何か、今月は私生活の方で色んな事あったなぁ・・・。
しかもあまり良くない話ばかり。
おかげで史料の進み具合も全然駄目だね。

< 2008年11月のエントリー >
あんまりゴタゴタしたせいで記憶が薄れかけですが、日本が清国と戦争を前提に動き始めた事と、朝鮮における大鳥公使の内政改革関係の話が重要って事になるのかな?
まぁ、内政改革は具体的な話は一歩も進んでませんけどね。

日清戦争開戦まで(百六)

先月に引き続き、荻原警部の復命書について。
内容的には、清国の電信線専有状態の話が重要なのかな。
後は、執綱。
巷間の執綱所に関する言説って、どこまで正しいのかねぇ・・・。


日清戦争開戦まで(百七)

上記復命書とはまた別な、清国軍が水原経由で京城入りする噂の真偽に関する荻原警部の復命書と、朝鮮の内政改革関係の英文史料1件。
例え清国の影響を排除しても・・・ねぇ?(笑)


日清戦争開戦まで(百八)

軍用電信線関係、イギリスの調停失敗に伴う対朝鮮政策、ロイター通信の記事に関する調査の3種類の英文史料について。
対朝鮮政策に関して、未だに大鳥と陸奥の認識の違いが目立っている気はする。


日清戦争開戦まで(百九)

仁川港中立問題についての回。
各国公使とも、真剣味なさ過ぎ。(笑)


日清戦争開戦まで(百十)

元山の状況についてと内政改革関係の話。
重要さはほとんど無い。


日清戦争開戦まで(百十一)

清国の撤兵要求に対しての回答に関する閣議決定について。
忙しかったんで1本しか史料やってませんが、話としてはかなり重要。
このエントリーで書き忘れたんですけど、俗に言う「第二次絶交書」ですよね、これ。


日清戦争開戦まで(百十二)

朝鮮との内政改革交渉関係とイギリス外務大臣の意向報告についての英文史料。
陸奥の訓令の内政改革の程度について、大鳥無視し過ぎ。(笑)


日清戦争開戦まで(百十三)

日清戦争開戦まで(百十一)」での閣議決定に伴い、清国への回答及び各国駐在公使への通知が行われます。
つうか、「日清戦争開戦まで(八十一)」とかでイギリスと進めてきた開談条件とか全部無視だもんねぇ。(笑)


日清戦争開戦まで(百十四)

第二次絶交書に伴って、いよいよ開戦を視野に入れた指示が、小村と大鳥に飛びます。
もう一つは、これまでも何度か行われてきた、陸奥から大鳥への鉄道や電信、開港等の実質的利益の確保要求について。


日清戦争開戦まで(百十五)

内政改革の会談期日や場所に関する史料と、ロシア公使ウェベルの動向についてと、8月20日のエントリーの『親展送第44号』で行った日本政府の回答に対するロシア政府の意向について。
相変わらずハシゴ外すのが得意なロシア。(笑)


んー、今月は日数や取り上げた史料の少なさだけじゃなく、突っ込むべき所で突っ込めて無い・・・。
もっとがんばんないと。

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あれ?
7月12日の史料って、前回ので終了かな?
まだちゃんと整理できてなかったんで、気付かなかった。(笑)

ってことで、今日からは7月13日の史料に入っていくことにします。

まずは、『駐韓日本公使館記録2』から見てきましょう。
宛名の申大人ってのは、改革委員になった内務督弁の申正熙の事かな?
大鳥から申大人への、1894年(明治27年)7月13日付文書より。

敬啓者本公使擬於明日與貴督協辨会同議事応於何処何時会晤即布訂明垂
示為禱耑此順候
勛安
明日、貴督弁・協弁と会議する事があるんで、どこで何時に会うか決めてくれ、と。
勿論、内政改革関係の会議なんでしょうねぇ。

次。
今度は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/5 明治27年7月2日から明治27年7月19日(レファレンスコード:B03030206500)』から。
9画像目。
仁川の能勢領事から、この時外務次官だった林董への1894年(明治27年)7月13日付『臨本第19号』より。

北京駐箚露国公使ウエーバー氏は、同夫人竝に北京公使館附軍事事務官コロネルポコツク氏同伴、昨12日入港の我定期郵船玄海丸にて北京より来着。
今朝7時、陸路直ちに京城へ向て発致候。
右及報告候。
敬具
ウェベルが、夫人と軍事事務官を伴って、7月12日入港の日本の定期船「玄海丸」で北京から到着し、13日の朝7時に陸路で京城に向けて出発した、と。
ウェベルも、あっち行ったりこっち行ったり忙しいねぇ・・・。

続いて、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の37画像目。
在日本ロシア公使のヒトロヴォから陸奥への文書の翻訳文と思われる史料。
1894年(明治27年)7月13日付文書より。

