『源氏物語』第五帖「若紫」~第5章~ | 【受験古文速読法】源氏物語イラスト訳

『源氏物語』第五帖「若紫」~第5章~

若紫⑤【光源氏18歳:若紫を盗み出す】

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 かの山寺の人は、よろしくなりて出でたまひにけり。京の住処尋ねて、時々の御消息などあり。同じさまにのみあるも道理なるうちに、この月ごろは、ありしにまさる物思ひに、異事なくて過ぎゆく。

 秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所に、からうして思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく。おはする所は、六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこしほど遠き心地するに、荒れたる家の木立、いともの古りて、木暗く見えたるあり。例の御供に離れぬ惟光なむ、

「故按察使大納言の家にはべり。一日、もののたよりに、とぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何ごともおぼえず、となむ申してはべりし」と聞こゆれば、

「あはれのことや。とぶらふべかりけるを。などか、さなむとものせざりし。入りて消息せよ」

とのたまへば、人入れて案内せさす。わざとかう立ち寄りたまへることと、言はせたれば、入りて、

「かく、御とぶらひになむ、おはしましたる」と言ふに、おどろきて、

「いとかたはらいたきことかな。この日ごろ、むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ」

と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、南の廂ひきつくろひて、入れたてまつる。

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若紫235】消息

若紫236】晩秋

若紫237】六条

若紫238】惟光

若紫239】尼

若紫240】叱責

若紫241】案内

若紫242】見舞

若紫243】廂

 

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「いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて。ゆくりなう、もの深き御座所になむ」

と聞こゆ。げに、かかる所は、例に違ひて思さる。

「常に思ひたまへ立ちながら、かひなきさまにのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ。悩ませたまふこと、重くとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ」など聞こえたまふ。

「乱り心地は、いつともなくのみはべるが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば、かくわりなき齢過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへ置くなむ、願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき」など聞こえたまへり。

 いと近ければ、心細げなる御声、絶え絶え聞こえて、

「いと、かたじけなきわざにもはべるかな。この君だに、かしこまりも聞こえたまひつべきほどならましかば」

とのたまふ。あはれに聞きたまひて、

「何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かう好き好きしきさまを、見えたてまつらむ。いかなる契りにか、見たてまつりそめしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまで、この世のことにはおぼえはべらぬ」などのたまひて、「かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで」とのたまへば、

「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」

など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、

「上こそ、この寺にありし源氏の君こそ、おはしたなれ。など、見たまはぬ」

とのたまふを、人びと、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。

「いさ、『見しかば、心地の悪しさ、なぐさみき』と、のたまひしかばぞかし」

と、かしこきこと聞こえたりと、思してのたまふ。

いとをかしと聞いたまへど、人びとの苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて、帰りたまひぬ。「げに、言ふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」と思す。

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若紫244】礼

若紫245】遠慮

若紫246】不明

若紫247】恐縮

若紫248】万一

若紫249】束縛

若紫250】漏間

若紫251】好色

若紫252】契

若紫253】願望

若紫254】声

若紫255】shut up

若紫256】神対応

若紫257】幼稚

 

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 またの日も、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ。例の、小さくて、

「いはけなき鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ

 同じ人にや」

と、ことさら幼く書きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本に」と、人びと聞こゆ。少納言ぞ聞こえたる。

「問はせたまへるは、今日をも過ぐしがたげなるさまにて、山寺にまかりわたるほどにて。かう問はせたまへるかしこまりは、この世ならでも、聞こえさせむ」

とあり。いとあはれと思す。

 秋の夕べは、まして、心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心まさりたまふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむと、さすがにあやふし。

「手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草」

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若紫258】幼鶴

若紫259】引き歌

若紫260】少納言乳母

若紫261】今生

若紫262】秋宵

若紫263】危惧

 

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 十月に朱雀院の行幸あるべし。舞人など、やむごとなき家の子ども、上達部、殿上人どもなども、その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、親王達、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ、いとまなし。

 山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。

「立ちぬる月の二十日のほどになむ、つひに空しく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」

などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、「うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに、恋ひやすらむ。故御息所に後れたてまつりし」など、はかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。

「忌みなど過ぎて京の殿になむ」と聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人恐ろしからむと見ゆ。例の所に入れたてまつりて、少納言、御ありさまなど、うち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう、御袖もただならず。

