
(環境との兼ね合いです)


一方個人的真理によって神を持っている人間達は
とても楽だと思います。


彼らの神は信じれば救ってくれるからです。


彼らは自らの心を改善することなく
そして素行を改めること無くても
更には誤った事をしても信じれば救われるのです。


そして心の心地良さを満たしては
幸せにもしてくれるのです。


しかし私達の神はそんな存在ではありません。


その意味では苦痛をも伴う事が
多いのだといっても過言ではないと思います。


私達の神は進化に伴い次から次へと
進化のための新しい課題を与え続けるからです。


しかし私達が苦しんでいるのは創造主の法が悪いのではなくて
この社会の常識と言われているものが
創造主の法と照らしてかけ離れている事にこそ原因があります。


淡水魚が海では生きていけないように、
そして魚が陸では生きて行けないように


私達は心の濁りを落とす作業を続けているので、
汚れた環境では苦しむ羽目になっているのだと認識してください。


でも私達はその苦痛を跳ね除けて進化し続ければ
得るものはとても大きいのだと想像することも出来ます。


この社会において報われていない分の報酬が
一まとめに遣ってくる。


そんな意識を持って転生を楽しみにしてくださいね。


心無い人間達と対等に戦ってはいけないと思います。


彼らと同じ意識を持つことになるからです。


つまり精神性を下げることにも繋がります。


私などは知からづくで精神性を下げられることにもなっています。


自分達を美化するためにはどんな手段を用いても相手をこけ落とす
そんな事さえ正当化する人間達が私達にとっての一番の障害なのです。