ヒトロヴォ
外務大臣陸奥宗光閣下

6月30日(露暦18日)附第218号書簡に対し、7月2日附第44号書簡を以て回答の趣、速に本国政府へ通報致置候処、我至尊なる皇帝陛下の政府は、日本国皇帝陛下の政府の宣言中に、朝鮮国に対し侵略の意なく、且つ該国愈々静謐に復し変乱再発の虞なしと認めらるるに於ては、速に兵を撤せらるべき意旨あるを認め大に満足するところに有之候趣、貴帝国政府へ御通知可致旨本日本使へ訓令有之候。
我至尊なる皇帝陛下の政府に於ては、貴帝国政府が速に清国政府と協議を開かれ、前記の基礎に依て平和の局を結ばるることを切に希望致候。
我至尊なる皇帝陛下の政府は、隣国たるの故を以て朝鮮国に起りたる事変を傍観すること能はずと雖ども、今日の場合に於ける我政府の意志は、全く日清両国間に起らんと欲する葛藤を予防せんとするの切望に出でたるものと御了解相成■。
露国政府が日本帝国に対して包有する所の友好の情を再び茲に開陳することを得るは、本使の最も幸とする所に有之候。
本使は茲に、重て閣下に向て敬意を表候。
敬具

1894年7月1日(13日)
史料中にも「6月30日(露暦18日)」とあるとおり、ロシア暦とは12日の差がある模様。
グレゴリオ暦とユリウス暦の差かな?

その6月30日(露暦18日)附第218号書簡ってのが、8月6日のエントリーの冒頭で見た文書。
次の7月2日附第44号書簡が、8月20日のエントリーで見た『親展送第44号』ですね。

で、ロシア政府は日本政府の宣言中の朝鮮に対する侵略の意図は無く、朝鮮が落ち着き、変乱が再発する恐れが無いと認めたら、速やかに撤兵するという言葉に満足するって通知するように、本国からヒトロヴォに訓令があった、と。
ロシアは、日本が清国と速やかに協議を開き、前記の基礎によって今回の一件が平和裏に終わる事を望んでいる。

ロシア政府は、隣国という理由で朝鮮に起きた事変を傍観できないけど、現時点でもロシアの意志は、完全に日清両国で起きようとしている衝突を予防したいという 意志から出てるってことを分かって欲しい、と。

10月15日のエントリーでも、西公使から簡略な報告は受けていた話ですね。

つうか、「変乱再発の虞なしと認めらるるに於て」が認められているってのは、結構大きいんじゃないかな?
日本の言い分の中で、清国や朝鮮と食い違うポイントになってる部分だから。

勿論、それも含んだ基礎によって清国政府と協議も開いたんですよ。
清国が、全く聞く耳をもたずにひたすら撤兵要求したんで、決裂しただけで。(笑)

ってところで、今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(百六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(百七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(百八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(百九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(六十) 日清戦争開戦まで(百十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(六十一) 日清戦争開戦まで(百十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(六十二) 日清戦争開戦まで(百十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(六十三) 日清戦争開戦まで(百十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(六十四) 日清戦争開戦まで(百十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)


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バックアップマンセー!
ってことで、パソコンぶっ壊れて最新のバックアップは無くても、調査対象やら今後取り上げる予定の史料一覧を残していたので、一応セーフ。
パソコン新調して、一番最初に入れたソフトがDjvuってのは内緒。(笑)

つうか、こういう特殊なことやってると、お気に入りが無くなったり、登録してた単語とか学習してた言葉が無くなったのが、もの凄い痛い・・・。
まぁ、チマチマ修復していきますわ。

ってことで、早速本題に。
今日も英文史料から見ていきましょう。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/3 明治27年6月28日から明治27年7月15日(レファレンスコード:B03030206300)』の4画像目左側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月12日発『電送第327号』。

Komura,
Peking.

(4) Impart confidentially to British Minister my reply to Chinese declaration.
It appears that conflict has now become unavoidable.
Under these circumstances watch carefully and report anything that could be advantageously turned into our pretext in case of conflict.

Mutsu
清国の宣言に対する私の回答を、イギリス公使に内々に告げろ。
現在、衝突は不可避となったと思われる。
このような状況下で衝突する場合、我々に有利な口実となる事ができるのは何か、慎重に観察して報告しろ、と。

とうとう開戦を視野に入れた指示が。
まぁ、既に交渉決裂してるわけで、当たり前っちゃ当たり前なんですが。

続いては、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の55画像目右側。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月12日発『電送第328号』より。

Otori,
Seoul.

(38) After the failure of British mediation at Peking it is now necessary to take decisive steps; Consequently you will commence active movement on any pretext taking care to choose what is least liable to the criticisms in the eyes of the world.

Mutsu
北京でのイギリスの仲裁が失敗に終わったため、今では断固たる処置を取る事が必要だ。
従って貴下は、世界の批判を最も受けない何らかの名目を慎重に選択し、積極的な運動を開始しろ、と。

『蹇蹇録(レファレンスコード:B03030023800:5画像目)』の中で、「今は断然たる処置を施すの必要あり。何等の口実を使用するも差支なし。実際の運動を始むべし。」なんて、一見勇ましげな雰囲気で書かれている部分ですね。
taking care to choose what is least liable to the criticisms in the eyes of the world.」って、当時流石に書けなかったんだろうなぁ。(笑)

この辺なんか『蹇蹇録』しか読まずに色々と妄想している人が居ますが、ここまでの清国との交渉経緯や11月7日のエントリーの1894年(明治27年)7月11日発『電送第318号』とか見て、分かれや、と。
( ´H`)y-~~


さて、続いても同じく『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』から。
56画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月12日発『電送第329号』。

Otori,
Seoul.

(39) Received your telegram 23.
While you push forward our demands for reforms you should not spare any effort to secure material advantages such as railway, telegraph between 京城 and 釜山, opening of 木浦 etc.
本野 福島 will leave for 京城 七月十三日 9.45. p.m.

