魔の聖典タルムード | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


追加コメント


今日の記事は夜になります。


ユダヤの手先(公安CIAその他親米傀儡?)に
マイクロ波含めた電磁波での関与を続けられています。


腹痛寸前で頭も痛いです。

こちらでコメントしておきます。


http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-309.html


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下剤を飲んでトイレで駆け込んでは
そこで薬品を吸わされて暫くすると再び膨らみだして。


おそらくは私にとって悪しき効果の薬品と
それを解毒しようと言う薬品の効果の相乗効果なのでしょうが


とても不思議な思いを朝から晩まで繰り返しています。


喉も痛みが出てきたの逆流性食道炎でも
齎すつもりでしょうか。


今度は何を狙っているのか不明ですが
掲示板でのユダヤ傀儡工作員の捏造工作も続いていますし


今は胃腸に詰められた異物で顔や頭への電磁波照射を
続けられいます。


被害者で強制入院を受けたらしい人間の情報が
入ってきました。


何か情報をお持ちの方は
ぜひツイッターの被害関係者か私のブログコメント(非公開)に
お知らせいただければと思います。

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sayuri yamashita @syauri135 27分
@stop_stalker 忙しいでしょうが、
何か安否確認の方法を御存知でしたら返信で知らせて下さい、


またaurora_miniminiさんと知り合いの人がいれば、
その人のアカウントなども教えてくれると助かります、
緊急事態です、事実の拡散をお願いします、


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sayuri yamashita @syauri135 31分
@stop_stalker 因みに、その集団ストーカー被害者の人は
母親は病気で猫と犬も居るようです、面倒を見る人がいるかどうかも不明、
妹さんの旦那は在日朝鮮人で加害者だそうです、


なので、私も深い知り合いではないのですが、
他の被害者から相談され動いてる状況です、
今は安否確認が先決

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sayuri yamashita @syauri135 35分
@stop_stalker 昨日aurora_miniminiと言う下関の被害者の人が
「不当措置入院されそう」と言う連絡を最後に行方が分からない状態です、
この件に関して何か安否確認の方法を知りませんか?


警察経由の不当措置入院のようで、
警察は他人には情報を教えない可能性あるので、

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先月、不当措置入院の可能性のある被害者がいるという情報を
工作員の書き込みで確認し、その被害者の知り合いに
メールで確認する機会がありました。


ブロガーなのですが、判っていることはブログ止まる以前10日間ほどの間に
保険所の人間が数回やってきたと言う話でした。


知り合いの方が確認出来たら連絡をくれると言う話でしたので
その旨だけここで併せてお知らせしておきます。


私も面識ありますし一応は私の理解者と言う事で
記事も生命の科学や私の記事を取り上げてくれていた方です。


http://blog.livedoor.jp/ukiyonoito/


2chの被害者掲示板のユダヤ傀儡工作員の話では
被害者である私が、その被害者を拉致した事になっています。


これが被害者の置かれている実態なのです。


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”ユダヤ教”が神の教えではなくて人間の教えであると言う実態は
その裏の聖典と言われるタルムードから理解することが出来ます。


ユダヤ教徒は表立っては旧約聖書の神の教えを
信仰する人間であるとされていますが、
彼らにはそれを優先する裏の教えがあるのです。


そしてその裏の教えは神が語ったものではなくて
それは間違いなく人間の作り上げた教え。


しかもその教えが聖書の戒律を優先するとされています。
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掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>


タルムードの決定は、生ける神の言葉である。
エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。
(ラビ・メナヘン、第五書の注解)

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つまり神でさえもユダヤ教の導師であるラビに意見を聞くとして、
自分達、生きたユダヤ人の指導者の権限を
絶対視している思想なのです。