「宮に渡したてまつらむとはべるめるを、『故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、いとむげに稚児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず、中空なる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや、交じりたまはむ』など、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、しるきこと多くはべるに、かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら、すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と聞こゆ。

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若紫264】舞人

若紫265】僧都

若紫266】尼の死

若紫267】無常

若紫268】死別

若紫269】喪明

若紫270】袖

若紫271】遺恨

若紫272】明白

若紫273】将来

若紫274】心配

 

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「何か、かう繰り返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ。その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになむ、心ながら思ひ知られける。なほ、人伝てならで、聞こえ知らせばや。

 あしわかの浦にみるめはかたくともこは立ちながらかへる波かは
 めざましからむ」とのたまへば、

「げにこそ、いとかしこけれ」とて、

「寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたる
 わりなきこと」

と聞こゆるさまの馴れたるに、すこし罪ゆるされたまふ。「なぞ恋ひざらむ」と、うち誦じたまへるを、身にしみて若き人びと思へり。

 君は、上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、

「直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」

と聞こゆれば、起き出でたまひて、

「少納言よ。直衣着たりつらむは、いづら、宮のおはするか」

とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。

「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」

とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、悪しう言ひてけりと思して、乳母にさし寄りて、

「いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、

「今さらに、など忍びたまふらむ。この膝の上に大殿籠もれよ。今すこし寄りたまへ」

とのたまへば、乳母の、

「さればこそ。かう世づかぬ御ほどにてなむ」

とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、手をさし入れて、探りたまへれば、なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに、探りつけられたる、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへたまへれば、うたて例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて、

「寝なむ、と言ふものを」

とて、強ひて引き入りたまふにつきて、すべり入りて、

「今は、まろぞ思ふべき人。な疎みたまひそ」

とのたまふ。乳母、

「いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。聞こえさせ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを」とて、苦しげに思ひたれば、

「さりとも、かかる御ほどを、いかがはあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしのほどを、見果てたまへ」とのたまふ。

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若紫275】宿縁

若紫276】立

若紫277】玉藻

若紫278】越

若紫279】直衣

若紫280】嬌声

若紫281】こち

若紫282】気後れ

若紫283】気迫

若紫284】膝の上

若紫285】無垢

若紫286】艶髪

若紫287】不快

若紫288】御簾

若紫289】ゆゆしき

若紫290】効果

若紫291】男女

 

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 霰降り荒れて、すごき夜のさまなり。

「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐしたまふらむ」

と、うち泣いたまひて、いと見棄てがたきほどなれば、

「御格子参りね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人にてはべらむ。人びと、近うさぶらはれよかし」

とて、いと馴れ顔に御帳のうちに入りたまへば、あやしう思ひのほかにもと、あきれて、誰も誰もゐたり。乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり。

 若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、単衣ばかりを押しくくみて、わが御心地も、かつはうたておぼえたまへど、あはれにうち語らひたまひて、

「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」

と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、さすがに、むつかしう寝も入らずおぼえて、身じろき臥したまへり。

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若紫292】霰

若紫293】伺候

若紫294】異常

若紫295】心配

若紫296】憐憫

若紫297】単衣

若紫298】雛遊び

若紫299】添寝

 

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 夜一夜、風吹き荒るるに、

「げに、かう、おはせざらましかば、いかに心細からまし」
「同じくは、よろしきほどにおはしまさましかば」

とささめきあへり。乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風すこし吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、ことあり顔なりや。

「いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして、片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れ眺めはべる所に、渡したてまつらむ。かくてのみは、いかが。もの怖ぢしたまはざりけり」とのたまへば、

「宮も御迎へになど、聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる」と聞こゆれば、

「頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ、疎うおぼえたまはめ。今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしは、まさりぬべくなむ」

とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて、出でたまひぬ。

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若紫300】安堵

若紫301】ことあり顔

若紫302】提案

若紫303】四十九日忌

若紫304】疎遠

若紫305】出立

 

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 いみじう霧りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひたまふ所の道なりけるを思し出でて、門うちたたかせたまへど、聞きつくる人なし。かひなくて、御供に声ある人して、歌はせたまふ。

「朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも行き過ぎがたき妹が門かな」

と、二返りばかり歌ひたるに、よしある下仕へを出だして、

「立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは草のとざしにさはりしもせじ」

と言ひかけて、入りぬ。また人も出で来ねば、帰るも情けなけれど、明けゆく空もはしたなくて、殿へおはしぬ。

 をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥したまへり。日高う大殿籠もり起きて、文やりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつ、すさびゐたまへり。をかしき絵などをやりたまふ。

