さて。
前回は、アジ歴等で見つからずにこれまで漏れてた史料について、『駐韓日本公使館記録』の電信控を基に書き起こしてみました。
今日からはまたアジ歴等を中心にした話に戻ります。

まずは、『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の18画像目左側。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月6日発『電送第301号』より。

Otori
Seoul

31. 軍用電信隊 sent at your request and now being placed in awkward position.
They cannot be now recalled without doing anything.
Moreover present repair is very poor causing interruption so easily and so often.
So under any pretext such as furnishing men and materials to Corean Government try to make more substantial repair or to construct a new line so that to give employment to 軍用電信隊.

Mutsu
軍用電信隊は貴下の要請により派遣され、現在まずい立場に置かれている。
何も為す所無く呼び戻す事は出来ない。
それに加えて現在の修理は非常に粗悪であり、非常に簡単に、また非常に頻繁に途絶の原因となる。

従って、よりしっかりとした修理を行うとか、新しい電信線を架設する朝鮮政府の試みに技術者と物資を提供するなど、何らかの口実に基づいて軍用電信隊に仕事を与えろ、かな?
何か、単語が抜けてる気もしないでも無いんですが。(笑)

これで、6日までの史料は終わりかな?
んじゃ、7日の史料に入っていきましょう。
最初は、『駐韓日本公使館記録2』から。
釜山の永瀧から大鳥への、1894年(明治27年)7月7日付け『親展ノ一』より。

長崎縣平民馬木健三は、此程昌原府龍潭の金鉱試堀の為め、長男辰次郎と共に同処に赴き居りし処、去6月30日午後7時頃、群馬縣人元陸軍大尉田中次郎、福岡縣人大原義剛、石川縣人吉倉睡聖并に鈴木某外8名は、荷物運搬の為め雇入れたる韓人2名を伴ひ同処に至り、馬木に面談して云く、近頃全羅道地方に於て東学党騷擾を起し、続て支那兵は之を鎮圧の為め已に牙山に上陸せりと聞く。
自分等も、此際国家の為め応分の力を盡さん為め全羅道地方に出張の途次なるが、当地近傍に在る韓人の旅家に於ては米飯を得ること能はざるに依り、何卒今夕は自分等一行を此処に止め、且賄ひ呉れよと懇ろに請求したるに依り、馬木は一夜の事なれば敢て差支なしとて之を諾し、直ちに雇人に命じ食事の用意を為さしめし処、田中等は尚ほ語を進めて、馬木父子に向ひ兼て礦山用に貯蔵せる火薬を分配し呉れ間敷やと云ひしに依り、馬木は之を否みしに、彼等は再三再四之を懇望したるも、馬木父子は他品なれば兎も角、火薬は決して付与し難き旨を以て固辞せしに、田中等は一たび口に発して而して遂行する能はざるが如き卑怯なるものにあらず。
若し強て之を否むに於ては我々も決する所あらんとて、恐嚇の体を示し、尚ほ馬木父子を麻縄にて縛し、倉庫番人奥田友太郎をして鍵を出さしめ、直ちに火薬庫の鍵を開き、且つ他の倉庫の鎖鑰を破壊して火薬2罐(凡そ10斤)、ダイナマイト2函(凡そ120発)、雷管凡そ百三、四十発、導火5把と、外に各所の鍵凡そ10個計りを奪取し、同夜12時過ぎ龍潭を発し全羅道に赴くと称し咸安に向け出発せり。
初め田中等が馬木父子を対面せし時は、語調も頗る丁寧にして互に寒喧を敍し、且つ吉倉、大原、田中は曽て釜山及京城に於て面識あるものなれば、雙方打解けて旧を語り、新を話し、互に腹蔵する所なかりしが、火薬授受の事よりして遂に一波瀾を生じ、強談の末終に前陳の如き暴行に及びたるものにして、右12名の日本人は何れも仕込杖及び短銃等を携帯し、火薬横奪の際は馬木の住せる家屋の周囲を警護して出づる事能はざらしめたり。
依て、馬木辰次郎は右遭難の次第報知の為め、本月1日龍潭を発し当港に来るの途上、尚ほ3名の本邦人に邂逅せし処、同人等の語気よりして推測するときは、何れも右暴行者の党類なるが如しと。
以上は、去3日馬木辰次郎が当館に申報する所の要領なり。
該旅行者は、何れも本館より内地通行券を受領して出発したるものにあらず。
又、一時に出発せるものにもあらずして、1、2名づつ出発したるものなるべきに依り、其姓名及旅行先も確と分明ならずと雖、該人員中には新聞通信員と称し、内地より渡来し直ちに出発したるものも可有之、其形跡甚だ疑しきを以て、不取敢該本邦人に対し取調を要する義有之に付、捜索の上当館迄て護送すべき様、当港監理署に依頼致置候。
又た、両3日前内地より来港せし本邦人等の言ふ所に拠れば、福岡玄洋社員凡そ4、50名は当国に来援の支那兵に対し乱撃を加へ、因て以て日清両国の葛藤を引起さんとの目的を以て、漁船に乗り、対洲を経て当国(来港の地は未詳なれども、何れ未開港場の海村ならんと被存候)に渡来せんことを目下計画中に有之趣に候。
依て、是亦直ちに外務大臣へ并せて具報に及び置候。
右為御参考及御通報候。
敬具
天佑俠(天佑侠)キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!! (笑)

