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気合を振り絞って書いている最近の記事です。
今日の記事は内容が一部殴り書きであることを
最初に触れておきますね。
勘弁してやってください。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11529848417.html
輪廻転生
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11530549787.html
天でも地でも御心を
キリスト教がイエスの教えに戻ったときに
この世の最大の真理となります。
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これは2チャンネル掲示板のスレッドの冒頭部分です。
見ての通りキリスト教に関しての批判が連なるスレッドのようです。
このスレッドを立てたのはキリスト教を嫌いな人間、
もしくは”実”としての信者を見たときに
”木”としてのキリスト教が偽善に見えた方が
その想いをぶつけたものだと理解しています。
ある意味正論で、ある部分は理解不足ですが、
キリスト教や聖書に馴染みのない人間や無神論者にしてみれば
当然出てくるような主張なのかもしれません。
私達が理解すべきは”キリスト教”ではなくて
”イエスの教え”ではありますが
キリスト教を一般市民がどのように認識しているのか、
もしくはキリスト教への敵対者の意識はどのようなものであるかを
理解するために少し触れてみたいと思います。
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キリスト教を信じる人はアホに思えてしまいます13
1 :神も仏も名無しさん:2012/12/07(金) 19:47:56.59 ID:gsMd1VPS
キリスト教は、教義にはキレイゴトをたくさん並べているけれど、
世界史において大虐殺差別侵略強○を 先導してきたのがキリスト教国。
大航海時代から欧米のキリスト教信仰国が侵略主義を推し進め
2次大戦の原因である「世界を帝国主義の流れに染めあげた」のもキリスト教の信仰国である。
こうして歴史を見ふりかえってみると、
キリスト教は「史上最悪の虐殺集団」「史上最悪の害悪宗教」
と言えるのではないかと思います。
キリスト教徒は南米のインディオを神の名の下に何万人虐殺。
拷問しましたか? インド、アフリカの人々をどんだけ差別し虐愛しましたか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411782049
アダムとイヴの話でも、目の前に興味や食欲の対象があれば向かうのが当然だし、
興味や食欲と いう仕組みを人間に設計したのも神なのでは。
それなのにアダムとイヴに罪があるというのは 理不尽そのもの。
キリストは救世主?にしてはやったことの範囲が狭いですよね。
神がいるならなぜその後は救世主を地球に派遣しないんですか?
人間を設計したのが神ならば、人間ではなく設計図を
書いた神にこそ罪があるのでは?
アフリカで餓死していく罪無き子供達は救わないのはなぜ?
と、幾らでも「おかしいだろ」
「これでよく神という存在を信じられるなー」ということが浮か
んでくるんですが、キリスト教徒の方はこういったことを疑問に思わないんですか。
べつにキリ スト教に限らず、
超常現象の類が出てくる宗教は全てなぜ信じられるのか不思議です。
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【キリスト教は、教義にはキレイゴトをたくさん並べているけれど、
世界史において大虐殺差別侵略強○を 先導してきたのがキリスト教国。】
教義に奇麗事を並べているのではなくて、
教義の内容が真理でありながら実行するのが難しくて
至らない私達には実践できていないだけの話だと思います。
イエス自身はそれを真理として語り
それを実行することを誘導したはずですが、
私達にはそれを実践するだけの器が、
備わっていないと言う理解でも良いかもしれません。
更にキリスト教の歴史を見れば判るように、
