んー、冷静になって考えてみたら、今回の連載始めて約11ヶ月になるのか。
そりゃ飽きるわな。(笑)

さて、今日は前回の予告通り、1894年(明治27年)7月15日付『機密第127号』の別紙丙号探情書を見ていく事にします。
それでは、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/4 明治27年7月2日から1894〔明治27〕年7月23日(レファレンスコード:B03050308400)』の41画像目から。
ちょいと長いで、報告日毎にやっていきます。

宮中秘密会は、昨日乾清宮に於て開かれたり。
領議政沈舜澤、左議政趙秉世(右議政欠)、戸曹判書朴定陽、兵判閔泳奎、刑判閔泳煥、内務督辨閔泳韶、各営門大将(李、韓、閔泳駿)、改革委員申正熙、曺寅承、金宗漢等なり。
諸大臣の意見は、日本公使の提出案は時節柄至極適当なりとせり。
然れども、如何せん目下我政府の微力なる、強て之れを決行するも成就すること能はざるべしとの議論多数なり。
独り申正熙は奮然として諸氏を排撃して曰く、我国力微弱なりと云ふと雖ども、未だ行はざる前にあって安んぞ其成否を知るを得べけんや。
今善く見て之を行はず、漠然行ひ難しと云ふは非なり。
先づ之れを行ふて若し能はざれば止も可なり。
唯々徒に行ひ難しとして止むべけんや云々。
以上の会議は、何等決定する所なくして止めたるが如し。
昨夜俄かに宮中の命あり。
戸曹宣恵并に各営門の文武■■冊を差出すべしとの事にて、今朝は孰れも■■冊を提出せり。
盖し金銭の出納を点検し、歳出入の概算を知らんとの事なるか。

派清使臣出発せんとす

進賀兼謝恩使李承■、副使閔泳喆、書状官李祐宰は昨日王命あり、近日出発。
陸路北京に赴くべし。
是は、西太后還暦の慶典を賀する為め、例使外特に派遣するものにして、同一行が携へて清帝に献上すべき物品は、銀にして10万両なりと云ふ。

閔泳駿辞表を■す

此頃三清洞なる別荘に引籠中なる世道閔泳駿は、本朝宣恵衛門の堂上官を辞するの上疏を提出せり。
多分後任は、閔泳煥に任ぜらるべしと云ふ。
宮中で秘密会が7月12日に行われたんですね。
で、諸大臣の意見は、大鳥の提出した案は時期的に非常に適当だとしながら、如何せん現在の朝鮮政府は微力であり、強いて改革を実行したとしても成就できないだろうという議論が多数だった、と。
出来ることからコツコツやれよ。(笑)

そんな諦観モードの諸大臣の中で、改革委員の申正熙だけが憤然として諸大臣を非難し、朝鮮の国力は微弱だって言うけど、まだ何もする前から何で成否が分かんのよ?
イメージだけで無理とか言ってんじゃねーよ。
まずやってみて、もし出来なかったら止めても良いじゃん、と。
つうか、そんな難しい事勧告して無ぇーだろ。(笑)

結局、この会議では何も決まらなかったようで。
ただ、その日の晩に急に宮中から戸曹・宣恵・各営門の・・・読み取れなかったけど、恐らく帳簿みたいなもんを出せという命令があって、13日朝にみんな提出した。
恐らく金銭の出納を点検して、歳出入の概算を知ろうとしてんじゃね?と。

次に、清国への使者派遣の話。
清国への使者3名が12日に王命を受けて近日出発し、陸路で北京に行くだろう。
これは、西太后の還暦祝いに派遣されるもので、この一行が持って行く清国への献上品は、銀にして10万両だという、と。
んな余裕、無いだろうにねぇ・・・。

で、13日の報告の最後は、閔泳駿が辞表を提出した話。
最近三清洞という別荘に引きこもってる閔泳駿は、今朝宣恵衛門の堂上官って職を辞する上疏を提出した。
後任は多分閔泳煥が任命されるだろうという、と。

3月13日のエントリーなどで、袁世凱を怒らせてヒッキーになった閔泳駿ですが、ようやく公職から退く事にしたっぽい。
まぁ、都合悪いと簡単に辞めちゃう国の中では、1ヶ月ってのは結構頑張った方なんじゃないかと思ったり。(笑)


ってところで、年度末ってこともあって公私ともに忙しいんで、かなり短めですが今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
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日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
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日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)


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何っつうか、マンネリというか飽きてきたというか・・・。
まぁ、王宮占拠事件まであとちょっとなので、気力を振り絞りましょう。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センターの史料から。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/4 明治27年7月2日から1894〔明治27〕年7月23日(レファレンスコード:B03050308400)』の38画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月15日付『機密第127号』より。

内政改革協議の為め朝鮮政府より撰定されたる3名の委員と会同の件

当国内政改革に付、我勧告の照会に応じ、当政府に於ては内務督辨申正熙、同協辨金宗漢、曹寅承の3名選定せられたる旨外務督辨より公然通知有之候に付、本月10日午後6時より右3名と会同し(会同の場所は南山麓なる老人亭と称する小亭なり)、先づ彼等の委任権限相慥め候処、彼等は政府の訓命に依り改革に関し日本公使の意見を細聴し、自分等の意見に附して之を政府諸大臣の前に申出て、諸大臣と共に之を大君主陛下に奏上して裁奪を仰ぐに止れり。
自分等は、公使の勧告を取捨折衷して改革を断行する職権なしと申出候に付、一応其委任権限の不充分を咎め、之を斥けんと相試み候得共、顧みて本件の性質を考ふれば、本と勧告に止るものなれば、我より強て充分委任権を有せる官員と会商せんことを請求するは、聊か不穏当に有之のみならず、当国に於て内政改革は実に大難題なれば、国王と雖ども断行覚束なく、況んや2、3の官員に断行の責任を負はしむることは到底能はざるものを迫求する者に付、好結果を得るの見込無之。
加之、斯る事柄を争ひ居る間に徒に日数を経過するの恐れ有之候に付、暫く権限論を措き、別紙甲号改革綱目を提出して逐條説明に取掛り申候。
然るに、其日は点灯後凡1時間程説明したるも猶ほ其半に達せざるに付、翌11日午後1時より再び同処に会同して残余の各條に説明を加へ、終りて別紙乙号限期実行案を提出して協議に及び候処、期日を限り実行を促す事は、内政干預の嫌あり。
若し干預せらるるとならば、国を以て斃るる迄も従ふ能はずとて、委員中頻りに不同意を相唱ひ候得共、日期を限り実行を促すも勧告なり。
決して干預にあらず。
其勧告を聴くと否とは貴政府の権内に在りと云ふ趣意にて説明相与へ候処、委員等も漸く納得して乙号案を収め帰り候。
抑々本官が最初改革案提出の際、我若し漠然之を提出して彼は漫然之を受け、口に改革同意を唱へて実効挙がらざるときは、我勧告は徒労に属するのみならず、切上方に困難すべしと懸考したるに付、改革箇條の中最も緊急を要するもの数條を掲出し、3日内に之を議定して10日内に実行す可し。
朝鮮政府若し実行し能はずとならば、我勧告の拒絶したるも同様なり。
我は之を以て勧告を拒絶せられたりと見做す可しと言放ち、更に第二の手段に取掛るべき考案にて、故らに期限を定めて施行を促したる者に有之候。
将又、右提案後内部の形勢を探察するに、大略別紙丙号探情書の通りにて、国王には改革に鋭意せらるる傾あるも、諸大臣は兎角躊躇して王命を奉承せざるが如くに被推察候。
右は申迄もなく、彼等因循姑息にして有為の気象に乏く、而して外は支那を恐れ内は閔氏を憚る結果に外ならざる義と被考候。
委細は別紙探情書にて御承知相成度し。
扨昨14日は提案後3日目に相成候に付、書面を委員に送り面会相求候処、公務の為め面会の請求に応じ難き旨申参り候に付、推返し別紙丁号の通り我勧告に対し朝鮮政府の採否如何を相尋ね候処、同戊号の通り我勧告は朝鮮政府の意見と符合し、感謝に堪えず、委細は本日会同の際説明す可き旨申参り候。
猶ほ、本日会同の模様は更に可申上、不取敢此段及上申候也。

