三連休に、11月1日で休止するという高速フェリーの「ナッチャンRera・World」に乗ろうと思ってたんだけど、諸事情により中止。
1回乗ってみたいんだよね・・・。

全然関係無い話から始まりましたが、本題に。
今日の史料は、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』の31画像目。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』より。

Komura
Peking

You will see 総理衙門王大臣 and tell them that you are ready to communicate to Japanese Government whatever proposal they make and if they enter into discussion on the basis of negotiations, you will decline to do so on the ground that the proposals made by Japanese Government having been rejected by them, you are now only to hear what they propose.
But you will impress upon them that Japanese Government will never agree to the withdrawal of troops before some definite arrangement made at the commencement of negotiations, besides not only existing internal disturbance in Corea is still to be feared Japanese Government had already refused to listen to the advice of Russian Government on this subject.
You will also see British Minister and impart to him what will pass between you and 総理衙門王大臣.

Mutsu
総理衙門王大臣に会い、清国側がどのような提案をしても日本政府に伝達する用意があると伝えて欲しい。
もし、交渉の基礎によって協議が始まれば、日本の提案が彼らによって拒否された事を根拠に拒否し、彼らの提議を聞くだけにすること、と。

ああ。
もう日本単独での朝鮮内政改革の話が始まっちゃってるんだから、今更口出してくんじゃねぇ、って感じなのか。(笑)
結局、所謂「第一次絶交書」の時にもう終わってるのか。
つうことは、この交渉自体イギリスの顔を立てつつ、内政改革とかの時間稼ぎするって感じ?

しかし、交渉の始めに、何らかの明確な協定が成り立つ前には、日本政府は決して撤兵には同意しないだろうし、それだけでなく、現存する朝鮮の国内騒乱は未だに憂慮に値するとして、日本政府は既にこの問題に対するロシア政府の勧告を拒否した事を強調すること、と。
交渉は拒否するつもりなんだから、撤兵も実施されませんわな。

で、貴下はイギリス公使に面会し、貴下と総理衙門王大臣の間で交わされた内容について伝えること、と。

んじゃ、次。
同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』なんですが、32→33画像目、よく見たら7月3日発の史料ですね・・・。_| ̄|○

まぁ、日本の関係者が出した文書ってわけじゃないから、いっか。(笑)
イギリス外務大臣のキムバーレーから7月3日に発出され、在日本イギリス臨時代理公使パゼットが7月5日に受けた電文を、どうやってたか知り得たらしい。
その訳文。

日清両国間速に和親の談判を開始するに非れば、露国は欧州各国の連合仲裁を喚び起すこと疑ひなし。

以下内密。

清国は、朝鮮に於ける其の地位及主権貢礼の事に就ては、最も恋々し居れり。
貴下は、日本政府へ左の事を内密に表示すべし。
即ち、清国は此等の点よりも、寧ろ実際的緊要事項は畏らくは却て容易に譲歩するならん。
故に女皇陛下の政府は、日本が右の数点を採て談判第一着の條件とせざらんことを望む。
否熱心に勧告す。
且つ、此等の問題は雙方より提起せざらんことを望む。
朝鮮国にして一朝独立せんが、外国干渉の機会之れより多きを加へんのみ。
而して、同国を管督保護する日清両国の権力は之より衰へん。
談判を速に開始することは、最も緊急のことたり。
且つ、同時又は止むを得されば追次に兵員を撤回すること、最要点なるべし。
出来得る丈の助力を、在北京日本臨時代理公使に与ふべき旨、在清英公使「ヲコンネル」氏へ訓令を発すべし。
日清間で、速やかに和親の談判を開始しなければ、ロシアはヨーロッパの連合仲裁を喚起する事は疑いない。

清国は、朝鮮での宗主権や朝貢について、最も執着している。
貴下は日本政府に対して、清国は宗主権や朝貢の点より、むしろ実際的な緊要事項について却って簡単に譲歩するだろう。
従って、イギリス政府は日本が以上の数点について、談判の第一条件としない事を勧告し、これらの問題は双方から提起しない事を望む。

朝鮮が独立すれば、外国干渉の機会はそれ以前より多くなるだけで、朝鮮を監督保護する日清両国の権力は衰えるだろう。
談判を速やかに開始する事が最も緊急の事であり、同時に、またはやむを得なければ順番に撤兵することが、最要点だろう。

できるだけの徐力を小村寿太郎に与えるべき旨、在清イギリス公使のオコンネルに訓令をだす、と。

要するに、朝鮮なんか独立させたら外国からの干渉が増えるだけなんだから、清国とか日本の庇護下って事で良いじゃん。( ´H`)y-~~ みたいな。
独立国扱いされて無ぇ。www


ってことで、これで7月5日の史料は終了。
次からは、7月6日の史料に入って行きます。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の20画像目。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月6日付7月12日接受の『機密第42号』から。

清国廟議全然我要求を拒絶するに一決せりとの風説

今朝の北清日報は、北京通信者よりの電報として掲げて曰く、

総理衙門諸大臣は、朝鮮事件に関し皇帝陛下の諮詢に応ずる為め、本月2日廟議を開けり。
列席の王大臣は、慶郡王を始めとし福錕、孫毓汶、徐用儀、廖壽恒、崇禮の五大臣にして、張蔭桓は大鳥公使と談判の為め朝鮮へ出張を命ぜられ、既に出発せし後なりしを以て列席せざりし。
議場に於ては随分激論もありたる由なるが、徹頭徹尾平和を主張したるは慶郡王一人にして、余の諸大臣は、所謂日本政府の傲慢無礼を痛く攻撃し、若し日本にして斯く多数の兵士を送らず、且つ第一に清国と協議を遂げんには、互に事の齟齬を来す事もなく、清国に於ても大に日本の懇望を満足せしむる事ありたらんに、彼れの挙動は之に反し、我が中国を蔑如せるの甚しきものなり。
我は此際一歩も彼に抂ぐべからず。
若し然らずんば、天下公衆の嘲りを如何んとの主意にて、其旨陛下へ奉答する事に決したり。
聞く所に依れば、福錕も亦窃に慶郡王に同意せしも、他の熱心なる主戦論者に反対するの勇気なく、遂に多数の意見に雷同せりとの事なり。
右奏問の結果として、皇帝よりは張蔭桓を呼戻すべしとの勅命下り、即時に急飛脚を立てて張氏の後を追はしめたり云々。

右は或は事実とも被存候に付、既に北京公使館より探知の上電報相成御承知かとも存候得共、念の為め別紙の通り今朝発電に及びたる次第に有之。
尚、其後当地へ到来の電報は益々危機切迫の模様に相見へ候。
右及報申候也。
要約するとそもそも日本が中国に相談もせず、大軍を送ったのが悪い、と。
つうか、傲岸無礼って何やねん。(笑)
中国人にとっては「面子」ってかなり大事なものらしいんで、それ潰したから許せん!みたいな感じでしょうかねぇ?

ってことで、清国内部では主戦論に傾倒という報道。
まぁ、この頃の新聞って、どこの国でもかなり好き勝手というか、いい加減な記事書いてるんで、どこまで信用できるかは分かりませんがね。(笑)

で、これに別紙が付いてるんですが、「今朝発電に及びたる次第」とあるとおり英文電報として出てきますので、次回取り扱う事にしたいと思います。


ってところで、今日はここまで。



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