今日も自動更新でお届けします。
前回は、漢文史料三昧だったわけですが、今回は英文史料三昧の予定。(笑)

ってことで今日は、前回少しだけ触れた、「次回やる予定の陸奥からの訓令」から見ていきたいと思います。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/8 明治27年6月29日から明治27年7月2日(レファレンスコード:B03030205400)』の17→16→15画像目の英文と、18→19→20画像目の訳文から。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月1日発『電送第270号』。

Otori
Seoul

22. 在日本露公使 brought me the following official despatch 六月三十日.
"Corean Government having officially informed foreign representatives in 京城 that insurrection has been suppressed already and having asked to assist them to effect the withdrawal of Chinese and Japanese troops, the undersigned has received command from His Majesty the Emperor to support the request of Corean Government by call special attention of Japanese Government that they would assume a serious responsibility if they should put an obstacle to the simultaneous withdrawal of both Chinese and Japanese troops."
Reply to the above will be sent after Cabinet decision and imperial Sanction, but 伊藤 and I being at one not to obey dictate of Russia, it would likely be in the negative.
在英公使 telegraphed dated 六月二十九日 as follows: "Minister for Forign Affairs told me that British Minister to China reported that 李鴻章 invited Russia to intervene in Corean question in order to excercise pressure on Japan. Under these circumstances a great complication might arise to which England could not be indifferent. He requested me to induce you to communicate Japan's demands on China and Corea probably with a view of mediating for their acceptance."
在日本英国代理公使 approached me under suggestion of British Minister to China and told me that China would be disposed to entertain Japan's proposal if it is on a basis of independence and prevention of disturbances not touching the question of suzerainty.
Under these circumstances the whole question may assume diplomatic complication directly between different governments and though Japan would not shrink from conflict yet we must maintain consistent attitude so as to justify our declaration to England, Russia and others that we would not go to war unless defensively compelled for the sake of self-protection.
So in the meanwhile limit your action to strong protests and prosecution of our proposal for reform and refrain from any violent offensive measures.
栗野 will arrive at 京城 七月四日 with my verbal instructions according to which you will act.
大鳥 received instructions from 參謀本部 to refrain from taking hasty steps.

Mutsu


大鳥公使え電信訳

在日本露公使は6月30日左の公文を齎らし来り、本大臣に交付せり。

(此処露公使の公文入る)1号を見よ

右に対する回答は、閣議決定勅裁を経たる上にて送附せらるべし。
併し、伊藤伯及び本大臣に於て露国の指図に従はざることに就ては、意見を同ふするが故に、多分其回答は彼れの指図を容れざることとなるべし。
在英国日本公使は、6月29日附を以て左の通り電報せり。

英国外務大臣より本使に告げて曰く、在清英公使の報告に依れば、朝鮮問題に付き日本を強制するの目的を以て、李鴻章より露国の斡旋を乞へりと。
斯る有様に立到りたる上は、一大紛議を生せざるを保せず。
其場合には英国にても拱手傍観すること能はずと。
英国外務大臣は、帝国政府より清国及朝鮮政府に向て提議せし要求の件を閣下より通知せらるる様本使に請求せり。
其目的は、蓋し該提議を承諾せしむることに仲裁する積りならん。

