ユダヤの日本侵略  VOL4  ロシア革命とシオン長老の議定書 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



しつこく、姑息で身勝手な意識


これが反日在日朝鮮関係者の特色ですか?


人の嫌がることほど率先してやってくるその意識。
少なくとも一般人であり日本人で在る私には理解不能です。


反日の朝鮮関係者の呪いはユダヤ譲り?


執念深さと身勝手な価値観は
有る意味ユダヤにそっくりですね。


ハイテク医療技術を人間に対して遠隔から施行しては
人体実験を繰り返しているのですが


被害を書くと今度はそのやり方と場所を変えて来る。


その程度が彼らのプライドなのかどうかは判りませんが


胃腸の詰め方も使用する薬品も変えて来ました。


更に同じ顔への関与でも鼻への関与を目の付近への関与に変えてきたり
頬への関与に変えたり。


これをやられると目が浮腫んで一重に成ったり三重になったりします。


頬も浮腫みますし再び顔への関与全開でしょうか。


今は整形のお時間のようです。


現在記事として作ってある殆どの素敵な自動車コレクション公開中

http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/

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今日三つ目の記事です。


近日中にブルービーム計画とUFOの記事を
立て続けに二つ出す予定です。
是非興味を持って読んでやってください。


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ユダヤを知ると歴史が見えてくる。


そんな目を持ってこの記事を読んで貰えれば
太田さんの主張を少しでも皆にそのままの意識で伝える事が出来るのではないかと思います。


例えば三つの世界大戦に関しては
メーソン社会の教皇といわれたアルバート・パイクによって
19世紀後半にはすでに予定されていたわけで、


勿論それは予言ではなくて彼らのシナリオの一部でもあります。


その予定通りに世界大戦は勃発した。


そしてその火種となったセルビア人の青年のオーストリア皇太子暗殺は
メーソンの手によって引き起こされた事件でもあります。


その青年がフリーメーソンの会員で在った事が
後日判明しています。


彼らは全てのお膳立てを整えては
後は火を付けるその時を待っていた。


何も知らない日本はその戦火に巻き込まれていく事になりました。


例に拠って太田龍さんの著書 

ユダヤの日本侵略450年の秘密 より引用します。


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明治天皇の即位からわずか二年後にすぎない1914年、
セルビアにおけるオーストリア皇太子暗殺に端を発した戦火は、
あれよあれよという間もなく


ドイツ、オーストリア、両国と英、仏、ロシアの大戦争に発展し
アメリカも事実上、英仏側に立って敵対した。


この時英国は日本に対して、日英同盟条約(同盟とは軍事同盟を意味する)
に依拠して、ドイツ、オーストリアに宣戦布告することを要求した。


明治三十五年に日英同盟を締結した日本に降りかかって来るとは夢想だにしなかったに違いない。


日本陸軍は、ドイツ軍事参謀本部、メッケル少佐に教育されて
ようやくのことで満州の世界最大の陸軍国ロシア陸軍との大会戦に勝利する事ができた。


大日本帝国憲法もドイツから学んだ。
学術全般と官僚行政組織もドイツ第二帝国を範とした。
そのドイツを敵としなければならなくなったのである。


苦心惨憺、やっとの思いで構築した日本の国家社会システムが
以上に強い力でねじり上げられる。


このねじれ現象は日本を何処に連れて行くのか。

明らかに日本の指導層は日本を取り巻く事態が見えなくなっていた。


いや、それどころの話ではない。
指導層には深い亀裂が走った。


国論が分裂し始めた。

天皇陛下は幼少の頃から激しく病弱。


日本に外交政策は東アジアの局地を出ることはなく
世界政策など事実上存在しない。


したがって日本は欧州の戦争に参加するいかなる動機もない。


しかし、同盟条約を結んでいる以上、日本は否応なしに英仏側に立って
ドイツを敵としないわけにはいかない。


日本の陸海軍はアジアにおけるドイツの根拠地、
中国の青島、そして南洋諸島をほとんど一兵も損なうことなしに占領した。


海軍は、巡洋艦一隻をお義理で地中海に派遣した。


日本の工業は、英・仏・ロシア連合軍に莫大な量の軍需・民需物資を売り
これによって日本の重工業の基礎が出来、日本は二まわりも三まわりも成長した。


第一次世界大戦の最初の二年半は日本にとって言うことなしの良い事尽くめの
日々に見えた。


1917年二月
「ロシアに革命おきる」の報道が到着するまでは。


このロシア革命も最初の数ヶ月は、日本の政府も国民も
タカをくくっていた。


ところが同年九月、十月、事態は誰一人予想していなかった途方のないものとなった。

一握りの狂信的過激派に過ぎないといわれたレーニンの一派が
十月末、ペテルスブルグのクーデターで権力を奪取したのである。


そのあとは、日本人にはなにがなんだかわからない。


狐に化かされたような具合なのだ。


しかもこのいわゆるロシア共産革命は対岸の火事であるどころか


〔1〕外からは日本軍をシベリアに出兵させるという米・英の要求として
〔2〕内からは、ロシア革命に刺激され労農ソビエトロシアを日本の労働者農民の
   祖国と本当に思い込む共産主義者の運動が日本の中で根を張る。