Mutsu
「23」ってのは、11月19日のエントリーでやった1894年(明治27年)7月12日発『電受第406号』ですね。
大鳥の勧告中、緊要な点について3日以内に確答しろって言ってやったってヤツ。

で、貴下は我々の改革要求を推進するのと同時に、例えば鉄道、京城・釜山間の電信、及び木浦の開港などの実質的利益を確保する、如何なる努力も出し惜しんではならない。

本野と福島は、7月13日午後9時45分に京城へ向けて出発する、と。
7月8日頃に来たばっかりなのに、とんぼ返りですなぁ・・・。


ってところで、まだ入力慣れしてないので(笑)、ちょっと短めですが今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(百六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(百七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(百八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(百九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(六十) 日清戦争開戦まで(百十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(六十一) 日清戦争開戦まで(百十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(六十二) 日清戦争開戦まで(百十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(六十三) 日清戦争開戦まで(百十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)


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これまた毎年の愚痴ですが。
雪降り過ぎだろ・・・。
( ´H`)y-~~

さて。
今日は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/3 明治27年6月28日から明治27年7月15日(レファレンスコード:B03030206300)』の2→1画像目。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月12日発『電送第324号』から見ていきます。

Komura,
Peking.

(3.) Communicate the following officially in writing to the Chinese Government, as reply to their declaration.
The disturbances which are of frequent occurrence in Corea have their source in the derangement of internal administration of that country.
Consequently the Imperial Government believe it best to encourage the Corean Government to eradicate the cause of disturbance by introducing internal administrative reforms and the Imperial Government considered that for the purpose of enabling Corea to accomplish the desired reforms nothing would be better than the conjoint assistance of the Government of Japan and China which have in common a vital interest in that country.
Accordingly the Imperial Government proposed to the Imperial Chinese Government that such assistance be given to Corea, but to their great surprise, the Imperial Chinese Government definitively rejected the proposal of Japan and limited themselves solely to a request for the withdrawal of the Japanese troops from Corea.
Recently Her Britannic Majesty's Minister at Peking animated by friendship and goodwill towards Japan and China tendered his good-offices and endeavoured to conciliate the differences existing between the two countries; but the Imperial Chinese Government still continued solely to insist upon the retirement of the Japanese forces and manifested no disposition to acquiesce in the views of the Imperial Japanese Government.
The only conclusion deducible from these circumstances is that the Chinese Government are disposed to precipitate complications (是則非貴国好事而何也); and in this juncture the Imperial Japanese Government find themselves relieved of all responsibility for any eventuality that may, in future, arise out of the situation.

Mutsu
彼らの宣言への回答として、以下を公式文書として清国に伝達しろ。

朝鮮で多発する騒乱は、朝鮮の内政の乱れがその原因だ。
従って帝国政府は、内政改革を導入することにより騒乱の原因を取り除くよう、朝鮮政府に勧める事が最善と信じる。
また、帝国政府は、朝鮮にとって望ましい改革を為し遂げるためには、朝鮮に極めて重要な利害関係を共通する日本と清国政府の共同支援以上のものは無いと考えた。

それ故、帝国政府は清国政府に対して、そのような支援を朝鮮に与えるべき事を清国政府に提議したが、大変驚くべき事に、清国政府は日本の提案をハッキリと拒否し、ただ専ら朝鮮からの日本軍の撤兵を要求した。

最近、在北京イギリス公使は、日本と清国に対する友情と好意により斡旋を申し入れ、両国に存在する意見の相違を調停しようと試みた。
しかし清国政府は、それでも単に日本の撤兵のみを主張し続け、帝国政府の意見に同意する意向が無い事は明白である。

これらの状況から推論できる唯一の結論は、清国政府は紛糾を引き起こす事を欲している。
そして、この状況で今後起こりうるであろうどのような事態も、帝国政府の責任から解放された、と。

結局、11月17日のエントリーの1894年(明治27年)7月12日付『親展送第82号』で見た、清国総理衙門王大臣に対する照会案を英文で伝達したものって事ですね。

続いては、同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/3 明治27年6月28日から明治27年7月15日(レファレンスコード:B03030206300)』の4→3→2画像目。
陸奥から大鳥への1894年(明治27年)7月12日発『電送第325号』及び、陸奥から西公使への1894年(明治27年)7月12日発『電送第326号』より。

Otori,
Seoul.

Nissi,
Petersturg.

(37) Chinese Government having declared that they would not enter into negotiations I officially replied through 在北京臨時代理公使 as follows:

The disturbances which are of frequent occurrence in Corea have their source in the derangement of internal administration of that country.
Consequently the Imperial Government believe it best to encourage the Corean Government to eradicate the cause of disturbance by introducing internal administrative reforms and the Imperial Government considered that for the purpose of enabling Corea to accomplish the desired reforms nothing would be better than the conjoint assistance of the Government of Japan and China which have in common a vital interest in that country.
Accordingly the Imperial Government proposed to the Imperial Chinese Government that such assistance be given to Corea, but to their great surprise, the Imperial Chinese Government definitively rejected the proposal of Japan and limited themselves solely to a request for the withdrawal of the Japanese troops from Corea.
Recently Her Britannic Majesty's Minister at Peking animated by friendship and goodwill towards Japan and China tendered his good-offices and endeavoured to conciliate the differences existing between the two Countries; but the Imperial Chinese Government still continued solely to insist upon the retirement of the Japanese forces and manifested no disposition to acquiesce in the view of the Imperial Japanese Government.
The only conclusion deducible from these circumstances is that the Chinese Government are disposed to precipitate complications; and in this juncture the Imperial Japanese Government find themselves relieved of all responsibility for any eventuality that may, in future, arise out of the situation.

