さて、今日は長くなりそうなんで、前置きなしで早速。

李鴻章との会談に関する報告。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』の1画像目から。
在天津日本領事である荒川から陸奥への、1894年(明治27年)6月19日付『機密第7号』。
長いので、分割しながら見ていきます。

李鴻章伯と談話の件報告

本月15日午後、当地駐在仏国公使館附同国陸軍大尉フララク氏来館。
在京城袁世凱より、目下牙山屯駐の清兵を至急京城へ呼寄せ度旨を以て其許可を請ふたる内報に接せしが、果して実説なるや承知致度旨申出候得共、小官更に其実否を知らざる旨、簡単に相答へ置候後、直に李鴻章へ面会を申込み、本月16日午前10時30分同伯を訪問致候。
当席に李伯并に小官の外に列席のものは、例の如く羅豊禄氏通訳の為め相加はり候。
まず荒川は、フランス武官から袁世凱が牙山の清国兵が京城入りの許可を願ってるって聞いたけど、マジ?という話を聞かされ、知らない、と。
で、それを確認しに6月16日に李鴻章と面会するわけですね。

んじゃ、続き。

席定り、直に右伝聞の実否を質問に及候処、

李云、葉提督より京城に入り度旨申出候得共、直に電報して牙山より何れへも立ち去ることを禁じ置けり。
又云、全州の暴徒も四方に散したるを以て、最早朝鮮へ兵を屯駐せしむるを要せず。
一日も速に日清とも天津條約に基づき撤去すること得策とす。
然るに、在東京清国公使よりの電報に依れば、日本政府に於ては、未だ朝鮮鎮定の報に接せられざる趣を以て、伊藤伯未だ其撤兵の日限を定められざる旨承知せり。
暴徒地方鎮定に帰したるは確報なり。
葉提督現に人を其地方に派して報越したるものなり。
其報告に依れば、其地方長官は勿論、朝鮮暴徒征討総督洪氏も入り込み、現今暴徒巨魁等を偵捕中なる由に付、貴国政府へ該報を電報し、併て連日炎天堪へ難き季節に赴くに依り、一日も速に清兵は引揚度希望なる旨も電報ありたし。
その席で李鴻章は、葉志超からそういう申し出があったけど、直ぐに牙山からどこにも動くなと言っておいたよ、と。
で更に、全州の暴徒も逃げ散ったし、もう朝鮮に兵を駐屯させる必要も無いっしょ。
一日も早く天津条約に基づいて日清共に撤兵するのが得策だろう。
ただ、在東京の清国公使汪鳳藻の電報によれば、日本政府ではまだ東学党の乱鎮定の報告を受けていないそうなんで、伊藤博文もまだ撤兵の期限を決められないってのも分かった。

民乱が鎮定されたのは確報で、牙山の葉志超がその地方に人を送って報告してきたし。
その報告では、その地方の長官は勿論、招討使の洪啓薫も入りこんで、暴徒の巨魁等を探して捕縛してる最中なんで、日本にもそれを電報しといて。
それから、暑いから早く帰りてぇと電報があった、と。

つうか、寧ろさっさと撤兵して、日本の非を鳴らした方が良いと思うんだけど。(笑)

依て、即日午後右の趣第1号の通り発電に及置候処、同日即ち本月16日第2号の通り貴電に接し、又17日午前第3号の通り御電訓に相接し申候に付、直に李伯へ面会の義、羅豊禄氏を経て申込候処、折返へし同日午後4時半差支なき旨回答を得候間、其定刻に訪問致候。
ってわけで、荒川は4月15日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月16日発『電受第250号』を発電。
そこへ、4月16日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月16日付『電送207号』と、2月7日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月17日発『電送第209号』を受けたので、翌日の6月17日に再び李鴻章を訪問するわけですね。

席定るを待ち、本日は極秘を要する件を外務大臣の命に依り談話致度旨申述べ、陪従の従僕等を退け、別紙第4号の如く小官記臆の為め相認置候一書を取り出し、明瞭に相伝へ申候処、李伯左の如く辨論せり。

