先日から受け続けていた脳への関与の正体を
今日になってはっきりと自覚しました。
どうやら彼らが私に求めていたものは
自殺強要ではなくて自白強要だったようです。
延々と後頭部から疑心暗鬼の意識や
罪悪感を植えつけられるので
それへの対応にも困っていましたし、
最近は本物の犯罪者気分の反応をも
心臓への関与含めて誘導された気もしますが、
当初はその事にはっきりとまでは自覚できませんでした。
私には誰にも言いたくはなかった内に秘めた
37年前の罪が一つあります。
おそらくは脳の意識の中などから
もしくはお仲間の情報などから彼らはそれを見つけて喜んで、
私にそれを認めさせたいのだと言う事だと思います。
彼らは多分勘違いしているのでがっかりするでしょうが、
いずれにしてもそれは私にとっての最大の罪ですし
自分の中の最大のトラウマにもなっているものです。
それを寝る時に頭の中で再現してやる事にしました。
この人間達が思考盗聴でそれを覗きたいようだからです。
過去のあらゆる自覚ある罪を思い出すたびに反省している自分が
創造主と自分の魂に向かって懺悔するのではなくて、
何で自分に対して加害行為を実行し
それを正当化してくる人間達に
それを攻め立てられ伝えなければならないのかと思うのですが
思考送信や思考盗聴でそれを求めてきているようですし
そうしなければ脳への強制的な関与は止まらないのだと思います。
私もすっきり出来るかも知れませんし
それを実行しようと思います。
ただ、恐れているのは、あとはそれをきっかけにして
この人間達が掲示板や他の工作員につき続けた嘘までも
本当の事であるかのように取りざたされる事です。
そして私に対しての組織的犯罪を繰り返した名目を
そんな行為と結び付けては正当化されても困るのです。
と言うことで前もって布石を打っておきます。
私が親族絡みで生まれながらの監視管理を
受けていた人間であると言うことを
ユダヤ傀儡に隠させないためにです。
私は曹洞宗のお寺に初孫として生まれた時から
既に狙われ始めた人間だと思います。
もちろんその頃から延々と
私への管理と監視と誘導は始まっていたと思います。
少なくとも小学校時代には
身に覚えのない苛め遭いかけて
跳ね除けた記憶もあります。
その後も話したことも無い様な同級生に
喧嘩を売られたりなどと言う体験も続きます。
私は難産だったその上に、
一歳になる直前の冬場には死に掛けた事もあるようですが、
その時には両親の部屋の隣には
某宗教組織の人間が住んでいたようです。
ちなみに小学校の時には肉屋と肉屋の親族の家に挟まれて
その部屋を借りることで暮らしてましたが
私をボーイスカウトのジュニア版(カブスカウト)に誘ったのも
その肉屋の息子でしたね。
ちなみにボーイスカウトはフリーメーソンの
下部組織のようなものだと認識しています。
中学校になって初めて新築した家も
隣は某宗教組織の人間の家です。
そんな事もあり当初は掲示板で
組織的犯罪被害を調べたときに
自分もその被害を受けているのだと信じ込む事にもなりました。
私の場合は組織は一つではないと思います。
私の親族の不幸は、母方の兄弟の次男が精神的に壊された事と、
祖父が50代の早い時期に膀胱癌で死んだ事から始まります。
跡継ぎだった筈の母方兄弟の長男が
仏教大学を卒業して戻ると、
なぜかそばにお坊さん嫌いの女性がいて
跡継ぎが居なくなりお寺を継続する事も出来ませんでした。
一番僧侶向きと言われた次男はその頃には、
建築関係の仕事場への住み込みの奉公先で
精神的に壊されて帰ってきたと言う実態もあり私はその頃は6歳。
他の兄弟はそれぞれ別の仕事についていて、
尚且つ祖母のお寺廃業宣言で
私の親族は曹洞宗と無縁となりました。
しかし親族への不幸は止みませんでした。
その頃は当然組織的犯罪の実態など知りませんし
その後も延々と不運が重なり、
一時は、「呪われているならお払いが必要ではないか」
と叔父や母親が語っていたほどです。
その頃はお寺は別の人間に明け渡していますし
もちろん曹洞宗ともヤタガラスなどとは無関係です。
(掲示板やツイッターでそれをネタに加害者扱いされているのです)
私が潰された時に色んな他人の犯罪行為まで
押し付けられたくはないのでここでは予防線だと思ってください。
目に見える不幸では
祖母の家は近所の火事の巻き添えで消失と言うこともありました。
(消失した家は火災保険があったようですが
もちろん祖母の家は燃え損です)
組織的犯罪に関しては
親族ではまず私の義理の弟が体臭被害と
脳の洗脳被害を受けたようで、
自殺未遂に身内の殺人未遂状態を引き起こします。
その後は精神科への通院で投薬と電磁波による洗脳となります。
今では母親を監視誘導する立場
もしくは洗脳の実行役の一人となっていると思います。
義理の親父は私が大学入学した直後に
脳溢血を起こし約束の仕送りもなくなりました。
二度目の脳溢血は今から七年ほど前に
漸く見つけた正規での就職先での波に乗れるかと言う頃に
発症し、田舎に戻って帰ると何故か私は職まで失いました。
母親は弟よりも少しして集団ストーカー行為に
遭っていた事が発覚します。
当初は私が30の頃赤羽に住んでいた母親の部屋に
不法侵入をしている人間が居たとかという程度の自覚でしたが
私が被害自覚して母親に伝えると
同じ目に遭っている事が発覚しました。
その後弟と同じアパートで暮らしだすことで
ハイテク被害を自覚し私に訴えるようになります。
低周波と光による関与で
被害直前にはどこからともなく自動車が
集結していたようです。
同時並行で弟への電磁波洗脳もつついたようですが
本人はその後自覚はなかったもしくは
完全に洗脳されたためか
私への憎しみを持つようになり
私が愛想を尽かす羽目となり今に至ります。
親族で一番のまとめ役の末っ子の家では