(西公使へは、末尾に下の文を加ふ)
Inform 在英公使, 在米公使

Mutsu
清国政府が交渉に入らないと宣言したため、私は在北京臨時代理公使を通じて次のとおりに公式に回答した。

で、その公式回答ってのが、先ほどの1894年(明治27年)7月12日発『電送第324号』や11月17日のエントリーの1894年(明治27年)7月12日付『親展送第82号』と同じですね。

で、最後に在ロシア西公使に対しては、末尾に在イギリス公使と在アメリカ公使に伝えろ、と。

何か、久しぶりに長かった割に、中身重複し過ぎ。(笑)


ってところで、今日はここまで。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(百六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(百七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(百八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(百九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(六十) 日清戦争開戦まで(百十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(六十一) 日清戦争開戦まで(百十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(六十二) 日清戦争開戦まで(百十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



自分の体調も息子の体調も落ち着いたんだけど、今度はやる気が出ねぇ。(笑)
サボり癖がついたのかも。
まぁ、別に締め切りある仕事じゃないわけだし、マイペースで行こうと思います。

さて、今日はアジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の54画像目から見ていく事にします。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月12日発『電受第406号』より。

Mutsu,
Tokio.

(23) Again have met with committees 七月十一日 and told them to give definite answer within these days to the most important points in my advice.
The possibility of reform will depend upon the adoption of those points.

Otori


電信訳文

去る11日、再び委員と会し之に告るに、本使の勧告中緊要の諸点に対し3日を期して確答を為すべきを以てせり。
改革の成否は、右要点を採用すると否とに依る。
この「緊要の諸点」ってのは、10月8日のエントリーの別紙丙号の「右各項の内、左の事項は3日を限り議定し、10日内に着手す可きものとす。」って項目の事でしょうね。

ってことで、3日以内に確答しろ、と。
で、改革が成功するかどうかは、この要点を採用するかどうかだ。

つうかさ。
何回も言うようだけど、7月16日のエントリーの内信で、陸奥から「我に向て必ず之を実行する事を約束せしむるの外、差向き評判宜からざる人物を免黜遷転せしむる事にて満足可致置。」とか、「裁判・会計・兵制・警察・幣制に関する各項に至ては、今といふて今実行し得らるべき事にも無之候へ共、差向き必ず改良すべしといふ明約を取附置候而已にて満足可致置。」とか言われてただろ。
もうとっくに届いてる筈なんですが。
シカトぶっこき?(笑)

続いては、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の36画像目。
イギリスの青木公使から陸奥への、1894年(明治27年)7月12日発『電受第411号』。

Mutsu
Tokio

Minister for Foreign Affairs who still entertains friendly attitude confidentially informed me that he invited last Saturday Russia, France, Germany and United States to join with England and persuade China to accept your proposal and Germany agreed promptly but others not yet.
Minister for Foreign Affairs observed this step is taken to avoid sole intervention of Russia, on the other hand he thought war may have already broken in view of report on times that Japan sent more troops.

在英公使
イギリスの外務大臣は、まだ友好姿勢を抱いており、内々に私に告げた、と。

先の土曜日、日本の提議を受け入れるよう、イギリスと共に清国を説得するよう、ロシア、フランス、ドイツ、アメリカに申し込んだ。
ドイツは直ちに同意したけど、他はまだ分からない。

この措置は、ロシアが単独で干渉する事を避けるためのものだ。
一方、タイムズの報道によれば、日本が追加派兵をしたという事なんで、既に開戦したのかとも思える、と。

青木公使の報告、イマイチ信用できねぇ気がするのは偏見なのかなぁ・・・。(笑)


ってところで、今日もちょっと早めに。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(百六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(百七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(百八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(百九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(六十) 日清戦争開戦まで(百十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(六十一) 日清戦争開戦まで(百十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



今日は前置きなしで、アジア歴史資料センターの史料を見ていく事にします。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の26~28画像目。
1894年(明治27年)7月12日付『親展送第82号』。

昨日の閣議之趣旨に従ひ、別紙在北京小村臨時代理公使より清国総理衙門王大臣えの照会案、閣議に提出す。


(7月12日閣議決定)
照会案

朝鮮国に於ける内訌変乱の屡々起る所以は、其内政の治らざるに職由す。
故に帝国政府は、該国政府をして其内政を改良せしめ、因て以て其変乱の根源を掃絶せしむるに如くはなしと信ず。
而して、之を実行せしむるには、該国と痛癢の関係を共にする貴我両国にて助力を與ふるに如かずと思惟し、之を貴国政府に提議せしに、詎ぞ料らん貴国政府は截然我提議を排斥せられ、而して只だ専ら我が撤兵を促されたり。
頃日又貴国駐箚英国公使が、貴我両国に対する友情を重じ、好意を以て居仲周旋し、貴我の岐議を一に帰せしめんと務められし所ありたるも、貴国政府は依然として只だ我が撤兵の事のみを主張せられ、更に我意見を納れられんとするの色なし。
是れ則ち、貴国政府が事を好むものに非らずして何ぞや。
事局既に此に至る。
将来因て以て生ずる所の事体は、帝国政府の責に任ずる所に非ざるなり。
7月11日に、何らかの閣議があった模様。
それに基づく、清国に対する照会案が閣議に提出されたんですね。
27画像目の欄外を見ると、7月12日に照会案が閣議決定。
同日、起草、発送された文書という事になります。