いつの時代もキリスト教少数派の人間が多数派の中の”権力者”によって
虐げられ虐待されてきた歴史があります。
教会に殺人行為が認められたと言う事は、
それは教会の権力が政治と結びつき強大になっていた事の現われですし、
そんな権力を持った時点で、キリスト教はイエスの教えから
かけ離れていたと認識できます。
イエスは「一番偉い人になりたいのなら
誰もの下について誰にでも奉仕する立場の人間になりなさい」
と言っていました。
多くの人間の上に立つ事でも、
それがスペースブラザーズのマスターの様に、
信頼と尊敬に基づくものであれば問題ないでしょうが、
その権力にふんぞり返る人間は、すでにイエスの使徒ではありません。
天使達の中での尊敬されるべき人間は、
率先して他人への奉仕を継続しているようなそんな人間だと思います。
先日取りあげた輪廻転生の記事の中でも、
イエスと呼ばれた肉体をまとった魂は、
過去から現代に至るまで何度も地球社会の中で転生を繰り返し
私達を導いてきた事に触れました。
偉ぶって指揮を執って高みの見物をしていたのではなくて、
自らが率先してこの社会に奉仕をするためにやって来ていたのです。
キリスト教世界で少数派を異端として排除したような流れは、
あくまで政治的な権力を宗教思想の元に実行したと言う
背景があった事を理解すべきで、
そこに関わってきたのは政治権力でもあったのですし、
一般のキリスト教信者には無関係な出来事だと思います。
つまりローマ帝国では国民管理のために利用されたキリスト教は
すでにその教えの本質を捻じ曲げられていた事になると思います。
イエスの教えは、時の権力者に対して傍若無人であり
それを否定する内容である事はイエスの言動からも明確です。
現にイエスを貼り付けたのはその時代の権力でもあったはずです。
しかし時の権力者がイエスの教えを恐れた一方で、
その内容を逆手にとって国民を従順な羊に仕立て上げるために聖書を捏造し
自分達にとって都合の良い教えに改造してしまった事も想像がつくのです。
例えばイエスが語っていた十分の一の一節や、
パウロの語っていた
「全ての権力は神に与えられたものだから
私達はそれに従わなければならない」の一節です。
(ローマ人への手紙13章)
そんなものを書き加えた上で
聖書の一字一句信じなさいと書かれたとなれば
クリスチャンは誰もが権力に従順な人間と
なってしまう事でしょう。
そして元々のイエスが実は時の権力者に対して
批判的であったという事すら忘れられる事になります。
イエスキリストは、この社会の仕組み自体が
根底からおかしいと認識していたのだと思います。
一昨日もコメントしましたが、聖書の中の輪廻転生の記述が
時の支配者にとって不要という事で排除され
更にはそれが正統派であると言うことが公会議では決定され
その後に輪廻転生を唱えるクリスチャン達が、
少数異端として迫害殺害されてきた歴史があることを
私達は理解すべきです。
結果、天国に行く事が出来る人間は
時の経過と共にますます減る事になったと思います。
正しいことを主張する人間が迫害され淘汰されてきたのですから
その後は同様の主張をする人間が激減したことも明らかだからです。
つまりこの社会では後の時代になればなるほど
真理は伝われなかった事になります。
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【大航海時代から欧米のキリスト教信仰国が侵略主義を推し進め
2次大戦の原因である「世界を帝国主義の流れに染めあげた」
のもキリスト教の信仰国である。】
確かに大航海時代にキリスト教国家を名乗る国家の人間達が
(ポルトガルやスペイン)
世界に植民地を作りながらそこに住む民族を侵略絶滅させ実態があります。
私が取り上げたイスパニューラ島にしても
今ではドミニカ・ハイチという国々が存在し
多くの有色人種(主として黒人)が暮らしているはずですが
元々の原住民のほとんどが殺されて
後の時代にアフリカから奴隷としてつれてこられた人間が
新たな国家と文明を築く事になったようです。
しかしこれもキリスト教国家の仕業と言っても、
その中でも有名であるイエズス会と言われた一派が
その中心にいた事を忘れていけないと思います。
イエズス会には元々は政治的策略を持って
