んー。
アジ歴にも無くて、日本外交文書にも見当たらない電信って、どうやっても見落としちゃうなぁ・・・。
つうか、『駐韓日本公使館記録』の中でも文書番号が無く、控えとして記録してる分に辛うじて残っているような状態なんで。
見つからなくても仕方ないよね。( ´H`)y-~~

ま、文書番号も無く、原本も無い史料は取り上げるの気乗りしないんですが、文書中に連番が付いてる文書だけでも取り上げないと、話が通じない事もありますし。
と、言い訳してから見落としフォロー。(笑)
ってことで、以下『駐韓日本公使館記録』から。
まずは、1894年(明治27年)6月30日発の電信から。

(16) Send by telegraph to 仁川 as additional allowance 7140 Yen, out of which distribute 140 Yen to each 奏任官, at 京城 and 仁川, 80 Yen to each 判任官, 36 Yen to each policeman.
Receive 300 Yen for yourself, give 500 Yen to 加藤外務書記官, keep 3,000 Yen as extraordinary fund.
Details by mail.
んー、電信冒頭のNoが前後してる気がする・・・。

まぁ、内容的には大したことありません。
割増手当7,140円を仁川に送れ。
その中から京城と仁川の各奏任官に140円、各判任官に80円、各警察官に36円を分配しろ。
300円は貴下が受領し、500円は加藤に与えろ。
3,000円は臨時資金として保管しろ。
詳細は郵便で、かな?

いいなぁ、手当増。(笑)

で、続いて1894年(明治27年)7月4日発の電信。

(18) Some 判任官 appointed before while others lately and some busy while others not, I will distribute special allowance in your telegram of 六月三十日 to them according to such distribution as I deem impartial.
I will also give some to students.
Have sent 袁世凱 strong protest against proclamation of 聶.
Received your telegram 24.25.
判任官には、任官時期の差や業務量の差があり、6月30日の貴下の電信の特別手当の分配は、私が公平だと思う分配に従って支給するだろう。
また、学生にも同様にいくらか支給するだろう、と。
ま、ここまでは先ほどの電信の返事。

で、聶の布告について強い抗議を袁世凱に伝えた、と。
9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発『電送第290号』に基づく抗議でしょうね。

最後に、貴下の電信24号と25号を受け取った、と。
24号ってのは、8月27日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第279号』。
25号が9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発の電信ですね。

んじゃ、次に1894年(明治27年)7月5日発の電信。

(29) Your telegram of 18 received.
You can distribute in such a manner as you think best and you can also spend the remaining sum in any way whatsoever at your discretion.
I have already remitted 10,000 Yen as per my telegram 16, 21 and hope are enough for your requirements.
上のNo18の電信を受け取った。
貴下は、貴下が最善と考えるような方式で分配でき、残余金も貴下の裁量によりどのように使う事ができる。
私は、電信16号、21号により1万円を既に送り、貴下の要求を満たす事を願う、と。

んー、16号と21号が見つからない・・・。
7月23日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』では、大鳥が1万円要求したけどねぇ・・・。
まぁ、そんなに大事そうな話じゃないし、良っか。(笑)

続いて、同じく1894年(明治27年)7月5日発の電信。

(19) 聶 now on the way to 水原 from 全羅道 and may arrive there within a few days.
It is rumored here that he may come in 京城 under the pretext of audience with 2000 troops.
This appears to be well founded because some preparations are being made at 果川 for their arrival.
If it becomes more certain I am going to urge Corean Government not let him enter into 京城 with such a large force and at the same time to 袁世凱 with the reasons that it will bring violent collision between Japanese and Chinese soldiers in 京城 which will cause great damage to lives and properties and must be prevented by all means on the ground of humanity.
If 聶 enters 京城 with large force in spite of my protest I shall prevent them by force.
聶は現在全羅道から水原に来る途中であり、数日のうちに到着するはずだ。
こちらでは、彼が謁見を口実に2,000人の軍を引き連れて京城にくるという噂がある。
彼らの到着に備え、果川に多少の準備を整えていることから、この噂は十分な根拠があるようだ。
もし、それがより確実になれば、私は朝鮮政府と、同様に袁世凱に対して、入京は日清両国の軍隊間に激しい衝突の原因となり、生命と財産に大きな被害をもたらす筈だから、人道主義的立場で何としてもこれを阻止しなければならないという理由で、そのような大軍を京城に入れる事を許可しないように要請する筈だ、かな?

清国軍の水原入りの話は、5月30日のエントリーの混成旅団報告なんかでも出てましたね。

で、もし私の抗議にも係わらず、聶が大軍を連れて入京すれば、我々は武力によってでも彼らを阻止するだろう、と。

つうか、8月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電送第270号』なんかでも、「refrain from any violent offensive measures」って言われてんだろうが!
少しは頭使えよ!( `H´)y-~~

次は、ようやく連載に追いつく、1894年(明治27年)7月6日発の電信。

(30) Regarding your telegram 19 no objection to protest to Corean Government and 袁世凱 against entry to 京城 of 聶 with large troops as you proposed, nor do Japan shrink from coming to collision on actual provocation.
But taking offensive steps by preventing his entry by force does not give us reasons because we have represented to foreign powers as I informed you already that Japan would never go to war unless defensively compelled to do so.
British Government is very anxious to give good offices between Japan and China and after repeated correspondence between Peking, London, and 東京, I have finally replied to them that Japan may be disposed to entertain proposal if it comes from Chinese side on the following basis.

1st: no question of independence is to be raised by Japan on condition that China will not raise the question of dependency.
2nd: Corean administration to be organized in the sense of second clause of my original proposal.
3rd: withdrawal of troops to be so arranged at the commencement of negotiation as to obtain future security for Japan.
小村 is working with British minister in China regarding the matter.
Under these circumstances avoid offensive conflict without actual provocation.
貴下の電信19号について、聶の大軍の入京に対して、朝鮮政府と袁世凱に抗議しようという貴下の案に異論はない。
そしてまた、日本は実際の挑発によって発生する衝突についてもまた恐れない。

しかし、既に貴下に知らせたように、日本は自衛のためやむを得ない場合を除き、決して開戦しないと列強に明言しているため、清国の入京を武力で阻止するという攻撃的手段をとることは、理にかなわない。

ほら。
やっぱり指摘された。(笑)

で、イギリス政府は日清間の調停に非常に苦慮しており、北京、ロンドン、東京間で通信を重ねた後、私はもし下記を基本として清国側から申し入れがなされれば、受け入れてもよい意向を最終的に返答した。

第一に、清国が朝鮮の属邦問題を取り上げないという条件で、日本も独立問題を申し立てない。
第二に、朝鮮の政権は、日本の最初の提案の第2条を基に組織される。
第三に、撤兵は、日本の将来的安全の確保に応じて、交渉の冒頭で取り決める。

小村は、この問題に関して在清イギリス公使と取り組んでいる。
このような状況下で、実際的挑発なしで衝突する攻撃的な態度は避けろ、か?

つうか、内政改革がポーズ云々の話もそうだけど、陸奥って、単に外交上の言質を守ってるだけじゃね?


非常に長くなりましたが、今日はここまで。



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