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若紫306】情景×心情

若紫307】六条御息所

若紫308】往生際

若紫309】朝ぼらけ

若紫310】糾弾

若紫311】体裁

若紫312】独笑

若紫313】後朝の文

 

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 かしこには、今日しも、宮わたりたまへり。年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なに寂しければ、見わたしたまひて、

 かかる所には、いかでか、しばしも、幼き人の過ぐしたまはむ。なほ、かしこに渡したてまつりてむ。何の所狭きほどにもあらず。乳母は、曹司などして、さぶらひなむ。君は、若き人びとなどあれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」などのたまふ。

 近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」と、心苦しげに思いたり。

「年ごろも、あつしく、さだ過ぎたまへる人に添ひたまへる。かしこにわたりて、見ならしたまへなど、ものせしを。あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを。かかる折にしも、ものしたまはむも、心苦しう」などのたまへば、

「何かは。心細くとも、しばしは、かくておはしましなむ。すこしものの心思し知りなむに、わたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と聞こゆ。

「夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものもきこしめさず」

とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ。

「何か、さしも思す。今は、世に亡き人の御ことは、かひなし。おのれあれば」

など語らひきこえたまひて、暮るれば帰らせたまふを、いと心細しと思いて、泣いたまへば、宮、うち泣きたまひて、

「いとかう、思ひな入りたまひそ。今日明日、渡したてまつらむ」など、返す返すこしらへおきて、出でたまひぬ。

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若紫314】兵部卿宮

若紫315】父の涙

若紫316】所狭し

若紫317】移り香

若紫318】心置く

若紫319】拒否

若紫320】猶与

若紫321】面痩せ

若紫322】私がいる

若紫323】もらい泣き

若紫324】今日明日

 

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 なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろ、立ち離るる折なう、まつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず。昼は、さても紛らはしたまふを、夕暮となれば、いみじく屈したまへば、かくては、いかでか過ごしたまはむと、慰めわびて、乳母も泣きあへり。

 君の御もとよりは、惟光をたてまつれたまへり。

「参り来べきを、内裏より召あればなむ。心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく」とて、宿直人たてまつれたまへり。

「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめに、この御ことよ」
「宮、聞こし召しつけば、さぶらふ人びとの、おろかなるにぞさいなまむ」
「あなかしこ。もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」

など言ふも、それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや。

 少納言は、惟光に、あはれなる物語どもして、

「あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひ寄るかたなう乱れはべる。今日も、宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好き事も、思ひ出でられはべりつる」

など言ひて、「この人もことあり顔にや思はむ」など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。大夫も、「いかなることにかあらむ」と、心得がたう思ふ。

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若紫325】名残

若紫326】幼心地

若紫327】心配

若紫328】宿直人

若紫329】三日夜

若紫330】無礼

若紫331】愚痴

若紫332】不釣合

若紫333】保護者

若紫334】関係

若紫335】無意味

若紫336】迎ふ

 

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 参りて、ありさまなど聞こえければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、「軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ」など、つつましければ、「ただ迎へてむ」と思す。

 御文は、たびたびたてまつれたまふ。暮るれば、例の大夫をぞたてまつれたまふ。「障はる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。

「宮より、明日にはかに、御迎へにと、のたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生を離れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人びとも思ひ乱れて」

と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、もの縫ひ、いとなむけはひなど、しるければ、参りぬ。

 君は大殿におはしけるに、例の、女君、とみにも対面したまはず。ものむつかしくおぼえたまひて、あづまをすががきて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさびゐたまへり。

 参りたれば、召し寄せて、ありさま問ひたまふ。しかしかなど聞こゆれば、口惜しう思して、「かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、好き好きしかるべし。幼き人を盗み出でたりと、もどきおひなむ。そのさきに、しばし、人にも口固めて、渡してむ」と思して、

「暁、かしこにものせむ。車の装束さながら。随身一人二人仰せおきたれ」とのたまふ。うけたまはりて立ちぬ。

 君、「いかにせまし。聞こえありて、好きがましきやうなるべきこと。人のほどだに、ものを思ひ知り、女の心交はしけることと、推し測られぬべくは、世の常なり。父宮の、尋ね出でたまひつらむも、はしたなう、すずろなるべきを」と、思し乱るれど、さて、外してむはいと口惜しかべければ、まだ夜深う出でたまふ。