追て別紙甲乙号は、本月9日付機密第121号73信に附属候間、此に附添不止候。
前回の1894年(明治27年)7月14日発『電受第421号』でも見たように、朝鮮の内政改革について内務督辨の申正熙と、内務協辨の金宗漢、曹寅承の3名が委員として選定され、外務督辨からその旨公式に通知があったわけです。

で、7月10日の午後6時から老人亭で3人の委員と会い、まず始めに委員が委任されてる権限について確認したところ、大鳥の話を聴いて自分たちの意見を付して諸大臣に申し出、それを高宗に奏上して裁可を仰ぐってだけ。
自分らで大鳥の勧告を取捨選択したり纏めたりして、改革を断行する職権はないと言ってきた、と。
子供の使いというより、伝書鳩?(笑)

で、一応その権限が不十分な事を咎めて話にならねぇよと言おうと思ったけど、今回の件の性質を考えれば、元々勧告するだけのものなんで、大鳥から強いて十分な委任権を持つ者と交渉する事を請求するのはやや不穏当なだけでなく、朝鮮では内政改革は非常に大難題なんで、高宗であっても断行は覚束なく、まして2~3の官員に断行の責任を負わせる事は、到底できないものを迫り求めるようなもので、好結果を得る見込みがない。

えーっと。
高宗でも断行は覚束ないって・・・。
しかも、「2、3の官員に断行の責任を負はしむることは到底能はざるものを迫求する者」て。
いざ改革を進める段になったらどうすんだよ、と。(笑)
つうか、改革できないの分かってるんじゃん。(笑)

それに加えて、権限について言い争ってる間に無為に日数を経過する恐れがあったので、ひとまず権限論を棚に上げて別紙甲号のとおりに改革綱目を提出して、逐条説明に取りかかった、と。
最後の追伸にあるとおり、別紙甲号については10月3日のエントリーでやった、1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』の別紙甲号ということになります。

ってことで、説明始めたのは良いんだけど、1時間ほど説明してもまだ半分にも達しなかったので、翌11日に再び老人亭に集まって残りの各条の説明をして、説明が終わったところで別紙乙号の期限付きの実行案を出して協議したところ、期限付きで実行を促すのは内政干渉の嫌いがある。
もし干渉するなら、国が潰れても従う事はできないと述べ、委員達は頻りに不同意を唱えたけど、期日を区切って実行を促す事も勧告であり、決して干渉ではない。
その勧告を受け入れるかどうかは、朝鮮政府の権限内の話でそ?と説明したら、委員もようやく納得して別紙乙号案を持って帰った、と。

別紙乙案ってのは、内容的に10月6日のエントリー10月8日のエントリーでやった別紙丙号で良いのかな?
つうか、あんだけの分量説明するのに、1時間で半分もいかないって・・・。

で、そもそも大鳥が最初に改革案を提出した時に、日本側が漠然とこれを提出して朝鮮側で漫然とそれを受け取り、口では改革に同意しながら実効が挙がらなければ、日本の勧告は徒労に属するだけでなく、切り上げ方にも困るだろうと思ったためで、改革案の中で最も緊急を要するものを数条掲げて、3日以内に議定して10日以内に実行しろ。
もし実行できないとなれば、日本の勧告を拒絶したも同然であり、日本はそれを以て勧告を拒絶されたものと見なすと言い放ち、更に第二の手段に取りかかる考えで、わざと期限を付して施行を促したんだよ、と。

第二の手段って何かしら?
つうか、例え改革をやる気になっても、実効が挙がるとはとても思えない件。(笑)

さらに、改革案の提出後に朝鮮政府内部の形成を見るに、大体別紙丙号探情書のとおりで、高宗は改革を熱心に行おうという傾向があるけど、諸大臣は兎角躊躇して高宗の命令を受け入れないように推察される。
これは、言うまでもなく彼らが古い慣習に従うばかりで、新しく何か始める気力に乏しく、外は清国を恐れ、内には閔氏を憚る結果に他ならないと考える。
詳細は別紙探情書で。

7月14日が提案後3日目になるんで、書面を委員に送って面会を求めたところ、公務のため面会の請求に応じがたいって言ってきたので、折り返し別紙丁号の通り日本の勧告に対する朝鮮政府の採否はどうなったか尋ねると、戊号の通りに日本の勧告は朝鮮政府の意見と符号し、感謝に堪えず、詳細は今日会同したときに話すって言ってきた。
今日の会同の模様はまた報告するので、取りあえずここまで上申しときます、と。

別紙丁号が、12月5日のエントリーでやった大鳥の返事に当たる1894年(明治27年)7月14日付け文書。
戊号が同じく12月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月14日付けの申正熙の返事となっています。

別紙のうち残る丙号探情書については、次回取り上げたいと思います。


ってことで、今日はここまで。


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今日は前置きなしで。

前回、陸奥から大鳥に36号の返事寄こせって電報が出されてましたが、その返事にあたる史料から見てきます。

アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の14画像目。
英文と訳文一緒に見ていきます。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月14日発『電受第421号』より。

25. As our whole demand contained in your instructions brought by 栗野 has already been presented to the Corean Government before the receipt of your telegram 36, I have not added opening of 木浦 to the demand.
The Committee was only to negotiate with me and address result to the King without executive power.
Appointment of commissioners with executive power is in fact impossible at this moment.
I therefore presented the draft through the Committee demanding definite answer within 七月十四日.
Commissioners are 内務府督辨申正熙 内務府協辨 金宗漢 and 曺寅承.