んで、その照会の中身。
朝鮮国で内乱が度々起きるのは、内政がちゃんとしてないからだ。
だから日本は、朝鮮にその内政を改良させ、それによって変乱の根源を無くするのが最善だと信じている。
しかし、これを実行させるためには、朝鮮と痛痒の関係にある日本と清国の両国で助力するのが良いと思って、これを清国に提議したのに、思いがけず清国政府はハッキリと日本の提議を拒絶し、ただひたすら日本の撤兵を求めた。

近頃、清国駐在のイギリス公使が、日本と清国に対する友情を重んじて、好意をもって周旋して、日本と清国の協議をまとめようと努力したけど、清国政府は依然としてただ日本の撤兵だけを主張し、更に日本の意見を受け入れようとする気配が無い。
これ即ち、清国政府が重大な事態になることを好むものでなくで何だろう。

時局が既にこうなってしまった。
将来このために生じた事態は、日本政府の責任ではない、と。

ってことで、清国が話し合い拒否ったんだから、もうどうなっても知らんよ。
今後何が起こっても、俺の責任じゃねーからな、と。
着々と手順進めてますねぇ・・・。
つうか、清国が近代的な条約体制っつうものが分かって無いというか、出来てないというかなんで、下手ばっかり打ってくれて、勝手に話進んでるだけな気もしますが。(笑)


息子退院したんですが、色々バタバタしてたんで、今日も早めに。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(百六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(百七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(百八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(百九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(六十) 日清戦争開戦まで(百十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



息子が入院したので、水曜日はお休みにしちゃいました。
半ばこの季節のルーチンみたくなっちゃってるわけですが・・・。
つうか、俺自身も低調な状態を脱していないんですけどね。

そんな中で、7月11日の史料は前回のやつで最後なのかな?
ってことで、今日からは7月12日の史料に入って行きましょう。

まず最初は、『駐韓日本公使館記録2』から。
久しぶりな気もする、ワンダーランド元山の上野領事から大鳥への文書。
1894年(明治27年)7月12日付『機密第10号』より。

本月1日付機密第9号信発送以来、本地の景況別に相変候事無之、惟だ日清間交渉事情に関し、韓人の間には種々雑多の取沙汰致居候而已に候。
一昨日永興府より当地に来りしものの説に拠れば、近頃清国陸軍士官3名(一説には、士官3従行者4名なりと云ふ)永興府の各地方を徘徊致居候哉の風説、専ら有之。
尤も、此れは果して士官なるや否其実際を確かめたるものは無之、且つ何処を通過して何地方より永興に来りしか、其辺も探知致居候もの無之。
誠に漠然たる説には有之候得共、此節柄或は斯かる挙動なしとも申され難きに付、目下折角探偵中に有之候。
若し公然士官の名義を以て通行する事なれば、其筋より徳源府或は本地監理処杯には何とか通報あるべきに、昨日までは何たる事も相知居不申候。
又た、当地韓人等の説にては、右士官の永興に来りしは、1,500人の清国兵員北部より進来の筈に付、諸事準備の為め先着したるものならん杯専ら伝説致居候。
此等固より例の虚構の説たる事論を俟ざれども、只だ御含の為め申進置候。
前便第7号機密信を以て申進置候、当地居留人民保護上の事に付ては、定て適宜の御処置相成候事と存居候。
本地目下の形勢は、別に掛念可致程の事実は万々無之候得共、前便にて稟報致置候通り、此際当港のみ未だ一隻の軍艦も繋泊致居らず、殊に本地の如き遠隔の地方に在ては実際の事情に明瞭ならざる丈けに、種々の風説も累出し、隨て人心何となく危懼を生ずるは事情の免かれ難き事と被存候。
依て卑官は時々告諭致し、徒らに世間の流言に惑はず、其業に安んずる様可成押鎮居候間、差向き軍艦一隻なりとも来泊の都合に相成候はば、自然安堵可致と被存候。
其辺御諒察、何卒可然御取計相成度候。
只今、海関臨時便有之趣通知を得候に付、不取敢此段申進候。
恩々敬具
相変わらず役に立たない情報ばっかり送ってきて・・・。(笑)

永興府から元山に来た者の話では、最近清国陸軍の士官3名が永興府の各地方を徘徊してるって噂がある。
でも、士官かどうかを確かめた者は無く、どこからどこを通って永興に来たのかも知っているものが居ない。
非常に漠然とした噂だけど、時期も時期だしそういう事もあるかも知れないと思って現在調査中、と。

もし士官の身分で通行しているなら、徳源府なり元山監理署なりに通報があるべきなのに、現在のところ彼らも何も知らないらしい。
また、元山の韓国人の噂では、士官が永興に来たのは、1,500人の清国兵が北から来るはずなので、色々と準備するために先乗りしたんじゃね?と。

もちろんこれらは、いつもの虚説なのは論を待たないけど、ただ一応報告しとくね。
つうか、「『例の』虚構の説たる事論を俟ざれども」て。(笑)
こういうの見るたびに、イザベラおばさんの「どんな男もできるかぎりニュースを集め、あるいはつくる。耳に入れたことを嘘と誇張で潤色する。朝鮮は流言蜚語の国なのである。」を思い出しちゃうんだよねぇ・・・。