彼らが神としているものよりも、彼らのラビの方が上である。


つまりは自分達人間は神よりも偉いのだという
誤った思想にも繋がっているのだと思います。


近年聞こえてくる無神論や
人間を神とする風潮にもそれは現れていると思います。


そしてこの裏の聖典の存在は、モーセの教えを
口頭で伝承されたと言う名目になっていますが

モーセがそんな教えを語り継ぐわけがなく


勿論これを作り上げたのはユダヤ教の権力者たち。


恐らくは長老会サンヘドリンの面々のはずです。


このユダヤの裏の聖典が問題とされるのは
単にそれが人間が作り上げたものだからと言う理由だけではありません。


彼らが持っている価値観が一般市民に対しての
自分達の優位性を絶対のものとしていて


しかもその思想が危険なものだからです。


今日はまずその事を理解して頂きたいと思います。

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私が近年の社会風潮を見ていて危険視しているのは、
その思想や思考の中にユダヤ教的な発想がふんだんに
盛り込まれていることに気がついているからです。


例えば科学重視主義、そして人間こそが神であると言う発想、

最近顕著なのが、選民思想と似たものを持って暴れている人間たちの急増。


さらには、何事も形式と法律を重視しては
実質が伴っていないこの社会情勢と人のありかたの実態。


ついでに言えば表の顔と裏の顔を使い分ける
二重人格と偽善の横行する人間社会。


全てにユダヤ教徒の思想と慣習が、
染み付いているように見えるのです。


タルムードなるものを理解すれば、
ユダヤ教思想がどれだけ危険なものであるかを理解できるはずです。


そしてその実態をそのまま受け継ぎつつあるのが
彼らの表の代理人部隊であり工作員であるフリーメーソン。


メンバーの多くは一般市民、非ユダヤ人の中のユダヤ傀儡で、
しかもその殆どはユダヤの裏の実態を知りません。


しかしその思想だけは、間違いなくユダヤ的教えに
汚染されつつあることも想像つきます。


優秀なフリーメーソンはユダヤ傀儡に
偽善と嘘で騙されることになるのです。


フリーメーソンの資格は何かの神を信仰していることですし
ユダヤ教への改宗の可能性も感じています。


フリーメーソンとユダヤとの共通点は選民意識。


自分達は優秀で選ばれた人間であると
思い込まされるところにあります。


しかし本来大切にすべき優秀な人間に
悪事の手助けをさせるものでしょうか?


ユダヤが真に優秀だと判断している人間は、
ユダヤ達に手厚く保護されているはずです。


間違っても組織的犯罪に借り出されるようなことはありません。


そしてこのような人間達を動かすためにも階級制度を儲けては
活動のインセンティブ(誘引)としているのです。


この社会のピラミッド型組織体系に慣れて
その価値観を植え込まれた人間たちは
階級制度を正しい価値観だと信じて疑わないわけです。


そしてその中で上に登ることが
彼らの行動の目的にもなるのだと思います。


権力も行使できますし恐らくは見返りも大きいのでしょう。


そして本当に危険なのは
実はフリーメーソンではないのです。


一番危険な人間達は
ユダヤ教徒と化した人間達の中にこそいます。


ユダヤと言うのは今では”民族”ではありません。


一部その血にこだわる人間達が
真の?ユダヤ特権階級を作り上げていると思いますが


その他大勢、まして末端は”ユダヤ教を信じる人間達”
に他ならないからです。


いわゆる改宗ユダヤ教徒(シオニスト)です。

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改宗してユダヤ人となれる者は、
同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。
改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。
(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
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つまりユダヤというのは民族でだけではなくて
今では思想となっているようなものです。