本使と協議の為め、朝鮮政府の命じたる行政改革委員の人名は左の如し。
内務府督辨申正熙、内務府協辨金宗漢、内務府協辨曺寅承
んー、やっぱり前回「回答が必要そうな部分っていうと、委員の名前になるのかな?」って予想したとおり、委員の部分しか翻訳してませんね。
折角大鳥が長々と回答してきたのに。(笑)

まぁ、一応大鳥に敬意を表して頭から見ていきますか。

栗野がもたらした貴下の訓令に含まれていた我々の総ての要求は、貴下の電信36号を受け取る前に既に朝鮮政府に伝達しており、木浦開港の要求を追加していない。
委員会は執行権を持たず、ただ私と協議して高宗に成り行きを述べるだけだ、と。

執行権を持つ委員の任命は、現時点では事実上不可能だ。
従って私は委員会を通じて草案を渡し、7月14日までに明確な回答を要求した。
委員は、内務督辨の申正熙と、内務協辨の金宗漢及び曹寅承だ、と。

改革委員っつっても、子供の使いと一緒なのね・・・。

これで7月14日の史料はお終い。
7月15日の史料に入って行きます。

まずは、『駐韓日本公使館記録2』から。
仁川に出張中の室田義文から大鳥への、1894年(明治27年)7月15日付『臨機第10号』より。

武蔵艦豊島附近視察報告

本艦去る7日午前9時仁川港抜錨。
同11時30分豊島東側に投錨。
軍艦大島と交代す。

同8日、西南風強吹。
午後軍事点検後高橋を下し、諸桁を上廻す。
同日船舶出入するを認めず。

同9日早朝霧天。
10時頃より漸々に晴る。
高檣を上げ総帆を乾す。
今日も汽船の出入を認めず。

同10日霧時時晴る。
午前11時、2本檣にして烟筒に白帯を附したる汽船の仁川より出港し、同時他商船1艘仁川に入港するを認む。

同11日晴。
本艦牙山湾を視察せんと欲し、午前9時抜錨。
牙山に向ふ。
同時、2本檣外輪汽船の仁川に入るを認む。
午後1時、牙山防登内錨地に投錨す。
恰も清国陸兵の朝鮮商船2艘に各3名乗組み、牙山村落海岸に上陸するを見る。
或は食品購買の為め白石より来りしものならん。

同12日晴。
午前7時15分、白石浦清国陸兵野営の情況を探らんと欲し、小蒸汽船に乗じ昇潮に遭し同所に向け発艇。
同9時頃白石浦人家より上流5、6町にある海岸巌石に艇を寄せ上陸。
直ちに山頂に登り清兵野営の状況を見るに、忠清道沿道とも察せらるべき左右傾斜の山腹5ヶ所に天幕を張れり。
中に就て多数なるものは、1所に24、5張。
小数の者は10或は5に不過。
又朝鮮人家と混合せしものあるを認む。
視察を遂げ汽艇に帰り、白石前湾にある大洲を1週し午後2時帰艦す。
帰途、本艦碇泊地より凡そ2哩余の内湾に、清艦操江碇泊し、同艦に朝鮮商船1艘に陸兵1両名乗組居る者橫附しあるを見る。
又、本船より湾口馬山浦口に碇泊せし汽船の入港するを見るに、揚威にあらずして湄雲号なるを知る。
同艦は操江碇泊地に進み投錨す。
兼てより同艦入港の報ありしと見へ、朝鮮商船7艘に陸兵各3名乗組みたる者、前日より牙山村落海岸に待ち居りしに、湄雲号の投錨と共に同艦に向け出帆せり。
操江、湄雲号投錨の後間もなく揚錨、本艦に接近投錨せり。
士官をして訪問せしめたるに、同艦は陸営に要書を達する為め来湾し、返書を得ば直ちに仁川に帰航すと。
又、湄雲號は陸兵糧餉及弾薬等を積み、天津太沽より廻航せし旨を答へたり。
午後1時45分鎮海号入港。
同艦の甲板上には、水兵の外陸兵及輸卒等を認めず。
必らず陸兵に供すべき筈なるクルップ砲及びホッチキス砲等は、多分搭載せしものと想像せり。
操江等は、牙山村に於て飮水を取り、鎮海に先だち以前の錨地に投錨せり。

武蔵艦長心得 伊藤常作
八重山艦長 平山藤次郎 殿

追て本日清国軍艦操江、牙山より清国に向て発錨。
多分牙山駐在陸軍より要書の返書を齎らしたるものならん。

右伊藤武蔵艦長心得の報告書、牙山八重山艦長より入手候に付、為御参考及具報候。
敬具
んー、テキストにしてはみたものの、大した事書いてないなぁ。(笑)
わざわざ解説必要な部分も無いし・・・。


ってことで、半分以上テキスト化しただけ、ですが今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
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日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
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日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
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日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)


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あれ?
7月14日の朝鮮の内政改革関係の方の英文史料、すっぽり抜かしてら。
って事に今日のタイトル書いてから気付いた。(笑)
電文番号、前後するけど請うご容赦。

ってことで、今日はアジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』から。
11画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月14日発『電送第338号』。

Otori
Seoul

42. Answer my 36 immediately.

Mutsu
私の36号に早急に答えろ、と。

この36ってのは、11月7日のエントリーの1894年(明治27年)7月11日発『電送第318号』ですね。
回答が必要そうな部分っていうと、委員の名前になるのかな?

続いて、同じく『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の13→12画像目。
このNakagawaってのは、恐らく当時の香港領事の中川恒次郎でしょう。
陸奥から在香港の中川領事への、1894年(明治27年)7月14日発『電送第341号』より。

Nakagawa
HongKong

2. Regarding Corean question, our object has been to secure future peace and order in that country not only for her sake but also for general tranquility in the extreme Orient; and in our opinion nothing was considered better calculated to accomplish that object than to encourage Corea to reform her present corrupted administration which is the cause of frequent disturbances by taking conjoint action with China; but China rejected our proposal without any reasons.
We were then compelled to present our proposal to Corea independently of China.
Our troops will be kept in Corea until reforms satisfy as of future security and are intended to check against China's anomalous interference with our work.
Finally Corean Government accepted our proposal and three commissioners appointed by them are negotiating with 大鳥.
But I believe no effectual reform could be accomplished so long as 閔泳駿 retains present post.
See 閔泳翊 and telling he above and also explaining Japan's peaceful and friendly mission in Corea, confidentially endeavor to induce him to exert his powerful influence for removing 閔泳駿 from his post.