で、4月14日のエントリーでやった1894年(明治27年)6月25日付『機密第7号』で言っておいた、元山の居留民保護については適宜処置してくれると思う。
まぁ、元山には特に懸念すべき事も無いんだけど、1隻の軍艦も停泊してないし、元山のような遠隔地では正確な情報も入ってこないだけに、色々な噂が重なって出てきて、人心も何となく危惧するようになるのは仕方ないと思う。
ってことで、上野は時々「徒に世間の噂に惑わされずに、自分の仕事に精を出してね」と言い聞かせてるけど、取りあえず軍艦の1隻でも来てくれれば自然と安心すると思うんだよね、と。

つうか元山、半島の反対側だしなぁ・・・。
軍艦張り付かせるどころか、顔見せに行くのもちょっと、だよなぁ。(笑)

んで、続いても『駐韓日本公使館記録2』から。
大鳥公使から朝鮮政府への、1894年(明治27年)7月12日付『第76号』より。

敬啓者所有勧勉釐政事宜曽於我暦本年七月初七日第七十号公文抄附擬辨綱領照会
貴督辨査照在案旋准貴暦甲午六月初七日第十七号
来文内開足見貴政府念切友睦殊堪欣悦除由我政府遴派内務督辨申正熙協辨金宗漢曹寅承云々等因准此本公使閲悉之下足徴
貴政府従善如流允依我政府勧勉之言本公使深庸欣抃即遵来示業於初十十一両日與
貴政府委派各員会同出示擬辨綱目併将未盡之義詳為解説矣茲特将擬辨綱目抄呈一分以進述日前擬辨綱領細目即希耑此
貴督辨核閲一過庶幾此中原委瞭然会通也耑此佈達順頌
台祉
7月7日の第70号って何だっけ、と思ってたら、10月3日のエントリーでやった乙号の事ですね。
7月7日の史料取り上げてた頃の、必死になって探して見つからないと思ってたら・・・。(笑)

その、7月7日の第70号に綱領添付して照会した。
で、陰暦6月7日の第17号ってのは10月8日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け文書の事かな?。
その文書で友睦に気遣ってくれてサンキュー、と。

文書中「我政府遴派内務督辨申正熙協辨金宗漢曹寅承」とあり、それを受けて7月10日、11日の2日間に委員と会同して、綱領を見せて詳しく解説しといた。
綱領一部書き写して細目と一緒に送るんで、閲覧して分かってくれよ、と。

あんまり大した話じゃなかった・・・。


ってことで、今日もちょっと疲れ気味なんで、早めに。


日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(百一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(百二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(百三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(百四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(百五)
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日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十) 日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(九十八)
日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(九十九)
日清戦争開戦まで(五十) 日清戦争開戦まで(百)



今日は前置き無しで。
アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/2.仁川港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143600)』を見ていきます。
26画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』より。

仁川港をして兵禍を免がれしむる件

清国兵入韓以来、我兵も亦追々京城仁川に渡来致候処、今回事件の成行如何によりては、仁川港の安寧に関係する処少なからざるべきを以て、先年清仏葛藤の際上海を中立地となしたる例により、該港を中立地とすべき旨、同港在留外国人等中に主張致居候もの有之候処、遂に同港英副領事より当地総領事代理へ申出て、同総領事より当時筆頭米公使へ、本件に付使臣会議開会の義申出でたる趣を以て、同公使より本官へ移牒致越候。
然るに、従来当地使臣会議には袁世凱氏出席不致例なれども、本件の如きは同官は勿論、朝鮮政府よりも督弁臨席致候方可然と存じ、本官より駐剳使臣一切■同相催すべき旨督弁へ注意致候処、去る7日統署に集会可致旨申来候間、同日松井書記官並に国分書記生を帯同し統署に赴き候処、別紙議事録の通り要領を得ず、更に10日を以て集会致すべき事にて当日散会致候。
然るに、同日午後3時よりは当国内政改革委員と会議可致積りに有之、同使臣会議へは臨席難致候に付、兼て第20号電信を以て申進候通り、別紙覚書の事項に同意を得るにあらざれば、本件は断然同意難致旨、書面を以て督弁迄申送り候。
然るに、天津よりウェーバー氏帰韓の電報ありたるが為め、俄臨時代理公使並に仏領事共、同氏の帰来を待備へ当日統署に出席致さず、旁他使臣共ウエーバー氏帰来の後開会候方可然との考に付、更に来る16日会同致事にて当日散会致したる趣に有之候。
■今日迄の成行具申及候也。

追て、昨10日の会議録督弁より送越候間、御参考迄に別紙丙号の通り写取り■進候。
其内、本官の申込と不同処並に不都合の点は、次会に於て訂正可為致積りに有之候。
何度か出てきた仁川港中立問題ですが、仁川のイギリス副領事から京城のイギリス総領事代理、イギリス総領事代理から使臣筆頭のアメリカ公使へ、仁川港中立問題に関する使臣会議を開こうという申し出があったらしく、アメリカ公使から大鳥へ使臣会議開催の通知が来た、と。

でも、これまでの使臣会議は袁世凱が出ないのが通例だったけど、今回のような案件は袁世凱や朝鮮の督弁も臨席する必要があるんじゃね?ってことで、大鳥から督弁へ全部の使臣集めて会議すべきじゃね?と言っておいたら、7月7日に統署で集会する事を言ってきたわけです。