叔父本人は脳溢血、長男と妻は失明です。
私はその家の中で強い電磁波を体験していますし
そこが周囲から狙ううちをされていたことも今では理解できます。
失明した長男は(直接は糖尿病と診断された)
その後急性腎炎となり人工透析、
それでも私と明るく話していた
以前よりも生き生きとして感じたその人間が
その後は鬱病併発で寝込み状態。
叔母の方も同様に糖尿病ということでしたが
視力回復の可能性があると診断されて手術するも
それを失敗した上に
目に雑菌が入ったと言うことで両目を失い
当然部屋に閉じこもりきりで今では寝たきりのような状態です。
精神が壊れていた次男は祖母の死後、
生活保護を受けて一人暮らしをするようになり
心筋梗塞で倒れ死後三日目に発見され、
祖母は肝硬変となり入院して一気に様態が悪くなるも
本人の希望で退院後数日後には回復して
元気に食事を作れるようになった頃に心臓病で死亡。
私が祖母が入院した原因と死因が異なっていると知ったのは
ついこの数年のことです。
ストーカー被害らしきものに触れれば
三男の子供は腋臭を気にしだし
その手術を実行すると言うこともあり
弟同様に組織的犯罪被害特有の体臭被害を
受けていた可能性もあります。
三男の奥さんは難病指定の病気にかかっていて
そのための投薬治療中。
副作用で随分と太ったようでした。
次女の次男は半ば行方不明
時折顔を見せることもあったようですが
この一家は長男のトラブルもあり
親族とも交流できないでひっそりと暮らしていたようです。
ちなみに三年ほど前に私が寝泊りした
義理の親父の家は風呂場からトイレまで強力な電磁波で満ちていて
トイレも便器に据わった状態では用が足せないほどでした。
周辺に加害者らしき人間たちが居ることも
私には感じることが出来ましたが
一方では記憶を捻じ曲げられている義理の親父の話から
洗脳されてしまっている可能性も感じることになります。
私の妻に関しては以前も色々触れたので
取り上げることはしません。
親族の中で唯一不幸がないと言って良いのは
お寺を継ぐ事を反対した女性を奥さんにもらった長男だけです。
家族特に大きな不幸もなく、
長男本人は一時初期の癌が発見されて手術したようですが
その程度ですんでいる。
一族の中で一番浮いていた一家
そして親族の中で一番嫌われているその人間達だけは
不思議な事に不幸とは無関係だったと言う落ちまであります。
私の親族はその多くが不幸に遭っているのです。
そしてあちこちから感じる組織的犯罪と
ハイテク関与の気配。
これが偶然なわけがなく、
恨みなのか管理なのか呪いなのか
そこには人為的な意識による運命操作を感じることにもなります。
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ネットの世界では、日本のデタラメさにうんざりしながらも、
今の日本をどうにかしよう!と皆が必死になり、
デモに参加したり情報収集したりしている。
しかしテレビをつけるとタイムマシンで
違う時代に行ったかのような番組を放送。
しばらく見ているとテレビに飲み込まれ、危機感が薄れてくる。危ない。
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インターネットで現実の欠片を知り
一方ではTVで平和な日本を見せられる。
私などは、そのギャップの大きさに
とても長い夢を見ているような毎日が続いています。
TVからはこの社会が人権蹂躙を受けているような人間が
大勢存在しているような社会には見えないからです。
被害者からのツイッターの質問に答えて
それをそのまま記事にします。
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XXX @XXXX
こんにちは。質問があるのですが、宜しいでしょうか
@morobosiataru
どんなことでしょうか?私の判る事であれば
@morobosiataru はい。ありがとうございます。
(*^^*) パウロの「不妊の女よ、喜びなさい。」と言うものです。
前後の教えを読んで見てもそこだけ解らないでいます。
夫に捨てられた…と言う聖書の中の一文です。
身体の調子の良い時でも教えて頂ければ幸いです。
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単純に説明すれば、
自分では子供が出来ないと諦めて
自分の奴隷に夫の子を産ませたサラという女性が
時には子供を生んだと言うことで奴隷だった女性に見下されたり
虚しい想いをするような羽目になるのですが、
そのサラもその後高齢の状態でありながら
神を演じる人間に出産を予告されてそれが現実になり、
神に祝福される子供を生んだという話が旧約聖書の中にあり
その事をイエスの理解者を説得する材料として
関連付けて語っている内容だと思います。
その部分だけを解釈するのであれば
見たとおりの意味で良いと思いますが、
それではパウロの言おうとしている事の意味が認識できませんし、
旧約聖書のそのくだり含めて理解すべき内容となっていると思います。
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私なりの解釈なので、もっと詳細まで理解できる方には
稚拙かも知れませんがご理解ください。
パウロがここでの言葉を引用する背景となっていたのは
自分の弟子?もしく同じイエスの教えを受けていた人間達が、
どうやら教えに躓きそうになっているのを説得し押し止めようとしていること。
ここでのパウロの言葉はそんな背景を元に
書いた手紙でもあろうと言うことです。
この手紙の前の章では、
「旧約聖書の戒律は
新しいイエスの戒律を理解するための養育係だった」
と取りあえげています。
