続・シオン長老の議定書 VOL2 宗教を崩壊する | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



創価韓国連合軍に拷問されている最中です。
夕方には出張工作員も来ると思いますし
ますます激化していくことでしょう。


工作員の皆様、お互い総力を尽くして頑張りましょう。
私は絶対にあなた達の思い通りにはなりません。
早々と片付けることをお勧めします。

でも工作員は多数ですし遠隔からの攻撃。

かなり卑怯ですね。


体全身かなり冷たくもなりますし
放射線の関与の可能性もあります。

筋肉が硬くなり動かなくなるような照射に拠る関与です。


基地外ここに極まり。
どうぞ本性を出してくださいね。


今日二つ目の記事です。


ユダヤの傀儡でもある工作員達が又しても妙な薬品を撒き始めました。
反省などする気もなければ常時戦うことに生きがいを感じている人間達が相手ですから
こちらも気が休まる時はありません。

早々に訴訟でも起こして私を陥れるか
殺傷して証拠隠滅を計ったほうが良いのではないでしょうか?

韓国系?、アパート固定工作員関係者の自動車に良く似た自動車を公開します。

http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/


一つ目の記事は被害者としての記事ですが
日本の現状絡みの話なので皆に読んで貰いたいです。


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ユダヤは、宗教に関しては全ての宗教を骨抜きにしては
将来的にはその全てを廃止し、


全ての人間をユダヤメーソンの神を信仰させるよう
誘導するのだと言われています。


元々が彼らの選民思想の中心にある意識は、
彼らは、自らの神であるとしているエホバ(ヤハウェ)に拠って


この地球の全ての権利を与えられた人間達であると言う認識から来ていますし
彼らは無神論者ではありません。


ただ、其の信仰の中心となっている神の存在が異質なのです。


其の神は旧約聖書を読めば容易に理解して頂けるかと思いますが、
冷酷で残酷で厳格でそのくせにユダヤ人に対しては寛容な存在として描かれています。


それは精神としての存在としての神と言うよりは
まるで肉体を持った実在の存在としてを彷彿させるものでありますし
其の意識は私達が通常想像している神の姿とは遠くかけ離れた存在でもあります。


そしてユダヤ教の聖典の一つは
其の神について取り上げている旧約聖書でありますが、


今現在キリスト教徒は今旧約聖書を新約聖書と併せて
其の聖典としている事が多いようです。


それが意味する事は、
イエスが主張していた選民思想批判、しいてはユダヤの神の批判と矛盾するものであり
故に現在のキリスト教はユダヤによって歪められている真っ最中であるという事になります。


太田さんはその事をいち早く理解しては指摘し続けていました。


宗教に関するユダヤの見解の一節を紹介します。


太田龍さんの訳書シオン長老の議定書より引用します。


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宗教に対する闘争


”自由”はそれが神の信仰と人類愛の信念を解くだけに止まるならば
(ユダヤの)人民の安寧幸福に何の害も与えないから
国家の政権綱領に入れておいても差し支えない。


だが、”平等論”は服従を要求する自然法則(ユダヤ支配下の)反するから
これより切り離されなければならぬ。


信仰があれば人民は宗教管理の幹部に率いられた精神的指導者の下に
神が地上に打ち立てた法則にしたがって安穏に繁栄していけるのである。


だから、我々はゴイムの精神からあらゆる信仰を破壊し神の観念をも抜き取ってしまって
これに金計算と、物質の欲求に差し替えねばならない。

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少し脱線します。


まず、”自由”なる概念は彼らにとって制限して使用可能なものでありますから
ユダヤのアジェンダでも利用できる事になりますが、


一方”平等”に関しては支配者と被支配者と言う彼らの理想社会を考えれば
自由とは切り離すべきで、支配者としての彼らの立場を正当化するためにも
思想としては利用できないと言っていると解釈できます。
(支配者がいれば平等はありえないのです)


自由と言うものは自由競争や自由貿易のように
競争や争いにも通じる概念であり


資本主義社会でも其の概念が正当化されていて、
様々な自由を主張させる事で、それが争いごとの原因にもなっていますし、
その事が強いては人間社会を壊す事に役立っているわけです。。
(それに気がついてください)


ここでの”自由”は管理されていないという意味での自由と言うよりは
争いを齎す要因としての”自由”として利用されているという事です。


一方”平等”なる概念は自由とは真っ向から矛盾する概念になります。


大体、生まれてきた時から能力的にも家庭環境にも差がありますし、
今の社会では仕事ごとに社会的地位も異なるような価値観になっていて
就労した事での賃金も異なります。