で、松井書記官と国分書記生を連れて統署へ行くと、別紙のとおり要領を得ず、結局7月10日にもう一回集まるべしって事で、当日は散会しちゃった、と。

ただ、その7月10日は午後3時から内政改革委員と会議するつもりだったんで、使臣会議は欠席。
で、10月13日のエントリーの1894年(明治27年)7月8日発『電受第391号』で言ったとおり、別紙覚書の事項に同意を得られなければ同意できない旨を、書面で督弁に送っておいた。

しかし、天津からウェベルが帰ってくるという電報があったため、ロシアの臨時代理公使とフランス領事とかは、ウェベルが帰ってくるのを待って使臣会議に出席せず、他の使臣もウェベルが帰ってきてからにするべって事で、7月16日に集まることにして散会したようだ、と。

で、これに別紙がついています。
まずは、先ほどの1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』で「議事録」と言われてたもの。
28画像目からの、別紙甲号。

明治27年7月7日午後3時
統理衙門会議録

出席員
督弁、日本公使、俄臨時代理公使、英総領事代理、独領事、仏理事署務代理、清国駐在官

趙督弁、開会の手始として、本日の会議は去る5日、日本公使の来翰に基き各位の来集を煩したる旨を述べ、且つ本日は我が政府顧問官李善得及具礼(グレートハウス)を出席せしむ可き旨を述べ、次て大鳥公使に向ひ、何か御意見あれば御発言ありたしと云へり。

大鳥曰く、本会たるや、始め英総領事代理の発意に出でたるものなれば、同官始め其他諸君に於て御意見あれば発言ありたし。
本官は、今別に発言することなし。

英総領事代理
本日会議の目的は、仁義公道に基き稍確定せる万国公法中「ニュートウリゼーション」の規則を当国に適用するにあり。
今本会議出席の各位は、欧州并に東洋の各強国を代表せらるるに付ては、諸君の同意して確定したるものは必ず実際に行はるるものなるを以て、本官は充分諸君の討議を尽されんことを希望す。
然れども、今本件の細論に入るに先だち、本官は外務督弁閣下に向って希望するものあり。
閣下が本官に送られたる公文によれば、各国政府は兵を当国に派したり云々と記載あれども、日本及清国を除くの外、他の諸国は曽て一兵だも当国に差送りたることなし。
依て、議事に入るに先だち本文を修正ありたし云々、長々と弁し去りたり。

此時督弁は、其照会案を持来るべき旨傍の官吏に命じたれども容易に見当らず、其内俄公使より督弁に送りたる啓文ありしに付、之に依て派兵の文字を取調べたるに、「派兵艦」とあるべきを寫字の誤りにて、英館への照会には艦の一字を脱したるが為め単に派兵とありしこと相分り候に付、英総領事代理も大に力の抜けたる様子なりしが

兵艦の艦の字を脱したりとするも、本官は猶此に向て各位の注意を促さざるを得ず。
本官の見る所にては、英政府は素より各国政府とても決して兵艦を派したるに非ずと信ずる而已ならず、兵艦の仁川に来りたることは、清国及日本兵の来りたると何等の関係あるにあらず、単に平和の際各国の開港場に往来し、交誼友睦の意を其国に表するの趣意に出でたることなれば、此意を督弁閣下に於ても充分に了承ありたし。
右に付、俄・独の使臣も略ほ仝意を表する旨内々の談話ありしも、別に立て演説する■することなし。
此時、袁世凱は立て

兵艦派遣云々のことは本日の議事と何等の関係なく、本日会議の目的は、将来当国に或は来ることあるべき清国兵と日本兵と或は衝突するやも難計に付、其際を予期して萬一の準備をなさんとするに外ならざれば、此意を以て討議せられんことを希望す。
且つ本官は、諸君に向て目下南方にある清兵は、仁川港に対し何等危険を与へざる旨を声明することを憚からざる可し。
と述べたる後は、唯数十分を経過し、督弁には殆んど為す所を知らず、■然たる様子に付き具礼は此間に奔走し、右は別に本日会議の目的と大関係なければ、大概に看過し、更に必要の発議提出すべき様英総領事代理に注意し、俄臨時代理公使は米公使に勧めて決議案を提出せしめつつありし処、遂に米公使は立て、

本日会議に上るべき問題は、頗る重要にして熟考を要するものなれば、本日は一先づ左の趣意にて散会し、追而し明後日にても更に会同しては如何。

Resolved that it is the sense of this meeting that all foreign settlements in Corea and all places open by treaty to foreiners for trade and residence including Seoul and the road from it to chemnlpo should be neutral ground enjoying immunity from military accupation and warlike operations.

と発言し、俄臨時代理公使之に賛成し、袁世凱氏は右発議案を各開港市場、京仁間の道路及び朝鮮政府の指定する場所と修正したき旨述べたるに、大鳥公使は

本日は仁川港をして可成兵禍の難を避けしむる為めに議事を開きたるに、今議論の成行を見るに独り仁川港而已ならず、各開港場其他に迄も之を及ぼさんとするに至りては実に案外なり。
斯くては、事甚だ重大にして、本官は政府に伺ひたる上ならでは、茲に何等の意見を陳述することを得ず。
と述べたる所、何れも少しく出し抜かれたる様子にて、大鳥公使の言は尤もなりとて多くは之に賛成を表し、米公使は右の決議案を取消し、更に次回会仝の節は、仁川港に関してのみ討議せんことに修正案を提出したる処、何れも之に同意し、次の火曜日午後3時を以て更に集会することに決して、当日の議事を散ぜり。
時に午後6時頃なりし。
話の中身自体がgdgdなんで、詳しい部分はやらないでおきます。
32画像目からの別紙乙号の方も省略。
風邪がまだ長引いてて、あんまり考えたくないってのは無・・・くもないかもしれない。(笑)
まぁ、中身的にも冒頭の1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』で概要が話されてるとおり、特に取り上げるような内容でもないし。

