さて、ゴールデンウィークの真っ最中ですが、そんな中に更新してみるテスツ。
後半は某温泉に一泊しに行くんで、その前に、みたいな。(笑)
( ´H`)y-~~

いやね、史料っつっても仕事に使ってた公文書なわけで、仕事毎に簿冊が分かれてるってのは分かるんだけどね・・・。
分かるんだけどね・・・。(笑)
きっと、見つけられてないNo5とかNo7も、どっか別の簿冊に綴られてんだろうなぁ・・・。

さて、今日はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/6 明治二七年六月二十五日外務省二於テ外務大臣ト露国公使ヒトロヴォー氏ト対話概要(レファレンスコード:B03030205200)』という、タイトルままのお話。
11画像目までは英文のもので、12画像目から日本語版が載っていますので、日本語版の方だけテキスト化しておきます。
それでは、1894年(明治27年)6月25日『外務省に於て外務大臣と露公使ヒトロヴォー氏と対話の概略』。
長いので、分割しながら。

露国公使
清国政府は、目下の形勢に関し露国の斡旋を乞ひたるを以て、露国政府の訓令に由り只今面会を求めたり。
抑も日清両国の兵は、目下朝鮮に於て開戦の意向を以て相ひ対峙す。
此場合に於て、露国政府は成るべくは開戦に至らざらしむるの目的を以て、日本政府に申込を為すを其義務なるべしと感ぜり。
尤も、清国政府が既に露国政府に告げたる所に拠れば、清国の出兵は全く朝鮮政府より暴動鎮定の依頼ありたるに由るものなり。
然るに、日本も亦た大兵を発し、今ま暴徒既に平定したるも、日本政府は朝鮮事件に関し3箇條の提案を出だし、其兵の撤去を肯ぜずとの旨なり。
且つ清国政府は、日本提案の第1條即ち日清両国兵を合せ以て東学党の暴動を鎮定せん云々に付ては、東学党は既に平定に帰したるを以て、該條の目的は已に遂げたりと回答し、同時に清国政府は、朝鮮の内政に干与するは到底出来ざることなりと宣言したるものの如し。
然るに日本政府は清国政府の意見を容れず、清国が撤兵する場合に於ても日本は尚ほ其撤兵を肯ぜざるべしと宣言したるものの如し。
然るに、陸奧氏は本件に付き委細を示されざるを以て、公使に於ては其政府へ何等の報告を為す能はず、其政府は本件に関する清国政府一方の主旨を知るのみにして、日本の本意を解する能はざるは其極めて遺憾とする所なり。
駐日ロシア公使のヒトロヴォが、清国からロシアに斡旋依頼があったため、ロシア政府の訓令により面会を求めたんですね。
で、日清両国は朝鮮で開戦する意向を持って対峙してるけど、ロシアはなるべく開戦に至らせない目的で、日本政府に申し込みを行うのを義務だと感じている、と。

で、清国政府がロシア政府に言ったのは、これまで見てきた顛末の概略。
ただ、「是を以て帝国政府に於て其兵を撤去するには、必ず将来該国の安寧静謐を保持し、政道其宜を得ることを保証するに足るの辨法を協定するに非されば決行し難く候。」という、大事な話が抜けてるようですが。(笑)
ま、清国側の言い分なんで、仕方ないですけどね。

その辺はヒトロヴォも考えてて、これまで陸奥は詳細を言ってないからロシア政府に何の報告もできず、ロシア政府は今回の件について清国だけの言い分だけを知ってるだけで、日本の本意が分からないのは遺憾だ、と。

つうか、2月11日のエントリーなんか見ても、李鴻章ってロシアの介入嫌ってた筈ですし、イギリスも嫌がると思うんだけどなぁ・・・。
どういう経緯でロシアに斡旋依頼という事になったのか、多少気になるところ。
3月4日のエントリーで見たように、在清ロシア公使だったカッシーニは、日清の交渉があった22日の前の17日に帰国してるので、代わりに清国に行ったウェベルが絡んで、3月26日のエントリーでも大鳥にロシアの代理公使が早期撤兵を主張する事になってんだろうなぁと予測してるんですが、果たして。