その思想を受け継いで信じた人間は自称ユダヤ人となり
タルムードを自分達の聖典としては受け入れ
自分を特別な存在だと固く信じ、


その都合の良い教えを信仰しては実行することになると思います。


ユダヤ教がはびこる理由は簡単です。


それが心のエゴを満たすものであるから


そして信仰することが楽なのです。


難しい戒律を与えられるわけでなく形式的なことを数点守って
あとは自分達に特権階級意識を植え込むのが
ユダヤ教だと言っても過言ではありません。


それを信じた人間は”神に選ばれた人間”で
しかも非ユダヤ人を家畜扱いできる特別な存在となるからです。


この”自称ユダヤ人”は今急増中だと思います。


日本国内の秦氏の系統を継ぐ人間と称する者達の一部。


フリーメーソンの中でユダヤ教に改宗した人間達。


公安組織やその関係者の中のCIAに洗脳された面々。


更にはフリーメーソンと化した親米在日外国人の有志。


その他国内の隠れユダヤ教徒や隠れフリーメーソンが
あらゆる宗教やイデオロギー組織の中にもぐりこんでは
ユダヤの教えをひそかに実践しているのです。


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阿修羅で取り上げていたタルムード。


私達一般人の立場からとても危険な思想部分を抜粋したもののようです。

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タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人は
ことごとく生かしておいてはならない。
(サンヘドリン、五九、ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガ、一三)


ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれら
の教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。
(リブル・デヴィッド
の書、三七)

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中世から彼らが一般市民に忌み嫌われたのは
金貸しをしていたからという理由だけではなくて、
その危険な思想と奇妙な行動にあったであろう事も想像がつきます。


サバトやミサのような儀式めいたことが好きで、
タルムードのような秘密の価値観を共有し、
一般市民とはかけ離れた価値観を持っていたのですから、


一般のクリスチャンや無宗教の人間にとって
その言動は奇妙に映ったことでしょう。


そして彼らの秘密主義がこの文章からも見て取れます。


タルムード思想はその中の最たるものです。


そんな危険な思想を持っている人間を
今よりも野蛮だった時代の人間達が放置しておくわけもなく


確かにユダヤ人達のタルムードが一般市民に知られたならば
彼らは殺されていたかもしれません。


そのための徹底した秘密主義と警戒態勢が
彼らの社会の中ではとられ続けていたわけです。


集団ストーカーと言うのは、間違いなくその源流は
ユダヤ人たちが敵対者や裏切り者を社会から淘汰していくために
つくりあげてきた技術がその大元になっていると思います。


その事を知らずに多くの人間が
敵対者排除のために使用してきたわけですが


そこには恐らくは数百年から千年単位の
ユダヤ教徒の一般市民に対する策略が生かされているのだと思います。


マスコミを手に入れたことで彼らは
自分達を批判するものを効果的に排除する方法を手に入れました。


そして今では自分達は手を汚す必要もありませんし
今ではその権力と経済力を持って代理人達を利用することで
自分達がこの社会の王に成りあがろうとしているのです。
(破壊をもたらそうとしている可能性もあるようですが)


そして何よりも自分達の実態を隠すことを優先し
得意の偽善を用いては一般市民をだまし続けた。


目に見える事しか理解できない私達は
彼らのうわべに騙され続けることにもなります。

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偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、
彼等を敬い、彼等に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。
すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に駆られたる場合は然り

<ゲルソン法師>

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この一節によれば、彼らには時と場合に応じて
偽善の使用は正当化されることになります。


しかしそれはイエスキリストが一番批判していた行為です。


他人の前で自分を美化するために
大きく立派にみせるために、善人に見せるために、
彼らは偽善をもって人々に接していた。


そして献金もすれば絶食もして安息日をも守り、
自分達は形式を守っているから義であると胸を張っていた。


しかし彼らの表の実態と腹の中での思惑とのギャップは
イエスキリストという存在に対しての
彼らの謀略の数々を見ていても明らかだと思います。

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わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、


律法の中でははるかに重要なもの、
正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。

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その事を明瞭に語っていたのがイエスのこのような言葉です。


ユダヤ人は形式ばかりを重視し
心のあり方に関しては無関心だと言うこと。


それが日本も欧米化が進む中で
そっくりそのまま反映されるようになってきているのです。


そして彼らが目指している本当の社会の実態が
この文章からも明らかになります。


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ユダヤ王は真の世界の法王となる
 ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。


 だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、
後にはわれわれの宗教で再教育する間、
われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、


教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。


その場合、一般的には、われわれの現代の新聞はゴイムの国家問題、
宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、