Mutsu
朝鮮問題に関して、我々の目的は朝鮮のためだけでなく、危機的な東洋に全体的平穏のためにも、朝鮮の平和と秩序を確保することだ。
そして我々の見解では、清国との協調行動をとることにより、たびたび騒乱を引き起こす原因である現在の弊政の改革を促し、その目的を達成する以外に考えられなかった。
しかし、清国は我々の提案を何の理由も無しに拒絶した、と。

この辺までは、11月17日のエントリーでやった閣議決定に沿った話ですね。

で、我々は、清国とは無関係に朝鮮に提案せざるを得なかった。
日本兵は、将来的安全に十分な改革が成功し、我々の取り組みに対して清国が変則的な干渉を中止するまで、朝鮮に駐留し続けるだろう、かな?

最終的に朝鮮政府は我々の提案を受諾し、任命された3名の委員が大鳥と協議している。
しかし、閔泳駿が現在の地位を保持する限り、効果的な改革を達成することは出来ないと信じる。
閔泳翊に会い、前述のことと朝鮮における日本の平和的かつ友好的使命について述べ、彼の強力な影響力で閔泳駿をその地位から解任させるよう、内々に試みること。

要するに、12月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月13日発『電受第416号』で大鳥が望んでた事を処理した形。
やっぱ、閔泳翊を引き入れて閔泳駿追い出しってのを狙いたいようですね。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
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日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



今日は前置きなしで早速。

前回に引き続いて、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から。
49画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月14日発『電受第424号』より。

Mutsu,
Tokio.

(2.) The Powers have not yet presented note to the Chinese Government on the pending question but I have reason to believe that England is taking the initiative in inviting other powers to join in intervention German Minister has already received instructions to act in concert with his colleagues to effect peaceful settlement.
As to Chinese warlike preparations nothing definite is known except the appointment of 劉銘傳 as commander-in-chief but there is no doubt that Chinese Government will be forced to declare war by the pressure of public opinion among official circle delay will give time for European concerted action and Chinese extensive preparations at this juncture.
The only course left for us to pursue is to send ultimatum demanding withdrawal of Chinese soldiers on the ground that their presence interfere with reforms undertaken on the sole responsibility of Japan.
I ask for immediate instructions.

Komura
列強は懸案問題について、まだ清国政府に覚書を送っていない。
しかし、イギリスが他の列強に対して、調停に参加するように誘う主導権を持っている信じられる根拠があり、ドイツ公使は既に平和的解決の達成のため、他の公使と協力するよう指示を受けた、かな。

んと、11月7日のエントリーのロイター通信の記事に基づく1894年(明治27年)7月11日発『電送第320号』の照会に対する回答ですね。

列強協調による仲裁については、11月19日のエントリーの1894年(明治27年)7月12日発『電受第411号』で青木が述べてるとおり、そういう動きは実際にあって、ドイツは直ちに同意してるわけです。
んで出てきたのが、12月3日のエントリーの1894年(明治27年)7月13日付け文書って流れになるんだろうなぁ。

で、清国の戦争準備については、最高司令官としての劉銘伝の任命を除き、明確なものは何も分からないが、清国政府は世間官界共通の圧力によって宣戦布告せざるを得ないだろう。
この時点で、引き延ばしはヨーロッパの協調行動と清国の大規模な用意に時間を与えるだけだろう。

我々の進む唯一の方向は、清国軍の駐留が日本単独の責任の下に着手された改革を妨げるということを理由に、清国軍の撤兵を要求する最後通告を伝えることだ。
直ちに訓令を請う。

だよなぁ。
清国が日本が撤兵しなきゃ交渉しねぇ、って言ってるわけだから、交渉の余地が無いもんねぇ。

続いても同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から。
50画像目が英文、51~52画像目が訳文になってますので、一気に見ていきましょう。
西公使から陸奥への、1894年(明治27年)7月14日発『電受第426号』。

Mutsu
Tokio

On my inquiry Chief of the Asiatic Department said to me that Russian Government has presented no note jointly with other powers but when proposal was made by them to China simultaneously to Japan China testified readiness to withdraw troops if Japan will do so.
He added that if such a strained situation will continue as now probably all interested Powers will act apart against war, they are disturbed by latest news which shows that Japan is pushing the matter too far.
I said that the news is probably exaggerated and assured him that the question will be settled sooner if there is no interference.
It appears to me that bad impression has been produced here by Reuter's telegram of 7月10日 from 橫濱 published in all the papers that is as follows: Japan refuses to withdraw troops unless by her own impulsion, war seems inevitable, Japanese Government chartered 16 steamers, 1,000 Japanese already landed at Corea, besides strong reinforcement is ready.
I wish you will settle the question quickly without any mediation.

在露公使


亜細亜部長は本使の質問に対し、露国政府は諸外国と連合して書翰を送りたることなしと雖ども、諸外国が日本国と同時に清国へ提議せし時、清国は若し日本国も撤兵するに於ては同国も亦た撤兵し差支なしとの意を示せり。
若し目下の葛藤継続するときは、恐く戦争を妨げんが為め、総ての関係国之に干渉するに至るべし。
最近の報知、即ち日本国は余り深く事々立入りつつありとのことは、諸外国に頗る不安心を与へたりと同部長は述たり。
仍て本使は、該報知は多分過大に失するものなるべく、且つ若し外国より干渉せざる時は却て本件を一層速かに結了せしむべしと述べたり。
本使の意見によれば、各新聞紙に掲載せられたる7月20日橫濱発「ルーター」電報の為め、当地に於て悪感情を生ぜしめたるものと見ゆ。
其の電報は左の如し。

日本国は己の意志より出づるにあらずんば、其兵を撤去することを拒む。
戦争は避くべからざるが如し。
日本国政府は、16艘の汽船を借入れたり。
1,000の日本兵は既に朝鮮に上陸し、猶ほ優勢の援兵を派するの準備具へり。
貴大臣が他の干渉を容れられず、迅速に本件を結了せしめられんことは本使の希望する所なり。
これも、先ほどの小村の電報同様に、11月7日のエントリーのロイター通信の記事に基づく1894年(明治27年)7月11日発『電送第319号』に対する回答ですね。

ロシアのアジア局長は西の質問に対して、ロシアは諸外国と連合して書翰を送ったことは無いが、諸外国が日本と同時に清国へ提議したとき、清国はもし日本が撤兵すれば清国も撤兵して差し支えないと言った、と。

だから順番逆だって。(笑)
清国は、東学党の鎮圧依頼されたから来たんだろ?
鎮圧済んだなら帰れよ。(笑)
鎮圧済んでねーなら日本は撤兵できねーよ。

で、もし現在の葛藤が継続すれば、戦争を防ぐために恐らく総ての関係国が干渉する事態になるだろう。
最近の日本があまりに深く色々な事に立ち入りつつあるっていう知らせは、諸外国に非常に不安心を与えたとアジア部長は述べた、と。