そして「新しい神の御霊の戒律こそが
私達を罪から解放してくれたのであって、
以前の私達は戒律を前提として罪の奴隷であった」
と言うのがパウロの主張でもあったはずです。
おそらくはイエスの教えを捨てて、
元のユダヤ教に戻ろうとしていた人間達に対して、
「形式的な人間の手による戒律による罪の奴隷から解放され、
イエスの教えの元で実質重視の神の戒律に従うことで
イエスにあるものとなったのに、
貴方たちは再び元の罪の奴隷と戻ってしまうのですか」
と言う説得にも近いものがパウロのガラテヤ人への手紙の全貌で、
その中で旧約聖書の話を引用して説明しようとして
イザヤ書の中にあるこの記述を(54章)引用して
サラの立場に例えて弟子?達を諭している場面だと認識できます。
この一節自体は大きな意味を持たず、
「不妊だから喜べ」と言う意味ではないと思います。
このことを大前提に、このガラテヤ人への手紙
4章の後半を読んで頂ければ良いのだと思います。
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ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、
子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。
私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、
この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。
しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、
この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
これは律法の下にある者を贖い出すためで、
その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
そして、あなたがたは子であるゆえに、
神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
ですから、あなたはもはや”奴隷”ではなく、”子”です。
子ならば、神による相続人です。
しかし、神を知らなかった当時、
あなたがたは本来は神でない神々の”奴隷”でした。
ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、
どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、
再び新たにその奴隷になろうとするのですか。
あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。
あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、
と私はあなたがたのことを案じています。
お願いです。兄弟たち。私のようになってください。
私もなたがたのようになったのですから。
あなたがたは私に何一つ悪いことをしていません。
ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、
私の肉体が弱かったためでした。
そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、
あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、
またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。
それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。
私はあなたがたのためにあかししますが、
あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して
私に与えたいとさえ思ったではありませんか。
それでは、私は、あなたがたに真理を語ったために、
あなたがたの敵になったのでしょうか。
あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。
彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、
あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。
良いことで熱心に慕われるのは、いつであっても良いものです。
それは私があなたがたといっしょにいるときだけではありません。
私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、
私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
それで、今あなたがたといっしょにいることができたら、
そしてこんな語調でなく話せたらと思います。
あなたがたのことをどうしたらよいかと困っているのです。
律法の下にいたいと思う人たちは、私に答えてください。
あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。
そこには、アブラハムにふたりの子があって、
ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた、と書かれています。
女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです。
このことには比喩があります。