常に、わが民天与の才能を振い、
あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、
罵詈雑言を浴びせ百方中傷する
。<十七>

注: ゴイム・ゴイ・アクムはいずれも非ユダヤ人のこと
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彼らは宗教的意識を持ちながら
この社会の覇権をつかむ事を宣言しています。


そしてこれがこの社会の中での
彼らの目的の一つとなっているのです。


そのために彼らがすべきとしていたこと。


既存の教会に関しては自分達は関わらないが、
教会内部に軋轢をもたらすと断言しています。


カトリック教会やキリスト教を内部から腐らせ続けているのは
ユダヤ教徒とその傀儡を自認しているフリーメーソンの人間です。


その結果、教会同士には軋轢が生じ宗派も別れ
教会自体の堕落のためにイエスの教えの信憑性まで
陥れられることになりました。


キリスト教世界を裏で誘導してきたのは
もしかしたらユダヤ教徒ではないかと私は想像しているぐらいです。


彼らの望むとおりにキリスト教世界は
教えでも解釈でも論争が起きては、
いつも誤った思想が勝利してきた気配を感じるのです。


あらゆる手段を使用して,
既存の教会の威信を落とすと宣言している通り


今ではキリスト教中心に多くの宗教が変貌されていますし
彼らの策略に利用されてもいます。

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自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。
公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。
もし然か為し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし

(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)

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自分達の教えを否定するものは殺せと言うのがここでの趣旨です。


表立って殺すことが出来ないのであれば
策略を張り巡らせてでも死に至らせろ。


そう触れているわけです。

それは彼らが過去に延々と実行してきた事でもあります。

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トーラーを持たざる者と予言する者とを、すべて殺さなければならない。
かれらを殺す力ある者は、剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。
剣なければ策略もて放逐せよ。
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、四二五の五〇)。

トーラー……旧約聖書の最初の五書
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ユダヤ教徒は旧約聖書を全て信仰しているわけではありません。


創世記とモーセ時代の記述がその中心。


彼らは創世記と人格神の教えを信仰している人間達です。


トーラーを持たざるものとは異教徒のことでしょうし
ここでの”予言する者”とは、ユダヤ人の預言者の意味ではなくて


”彼らの教えにないお告げを創造主から受け止め
それを語る人間”の事だと思います。

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キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>

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キリスト教の中の善き者を殺せと言うのは
キリスト教の普及を妨害する目的での主張だと思います。


時代的にはイエスの没後であることは想像つきますが
イエスの後に12使徒が活躍したように


同様の人間が現れては、多くの人間を創造主の法へと導くことを
彼らは警戒していたのではないでしょうか。


彼らがいかにキリスト教を忌み嫌い
クリスチャンを憎んでいるかが表現されている箇所を取り上げますが


その前に偶像礼拝に関して
ユダヤ教徒が取り上げている箇所を参照します。

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偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにして
ただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず

<ロイベン法師>


イスラエル人は人間と呼ばる。
然れども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば、
豚と呼ばるるなり。
<ロイベン法師>

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偶像礼拝者というのは
文字通りの偶像礼拝をする人間と言う意味だけではなくて
異教徒をまとめて、更にはキリスト教徒をも称してさしている言葉です。


彼らが精一杯許容して幅広い分類で解釈すれば、
偶像崇拝者も生物学的分類で人間と呼ばれるが、


本来の彼らの価値観の中においては
人間ではないと言っているわけです。


偶像崇拝者は汚れた魂を持っていて豚と呼ばれる。


そう言っているのだと思います。


私達非ユダヤ教徒は彼らにとっては豚なのです。


ここで問題となるのは彼らは何を持って
偶像礼拝と呼んでいるのかと言うことです。


ユダヤ教は自分達の仲間をラビとして奉り
それは創造主よりも偉いのだとこの人間達は触れています。

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タルムードの決定は、生ける神の言葉である。
エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。