抑も国際上の件には、悉く條約併に万国公法の規定に依るの外なし。
日本は朝鮮国と條約を締結されたる時は朝鮮国を独立国視せんならんが、此度陸奧氏の提出に係はる案件は、何に由て案出せしものなるか、毫も道理の存する所を知るに苦しむ。
伊藤伯は、天津條約の趣意を忘却されたるにはあらんか。
是迄聞く所に依れば、日本帝国は広く法理を欧米に求め、外交の如きは最も長ずる所と承知せしが、豈に計らんや、陸奧氏の該案に対しては感服すること能はざるのみならず、悉く国際上の定規に外れ、殆んど聴くに足らざるものの如し。
本大臣に於ては日清の條約を敬重し、此度韓廷の請求に応じて出兵せしときは、直に天津條約第3條に基づき日本政府へ通牒し、亦駐兵の必要なきを見認めたるに依り、速に撤兵を日本政府と共に実施するを望むの外なし。
朝鮮国の條約国は日清両国に止まらず、露あり、英あり、仏あり、独あり、米あり、各朝鮮国に対して干渉を申込むときは如何。
其害少とせず、思はざること甚しと云ふべし。
朝鮮国は貧にして且つ弱なるは御互に知る所なれば、在京城公使の勢力を以て国王を説き、宜しく行政なり財政なり軍事なり助言勧告して隣邦の好しみを尽すは可なり。
委員を両国より撰出し、国事に干渉するが如きは、公法の許さざる所。
公法を無視せば、国交際は到底継続せざるべし。
強ひて之を遂げんと欲せば、兵力に依るの外なし。
荒川は、覚書として持ってた6画像目の第4号を取り出して伝達。
この第4号のテキスト起こしは省略しますので、各自ご確認を。

すると李鴻章は、国際上の関係は条約か万国公法によるしかない。
日本は、朝鮮と条約を締結したときは朝鮮を独立国視したのだろうが、今回陸奥宗光が提出した案件は、何の根拠や道理で出されたものなのか理解に苦しむ。
伊藤博文は天津条約の趣意を忘れたんじゃないのか?
これまで聞いてたとこでは、日本は法理を欧米に求めて、外交なんかは最も得意な分野だと思ってたけど、意外にも陸奥氏の出してきた案については感服できないだけでなく、国際法の規則からも外れ、聞くに値しないようなものだ。
儂は日清間の条約を尊重して、今回の朝鮮政府の要求に応じて出兵するときには、直ちに天津条約第3条に基づいて日本政府へ通達し、兵を駐留させる必要がないと認めたので、速やかに撤兵を日本と共に実施する事以外望む事はない。

ってことで内政干渉だ、と。
いや、多分天津条約の「一.両国均允朝鮮国王教練兵士足以自護治安又由朝鮮国王選傭他外国武弁一人或数人委以教演之事嗣後日中両国勿派員在朝鮮教練」については、心に棚を作っているんでしょう。(笑)

つうか、「伊藤伯は、天津條約の趣意を忘却されたるにはあらんか。」っていうんですけど、そもそも天津条約って日清間の衝突を避けるのが趣意でしょ?
しかも、その天津条約の中での「朝鮮国王に勧め兵士を教練し、以て自ら治安を護するに足らしむ。」が守られてないから今回のような軍事的緊張状態になってるわけで。
そういう状態にならないような方策建てるのって、趣意に沿ってないんかな?

兎も角、日清に触発されて列強各国が朝鮮に干渉してきたらどうするよ?と。
その害は少なくないし、それについて考えてねぇんじゃね?
で、朝鮮は貧しくて弱いってのはお互いに知ってるんだから、在京城公使の力で高宗を説得して、行政なり財政なり軍事なりを助言・勧告するのはオッケー。
両国から委員を出して、国事に干渉するようなことは公法に違反してる。
公法を無視するならば、国の交際は到底継続できないだろう。
もし強いてそれをやろうとするなら、兵力による外は無い、と。

4月11日のエントリーで陸奥が言ってたのは、「譬ば各3名づつの常設委員を撰し同国に派遣し、親しく政府の内政を調査」だったわけで。
李鴻章の「干渉」と「助言・勧告」の分け方が良く分からないんですが、方法については具体化してない気がするんですけどねぇ。
要するに、今度から朝鮮で民乱が起きないような、或いは民乱が起きても独力で鎮圧できるような方策を打ち立てる事について、清国は同意するのかどうかって話で。

まぁ、荒川には4月16日のエントリーで「2nd to appoint joint commission from both countries to reform administration and finance.」って伝えられてるだけなんで、その辺の事情は荒川も知らないんですが。(笑)


途中ですが、長くなったので、今日はここまで。



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