在日本英国代理公使は、在清英国公使よりの申入に依り本大臣に告げて曰く、若し日本の提議にして独立及び擾乱の予防を基礎となし、属邦論は之を度外に置くときは、清国政府に於て之を受理するの意嚮ありといへり。
右の事情なるが故に、本問題を挙げて、或は直接に各国政府との間に容易ならざる外交上の葛藤となるも計られず。
而して、縦令日本は敢て争闘を避くるにはあらずと雖ども、日本が自衛の為め、已むを得ず受け身の地位に立つに非ざれば開戦せざるべき旨、英露其他各国に明言したる言質を維持する丈の地位を占め置かざるを得ず。
故に目下は、閣下に於ては閣下の処置を厳重なる抗議と、改革に関する我が提案を貫徹せしむることとに限らるべし。
而して、我より進んで激烈なる処置を執らるることは之を避くべし。
栗野政務局長は、本大臣の口頭訓令を携へて7月4日京城に着すべし。
閣下は、該訓令に拠り働かるべし。
大島少将へは、参謀本部より訓令を発し、余り急激なる処置を執るべからざる旨を伝へたり。
前半部分は、8月6日のエントリーの西公使への1894年(明治27年)6月30日発『電送第268号』や、8月8日のエントリーの青木公使への1894年(明治27年)6月30日発『電送第269号』と同じですね。

で、ロシア公使からの公文に対する回答については、閣議決定が勅裁を得てから送るだろう、と。
しかし、伊藤と陸奥はロシアの指図に従わない事について意見の一致を見てるので、恐らく拒否回答する事になるだろう、と。

一方、イギリスの青木公使からは7月21日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日発『電受第338号』が来て、イギリス外務大臣は日本から清国と朝鮮に提議した要求を通知するように求めており、その提議を承諾させる方向で仲裁する積もりだろうという電報が来てる。

在日本英国代理公使からは、8月8日のエントリーの1894年(明治27年)6月30日発『電送第269号』で見たように、朝鮮の独立と変乱予防を基礎として、属邦論に言及しなければ、清国政府はそれを受理する意向があると言ってきてるわけです。

そういう事情なので、属邦問題を提議すれば、或いは直接各国政府との間に容易ならざる外交上の葛藤となるかもしれず、例え日本は敢えて戦争を避けるわけではないとは言え、日本が自衛のためにやむを得ず受動的地位に立つのでなければ開戦しないと、イギリス、ロシア他の各国に明言した言質を維持するだけの地位を占めて置かなければならない、と。

ってことで、大鳥の処置については、厳重な抗議と改革に関する日本の提案を貫徹させる事に限り、日本から進んで激烈な処置をとるのは避けろ、という指示が出されるんですね。

この激烈な措置を執るなってのは、5月30日のエントリーの1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』での「May I take such steps as I deem necessary to contradict the above proclamation even by force.」と、それを受けての7月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日発『電送第259号』での「It does not seem politic at present to attempt expulsion by force of Chinese soldiers at 牙山.」ってな話の流れの一部なのかな?

で、栗野政務局長が陸奥の口頭による訓令を携えて、7月4日に京城に着くだろうから、大鳥はその訓令によって働け、と。
栗野はその他にも、6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』、6月11日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日『機密送第27号』、7月16日のエントリーの内信という3通の重要な文書を持って行く事になってましたね。

で、旅団長の大島少将には、参謀本部の方から訓令を出して、あまり急激な処置をとらないように伝えた、と。

5月12日のエントリーの1894年(明治27年)6月25日発『電受第311号』で「もし朝鮮の領土保全と騒乱防止を基本にした申し入れがなされれば、王大臣は提案を考慮するだろうと申し入れ」が在清イギリス公使から来たのが、イギリスによる仲介の出発点になるのかな?

どっちにしろ、イギリス政府の調停仲介の前提である、「朝鮮の独立と変乱予防を基礎」とした申し入れは、日本から申し立てたわけでもなく、最初から日本の要求してた事項。
清国の受理条件である属邦問題に対しては、政府として現場の大鳥公使にも属邦問題は提議せず、過激な措置も執るなと訓令を出し、ちゃんと対応しているわけです。
(H20.8.29 修正)

日本としては、調停受入できる状態なんですが。
巷間良く言われるような「清国との戦争」が目的だった場合、仲介者のイギリスとどう折り合い付けるつもりだったのか、主張者に聞いてみたいもんです。
( ´H`)y-~~


ってところで、一つしか史料やってませんが、今日はここまで。



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