(ラビ・メナヘン、第五書の注解)
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つまり彼らにとってはラビという存在は神よりも偉く
真理を語ってくれる存在だと言うことになります。


そして彼らの神は天国に住んでいて
そこでもトラブルが起きたらラビに相談するのだと話しています。


ユダヤ教徒は死後の世界を重視している人間達ではなく
この現実社会の中にこそ重きを置いている人間です。


救世主が来たときには全てのユダヤ人は王として
この社会に君臨することになっているはずです。


天国でトラブルを起こす神と言うのは、
もしかしたら他の惑星からの訪問者を彷彿させる言葉でもあります。


しかも人間であるラビに相談をする存在だと言います。


つまりそれは人間なのです。


そしてその神よりも地球でのラビ(指導者)のほうが
偉いといっているのですから、彼らが神として拝むのは人間です。


それは確かに偶像ではありません。


一方クリスチャンの中には
十字架やイエスの像マリアの像などを拝む人間もいますし
彼らにしてみればそちらこそが偶像崇拝ということになるのでしょう。


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キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。<キムヒ法師>

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表立っての偶像崇拝禁止と言う意味では
ユダヤ教もキリスト教も共通の価値観の様に見えます。


しかし、イエスの言っていた”偶像”と言うのは
”創造主への信仰への妨害となる人間の作り上げた価値観の象徴”なのです。


像に限らず、それが建物や遺跡や人間であっても同じです。


それらは神ではないからです。


逆に言えば人間を神以上に崇拝しているユダヤ教徒は
人間を崇拝しているのですから
それは質的には偶像崇拝と何ら変わりありません。


そこから神の意志を受け止めることができない限りはです。


私達は創造主の意識を受け止めそれを実践する事を求められています。


イエスキリストは創造主の意識を受け止めることの出来ない一般人に代わって
創造主の意志を語り、その意志を受け止める方法を伝授してくれました。


しかし通常は一般の人間にはそんなことは出来ません。


ユダヤ教のラビ然りです。


創造主の意志を受け止めることの出来ない人間を神聖化する行為は
神でないものを拝む行為と何ら変わりはないのです。


そして彼らにしてみればイエスキリストこそが
彼らにとって憎むべき対象でもありました。


その弟子としてクリスチャンは全てが忌み嫌う対象と
されたと受け止めるべきです。


その事を象徴しているのがこの一文です。

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汝知るべし、イエスの教に從がいて迷えるキリスト教諸國民は、
その信仰には種々あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。
故に彼等は偶像礼拝者相応に扱わるべし。
これタルムードの説くところなり。
<モシェー・バル・マエモン>
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【偶像礼拝者相応に扱わるべし】


現に偶像崇拝をしていようがいまいが
キリスト教徒は偶像礼拝者と看做せと言っているのです。


ユダヤ教徒も偶像礼拝の一番の弊害を
理解してはいません。


私達の創造主との対話は私達が表に想いを吐き出すことで
なされるものではないと言うのが

偶像崇拝を禁じた一番の理由だと私は捉えています。


それは形式的なものではなくて実質的に必要なことです。


なぜなら、偶像崇拝は以前から繰り返しているように
想念を発する行為であり、科学的に分析すればテレパシーを送る行為です。


それをひたすら続けても私達には創造主の意志は届きません。


私達が感ずる創造主の意識は魂から想念として与えられるものだからです。


つまり私達はテレパシーを受信する行為を必要とするわけです。


いくら神に願い続けても一方的に想いを発している分には
創造主からの意志を受け止めることは出来ないのです。


神の分身としての私達の魂の意志をです。


想念を発する行為と受け止める行為は正反対のものだからです。


実質的な偶像崇拝禁止の意味はここにこそあると思います。


後は偶像が魅力的である時にそれに惹かれる事を防止すること。


見えるものに拘り、見えるものに価値を置く癖のある私達にとっては
魅力ある偶像は誤った信仰への誘導になるのです。


マリア像はその象徴だと私は考えています。


更にキリスト教徒を異教徒として認定する理由を述べています。

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キリスト教徒は異教徒なり。
彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり
。<アバルバネル法師>