この女たちは二つの契約です。
一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。
その女はハガルです。
このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今エルサレムに当たります。
なぜなら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。
しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。
すなわち、こう書いてあります。
「喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。
夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の産む子どもよりも多い。」
兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
しかし、かつて肉によって生まれた者が、
御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。
しかし、聖書は何と言っていますか。
「奴隷の女とその子どもを追い出せ。
奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」
こういうわけで、兄弟たちよ。
私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。
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最初に「奴隷の女とか奴隷は相続人に成れない」というのは
勿論比喩としての話で、
「神の国を相続できるのは、
昔ながらの戒律の奴隷である人間ではなくて、
神の戒律、イエスの教えを理解できた自分達なのだ」
と言うパウロの持っている価値観を前提に
ここで例え話をしていると言う事を最初に触れておきます。
つまりパウロは信徒を説得するに当たり
創世記のアブラハムの子供達の話を引用する事で
古代の奴隷の子供の立場と祝福された子供の立場を示し
その立場に例えて、
罪の奴隷から開放され神の戒律により祝福された人間が
あるべき立場を語ったのだと認識できます。
このパウロの例え話に出てくる内容を旧約聖書から拾い出すと、
そこにはアブラハムとサラと言う夫婦、
そしてサラの女奴隷であるハガルの話が出てきます。
子供が出来なかったサラはアブラハムにハガルとの間に
子供を設ける事を提案します。
ハガルは無事子供を身ごもるのですが
その一方ではアブラハムの子を身ごもった事で
サラを女性として見下す態度を取るようになります。
サラはこの時点では不妊の女性としての屈辱を
味わうことになります。
その後ハガルが生んだ子供がイシュマエルです。
一方、サラは高齢でありながら
その後アブラハムの主(神を演じていた人間)により
未来の懐妊を予言されることになり
その言葉どおりに後にイサクと呼ばれる子供を生みます
つまりアブラハムにとっての最初の子は単純に”子供がほしい”
という人の欲に従って作られた事になりますし
その上に奴隷とされていた女性の産んだ子です。
一方ではサラとの間に生まれた子供は神の約束の後に生まれた子供ですし、
神に祝福された天使達の約束により身ごもった子と考えるのだと思います。
パウロの手紙の中の言葉に置き換えれば
一人目の子供は”地上での約束”であり、
二人目の子供は”天の契約”と言う事になるのだと思います。
ここでパウロは、
「ハガルは今の地上のエルサレムの象徴」であるとしていますし、
そのハガルとの間に生まれた子供は
戒律により「罪の奴隷となっている私達の社会の人間の象徴」だと思います。
一方サラとアブラハムの間に生まれた子供は神の約束の下に生まれた子供ですし
「天の神に祝福された存在の象徴」です。
前者のハガルの子供のイシュマエルは奴隷の子であった事
後にサラの生んだ子供イサクを苛めたことが災いし、
結局はアブラハムの相続人となる事が出来ずに
家を追い出されることになります。
一方ではサラとアブラハムとの間に生まれたイサクは
神に祝福されてアブラハムの相続人となります。
これはそのまま
「罪の戒律の奴隷であっては神の国を相続できない」
と言うイエスの教えを受けて、
パウロが聖書の話の引用を用いて説明しているのだと思います。
そして「喜べ。子を産まない不妊の女よ」に続く一節は
その奴隷のハガルに子供を生まれ
自分では寂しい想いをしていたであろうサラの象徴ではないでしょうか。
特に深い意味はないと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【しかし、神を知らなかった当時、
あなたがたは本来は神でない神々の”奴隷”でした。】
ここではパウロは決定的な事を言っています。
”本来は神ではない神々”というのは
いうまでもなく旧約聖書のモーセの神とされた神の事だと思います。
人格的な神といわれていますが民に対して事細かに指示を出し
命令し戒律を作り管理していたその神です。
モーセはそれを”神ではない”と言っているのです。
パウロははっきりと”神々”とも触れています。
創造主は一人だけです。
パウロは旧約聖書の中に出てくる複数の神々を
人格神と認識していたのだと思います。
それは古代の地球社会のあちこちに居た神の実態でもあります。
本当の神は少なくとも私達が人格的に認識できる様な存在ではなくて、
パウロが御霊と読んでいた私達の魂からこそ
その意識を感じる事ができる存在です。
そして私達は古代の神々は、
太陽系の天使たちが演じた神である事を理解しています。