簡単に言えば、イギリス総領事代理が朝鮮政府の出した会議通知に文句つけて、アメリカ公使は決議案を作る。
そんな中で大鳥は、「そんなん俺が決める権限あるはずねぇーだろ。( ´H`)y-~~ プハー」。
ってことで、10日にまた集会することになった、と。

つうか、危うく仁川港だけじゃなく、他の開港場等も中立になるかも知れなかったんですねぇ・・・。


ってところで、今日はここまで。



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先週の中頃からひいてる風邪が治りません。
困ったもんで。
活動が全般的に停滞中。
そんな中でもブログは書いてみたり。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センターの『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』から見ていきましょう。
23画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月11日発『電送第316号』。

Otori
Seoul

35. 川上陸軍中将 request me to inform you that instructions have been sent to 1st and 2nd 軍用電信隊 respectively, that the first project for construction of telegraph line has been altered and new project, which is to run from 釜山 through 大邱 尚州 忠州 to 京城 has been adopted.

Mutsu
川上陸軍中将は、最初の電信線架設計画が変更され、釜山から大邱・尚州・忠州を経て京城に至る新しい計画が採用され、第一、第二電信隊それぞれに指示が送られた事を貴下に知らせる事を要請した、と。

10月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月10日付『発第10号』の話でしょうね。
つうか、省略しすぎじゃね?(笑)

続いては、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の53→52→51画像目から。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月11日発『電送第318号』より。

Otori
Seoul

36. If you present our demands one by one and separately refused by Corean Government, we will be finally placed in an awkward position, consequently you are now authorized to present in writing to Corean Government our whole demands contained in instructions brought by 栗埜 also adding our demand for opening 木浦 to our commerce, and impress upon Corean Government that as long as they do not agree to our demands, we would be compelled to keep our troops in Corea and that in case of undue delay Corean Government must eventually be held responsible for military accommodation by 済物浦 treaty.
Received your telegram regarding appointment of Corean committee.
I desire to know names of commissioners, but above all, it is necessary for you, to get assurance from Corean Government that the committee has full powers for effecting the proposed reform.
Regarding message brought by 本野 in case of military assistance requested by Corea under royal seal you are hereby authorized to comply.
The foregoing measure are not only taken to press Corea to come to terms but also to use them as means to give provocation to China.
Good offices in Peking of British Minister failed.
Cabinet is now considering course to be pursued against China.

Mutsu
もし貴下が我々の要求を一つづつ提示し、朝鮮政府が別々に拒否すれば、我々は最終的にまずい立場に置かれるようになるだろう。
そのため、今貴下に栗野が持って行った指示に含まれる全ての要求に、我々の通商のための木浦の開港要求を付け加えて、朝鮮政府に文書で提出する権限を与える。

そして、朝鮮政府に我々の要求に同意しない限り朝鮮に駐兵し続けざるを得ず、もし過度に遅らせた場合、済物浦条約による軍の宿泊施設に対して責任を、最終的に果たさなければならない事を印象づけろ。

朝鮮人委員の任命に関する貴下の電文は受け取った。
委員等の名前を知りたい。
しかし、何よりも必要なことは、その委員が提案された改革を遂行する全面的な権限を持つ事を、朝鮮政府から保証される事だ。

本野が持ってきた文書に関して、朝鮮から王の裁可を受けて軍事援助を要請された場合、これに応じる権限を与える。

前述の方策は、合意のために朝鮮に圧力をかけるだけでなく、清国を挑発する手段としても使われる。
在北京英国公使の調停は失敗した。
内閣は現在、清国に対する方策を検討中だ、と。

前回の1894年(明治27年)7月11日付『電受第401号』を受けて出されたものって形になるのかな?

つうか、この頃には「清国を挑発する手段」になったんですねぇ。

次は、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』より。
55画像目右側。
陸奥からロシアの西公使への、1894年(明治27年)7月11日発『電送第319号』。

Nissi
Petersburg

Reuter's telegram says the Powers presented note calling upon Japan and China to withdraw their troops to which China consented make inquiries and report.
Transmit the above instruction to 在英日本公使 and 在仏日本公使.

Mutsu
ロイター通信が「列強は、清国が同意した日本と清国に撤兵を求める覚書を提出した」と伝えている事について、調査し、報告しろ。
前述の訓令を、在イギリス日本公使と在フランス日本公使に伝達しろ、と。

で、これと同様の指示が北京の小村公使にも送られています。
同じく55画像目の、今度は左側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月11日発『電送第320号』より。

Komura
Peking

No.2, Reuter's telegram says the Powers presented note calling upon Japan and China to withdraw their troops to which China consented make inquiries and report.

Mutsu
前述の西公使への指示から、在イギリス公使と在フランス公使への転送の件が省略されたものですね。

つうかさぁ・・・。
10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月8日発『電受第389号』で、青木がロイター手に入れたとか言ってなかったっけ?
どの辺を手に入れたんだよ。(笑)


今日はここまで。



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