非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変
節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪し
ければ、同じく証言を為すを得ず。
(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)


カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの
なり。
<アシェル法師>
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ユダヤ教徒のタルムードの教えの真髄は
反キリスト思想にあると思います。


2000年前に突如現れ
彼らサンヘドリンやパリサイ派の人間達の
権威を失墜させたのがイエスキリスト。


彼らのユダヤ教社会はその後キリスト思想に飲みこまれながら
国としてもローマに飲まれることになります。


その後も思想的にもキリスト教徒に迫害される経緯もあったのか
彼らの中にはキリスト教に対する憎悪と復讐の念が増し
それはそのままタルムードに綴られるに至ったわけです。


その詳細を拾いたかったのですが
今現在タルムードの多くがネットから消されているのか
引用できそうになかったので


タルムードの翻訳著書の内容目次紹介から
どんなことが記されているかの目安として貰おうと引用します。

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第二章 基督教徒は絶滅されねばならない
  第一節 基督教徒に対し間接的に危害を加えよ
     壱、 基督教徒に善行を施してはならない
     弐、 基督教徒の仕事に対しては損害を与えられねばならない
     参、 基督教徒は法的な事柄によって危害を与えられねばならない
     四、 基督教徒は生活に必要なものに損害を与えられねばならない


  第二節 基督教徒は殺さねばならない
     壱、 最後にタルムードは基督教徒は無慈悲に殺されねばならないと命じる
     弐、 洗礼を受けたユダヤ人は死なねばならない
     参、 君主達取り分けローマの君主(教皇)は殺されねばならない
     四、 最後に彼等(ゴイム(異教徒))最良の部分を含む
        全ての基督教徒は殺されねばならない
     五、 基督教徒を殺したユダヤ人は罪を犯してはいない。
        かえって喜ばれる犠牲を神(悪魔ダビデ)に捧げるのである
     六、 エルサレムの神殿破壊後の唯一のなくてはならない生贄は基督教徒の根絶である
     七、 基督教徒を殺す者達は天国で高い位を獲得する
     八、 ユダヤ人はゴイム絶滅を止めてはならない、 
        彼等を平和にしておいてはならない、彼等に服従してはならない
     九、 全てのユダヤ人達は彼等の中の反逆者を抹殺する為に
        互いに一つに結び合う義務を負わされている。
     十、 例えどんなに荘厳な祭りでも基督教徒の首を切る事を妨げてはならない
     十一、 ユダヤ人の全ての行動と祈りのただ一つの目的は
        基督教を破壊する事でなければならない
     十二、その祈りの中でユダヤ人は復讐に燃えるメシヤの到来を待ち焦がれる、

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すさまじい内容が綴られていると思います。


八、 ユダヤ人はゴイム絶滅を止めてはならない、 
   彼等を平和にしておいてはならない、彼等に服従してはならない


これなどは今の地球社会の行き着く末を示しているようにも見えます。


私たちはいつの時代も平和に暮らすことはできません。


サンヘドリンの本音はユダヤ人以外みな絶滅?