 女君、例のしぶしぶに、心もとけずものしたまふ。

「かしこに、いとせちに見るべきことのはべるを、思ひたまへ出でて、立ちかへり参り来なむ」とて、出でたまへば、さぶらふ人びとも知らざりけり。わが御方にて、御直衣などはたてまつる。惟光ばかりを、馬に乗せておはしぬ。

 門、うちたたかせたまへば、心知らぬ者の開けたるに、御車をやをら引き入れさせて、大夫、妻戸を鳴らして、しはぶけば、少納言、聞き知りて、出で来たり。

「ここに、おはします」と言へば、

「幼き人は、御殿籠もりてなむ。などか、いと夜深うは、出でさせたまへる」と、もののたよりと思ひて言ふ。

「宮へ渡らせたまふべかなるを、そのさきに聞こえ置かむとてなむ」とのたまへば、

「何ごとにかはべらむ。いかにはかばかしき御答へ、聞こえさせたまはむ」

とて、うち笑ひてゐたり。君、入りたまへば、いとかたはらいたく、

「うちとけて、あやしき古人どもの、はべるに」と聞こえさす。

「まだ、おどろいたまはじな。いで、御目覚ましきこえむ。かかる朝霧を知らでは、寝るものか」

とて、入りたまへば、「や」とも、え聞こえず。

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若紫337】身勝手

若紫338】宮より

若紫339】眼中

若紫340】葵上

若紫341】浮気

若紫342】謙譲

若紫343】好色

若紫344】指示

若紫345】逡巡

若紫346】決心

若紫347】言い訳

若紫348】女房

若紫349】内密

若紫350】妻戸

若紫351】夜深

若紫352】あがき

若紫353】主語の確認

若紫354】朝霧

 

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 君は、何心もなく寝たまへるを、抱きおどろかしたまふに、おどろきて、宮の御迎へにおはしたると、寝おびれて思したり。

 御髪かき繕ひなどしたまひて、

「いざ、たまへ。宮の御使にて、参り来つるぞ」

とのたまふに、「あらざりけり」と、あきれて、恐ろしと思ひたれば、

「あな、心憂。まろも同じ人ぞ」

とて、かき抱きて出でたまへば、大夫、少納言など、「こは、いかに」と聞こゆ。

「ここには、常にもえ参らぬがおぼつかなければ、心やすき所にと聞こえしを、心憂く、渡りたまふべかなれば、まして聞こえがたかべければ。人一人、参られよかし」

とのたまへば、心あわたたしくて、

「今日は、いと便なくなむはべるべき。宮の渡らせたまはむには、いかさまにか聞こえやらむ。おのづから、ほど経て、さべきにおはしまさば、ともかうもはべりなむを、いと思ひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふ人びと苦しうはべるべし」と聞こゆれば、

「よし、後にも人は参りなむ」とて、御車寄せさせたまへば、あさましう、いかさまにと思ひあへり。

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若紫355】寝ぼけ

若紫356】御使

若紫357】別人

若紫358】略奪

若紫359】不都合

若紫360】困惑

若紫361】強引

 

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 若君も、あやしと思して泣いたまふ。少納言、とどめきこえむかたなければ、昨夜縫ひし御衣どもひきさげて、自らもよろしき衣、着かへて、乗りぬ。

 二条の院は近ければ、まだ明うもならぬほどにおはして、西の対に、御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。

 少納言、
「なほ、いと夢の心地しはべるを、いかにしはべるべきことにか」と、やすらへば、

「そは、心ななり。御自ら渡したてまつりつれば、帰りなむとあらば、送りせむかし」

とのたまふに、笑ひて下りぬ。にはかに、あさましう、胸も静かならず。「宮の思しのたまはむこと、いかになり果てたまふべき御ありさまにか、とてもかくても、頼もしき人びとに、後れたまへるが、いみじさ」と思ふに、涙の止まらぬを、さすがにゆゆしければ、念じゐたり。

 こなたは住みたまはぬ対なれば、御帳などもなかりけり。惟光召して、御帳、御屏風など、あたりあたり仕立てさせたまふ。御几帳の帷子引き下ろし、御座など、ただひき繕ふばかりにてあれば、東の対に、御宿直物、召しに遣はして、大殿籠もりぬ。