長崎県の馬木健三と、その長男の馬木辰次郎が、金鉱試堀のために昌原府龍潭に行ってた、と。

この馬木健三、2月6日のエントリーでも昌原の金礦採掘の話で当ブログに出演済みなんですが、中々可哀想な人生を送ってるようで。
今回の天佑俠による強盗事件の他にも、1897年(明治30年)には、『金九は誰を殺したか(二)』で出てきた大久保機一と並んで、「2万124円59銭7厘 馬木健三」として被害損害額算定のリストの中に名前が見られますし、1901年(明治34年)の史料にも、活貧党の類と目される暴徒の襲来を受け、金品を強奪された上、重傷を負わされたという記録が残ってたりします。
カワイソスwwwww

すると、6月30日の午後7時ころに、田中次郎、大原義剛、吉倉睡聖、鈴木某外8名が馬木のところに来た、と。
ま、漢字間違いはあるんですが、所謂「天佑俠」のメンバーですね。
田中侍郎・大原義剛・吉倉汪聖に、鈴木は鈴木天眼かな?

で、最近全羅道地方で東学党の乱が起き、支那兵が鎮圧のために牙山に上陸したと聞き、自分たちも、国家のために相応の尽力をしようと全羅道地方に出張する途中だが、この辺じゃ米飯を得る事ができないんで、何とか今日は自分たちを泊めて飯を喰わせてくれないかと馬木に言ってきたんですね。

馬木は、一晩だし良いよと承諾。
直ちに雇人に命じて食事の用意をさせてると、田中達は更に鉱山用に貯蔵してる火薬を分けてくれないかと言ってきた。
馬木が拒否したところ、それでも再三再四懇望してくる。
更に馬木は、他の物なら兎も角、火薬はあげらんないよと固辞。
それで、事態一変。(笑)

「有言不実行の卑怯者じゃないぞ!もし強いて拒否するなら、こっちにも考えがある!<#`Д´>」と恐嚇。
で、馬木親子を麻縄で縛り付け、倉庫番に鍵を出させて倉庫から火薬・ダイナマイト・雷管・導火線と各所の鍵を奪い、夜中の12時に全羅道に行くと言って咸安に向け出発した、と。

強盗じゃん・・・。( ´H`)y-~~

最初は語調も丁寧だったし、吉倉・大原・田中とかは以前釜山とか京城で面識があったんで普通に話してたんだけど、火薬の話で一変して上のような暴行に及んだもので、これら12名の日本人は皆仕込み杖や短銃で武装しており、火薬を強奪した時には馬木の家の周囲に見張りを立てて、家から出られないようにした、と。

ん?
12名?
田・大原・吉倉・鈴木外8名だから、14名じゃないんけ?

兎も角、馬木辰次郎は事件の通報のために釜山に来る途中、さらに3名の日本人に会ったけど、その語気からするに暴行者の同類だろう、と。
以上が、馬木辰次郎が7月3日に釜山総領事館に通報してきた要点。

で、これらの旅行者はいずれも釜山領事館で内地通行権を受け取って出発した者ではなく、また一斉に出発したものでもなくて、1~2名づつ出発してるんで、姓名も旅行先もはっきり分からないけど、その中には新聞通信員と称して日本から来た者もあるようで、その形跡が非常に疑わしいので、取りあえずそれらの日本人に対して取調が必要だから、捜索の上釜山総領事館に連行するよう、釜山の監理署に依頼しておいた、と。

また、3日前に来た日本人が言うには、福岡の玄洋社員約4~50人が、朝鮮に来た支那兵に乱撃を加えることによって、日清両国の葛藤を引き起こそうという目的で、漁船に乗って対馬経由で朝鮮に渡来する事を計画中との話なんで、陸奥に併せて具申しておいた、と。

テラ迷惑www
つうか、何しに来たんだ、お前等。
強盗?(笑)



今日も長くなりましたが、とりあえずここまで。



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