これに対して西は、その知らせは多分過大視し過ぎだろう。
そして、もし外国が干渉しなければ、却って今回の一件を一層速やかに終わらせるだろうと言っておいた。

・・・ルーター電報って多分ロイター電のことだろうなぁ。
私の意見では、各新聞に掲載された7月20日横浜発のロイター電のため、ロシアで悪感情を生まれさせたと思う。
その電報は、日本は自分の意思によらなければ撤兵を拒否するから、戦争は避けられないだろう。
日本は16艘の汽船を借り入れた。
1,000の日本兵は既に朝鮮に上陸し、さらに多数の援兵を派遣する準備をしている。

最後に、陸奥が他国の干渉を容れずに、迅速に本件を終わらせるのは西の希望するところだ、と。

つうか、日本って昔から自分らの言い分知らせるの苦手なのね・・・。


ってところで、今日はここまで。


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日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



寒さも小休止してますが、また雪になりそう。
雪かきすると、すぐ眠くなるんだよなぁ・・・。

さて、今日は久しぶりな気もするアジア歴史資料センターの史料から。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の47画像目右側。
天津の荒川領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月14日発『電受第418号』より。

Mutsu
Tokio

1. Just received No. 1.
My telegram 七月十二日 was requested by 伍廷芳 confidentially and official to be sent by 李鴻章 is most likely 羅豊祿 both of them are trusted with confidential affairs by 李鴻章 please instruct me what to do.

Arakawa
これは、12月3日のエントリーの1894年(明治27年)7月13日発『電送第336号』への返事になります。

今しがた、1894年(明治27年)7月13日発『電送第336号』を受け取った。
私の7月12日の電信は伍廷芳が内密に要請したもので、李鴻章から送られる公式なものは十中八九羅豊禄で、2人とも機密事項について李鴻章の信任を受けている。
何をすれば良いのか指示くれ。
かな?

ピリオド必要そうなとこにそれが無いんで、分かりづれぇ。

で、早速これに対する返事が。
同じく47画像目の左側。
陸奥から荒川への、1894年(明治27年)7月14日発『電送第342号』。

Arakawa
Tientsin

(2) If it was 伍廷芳 whom you saw sound him and try what answer he gives informing him unofficially those parts of my telegram 1 as you think proper pointing out to him the existing difference of views between Tientsin and Peking and telegraph the result.

Mutsu
伍廷芳に会ったら1894年(明治27年)7月13日発『電送第336号』の一部を非公式に彼に伝え、天津と北京の間に存在する見解の相違について、貴下の考える適切な指摘を聞かせて彼の返事を求めるよう努力し、結果を電送しろ、かな?
この訳、全く自信無ぇ。(笑)

さて、次も『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から。
48画像目。
仁川にいる室田から陸奥への、1894年(明治27年)7月14日発『電受第422号』より。

Mutsu
Tokio

15. According to the conversation which is strictly confidential held on 七月十四日 between 村木陸軍少佐 colonel Vogack who came over with Russian Minister to Corea, it is said that both of … in Pekin the people displayed great courage warlike inclination while 総理衙門 李鴻章 are inclined to peace both of them proposing to bring peaceful settlement through the intervention of British Minister, German Minister; at the same time 李鴻章 is making preparations for war so as to be ready in case he is overcome by the influence of war party but he has asserted that Japanese soldiers in Corea to be 15,000 the whole of coast has been occupied by them 李鴻章 found that the only means by which he can dispatch more than 20,000 Chinese soldiers would be by overland route but then protection of his own Empire must be looked after; thus recruits have been raised recently land and sea, according to views of saddlery it appeared both of 総理衙門 李鴻章 rather inclined to peaceful settlement even if they may somewhat concede to Japan.
It is the fact that United States Minister in Corea is endeavoring to have the King of Corea removed to United States Legation, on that occasion fifty marines from United States man of war at 仁川 is said to be ready to 京城 to guard United States man of war but saddlery have asserted that Russian Minister to Corea will oppose to the steps above mentioned as it will only augment difficulties it is said that saddlery desired his name not mentioned.

Murota
村木陸軍少佐と在朝鮮ロシア公使、つまりウェベルと共に来たVogack大佐との間で7月14日に極秘に行われた対談によれば・・・って。
both of」と「in Pekin」の間の空白って、何だよ。

つうか、11月28日のエントリーの1894年(明治27年)7月13日付『臨本第19号』で出てきた「コロネルポコツク」って、カーネルVogackかよ。
コロネルポコツクって、随分変な名前だなぁとか思ってた。(笑)

で、んーと北京では、総理衙門と李鴻章は2人ともイギリス公使とドイツ公使の介在によって和解をもたらす事を提案して仲直りしたがる一方で、民衆は好戦的傾向を大きく発揮している。

同時に李鴻章は、主戦派の影響力に圧倒された場合に備え、戦争の準備をしており、彼は朝鮮にいる日本兵は15,000人に達し、全海岸が彼らに占領されたと断言したことがある。
李鴻章は、2万人以上の清国軍を派遣できる唯一の方法は、陸路であることが分かっているが、その時には清国の防衛に気を配らなければならない。
そのため、最近になって陸海軍の新兵を募集した。

馬具店の見解によれば、総理衙門と李鴻章は2人ともたとえ日本に少々譲歩したとしても平和的解決をしたいと思っている、と。
馬具店って誰だよ。(笑)

在朝鮮アメリカ公使が、朝鮮国王をアメリカ公使館に移そうと努力しているのは事実であり、その場合、仁川のアメリカの軍艦から、50人の海兵隊が・・・次「United States man of war」じゃなくて「United States Legation」じゃね?
ってことで、50人の海兵隊がアメリカ公使館を警護するために、京城に向かう準備をしているという、と。

つうか、もうこの頃から播遷の話とかあったのかよ!(笑)

しかしその馬具店は、在朝鮮ロシア公使が、面倒を増やすだけだから前述の措置に反対するだろうと述べた。
彼は自分の名前を話さないようにと言った、かな。

匿名希望の怪しいソースですねぇ・・・。


ってところで、今日はここまで。


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今日は前置きなしで。
『駐韓日本公使館記録3』から。
仁川の能勢領事から大鳥への、1894年(明治27年)7月14日付け『臨庶第39号』より。

貿易商田中良助聞取書

自分は、3月15日汽船漢陽号にて郡山及黄山に往き、多く黄山に滞留し、江鏡には日々往復したり。
而して本月11日正午、風帆船栄福丸にて黄山を出立し、同日午后12時郡山に着し、昨午前4時又栄福丸にて郡山を発し本日午前9時着港したり。

黄山江鏡等に滞留中、同地方に日本人の行商者は黄山に土川政泰、白木彦太郎、源野伊八郎、姫本吉太郎、木下清兵衛、尾崎某、河合某、小柳某、野村政蔵の9名、江鏡に長谷川勝蔵、出口某、合計11人なりし。