今の世の中を考えてみれば
そんな事だって現実に起こりうるわけです。


オカルト話にされそうですが
彼らが地球製の宇宙船で逃げ出して
その後に核戦争が起きたり


地球規模の地殻変動でも起きれば
それだって現実になります。


洗脳している人間に核のスイッチを押させても
その他ハイテク兵器を暴走させても同様です。


彼らがいかにキリストに恨みを持ち続けていて
クリスチャンを嫌っているかが判ります。


その恨みはクリスチャンに限らずユダヤ教徒以外の全ての人間にも
向けられている様でもあります。


このタルムードの内容と現代のクリスチャンの数の多さを比較して
タルムードの教えは昔のもので
今とは無縁ではないかと言う方もいるでしょう。


しかしそうではないのです。


文字通りの受け止め方しか出来ない人間は
キリスト教徒が世界に20億人は存在しているから、
ユダヤのタルムードは実践されていないと受け止めても、


現にユダヤの策略は彼らの満足を満たしています。


世界にはキリスト教徒は大量にいても
真のイエスの教えを理解している人間は
一握りしか存在してはいません。


 四、 最後に彼等(ゴイム(異教徒))最良の部分を含む
    全ての基督教徒は殺されねばならない


当初言葉どおりの実践を図っていたかも知れませんが
キリスト教の普及は彼らの想像を絶していたと思います。


その信仰する人間を全て殺すことは
物理的に不可能だったのです。


そこで彼らがとった戦略はキリスト教を腐らせること。


クリスチャンを絶滅させなくても
憎きイエスキリストの教えからかけ離れさせて
キリスト教を本来の姿から変貌させること。


そこに残るのは”イエスの教え”ではなくて
”キリスト教”と言う名の一宗教なのです。


更にユダヤ教徒は世界的な力を持つようになってからは

キリスト教をユダヤ教化しています。


名前がキリスト教であっても
その教えと信仰の仕方と慣習と、更には拝むべき神が同じなら
それはキリスト教ではなくてユダヤ教なのです。


新約聖書のイエスの言葉を引用していても
それを形式的に理解しては実践せず、


何ごとも事の本質を理解しないで上辺で偽善を語っていれば、
それはイエスキリストが批判したパリサイ派の人間と
同じであることは言うまでもありません。


つまり多くの人間がユダヤ人の同胞、
もしくは彼らにとっては差し障りのない人間に
成り下がっていることを意味します。


 【参、 君主達取り分けローマの君主(教皇)は殺されねばならない


ローマ教皇が安泰でいられるのは”キリスト教”を実践しているからです。


真のイエスの教えを信仰し広報しようとした
ヨハネス23世とヨハネパウロ1世は暗殺されていることが
全てを物語っているのです。


つまり今の社会のクリスチャンが殺されないのは
彼らユダヤ様の心の友、心の奴隷と成り下がっているからで


真に敬虔なクリスチャン達、イエスの教えを理解して実践している人間達は
彼らの目に留まり次第闇へと葬り去られていることでしょう。


キリスト教徒だけではなくて
彼らは多くの宗教を利用し、もしくは変貌させては
創造主の意志からかけ離れさせ、


自分達の意に染まった人間を作り続けています。


その実態に気がつかないでいるからこそ
私達は無自覚のうちにユダヤ的な思考を持たされることになるのです。

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なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。
(ババ・メチア、一四六の六)。

ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは
金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)

ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ
ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。
(トセフタ、アブダ・ザラ八の五)


すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を
屠ることを許さる。
(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

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選民思想の恐ろしさはこの辺の内容からも理解することが出来るはずです。


