さて。
今日は、朝鮮そのものとは殆ど関係無いけど、日清戦争には関係する話。
前回までと同じ簿冊から。
アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/1.上海港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143500)』より。
2画像目。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月28日付『電受第321号』より。

Mustu,
Tokio

2. In case of war some colleagues contemplate to make 上海 neutral port like the last Franco-Chinese war.
Have you any objection to ■■y agreeing?
戦争になった場合、何人かの同僚は、最近の清仏戦争と同様に上海を中立港にしようと熟考している。
貴下に何らかの異論はあるか、にしちゃって良いのかなぁ・・・。

ま、朝鮮にあんま関係無いから良っか。(笑)
取りあえず、上海港の中立問題についての話が、大越総領事からあったという事だけ押さえておくことに。

さて、どうせ英文史料を1回上げちゃったので、続いても英文史料を。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の30画像目から見ていきたいと思います。
北京の小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月28日発『電受第322号』より。

Mutsu,
Tokio

Your telegram of 六月二十六日 received.
There is every reason to believe that the suggestion of the Russian Government has made as the result of interview between 李鴻章 and Russian Minister at 天津 without the Government at Peking being made aware of the fact.

Kmura
6月26日付の貴下の電信を受け取った。
6月26日付電信ってのは、5月26日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月26日発『電送第247号、電送第248号』でしょうね。
内容は、陸奥とロシア公使ヒトロヴォの対談の要旨でした。

で、ロシア政府の提案は、北京政府にその事実を知らせないまま、李鴻章と在天津ロシア公使との間で持たれた会談の結果である事を信じる、充分な理由がある。かな?
北京政府に内緒で李鴻章が行った調停依頼かぁ・・・。

さて、続いても英文史料。
アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の47画像目を見ていきたいと思います。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)6月28日発『電送第259号』。

Otori,
Care of Japanese Consulate General,
Fusan

(17) Demand withdrawal of words 属国 in proclamation of 聶.
It does not seem politic at present to attempt expulsion by force of Chinese soldiers at 牙山.
You will lay the proposal for reform before Corean Government as soon as 加藤 arrived, no matter Corean Government listen to it or not.

Mutsu
5月28日のエントリーで見た聶の告示について、5月30日のエントリーの1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』で報告が行われてました。
その聶の布告から属国という文言の撤回を要求すること。

また、その1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』の中で大鳥が、上記の布告を否定するために、力づくでも必要と考える措置をとって良いかと聞いてましたが、それに対して武力で牙山の清国軍を排除しようとする試みは、現時点では妥当ではないと思われる、と。
May I take such steps as I deem necessary to contradict the above proclamation even by force.」から飛躍しすぎな気も・・・。(笑)
まぁ、「by force」から考えると、そうなる可能性の方が高いのか。

で、加藤が到着すれば、朝鮮政府が耳を貸そうが貸すまいが構わずに、改革のための提議を提出すること、と。

6月20日のエントリーでは、加藤書記官は丁度この電文の発日である6月28日に京城入りした事になってましたね。

続いては『駐韓日本公使館記録2』から。
元山の上野領事から大鳥公使への1894年(明治27年)6月28日付『機密第8号』。

本月23日頃より、当地韓人の間に京城に於て日清両国兵の間に葛藤を生じ、戦争の変あるべし■専ら伝説致居しが、昨日に至り俄かに日清交兵の談高まり、既に数回の戦ありて日本兵大敗績を為し、死する者数百人有之云々、或る信拠すべき処に電報ありしとの説流布致し、隨て我居留人民に於ても大に危懼の念を生じ、種々の評説有之候。
右等の事に付ては未だ何たる公報も無之のみならず、固より如是出来事あるべき筈も無之に付、我居留民の問に対しては無論此等の浮説謠言に惑はず、安致すべく様相諭置候得共、右の一説は本港海関杯にも専ら流布致し、延て世間一般に日兵敗走の取沙汰と相成、且つ韓人の我国人民に対する感情にも関し、其結果自然貿易上にも関係致し、大に我が不利益と相成候に付、一応御地の実況を確かめ、然る上にて此の流説を打破致度と存候間、今朝電報を以て御問合致したる義に有之候。
露国兵入境云々の説に付ては、其後未た確説を得ず。
尤も、昨午后郵船薩摩丸浦潮港より入津に付該港の景況相尋候処、現在同港には3隻の軍艦繋泊中にて、其内2隻は既に朝鮮へ廻航の命令を受け居候由伝承せしも、陸兵発送の件に付ては未だ何事も聞知不致趣に候。
又た、咸境道北部の事情に付ては兼て北青地方我国人に就て探偵為致居候処、昨日同地方より一名帰元。
其説には、露兵入境の事は別に著しき説も無之。
土民も亦た如是風評するものなく、且つ該地方の沿海には未だ曽て露艦の来泊致したる事も無之候由なり。
右は、今日迄の事情御含の為め御報致置候。
匆々
敬具

逐々本信転発の際の頃に、日清両兵交戦なし云々の御電諭に接し、居留人民一同安睹致候。
右為念申添也。
日清両国が既に衝突して、日本が大敗北したというデマが。
そして、結局ロシア出兵もデマ。
まぁ、正確な情報を求めるのが難しい時代ではありますが、根も葉も無いのはヤメレ、と。(笑)


今日はここまで。



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