本月6、7日頃、全州城外に3日間滞在せるとき、全州城内に清兵500屯在せりとの事を聞けり。
又、全州よりの帰途、恩津縣監に面会せし時、昨日支那騎兵50名程同地を通行せりと云へり。
始めは1,000人とか又は2,000人の支那兵公州迄来りしが、一旦引返し、更に再び500名程来りしなりと云ふ。
又、通路の風説にては1,500名程の清兵全州に来るべしと云へり。
然れども、自分は支那兵を目撃せる事なし。

東学党一件は、今日にては何等の噂をもある事なけれども、今後再発するや否に至りては不明なり。
然れども、京兵は皆引上げたりと云ふ事は事実なり。
蓋し、江鏡黄山辺の住民は街道等に出て通行の官軍、支那兵又は官吏等に見出さるるときは、忽ち使役せらるるの恐あれば、誰も全州以南に進まざるより、全州より先は如何なる景況なるや聞知する事だも能はざればなり。

全羅監司更任後、更に何等の著しき評判はなきも、只此辺は南道の本街道に当るを以て、通行の軍隊官吏等が米苗の植付に従事する農民を執へて擅に使役せしむるを以て、農民は皆恐怖して遁避したりしが、新任監司は耕業に従事中の農民をして強て使役せしむべからずとの伝命を出したるより、幾分か農民の困苦を救ひたるものの如しと。

黄山江鏡地方の住民は、支那兵の来るは東学党征討の為めなりと信ずるも、大に之を嫌悪するの風あり。
蓋し支那兵来るときは、賦役糧食等勝手に徴発掠奪するを以てなり。

日本兵に対する風評は最も喧すくして、多数の日本兵、支那兵共に来るを以て、向後如何なる形勢に至るや知るべからず。
京城居民の如きは什中七、八まで忠清全羅地方に逃れ去りたりと云ふて、人心恟々。
自分等に対し、何故に日本兵は渡来するかと問ふもの頻々なり。
為に、目下各地方共に商業取引は全く中止の姿なり。

東学党騷乱の為め、忠清全羅地方官吏更迭後著るしき改革は、第一に不納米上納無期猶予と、各地方に於ける分税撤去の伝命とす。
尤も、全然実行の場合には至らざるも、概して分税取立方は大に軽くなり、又全く取立てざる所もありて、我内地行商者に対して一時分税徴収を中止したるの実ありと云ふ。

公州川筋に於ける船舶拘留の弊は未だ之を除かざるのみならず、近頃一層甚だしきが如し。
江鏡より上流の地方に於ては、支那兵又は官吏等の為め船舶を差押へ、其搭載の米穀を徴発して糧食に供するの状あり。

世上に伝ふる東学党暴発の原因は、昨年と異なり真の東徒に非らずして、全く農民が地方官の苛政に激したるにあり。
其主因は、昨年秋冬の交より本年春に亘り、転運御史に於て厳酷に不納米を徴収し、3年乃至5年以前に溯り、上納済の証書を有するものに向ても猶ほ之を督促し、時としては地方官中人民の為め其免除を請求したるも、之を聞かざりしにあるものの如し。

農作に至りては、麦は全羅忠清南道到処近年比類なき豊作にして、昨年に比すれば2倍以上の収穫ならんと云へり。
米は植附は十分に終り、降雨も多量にありたれば、今日の分にて経過せば農作の見込なり。
然れども、雨量過多なりければ蟲害あるべしとて心配するものあり。

商業取引に至りては、日本人に対する商品注文は全く中絶し、何れの朝鮮人も貸金残りを取立に奔走中にて、更に仕入等を為すものなし。
其故を問へば、遠からずして日清兵を交ゆるならんとの事なりき。

支那行商者は公州数十人も入り込み居たれども、盡く引き揚げたり。
又、江鏡に残りたる14、5人も近々帰るとて、専ら貸金取立に奔走し居たり。
全州地方には一人も居らずと云ふ。
黄山江鏡地方に行商の日本人も近々仁川へ帰るとて、何れも目下準備中なり。

右為御参考及報告候。
敬具
貿易商の田中良助からの聞き取り調査について。

前置きの部分は飛ばして、7月6~7日に全州城外に3日間滞在しているとき、全州城内に清国兵500名が駐屯しているということを聞いたってとこから。

全州からの帰りに恩津縣監に面会した時に、前日に清国騎兵50名程が恩津を通行したと言ってた。
最初は1,000人あるいは2,000人の清国兵が公州まで来てたけど、一旦引き返して、その後再び500人が来たという。
また、通ったとこの噂では、1,500人程の清国兵が全州に来るだろうって事だったけど、田中自身は清国兵を目撃しなかった、と。
どこまでが本当で、どこまでが誇張あるいは噂に過ぎないのか、全く判断できませんねぇ・・・。
困ったもんで。(笑)

東学党の乱については、現在は何の噂も流れていないけど、今後再発するかどうかは不明。
ただ、中央の兵は全て引き揚げたというのは事実だ。
江鏡・黄山周辺の住民は、街道などに出て官軍や清国兵や官吏なのに見つかれば、すぐに使役される恐れがあるので誰も全州より南には行かないため、全州から先はどんな状況なのか、聞知することすら出来ないからだ、と。
要するに、全州から南がどうなってんのか分からないから、当然東学党の乱が再発するかどうかも分からないってことかな?

全羅監司の交代以降、更に何らかの顕著な評判はないけど、この辺は南道の本街道になるため、通行する軍隊や官吏が農作業してる農民を好き勝手に使役するため、農民はみんな恐れて逃げ去ったけど、新任の監司は農作業に従事してる農民を無理矢理使役すんなという伝命を出したので、いくらか農民の困苦を救ったようだ、と。
農作業中でも、好き勝手に使役されるんだ・・・。
そりゃ生産性も上がんないよなぁ・・・。

で、黄山・江鏡地方の住人は、清国兵が来るのは東学党の征討のためだと思ってるけど、非常に清国兵を嫌っている。
それは、清国兵が来れば、賦役・糧食などを勝手に徴発したり略奪したりするからだ、と。
属国も大変よねぇ・・・。(笑)

日本兵についての噂は最もうるさく、多数の日本兵が清国兵と一緒に来たため、今後どのような状勢になるか分からず、京城の住民なんかは10中8、9まで忠清道や全羅道地方に逃げたと言って人心はビクビクし、田中等に向かって何で日本兵が来たのかと質問する者が次から次に出てきた。
そのため、現在は各地方で商業取引は中止となっている。

東学党の乱のため忠清道や全羅道の地方官が更迭された後、著しい改革は、第1にまだ収めていない米の上納を無期猶予することと、各地方の分税を取っ払う伝命。
尤も、完全な実行までは至ってないけど、大体分税の取り立ては非常に軽くなったり、全く取り立てしない所もあって、日本の内地行商者に対して一時分税徴収を中止した事実があるという。