キリスト教を利用していた人間がその中心にいたと思います。
彼らは敬虔なクリスチャンではありえなかったという事です。
後にユダヤとの権力闘争に敗れたらしいですが
そんな人間達が真のイエスの教えを理解しているわけもないのです。
つまりこのような、一部の目だった良くない部分を”実”として
キリスト教全体の”木”を評価しようとすれば
キリスト教は悪い教えという事になってしまいますが、
強奪・虐殺が実行されていたと言うことは、
冒険者達は聖書の中のイエスの教えを信頼して
実践していたわけではないでしょうし
心無い行為を実行した人間がいたとしても
それはキリスト教徒と認識すべきではないと思います。
そして当時大航海時代に冒険に出たのは
元々は居場所を失ったような無法者だったのではないのかと言うことが
太田龍さんの著書からも読みとれました。
更には聖書自体が、元々のイエスの教えが
完全に反映されたものでないと言うことを私達は理解すべきです。
【キリスト教徒は南米のインディオを神の名の下に何万人虐殺。
拷問しましたか? インド、アフリカの人々をどんだけ差別し虐愛しましたか? 】
私も気がついていますが、インディオを虐殺したのは
キリスト教の仮面をかぶったイエズス会や
太田さんの諸説ではユダヤだと言うのが実は正しい認識だと思います。
もっと言えば人種差別と虐待をして来たのは
白人だと言っても良いと思います。
彼らの中には有色人種を同じ人間と考えず
見下している人間達がいるのです。
ところで、敬虔なキリスト教徒は
「自分はクリスチャンだ」と宣言しながら
悪いことをするのでしょうか?
スパイが敵対組織の印象を下げる時に利用するように、
自分の所属する本当の組織名を隠そうとすれば
別の組織の構成員であると語る事で目的を果たす事になるでしょう。
例えばキリスト教を元々憎んでいて
それを敵対思想と認識している人間達がいたとすれば、
キリスト教徒を名乗って悪事を働くかもしれません。
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【アダムとイヴの話でも、目の前に興味や食欲の対象があれば向かうのが当然だし、
興味や食欲と いう仕組みを人間に設計したのも神なのでは】
興味は私達の学習のための動機になりますし、
食欲は肉体の機能を維持するための動機としても存在していると思います。
ただ、それを制御する理性をも私達は与えられているはずです。
”命の木の実”と”善と悪の知識の木の実”の逸話を
文字通り受け止めて解釈すれば、
食欲と興味を持って木の実を食べたことは罪ではありませんが
これは文字通り受けとめる話ではありませんでした。
ここに関しては以前から繰り返し触れているので
詳細を説明するまでもないと思います。
ただ、人間が生まれ持って与えられている”原罪”などは存在せず、
それは後天的に全ての人間が”創造主との意識との乖離”と言う形で
与えられる事になるのだと言う事をこの逸話から理解できたはずです。
それは生まれ持った悪徳ではなくて
後天的にこの社会の環境に馴染む事によって培われるものです。
善と悪の知識の木の実を食べると言う表現は、
私達が自分の心を持って
善と悪を判断するようになったと言うことの例えです。
例えば「裸でいることが恥ずかしい」と言う概念も
私達が生まれ持ったものではない証拠に
子供の頃は他人の前でも裸で走り続けることになります。
昔のアマゾンの原住民は
皆が裸に近い状態で暮らしていたことは
昔のドキュメンタリーで見て知っています。
彼らには裸が恥ずかしいと言う概念がありませんでした。
つまりは後天的に培った価値観が
そんな判断基準を私達に持たせた事になるのです。
私達は体験を通じて自ら作り上げた価値観に基づいて
物事を評価したり善と悪を区別するようになります。
それは神の100点満点の意識と異なり
その人間ごとに異なる価値観でもありました。
その結果、私達は永遠の命を失った。。
つまりは前世の記憶を持っての転生をする事が出来なくなった。。
聖書で言えば、”永遠の命の木の実”を遠ざけられた
と言う事だと説明させて頂いています。
私達にとっての原罪があるとすれば、
”魂”と言う”創造主の意志の分身”からの意志に従うことなく