彼らは他人を動物ぐらいにしか見てはいない。


しかも自分達が他人を殺すことは罪ではないと言っているのです。


他人から物を奪おうが他人から金を騙し取ろうが、
他人を殺そうが自分達がユダヤ人で相手が非ユダヤ人であれば
彼らにとっては罪にはならない。


そんな思想を信仰する人間が増えると
一体社会はどんな事になるのかと言う話です。


そしてこのユダヤの教えは日本の中でも
間違いなく普及しているはずです。


一部の特定の人間達がそれを受け継いでいる
もしくはそれへの賛同者があらゆる組織の中で
増えている可能性もあります。


その人間達は平気で他人を策略に仕掛けて財産を奪うでしょう。


詐欺でも働いてお金を奪うかもしれません。


邪魔な人間、気に入らない人間を殺すこともあるでしょう。


時にはお金や財産が殺人の動機になるかもしれません。


しかしそれは彼らには正当化されます。


少なくとも彼らの信仰ではそれは罪ではないからです。


そして国家機関の中の
犯罪を取り締まる人間達の中に同様の思想の人間がいれば


フリーメーソンが与えられている規則のように、
彼らは自分の権力をもって仲間を罰しません。


私が繰り返し主張したいのは
そんな人間、ユダヤ教徒もしくはユダヤ教徒的思想を持たされた人間が
この社会に急増中だと言うことです。


真のユダヤ教徒は民族の血に拘っているのかもしれませんが、

少なくとも彼らが利用している非ユダヤ人である
”ユダヤ教徒”は血が資格にはなりません。


彼らはユダヤ教を信仰しタルムードを実践すれば
ユダヤ教徒として自らを自覚することになると思います。


つまり潜在的なユダヤ教徒は大勢存在している可能性があるのです。


もともとはキリスト教徒や仏教徒だった人間が
改宗することもあるでしょう。


フリーメーソンのような組織の中で
信仰へと進む人間もいるのでしょう。


しかも多くの宗教思想の中にユダヤ教思想が紛れ込みだしています。


なぜにユダヤ教徒が増えるのか?
もしくはユダヤ教徒的な思想が蔓延するのか?


それはその思想が、心のエゴにしてみれば受け入れるのが楽で、
しかもエゴを満たすには魅力的なのだと思います。


形式的な掟を守れば、
彼らは後は何をしても許されることになります。


盗もうが奪おうが殺そうがです。


一方彼らはこの社会の中では王もしくは選ばれた選民として
他の人間の上に君臨するとされています。


道徳を実践することなど意識する必要もありませんし、
自分達のエゴに任せて生きていれば良いのです。


選ばれた人間である自分は、他人よりも上であると言う意識は
プライドを満たすでしょうし、


好き勝手できると言う意識は本能や欲を満たします。


心が不快に思うことになる戒律は微々たる量です。


殆どが心情とユダヤ擁護のためのものです。


ただ、その戒律よりもラビの教えのほうが優先されるとありますから


彼らの律法である教えを無視しても
つまり基本的道徳の10戒を無視してでも上の命令には従うと言う
そんな意識は持つことになるのだと思います。


彼らは実質的に創造主の前には無戒律なのです。


命令に従っていれば彼らは選民であり王の一人であり、
地球の支配者であり、エゴに任せて生きることが出来る。


創造主の意識からかけ離れた人間、
道徳心の少ない人間にとってとても都合の良い、
そして魅力的な教えとなっていることに気がつくはずです。


だからこそ太田さんなどはユダヤ教をユダヤ悪魔教と呼んだのです。


悪魔と言う例えは良くないと言いますが、
悪魔が創造主の意志と正反対にある意志だとすれば
彼らはそれに近い戒律を持って生きている事にもなるはずです。


だからこそイエスキリストは
そんなパリサイ派サンヘドリンをサタンの会派と呼んだのです。


それは決して侮辱でもなければ暴言でもありません。


クリスチャンだからイエスキリストの真の教えを
理解できるとは言いませんが


少なくともイエスの事を理解し信頼するというのであれば

イエスの言葉の真意とその警告に従うべきではないのでしょうか?


そしてそれ以外の今の社会の中を生きる人間も
この社会の中にいかに嘘と偽善とがまかり通っているか


争いと分割に満ちているのかを認識し、


その根底的な原因となっている形式で物事を裁く法律のあり方や、
財産の所有に執着する意識、
強すぎる個人の権利の主張意識、


更には競争社会、お金重視社会、捏造情報垂れ流し社会の実態と
その原因となるものを追求してみてほしいです。


行き着く先は殆どがユダヤ教もしくはユダヤ人へと
繋がっていく事になるはずです。


この社会はタルムードを戒律として
今完成しようとしているのかもしれません。


敬虔なるクリスチャンや宗教信者は
今の社会の実態を見つめ、


目先の枝葉の問題に囚われて争うことなく
自分の持っている教えの原点を見つめて見てほしいです。


私達が進むべき先は皆同じだと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



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P.S.


私は彼ら、もしくはそれに近い意識を持っている人間を
すぐ身近に感じながら生き続けています。


彼らも私と言う人間が
共生できる相手ではないと判断していると思います。