という形で日本を直撃した。


いや、ロシアだけでない。
大日本帝国がお手本としてきた、ドイツ帝国そのものが、
大戦末期の1918年、十一月の革命で転覆、
社会民主党中心の共和国になってしまった。


今や日本丸は、大暴風雨帯に突入したのである。

大正十年、ドイツ経由でわが国に入ってきた、
「シオン長老の議定書」というユダヤの世界制服綱領が
日本語で出版された。


陸軍の四天王延孝中将をはじめ、幾人かの先覚者が
ユダヤの脅威について日本民族に警鐘を打ち鳴らし始めた。


つまり第一次世界大戦終結直後の1919年、1920年に初めて
「ユダヤの陰謀」「敵としてのユダヤ」「日本はユダヤに狙われているのではないか」
という主題が日本民族の中に入ってきたのである。

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この戦争のさなかロシアは共産主義革命を果たし
今度は英米と相反する思想へと変貌したように見えます。


しかし恐らくはロシアはその戦争への関与の最中に
革命を起こされる事が前もって予定されていたのです。


勿論英米に巣食うユダヤ人の策略としてです。


1913年のユダヤ機関紙「ハンマー」には
ロシア革命が予言されていたそうです。
(安部芳裕氏の著書より)


ロシアにユダヤが目を付けた事情としては
君主制のロシアが多くのユダヤ人を迫害した事をも恨んでいたという背景もあるようですし
ロシアはその大きさからも世界への影響力を期待されていたという事情もあります。


アルバート・パイクの予言に拠る第一次世界大戦。

安部さんの著書より引用します。


(この方の主張を信じているとか無関係に
参考になる文としての引用です)

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第一次世界大戦は、皇帝主義のロシアを破壊し、
広大な土地をイルミナティーのエージェントの直接の管理下におくために
仕組まれることになる。


そしてロシアはイルミネティーの目的を世界に促進するための
”お化け役”として利用される事になる。

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彼らの行動は全てが一定の目的を果たすための誘導への誘引とも言えます。


ロシアを戦争に巻き込んだのも
当初からそのどさくさにまぎれて革命を引き起こすためのものだったわけで、
日本は間接的にその一翼を担わされた事になります。


そのロシアの革命を計ったレーニンやトロツキーは勿論ユダヤ人です。


彼らは背後のユダヤから莫大な資金提供を受けながら
それを元に味方を固めては少数でのロシア革命を成し遂げた。


その結果、ロシアは間違いなくユダヤ人中心の国家へと変貌して
しかも共産主義というユダヤの作り上げた新たな価値観によって統制される事になった。


更に、近隣諸国をも巻き込んで
資本主義と社会主義という新たな世界の対立構造を作り上げる事にも繋がりました。


ロシアは間違いなくユダヤに拠って奪われ利用された国なのです。


イギリスやアメリカの政府にしてみれば
それは予定通りの流れに過ぎません。


彼らの目的どおり、チェスの駒を動かすかのように
人を動かしては最終目的を確実に達成してきた。


そのユダヤが画策している第三次世界大戦は
イスラエルとアラブ諸国との戦いでもあります。


(最近はこれを諦めて仮想的として
インベーダ対地球との戦いを想定している気配もあります)

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日本はドイツ帝国を学んで近代化した国でありますし
日本とドイツの関係は決して浅くはありません。


その恩も有るドイツに対して宣戦布告をしなければならない立場になったのも
日英同盟を結んでいたが故です。


恐らくは当初からの予定として
日本を英仏側に立たせて戦わせることも想定して居たが為に
戦時に参戦を強要するためにも日英同盟は結ばれたのではないでしょうか。


日本はその同盟のために憎くもない国であり、恩も有るドイツと戦う嵌めになります。


結果は言うまでもなくドイツは敗北。


日本はこの期間に産業工業を発展させ
経済的にも一等国の仲間入りを果たしていく事になります。


その一方ではロシア革命の影響を受けては
マルクス主義(これもユダヤ人)の影響で共産主義国家となった
ソ連を理想であると主張する人間達が国内からも出てくることになり
その世論は分裂されていく事にも繋がります。


何よりも注目してほしいのは
この頃に「シオン長老の議定書」が陸軍中将らの手により
日本人へと広報される事になったということ。


今までフリーメーソンという国際化の使者としての人間達に
脅威を感じていた日本政府でありましたが、
その裏のユダヤの実態には誰も気がついてはいなかったわけです。


それを始めて意識する事となったのも
全ては”シオン長老の議定書”が
ドイツ経由で日本に入ってきたからでありますし


ユダヤ人の脅威が世界で広がって行った事は決して人種差別意識によるものではなくて
この現実の脅威としてのユダヤ人の存在が、
プロトコル(議定書)によって大きくクローズアップされた事と無関係ではないのです。


そして当時の日本人はユダヤの脅威に気がついた。


しかしその意識は二次世界大戦後には有識者の戦死、
更にユダヤGHQ政策の中で確実に消されていく事になるのです。


続く