んじゃ、続き。

外務大臣
第一日本政府が其朝鮮に関する本意を沈黙に付したる理由を説明せんに、本政府が最初より取る所の主義は今日まで毫も変更することなきを以て、本件に付き殊更に露国公使に協議せず、且つ当初開陳したるが如く、右の主義は朝鮮をして独立の地位を維持せしめんと欲するに基づくものなり。
而して、此目的を達する為めには朝鮮に於て相当の勢力権衡を保ち、而して清国をして独り其威力を恣にせしめざることを必要とするものの如し。
而して帝国政府は常に此主義を守り、今日に至るまで敢て之を変更せず。
唯だ、今回の事件は一時特に此主義を確実にするの大必要を感ぜしむるのみ。
故に帝国政府は、成るべく清国との衝突を避けんと希望し、此希望を遂ぐるに足るの処置は其の正当なる以上は其種を問はず之を施さんと欲するものにして、日本出兵の如きは清国の非望を箝制して本件の平和の局を結ばんとするに外ならざるなり。
又た、東学党の暴動は、最初数万乱民の蜂起したるにありとのことにして、官軍も屡々敗北し、終に朝鮮政府をして清国の援兵を乞はしたるに至るまで危機の逼迫したる事実あるを以て観れば、清国兵未だ一丸を発せざるに先だち、右暴動早く既に鎮定したりと云ふが如きは甚だ疑ふべきのみならず、縦令ひ一時鎮定したるが如くなるも、日清撤兵後其再び蜂起するの恐なき能はず。
蓋し、日清両国共に朝に撤兵し夕に復た出兵せざるを得ざるの形勢あるは、朝鮮の国情上疑を容れざるものの如し。
故に日本政府に於ては、朝鮮将来の平和秩序に就き未だ幾分の保証を得ずして容易に撤兵するが如きは、朝鮮の為めのみならず日本の為めにも不得策なりと思惟せり。
隨て、日本政府は清国政府に向ひ両国協同の委員を命じ、朝鮮国将来の安寧を確実ならしむべき改革施行に付き朝鮮政府に勧告せしむべきことを提議せり。
尤も、清国政府に向ひ此提議を為すに於て、日本政府は敢て朝鮮の内政に干与するの意志あるに非ざるなり。
まず、日本政府が朝鮮に関して黙して語らないのは、最初から朝鮮の独立維持という方針が変わってないから、と。
その目的を達するには、朝鮮で相当の勢力均衡を保ち、清国が単独で威力を欲しいままにさせない事を必要とするようだ。
日本政府は常にその主義をとり、現在まで敢えて変更してこなかった。

ただ、今回の事件は特にその主義を確実にする必要を大きく感じただけで、だから日本政府はなるべく清国との衝突を避けようとし、その希望を遂げるのに十分な処置は、それが正当であれば手段を問わずに実施しようと思ってのもので、日本の出兵は清国の邪な欲求を束縛して、今回の一件の平和的解決を目指すものに外ならない。
割と、直球告白ですなぁ。

また、東学党の乱は最初数万人の乱民が蜂起し、官軍も屡々敗北して、最終的に朝鮮政府から清国の援助を求めるまで危機が逼迫した事実があるのを見れば、清国兵が未だに一発も撃たないうちにその暴動が既に鎮圧されたというのは信じがたいだけでなく、仮に一時鎮定したように見えても、日清の撤兵後は再び蜂起する恐れがある。
日清両国とも、朝に撤兵して夕方にはまた出兵せざるを得ない形勢があるのは、朝鮮の国情上疑いが無い、と。
何回も言いますが、全州和約が無い、或いは日本側に通知されていない状態では、当たり前の疑義なわけで。

ってことで日本政府としては、朝鮮の将来的平和や秩序について何らかの保証を得ずに簡単に撤兵するような事は、朝鮮のためだけではなく日本のためにも不得策だと考える。
だから日本政府は清国に両国共同の委員を任命して、朝鮮の将来的安寧を確実にする改革の施行について、朝鮮政府に勧告させる事を提議した、と。

つうか、天津条約の第2条での「両国均しく允す。朝鮮国王に勧め兵士を教練し、以て自ら治安を護するに足らしむ。」という前例。
昨年の4月5日のエントリーでは「伊藤総理大臣と清国公使汪鳳藻との面談の節に於て、既に日清両国相ひ提挈して以て朝鮮を保護すること必要なりとの点に関し互に幾分かの意見を交換」。
で、この時点ではまだ届いていませんが、2月15日のエントリーで李鴻章が「在京城公使の勢力を以て国王を説き、宜しく行政なり財政なり軍事なり助言勧告して隣邦の好しみを尽すは可なり。」と言ってるわけで。
更に昨年の4月11日のエントリーでは、陸奥が汪鳳藻に向かって、「依て先づ貴国政府と協議の上委員を派遣するか、或は別に貴政府より何か提出せらるべき案に賛同するか、何れにしても到底後日の患なしと十分安心を得る場合に至らざれば、容易に護衛の軍隊を撤回するに至り難きやも計られず」と、後顧の憂いを経つための代案があれば賛同しうる旨を伝えているわけで、頭っから拒否回答ってのは、やっぱり陸奥もその返事を「第一次絶交書」とか言っちゃうよなぁ、と。(笑)

尤も、日本側としては清国政府にこの提議するに当たって、日本政府は敢えて朝鮮の内政に関与する意思があったわけではない、と。
ええ。
「或は別に貴政府より何か提出せらるべき案に賛同するか」ですからねぇ。
まぁ、そもそも汪鳳藻が清国政府に伝えて無いっぽいですが。(笑)


ってところで、かなり中途半端な部分で区切りましたが、長くなりましたので今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)
日清戦争開戦まで(四)
日清戦争開戦まで(五)
日清戦争開戦まで(六)
日清戦争開戦まで(七)
日清戦争開戦まで(八)
日清戦争開戦まで(九)
日清戦争開戦まで(十)
日清戦争開戦まで(十一)
日清戦争開戦まで(十二)
日清戦争開戦まで(十三)
日清戦争開戦まで(十四)
日清戦争開戦まで(十五)
日清戦争開戦まで(十六)
日清戦争開戦まで(十七)
日清戦争開戦まで(十八)
日清戦争開戦まで(十九)
日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)
日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)


AD