自らの”心”を持って行動の選択をするようになったと言うこと。
心の価値観を持って行動の基準を決定するようになったアダムとイブは
創造主の意志に従い生きる事をやめたのですからその事こそが原罪で、
結果、アダムとイブは永遠の命を遠ざけられ、
その上に天国と言う名の楽園で暮らす事が出来なくなった。
天国を実現するその意志は
私達が創造主からこそ与えられるものだからです。
そして私達は心を持ってこの社会を地獄へと変貌しているのです。
アダムとイブの逸話はまさにその事の象徴です。
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【神がいるならなぜその後は救世主を地球に派遣しないんですか?】
まず、これは自分勝手でエゴ丸出しの発想です。
自ら経験の中で反省や教訓を得るのが賢明な人間の姿です。
例えば戦争をしてはその中で悲惨さを受け止めて、
それを止めようと意識するのが本来の人間の理性的な姿のはずです。
痛い目に遭いながらその失敗を反省する事も出来ず
同じ過ちを繰り返すような愚かな事をしてきたのが私達。
更には一方ではまったく創造主の意識に従うことなく身勝手なことをしておいて
創造主が助けてくれないと言うのは自分勝手だという事です。
そんな便利な神様がいれば、
私達には何の成長も齎されることはないでしょう。
学習の必要がないからです。
神様はドラエモンではないのです。
それ以前に、この社会の中には時代を超えて繰り返し
聖人達は送り込まれています。
ただ、この社会の私達が愚かで、
例えば著名な哲学者が真理を語っても
それを哲学と言う学問の範疇に放り込んで
無視していると思いませんか?
この社会の人間はその人間が奇跡でも実践して見せなければ
哲学者の言葉や科学者の言葉であっても
真理を真理、神の意志を神の意志と理解する事も出来ないと思います。
彼らの言葉が魂に響くこともなく
それが覚醒のきっかけになっていないと言うこと。
それだけこの社会の人間の心が荒んでいて
エゴに囚われていると言う事の現れではないでしょうか。
アダムスキーがそうであったように
更にはアダムスキーが語っていたように
この社会には繰り返し天使達の社会からの協力者達が
転生してきてはこの社会の中で真理を語ったと思います。
それが科学者であったり、哲学者であったり
宗教世界の中での聖人と評される人間であったかもしれません。
しかし豚に真珠ではありませんが
私達がその人間達の語る真理の価値を
見出すことが出来なかったのだと思います。
アダムスキーはヨハネの転生です。
アダムスキーの話ではモルモンの創始者
ジョセフ・スミスも天使達の仲間で目的遂行前に殺されたと言う話でした。
マホメットの後にも天使達はこの地に降り立っているのです。
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【人間を設計したのが神ならば、人間ではなく設計図を
書いた神にこそ罪があるのでは?】
神が設計した人間の設計図は完璧だと思います。
神に従って生きるも、その意志を無視して消えるも、
私達が自分の意志で決める権利まで与えてくれました。
自分の分身として存在する人間を想定するのであれば
全ての肉体構造をも単一にまとめ
脳機能含めて全てを全く同じものとする事も
その脳機能を制限し、神、自らの魂のみに
従って生きる存在を作り上げる事も出来たと思います。
それは神の完全なる分身もしくは
神の意志を受けた単なるロボットとも言えます。
しかしそれは実行されませんでした。
しかし創造主の目的の調和を実現するその役目を
神は人間と言う名の自らの手で作りあげた
創造物に託したと言う事だと思います。
そしてその創造物は神の最高の被造物として存在し、
その上で自ら進化することで
将来的には神に限りなく近づくという目的をも与えられた。
これらを真理として理解すれば
私達を作りあげた神の意志も判りますし
神が作り上げたのは不完全な創造物ではなくて
限りなく進化する可能性のある、完全となりうる資質を秘めた
究極の被造物と言うことになります。
【アフリカで餓死していく罪無き子供達は救わないのはなぜ?】
これに関しては貧富の差を意図的に作り上げてきた
世界の支配者様に言うべきではないでしょうか?