 若君、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれたまへど、さすがに声立てても、え泣きたまはず。

「少納言がもとに寝む」

とのたまふ声、いと若し。

「今は、さは、大殿籠もるまじきぞよ」

と教へきこえたまへば、いとわびしくて、泣き臥したまへり。乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず、起きゐたり。

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若紫362】隠忍

若紫363】二条院

若紫364】躊躇

若紫365】随意

若紫366】動揺

若紫367】滂沱

若紫368】几帳

若紫369】対屋

若紫370】若宮

若紫371】今は

若紫372】二条院

 

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 明けゆくままに、見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も、玉を重ねたらむやうに見えて、かかやく心地するに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。け疎き客人などの、参る折節の方なりければ、男どもぞ、御簾の外にありける。

 かく、人迎へたまへりと、聞く人、「誰れならむ。おぼろけにはあらじ」と、ささめく。御手水、御粥など、こなたに参る。日高う、寝起きたまひて、

「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは、迎へさせたまはめ」

とのたまひて、対に、童女召しにつかはす。「小さき限り、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。

 君は、御衣にまとはれて、臥したまへるを、せめて起こして、

「かう、心憂く、なおはせそ。すずろなる人は、かうはありなむや。女は心柔らかなるなむよき」

など、今より教へきこえたまふ。

 御容貌は、さし離れて見しよりも、いみじう清らにて、なつかしううち語らひつつ、をかしき絵、遊びものども、取りに遣はして、見せたてまつり、御心につくことどもをしたまふ。

 やうやう起きゐて見たまふに、鈍色のこまやかなるが、うち萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。

 東の対に渡りたまへるに、立ち出でて、庭の木立、池の方など、覗きたまへば、霜枯れの前栽、絵に描けるやうにおもしろくて、見も知らぬ、四位、五位こきまぜに、隙なう出で入りつつ、「げに、をかしき所かな」と思す。御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、慰めておはするも、はかなしや。

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若紫373】輝砂

若紫374】away

若紫375】夕づけて

若紫376】童女

若紫377】女人教育

若紫378】漫ろ

若紫379】興趣

若紫380】鈍色

若紫381】主語識別

若紫382】官服

 

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 君は、二、三日、内裏へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて本にと思すにや、手習、絵などさまざまに書きつつ、見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげに書き集めたまへり。「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、いとことなるを取りて見ゐたまへり。すこし小さくて、

「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを」

とあり。
「いで、君も書いたまへ」とあれば、
「まだ、ようは書かず」

とて、見上げたまへるが、何心なく、うつくしげなれば、うちほほ笑みて、

「よからねど、むげに書かぬこそ、悪ろけれ。教へきこえむかし」

とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。「書きそこなひつ」と、恥ぢて隠したまふを、せめて見たまへば、

「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ」

と若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。「今めかしき手本、習はば、いとよう書いたまひてむ」と見たまふ。

 雛など、わざと屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。

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若紫383】手習

若紫384】武蔵野

若紫385】本音

若紫386】稚拙

若紫387】相聞

若紫388】反故

若紫389】嫉妬

若紫390】故尼

 

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 かのとまりにし人びと、宮渡りたまひて、尋ねきこえたまひけるに、聞こえやる方なくてぞ、わびあへりける。「しばし、人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思ふことなれば、せちに口固めやりたり。ただ、「行方も知らず、少納言が率て隠しきこえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、「故尼君も、かしこに渡りたまはむことを、いとものしと、思したりしことなれば、乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率てはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰りたまひぬ。「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」とのたまふも、わづらはしく。僧都の御もとにも、尋ねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌など、恋しく悲しと思す。

 北の方も、母君を憎しと、思ひきこえたまひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、口惜しう思しけり。

 やうやう人参り集りぬ。御遊びがたきの童女、稚児ども、いとめづらかに、今めかしき御ありさまどもなれば、思ふことなくて遊びあへり。

 君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひきこえたまひて、うち泣きなどしたまへど、宮をばことに思ひ出できこえたまはず。もとより見ならひきこえたまはで、ならひたまへれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはしきこえたまふ。ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。

 さかしう心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地も、すこし違ふふしも、出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。女など、はた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに、臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたる、かしづきぐさなりと、思いためり。

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若紫391】兵部卿宮

若紫392】箝口

若紫393】万策尽

若紫394】ものし

若紫395】行方

若紫396】遺憾

若紫397】複数

若紫398】忘却

若紫399】継父

若紫400】親密

若紫401】対比

若紫402】完結

 

 

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登場人物一覧

 

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