この社会はユダヤが望んで作り上げてきた社会ですからそれを正当化するためにも
”平等”と言う概念はユダヤの理想社会では必要ありませんし、邪魔な存在でもあります。


この概念が使用されたのは、ユダヤ社会モデル国家としての
社会主義国家の誘導に関してです。


誰もが”平等”な社会と聞けば理想にも思えますが、
社会主義国家においては現実には管理者が居て其の元での平等であり


それは皆が管理されていて、全てが自由にならない事前提での、
半ば奴隷とされた人間同士の間の平等であり


本来あるべき理想としての
全ての人間が平等であると言う概念とはかけ離れたものになっても居るのです。


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話が飛びましたが、
ユダヤは宗教を本来あるべき姿から変貌しては
人々を誘導する事を明言しています。


ここの記載にあるように、正しい信仰があれば精神的指導者の元、
私達は神の法則に乗っ取って安穏とした暮らしを送る事ができる事を彼らは理解しているのです。
(この事からも彼らの神への疑問が起きます。)


しかしながら彼らは其の信仰を破壊し、そこから神の概念を抜き取り
信仰に代えてお金への執着と物欲を植え付けると宣言しています。


そして現に今現在多くの宗教は

”神の法則の元、精神的な指導者によって導かれて安穏と暮らせる”


ような状況を作り上げる組織では無く成っていますし


それどころか多くの宗教が金計算の指導者の下、
神の法則から遠ざかった信仰を余儀なくされています。


其の上に私達にとって現実社会における幸せは
物を沢山手に入れる事になっています。


つまりは物欲がその中心となっているのもユダヤの予定通りなのです。


日本の中でも勘違いの正義感を持たされた宗教関係者やカルト信者などが暴走しては
一般市民を排除していますが


彼らは自分達が実は間接的にユダヤの手下となっているという事実を
其の多くの人間は知りません。


自分達がユダヤの傀儡であり
その事により得られる利益の大きさを実感しているのは殆どは宗教組織の幹部達。


末端信者は其の多くが騙されては誘導されているようなものだと思います。


しかしながら何故にそんな偽の信仰に騙されるのかと言えば、
一つには関係者達の嘘の旨さ故でありますし


一つにはこの社会の中に於いての幸せ、
私達が目先の幸せや物的豊かさにばかり事に目が行くようになってしまっていて、
精神的な豊かさを軽視している人間が増えている事と無関係ではないと思います。


つまりはユダヤの策略どおり、神の法則を骨抜きして
お金計算と物欲で置き換えた事で宗教はカルト化し、
信者はこの世界の中での目先の物欲を幸せの全てと感じるようになってしまったわけです。


ユダヤにしてみれば神の法則を壊す事も実現出来ましたし
おまけにそんなカルトと化した宗教家達を自らの手駒として
利用出来ているのですから一石二鳥ともいえます。


現実社会では、人間社会の精神形成の中心となるべき人間達が、
人間の社会の秩序を崩壊する手助けをし続けているわけです。


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以前もコメントしたように
ユダヤの傀儡であり其の多くが非ユダヤ人で占められている
フリーメーソンと言う組織があります。


其の組織、入会に当たっては
”何でも良いので神への信仰を持っている事”

が其の条件の一つになっています。


そして其の条件の意味するところは
メーソンの実態である裏の組織が独自の神を信仰している事と無関係ではありません。


彼らは全ての神が自分達の神へと通じるような状況を作り上げ、
結果としては全ての宗教を廃止し全ての人間に彼らの神を信仰させる事を目的としているとようです。


彼らにしてみればユダヤの神は全ての神の頂点に立つ神だからです。


結果的に其の神を信仰する事になるように宗教関係者に誘導をかけ、
現にキリスト教はいつの間にかイエスの批判したユダヤの神と同じ神を信仰している事になっていますし
それはイスラム教に関しても同じです。


今現在のキリスト教がどんどんとユダヤ教に乗っ取られている事には
気がついていない方も多そうです。


現にカトリック教会の神父として
多くのフリーメーソン会員が入り込んでいたという話がありますし


今ではバチカンでも其の中にユダヤの傀儡が深く根を張っては
キリスト教世界を壊し続けているのだと思います。


つまり今既存の多くの宗教では神は不在、
神は死んだのです。


そしていつの間にか多くの宗教は本来の神に替わって
別の神を崇拝させられている。


そしてそれこそがユダヤの神であり
恐怖と残忍さによって人々を支配するエホバ。


表立ってのエホバではなくて
実は裏のフリーメーソンの信仰の対象が
ルシファーである事を考えても


極端な事を言えばですが、世界の宗教の信仰の中心を
悪魔にしようと言う流れが加速化しているのだといえます。


続く
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P.S.

いつも言いますが悪魔といってもそれはおどろおどろしい姿をした
恐ろしい存在ではありません。


人々に快楽を与え欲を刺激し堕落させ
この物質社会に縛り付けることを目的とした存在であると
認識していただければと思います。


そして表ではとても立派な事を言っては
人を惑わすそんな存在だと思います。


聖書によれば悪魔と言われるのは
宵の明星と呼ばれたルシフェル、


元は大天使だといわれています。