貧富の差を作りあげてきたのはキリスト教ではありません。
経済・政治・金融更にはお金の仕組みを作り上げてきた
ユダヤ教パリサイ派長老会サンヘドリンに文句を言うべきです。
そして災害や悲劇が起きたときに
何故に神はそれを止めることが出来なかったのかという主張を
無心論者は繰り返します。
私達が創造主と意識すべきは
四次元に蔓延している残留思念という名の創造主の意志です。
そこは、法則の元となっている意志や
宇宙空間のありとあらゆる存在の
過去から現在に至るまでの記憶で満たされた空間です。
つまりこの地球社会に摂理や現象を齎しているのは、
今現在どこかに存在しているであろう創造主の
”今現在の意志”ではないということです。
過去の残留思念が一定の法則を作り上げていて
私達はその影響を受けているに過ぎず
災害を止めたり、破局を止めるのが創造主の意志ではないということです。
災害や破局は、創造と崩壊を繰り返す事を定めとした創造主の法の下
不可避なものもあるでしょうし
その中には人為的なものが原因で
創造主の法に触れてしまう事で引き起こされる
ものだってあります。
レムリア大陸やアトランティス大陸が
創造主の法に触れて崩壊していった様にです。
しかしそこで破局と崩壊が起きても
一方では転生の法則が働いて
その生き方に応じた報いや報酬を私達は受ける事になりますし
半ば永遠という長い時間を想定した場合には
私達にとって不条理な事は何も存在してはいないはずです。
全ての秩序は必要として創造主が作り上げたものです。
イエスの言葉からも判るように、
「悪人にもそうでない人間にも、誰にでもわけ隔てなく
同じようにお日様を照らしてくれる創造主」
と言う例えは
創造主の想いが被創造物への無償の奉仕の思いと
慈しみで満ちている事を意味しているはずです。
更に創造主は少なくともこの宇宙の中では完全な存在です。
この宇宙空間の摂理を作り上げたのが創造主ですから
その中における創造主の立場は完全のはずです。
不条理な思いを私達が持つとすれば
それをどこかで改善しているであろう事も想像がつきます。
アフリカで餓死していく子供達に関して触れれば、
本当であればイエスの教えに従っている私達は
そんな人間達に分け与えるような意識を持つべきである事も
いうまでもありません。
私達が創造主の法に従っていれば
お釈迦様やイエスの言っていたように
持っているものが持たないものに分け与えることが
当たり前だと意識することになるからです。
それを妨害しているのは国と言う境界線であり、
意図的に貧乏人と金持ちを分離させている
心無い闇政府の所為だと思います。
自分の生活で貧窮すると支援もままならないと言う実態もありますし
国家に関して言えば、
例えば支援物資は時には国家で抑えられ一般庶民には届かない。
そんな実態があるからです。
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【「これでよく神という存在を信じられるなー」
ということが浮か んでくるんですが、
キリスト教徒の方はこういったことを疑問に思わないんですか。】
神と言う存在を信じるかどうかは、
宗教をしているとかしていないとかいう事とも無縁で
結果的にはその人間の魂の資質ではないでしょうか。
多くの宗教徒は神の存在を信じていますし
宗教組織に所属していない私でも
しっかりと神の存在を認めています。
もちろん元々私の想定していた神と言うのは
人格的な存在でも人間同様の姿をした存在でもなくて
宇宙空間に存在する無限の法則とエネルギーが
神ではないかと考えていたわけですが。
今でもクリスチャンに限らず多くの宗教が
宇宙の大いなる意志としての神の存在を感じ主張しています。
感じる事が出来ないからといって
信じている人間を馬鹿にするのは良いですが
実は何も理解していないのは自分だと言うことに
いつかは気がつく羽目になると思います。
自分が通常当たり前だと思っていることを
全て現象という形で追跡して説明し続ければ良いと思います。
現象で説明して言ったその先には
現象で説明できない目に見えない原因が存在していることに
必ず気がつく事になるからです。
そしてその原因がそれぞれ整合性を持っていて
相互に関連しているらしい事に気がついた時に
私達はその原因を作りあげた意志の存在に気がつくことになります。
それが至上なる英知の意志であり