公州川筋での船舶拘留の弊害は未だに継続中なだけでなく、最近は一層甚だしくなってきたようだ。
江鏡から上流の地方では、清国兵や官吏によって船舶が差し押さえられ、載せてある米穀は徴発されて糧食にされてる状態、と。

で、世間で伝わっている東学党の暴発の原因は、1893年と違って本当の東学党の徒ではなくて、農民が地方官の苛政に激発したためで、その主要因は1893年の秋・冬の頃から1894年の春にわたって、転運御史が思いやりに欠けた非常に厳しい不納米徴収を行い、3年から5年以前に遡って、もう収めた証書を持ってる者にも更に督促し、時には地方官の中で人民のために免除を請求する者がいたけど、それを聞き入れなかったためのようだ。
つうか、厳しく取り立てるのは兎も角、もう収めた証書持ってるヤツにまで請求って何よ?(笑)

そんな中、麦は全羅・忠清南道など至る所で近年まれに見る豊作で、昨年に比べれば2倍以上の収穫になるだろうという。
米の植え付けも十分に終わり降雨も多量なので、このまま推移すれば豊作の見込み。
しかし、雨量が多すぎれば蟲害があるだろうと心配している者もいる。

商取引は、日本人に対する注文は全くなくなり、どの朝鮮人も貸し金の取り立てに奔走中で、更に商品仕入れなどをする者は居ない。
その理由を聞くと、遠からず日清で交戦があるだろうから、と。

清国の行商人は公集に数十人もいたけど、全て引き揚げた。
江鏡に残っている14~5人も近々帰るって事で、専ら貸し金の取り立てに奔走中。
全州地方には1人も残らないという。
黄山江鏡地方で行商している日本人も近々仁川に帰るってことで、みんな現在準備中、と。
まぁ、悠長にしてる時勢では無いですわな。


ってところで、久しぶりに長くなりましたが、今日はここまで。


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エンコリがリニューアルするそうで。
僕が投稿する場所も無くなりそうな・・・。(笑)
つうか、最近は小ネタすらも探してないんですが。
まぁ、韓国側が新ネタ出してこないんで、何もする必要が無いっちゃ無いんですけどね。

それでも、過去の良スレやら写真やらの資料が全部失われるのは痛いよなぁ・・・。
サルベージしてる人もいるようですし、僕自身も有用なスレは保存したりしてますが。
やっぱり、このリニューアルってNAVER~エンコリで韓国側が負け続けた黒歴史の封印なんだろうか?(笑)

さて、今日からは7月14日の史料に入って行こうと思ったんですが、『駐韓日本公使館記録4』の欧文電報往復控の中に、7月13日の史料残ってたんでやっておきます。
宛名が不明なんですが、恐らくは陸奥から大鳥への英文電報と思われます。

(40) It is rumored that some Japanese 壮士 entered into 京城 attempting to assassinate some Chinese or Coreans.
Guard against them.
But if deeds are done do not fail to arrest perpetrators.
何人かの日本の壮士らが、清国人又は朝鮮人の暗殺を企図して京城入りしたという噂がある。
彼らに警戒せよ。
もし行動に移した時には、犯人を必ず逮捕すること。

相変わらず、壮士テラ迷惑wwwww

ってことで、7月14日の史料に入っていきましょう。
『駐韓日本公使館記録2』から。
申正熙から大鳥への、1894年(明治27年)7月14日付け文書より。

敬覆者来函適値在公未謝今日固当趨進而又値赴公未得翼如更当訂約垂鑒是禱耑此順頌
勳安
書翰が来たとき丁度公署にいたので、返事できなかった。
今日かならず行こうと思ったけど、また公署に行く用事がある。
後で取り決めます、と。

11月28日のエントリーの大鳥から申大人への、1894年(明治27年)7月13日付文書への返事でしょうね。

次も『駐韓日本公使館記録2』から。
同じく申正熙から大鳥への、1894年(明治27年)7月14日付け文書。

敬啓者擬於明日下午三点鐘在老人亭待候台駕須趁期光臨是禱耑此順頌
夜安
明日、つまり7月15日の午後3時に老人亭で待ってる、と。
誰かにお伺いたててから返事してるんでしょうかねぇ?(笑)

んで、大鳥の返事。
1894年(明治27年)7月14日付け文書。

敬啓者頃接
台椷聆悉因値要公更当訂約等因本公使惟本日擬期会同晤商者蓋因勧行釐正 貴国内治一事前日来到本国
政府之命除経行文照会
貴国外務督辨査照外併於面遞釐政綱目特将此中原委向
貴督協辨剖晳敍明至応辨各事宜尤属緊要各節由将此綱目面遞之日起務期三日内在
貴政府妥議定奪等因一併相勧施行矣本日已届第三日而於貴政府可否依允辨理之処自必有所定奪為此佈請
貴督協辨将如何定奪之処刻即賜示
確音以便照詳本国
政府是為切禱耑此泐佈順頌
暑祉
事情は分かった。
私が今日是非会同しようとしたのは、貴国の内政の改正を勧告するためだった。
これは日本政府の命で、貴国の外務督辨にも書簡を送り、同時に釐政綱目を渡す時にそれぞれ細かく説明した。
非常に重要な各節は、綱目を渡した日から3日中に可否を知らせて施行する事を勧告した。
今日で3日目となるため、貴政府において可否を決定したと思うので、直ちに日本側に確答してくれ、と。

大鳥が性急だとは僕も思いますが、申正熙も逃げないでさっさと回答すれば良いのに。(笑)

続いて、この大鳥の文書に対する1894年(明治27年)7月14日付けの申正熙の返事。

敬覆者頃接
耑函悉自面遞之日務期三日妥議而今此会商各節即今奉
聖旨会議釐正事也均與
本政府所見相符深感
貴大臣善隣厚誼也明日会同可以詳述
政府旨意為此佈覆順頌
夜祉
会同した日から3日中に妥結するってのは分かってて、今そのための各種手続きを高宗に奉じて改正に対する会議をしてる。
これは朝鮮政府の所見と同じであり、日本政府の善隣交誼に感謝する。
んじゃ、明日会って細かい話しますんで、と。


今日はここまで。


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何か最近、いくら寝ても寝足りないんっすよねぇ。
何度ブログの下書きが同じ文字で埋まった事か。(笑)
基本、暖房で室内あったかいしねぇ・・・。
季節的には「冬眠」だけど、気分的には「春眠」。(笑)

さて、今日も英文史料から片付けていくことに。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の43画像目。
陸奥から天津の荒川領事への、1894年(明治27年)7月13日発『電送第336号』より。

Arakawa
Tientsin.