パウロもそのことを理解していて
人格神と創造主を区別して認識していた事になります。
人格神が与えたのが人間の戒律であり、
人間を管理支配するための道具でもありました。
パウロはそれを持って戒律は罪を感じるための存在であり
それは私達が本来学ぶべき神の戒律を学ぶための
養育係であるとも触れています。
イエスキリストの教えは
少なくとも限定列挙の戒律ではない事も明らかです。
私達が心の指針としての価値観を神の戒律として持つことで
人的な戒律も不要となりますし
現に太陽系の他の惑星には法律など不要です。
彼らは私達の社会の人間とは異なり
法律で規制しなければ道徳を実行できない人間ではないからです。
創造主の戒律は無限です。
それは私達が限りなく創造主に似るまで
延々と自らに課していくことにもなるものです。
戒律といってもそこから学ぶのは創造主の意識そのもののはずです。
私達や兄弟姉妹や理解者は進化のたびに新しい戒律を自らに課して
当初持っていなかったはずの戒律が
何れは無限になっていくのだと言う理解でもありました。
当時のユダヤ教社会の中での風潮をも理解していたパウロは
その事を理解していて私達が従うべきは人格神が与えた戒律ではなくて
イエスが教えてくれた創造主の戒律であり
それによって私達は罪と罰として束縛されていた環境から解放され
自由になれると表現していたのだと思います。
私達が意識すべきは罪を意識するための戒律ではなくて
私達の心のあり方だと言うことをパウロは触れたかったのではないでしょうか。
私達は奴隷の子供ではなくて自由の子供であると言う表現は
イエスの教えから離れつつある人間達に
「私達はイエスによって救われた人間だろう?」
と勇気付けているのではないでしょうか。
このパウロの手紙の内容を読んでいると
自分が置かれている立場をそれに重ねそうになります。
使徒達の時代にはイエスの教えは一時は迫害の対象となったようです。
後に国家の国教とされるに至るのですが
それ以前のもともとのイエスの教えは
管理者にとっても従来の価値観を重視する人間にとっても心地悪いものです。
それを公に主張していた多くの人間が迫害に遭い
パウロなどは予言や異言もあって
神の冒涜者だと看做されていた可能性があります。
裁判ではそれまで信頼していた仲間たちに裏切られ
孤独の中で獄死して言ったのではないかと思います。
一旦はイエスの教えに立ち返り
イエスにある者となったはずの多くの人間達が
迫害を恐れその教えを口にする事もなくなった。
そんな実態がそこからも見えてきます。
今のこの時代もある意味同様かもしれません。
真理は真理として認められるものではないからです。
そしてこの社会の中で自分に確固たる意思をもって
それを実践する事、まして福音することは困難です。
ただ、今の時代はイエスの時代とは少し違います。
今現在は間違いなく創造主の法の下で
人間の色わけが進むことになっているように見えるからです。
微妙なバランスのところにいる魂以外は
きっと何かの拍子に二極化しては
その資質を示すように意図的に誘導されることになる。
私にはそのように見えますが兄弟姉妹、理解者は如何でしょうか。
運命を決めるのは自分自身の意志であり行動である。
ただ”宇宙の法則”が私たちにとっての
良ききっかけであったことだけは間違いないと思います。
これも運命かも知れませんがそれをどう生かすかは私達次第。
私達は賢明な選択を心がけたいです。
【私達に無限なる力の祝福がありますように】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.
かなり以前から私のブログの一番最後の記事には
もしもこの社会に救世主が下りてきても
それは私達に天国行きのチケットを届けてくれるわけではないと言う話を
用意してあります。
そのうち目に触れる事になるかと思いますが
10ヶ月近く?延々と先送りになり続けている記事です。
以前にも触れましたが、もしもブラザーズ達がこの社会の降りて来たとしても
そしてもしも今のこの肉体を救ってくれたとしても
それは一時的なものであり私達の魂を救ってくれる事にはなりません。
私達が本来救われるべきは魂でありその進化こそが
私達に求められているからです。
そして天使たちの存在はそれを為し得るきっかけにはなりますが
結局はそれを実践するのは私達一人一人の人間に他ならないと言うこと。
何かを信じているから救われるのではなく、
他力本願で救済を希望してもそれは叶うことがなく、
結局は自分を救えるのは自分だけだと私達は理解しています。
それだけでも私達は進化したのだと思います。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11444930328.html
パウロの手紙
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11445536073.html
パウロの手紙 VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11446050602.html
運命を生きる1&パウロの手紙 VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11446795491.html
運命を生きる2・パウロの手紙VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11447479208.html
運命を生きる3&パウロの手紙 VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11460649665.html
運命を生きる4