私達が創造主と呼んでいる存在の残留思念だと言うことです。
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【べつにキリ スト教に限らず、超常現象の類が出てくる宗教は
全てなぜ信じられるのか不思議です。 】
これに関しては天使達がハイテクを使用したことの弊害だと思います。
当時の人間にしてみれば奇跡であり、
現代人にしてもハイテク技術を知らなければ
全てが超常現象となってしまいます。
私の書いた記事を、
今回引用させてもらったコメントを書いたような人間にこそ
読んでもらいたいと思いますが、
(私は掲示板URL貼り付け不可です)
基本的に神を無視してキリスト教批判をしている方は、
無神論者であることをステイタスとしていると思いますし
私の主張は届かない可能性が高そうです。
現象を突き詰めれば、この世の実態を深く追求すれば
そして物事の摂理を追求すればそこには絶対目に見えない
大いなる意志を感じることになる。
そしてその意志を私達は神と認識出来るかどうか。
全ての法則が何らかの意志なくして
偶然発生する事はないのです。
私や兄弟姉妹そして理解者はすでに理解しているこの実態
一体どの程度理解者を増やすことが出来るでしょうね。
そして今後その理解者となった人間達こそが
この社会から出発する最終電車のチケットの持ち主だと
言うことにもなります。
(勿論、宇宙の法則を知らなくても卒業できる方も
存在することになりますが)
本来はこの社会が丸ごと天国に変貌すれば
何の問題もなかったのですが
其れが叶いそうに無い今、私達のできることは
一人でも多くの人間が進化への道へと進むよう願うことだけです。
兄弟姉妹と理解者は、まずは自分の精神の維持を優先して
この社会の趨勢をしっかりと見つめながら
暮らして行って欲しいと思います。
全体への奉仕の意識が今までよりも遥かに困難となる
激動の時代が始まるのかもしれません。
そんな時が来ても心を折ることなく
御霊の想い=御心を
地において実践してください。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
P.S.
”神は死んだ”というニーチェの言葉を引用して
神は私達には無用であるとか、神などいないと言うことを
説明するために利用する人間が時々います。
しかし実際にはニーチェはこう語っていたようです。
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God is dead. God remains dead.
And we have killed him.
Yet his shadow still looms.
How shall we comfort ourselves, the murderers of all murderers?
とあるのであって、英語版では"Yet"以下の一文を、
ドイツ語"haben"の語気を補うために補記的に挿入している。
すなわち、ニーチェは「神は死んだ」と一刀両断にする語気ではなく
「神は死んだも同然だ」(God is *as good as* dead)と言いたかったのだと解釈すべき部分である
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つまり意識の低下によって
私達が神を意識したり感じたりすることが
出来ないような存在に成り下がってしまったと言うことを
この言葉で語っていたことになります。
多くの哲学者は生きる事の目的を追求し
その探求の中で神の意識を感じる事になったと言うのが
私の理解ですし、
私は多くの哲学者のその実態を、
真理への覚醒者であり私や兄弟姉妹の尊敬すべき
先輩でもあると認識しています。
歴史の中で廃れてきた人間の精神性を
時には悲観的に見つめては人間のあるべき姿を思考し
人の生きる目的を思考してはそれを語っていた先人達の中には
間違いなく天使達の転生が混ざっていると思います。
優れた科学者としてのアインシュタインにしても、
単に歴史的な発見をしただけではなくて
その残された言葉からも
創造主の意識を感じていた可能性をも
受け止めることが出来るのです。
アインシュタインは単なる天才ではなくて、
その閃きのヒントを与えてくれたのは
創造主の知識であるアカシックレコードからの印象だったのかもしれません。