(1) Have you sent telegram of 七月十二日 at the request of 李鴻章, If so tell him confidentially that Japanese Government are at a loss to account for difference of attitude between him and 王大臣 because while he now shows conciliatory disposition, 王大臣 disregarded good-offices of British Minister and compelled us to declare to Chinese Government that they are disposed to precipitate complication and that we would not be held responsible for eventuality arising out of situation created by them.
If however your telegram was not at request of 李鴻章, do not take above step, but inform me the source of the information.

Mutsu
貴下は李鴻章の要求に応じて7月12日付けの電信を送ったのか。
もしそうならば、貴下は日本政府が李鴻章と王大臣の間の態度の相違について、どう説明して良いか困惑していると、李鴻章に秘密裏に伝えろ、と。
つうか、7月12日付の電信って見あたらないなぁ・・・。

で、何故ならば、李鴻章は現在融和的傾向にあるのに、王大臣はイギリス公使の調停を無視し、我々に「清国政府は紛糾を起こす事を欲しており、彼らによって引き起こされた事態に起因する結末に対して、責任を負わない」と清国政府に宣言する事を強いているからだ、と。

しかし、もし貴下の電信が李鴻章の要求によるもので無いならば、上記の措置はとらずに、その情報の情報源を知らせてくれ。

うー、見あたらない7月12日付けの電信って、何か面白そうだなぁ。
もうちょっと探してみようっと。

さて、次で13日の史料は最後。
同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から、46→45→44画像目。
んーと、これはグートシュミットって読むのかな?
Gutschmidから陸奥への、1894年(明治27年)7月13日付け文書より。

My dear Mr. Mutsu

My government has authorized me to tell your excellency that it has so fully confidence in the love of peace on the part of Japan, that it hopes, that the Imperial Japanese Government, in the present difficulty with China will do all in its power and all that is compatible with the national honor to avoid an armed conflict and that it will make all necessary concessions that will conduce to such a happy result, as far as it is able to do so.
If Your excellency should think, that my presence in Tokio could be, under present circumstances, in the least useful, I should be happy to return to the Capital for a few days, notwithstanding the inconvenience, resulting from not possessing a residence there for the present.
Requesting you, kindly to acknowledge receipt of this strictly confidential communication.
Believe me to be.

My dear Mr. Mutsu
Your Excellency's most
Sincerely
V. Gutschmid
我が政府は、私に閣下に「日本側では平和を愛する事に対して、十分な信頼を持っており、清国と目下困難な状況にある日本帝国政府は、全力を尽くして武力衝突を回避するため、国家の名誉と矛盾しない全ての措置をとる筈であり、満足な結果を導く全ての必要な譲歩を出来る限り行う筈だ」と伝える権限を与えられた。
もし閣下が、現在の状況下で私が東京に居る事が少しでも有用だと思ったら、現在住居が無い不便にもかかわらず、数日で私は喜んで東京に帰る。
この極秘情報の受け取り、快くくしてくれる事を願う、かな?

名前と雰囲気的に、在日本ドイツ公使っぽいけど、良く分からん。
つうか、文字も文章も読みづらいんで、合ってるかどうかすら自信無ぇ。(笑)


ってことで、上の文章の解読でかなり時間くったので、今日はここまで。(笑)


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もう12月ですね・・・。
何か今年は大した事してないのに、あっという間だった気が。
まぁ、今年から新しい部署になったからかも知れませんね。

さて。
今日もアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から。
34画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月13日発『電受第414号』から見ていきましょう。

Mutsu,
Tokio.

I received your telegram 3.
Official letter will be sent 総理衙門 immediately.
Remit by telegraph 1,000 yen as telegraph expenses.

Komura
your telegram 3」ってのは、11月21日のエントリーの1894年(明治27年)7月12日発『電送第324号』ですね。
んで、それを受け取った、と。
んで、公文書は直ちに総理衙門に送るだろう。
電信費用1,000円を電信為替で送れ、と。

電信、かなり頻繁に使ってるもんなぁ。

続いて、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の10画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月13日発『電受第416号』。

Mustu
Tokio

24. Generally opinion of 閔泳翊 has considerable influence upon Corean Government.
Will you make our Consul at Hongkong fully explain to him the views of Government as well as the disadvantages to Corea that would arise from presence of 閔泳駿 in the present post.

Otori
んー、訳してみても良く分かんね。(笑)
確か、閔泳翊はこの時期、中国のどっかに亡命中だったんじゃないかな?
で、その閔泳翊の意見が朝鮮政府に相当な影響力を持ってる、と。

次が良く分かんねー。
閔泳駿が現職であることにより朝鮮に起こる不利益と、日本政府の見解について、香港領事に十分説明するように願う、かな?

閔泳駿じゃ駄目ってのは分かるんだけど、閔泳翊だと良いんだろうか?
日本の見解がどういう内容で、何で香港領事に説明すんだろ?
んー、分からん。
取りあえず保留。

次は、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』に戻りって39画像目。
陸奥から大鳥及び小村への、1894年(明治27年)7月13日発『電送第333号(大鳥)、電送第334号(小村)』。

Otori
Seoul
(41)

Komura
Peking
(5)
Regarding my reply to Russian Minister refusing simultaneous withdrawal of troops, he called on me 七月十三日 and officially declared that Russian Government are well satisfied with reasons therein given and expressed hope for amicable settlement with China.

Mutsu
んで、ほぼ同内容のものがロシアの西公使へも送られていますので、やっちゃいます。
41画像目。
陸奥から西への、1894年(明治27年)7月13日発『電送第335号』より。

Nissi
Petersbrg

Regarding my reply to Russian Minister refusing simultaneous withdrawal of troops, he called on me 七月十三日 and officially declared that Russian Government are well satisfied with reasons therein given and expressed hope for amicable settlement with China.
Inform 在英公使, 在米公使.
で、何故か40画像目と42画像目の両方に、西宛の電文の訳文が載ってます。
多分、40画像目は大鳥と小村への電文の訳文がつく筈だった気がします。(笑)
ってことで、40画像目と42画像目の訳文を。

露国公使に向ひ同時の撤兵を拒みたる本大臣の回答に付き、7月13日同公使本大臣を訪ひ、露国政府は右回答中に記したる理由を以て至極満足し、且つ清国と和局を結ぶことを希望すとの旨を公然陳言せり。
右、在英公使及在米公使へ報知すべし。
ってことで、8月20日のエントリーで見た『親展送第44号』で、同時撤兵を拒否する回答したけど、7月13日にヒトロヴォが陸奥の元を訪れ、前回見たヒトロヴォから陸奥への文書のとおり、ロシア政府はその回答に書いた理由に満足し、清国と和局を結ぶ事を希望すると公然と述べてきた、と。

で、西に対しては、在イギリス公使と在アメリカ公使に知らせろ、という、いつもの一文が追加されていますね。


ってところで、今日はここまで。


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