前回は、1894年(明治27年)6月27日に閣議決定を受けた、朝鮮に対する日本の勧告の前半4つを見ました。
やっぱり、善政・悪政云々じゃなくて、当たり前の事やれよとしか言ってない感じ。(笑)

ってことで、今日もアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の43画像目から。
1894年(明治27年)6月27日『親展送第76号』の続き。

幣制云々の項に付ては

目下該国の通貨は濫鋳粗造、国家の経済を紊り貿易上の不便言ふべからず。
故に、宜く新たに一定の幣制を設け、通貨を鋳造し、益々貿易の便を謀るべし。
基本、当五銭の事を述べてるのかな?
勿論、濫鋳や粗造だけでなく、私鋳等もあったわけで。
品質の面だけではなく、額面自体も貿易するには全然足りないわけで。
1,000円分の韓銭数えるのに1日経っても終わらないとか、イザベラおばさんのように100ドル運ぶのに馬1頭か男6人がかりでないと運べないとか。

また、以前エンコリで「■投げっぱなし」というスレを挙げましたが、1892年(明治25年)の新式貨幤條例による改革の試みも、大三輪長兵衛と増田信之の軋轢や、朝鮮官吏がそれに乗じて私利を貪ろうとするわ、清国からは貨幣の「大朝鮮」や年号の書き方等が属国の慣例に反するものだと文句付けるわ、「清国政府は之を反論して、夫れは単に外交上の場合を指示するものにて、内政に至りては未だ此の如き例を許せしことあらずと主張」するわで大変。(笑)

ってことで、朝鮮でも何度か貨幣に関する改革が試みられるんですが、悉く失敗するんですよねぇ。
つうか、決まった貨幣制度も無いわ、貨幣価値はコロコロ変わるわでは、対外貿易も成り立ちにくいわけで。

で、次で最後の7項目目。

交通云々の項に付ては

元山・仁川・釜山其他要地えの電信線を新造又は改造し、釜山・京城其他の地に鉄道を布設し、又成るべくは郵政を全国に布き其他往来交通の便を増すことを謀るべし。

右及訓令候。
敬具
電信・鉄道・郵政。
商業基盤を整備しろって事でしょうね。

さて、ちょっと寄り道。
陸奥宗光が『蹇蹇録』の中で(『蹇蹇録/第五章 朝鮮ノ改革ト清韓宗属トノ問題ニ関スル概説(レファレンスコード:B03030023300)』3画像目)述べている、有名な一節があります。

余は固より朝鮮内政の改革を以て、政治的必要の外何等の意味なきものとせり。
亦、毫も義侠を精神として十字軍を興すの必要を視ざりし故に、朝鮮内政の改革なるものは、第一に我が国の利益を主眼とするの程度に止め、之が為め敢て我利益を犠牲とするの必要なしとせり。
且つ、今回の事件として之を論ずれば、畢竟朝鮮内政の改革とは素と日清両国の間に蟠結して解けざる難局を調停せんが為めに案出したる一箇の政策なりしを、事局一変して竟に我国の独力を以て之を担当せざるを得ざるに至りたるものなるが故に、余は初より朝鮮内政の改革其事に対して格別重きを措かず。
又朝鮮の如き国柄が果して善く満足なる改革を為し遂ぐべきや否やを疑えり。
然れども、朝鮮内政の改革は今や外交上一種の活問題となり、我政府は兎も角も、之が実行を試ざるを得ざることとなりたれば、我国朝野の議論が如何なる事情源因に基きたるが如きは之を問うに及ばず、兎に角此一致協同を見たるの頗る内外に対して都合好きを認めたり。
余は此好題目を仮、已に一回破裂したる日清両国の関係を再び調和し得べきか、若又終に之を調和する能わずとせば、寧ろ因て以て其破裂の機を促迫すべきか、兎も角も陰々たる曇天を一変して一大強雨を降らすか、一大快晴を得るかの風雨針として之を利用せんと欲したり。
何故か、「政治的必要」を読み違えたがる人がいるわけですが、3画像目の前段部に書かれているとおり、多少の艱難に遭っても隣国を助けてやるのが義侠国だとか、日清戦争が始まると強きを抑え弱きを助ける仁義の戦争だとかいう「道義的必要」、或いは「義侠論」に対しての「政治的必要」なわけですが・・・。

だから、近代化十字軍の必要も無いし、朝鮮の内政改革は日本の利益を主眼とするに止めて、そのために日本の利益を犠牲にする必要も無いんですね。

で、今回の場合は日清間の縺れを調停するために出された一個の政策という部分については、昨年の4月11日のエントリーでの汪鳳藻との対談においても、

茲に今一條御協議申度事は、朝鮮の如く度々不時の内乱相起り、其度毎に貴我両国共に種々の煩累を受くる事は、実に迷惑なるは論を俟たず。
亦た、今回の如く貴我両国に於て出兵せざるを得ざる場合あれば、貴我両国とも其煩に堪へざる次第なる故に、仮りに今回の騷乱鎮定し両国の軍隊撤去したりとせんが、後日に至り再び騒乱相起らんも保し難し。
朝鮮国今日の現状より察すれば、兎に角鎮定のと雖ども、我政府に於ては安心し難き事情多々有之。
って、ちゃんと提案理由を述べられた上で、「譬ば」として委員を任命して内政調査って話だったわけで。

ってことで、今回の場合は元々日清間の縺れを調停するために出された一個の政策、そのまんま。
だから、内政改革自体については「格別重きを措かず」なわけで。
勧告された内容も、「政治的必要」を超えるものではありませんしねぇ。

で、そこから外交上一種の活問題となったので、日本政府が内政改革を試みざるを得なくなったから、7項目について勧告した、と。

そして、この好題目をかりて、陸奥が「第一次絶交書」と名付けたように、一度は破裂した日清関係が調和できるか、もしできなければ寧ろその破裂の時期を早めるか、風雨計として利用しようと思った、と。

6月2日のエントリーで、イギリス公使に日本の提案に対する清国の拒否にも関わらず、朝鮮の領土保全の相互尊重と騒擾の防止を基本とした申し入れがされれば、日本は清国の提案を受け入れるかもしれないって言って良いよと述べてましたしねぇ・・・。
清国が拒否するのが分かってたら、風雨計にはならないわなぁ。(笑)

ってことで、内政改革に関する話って、対清関係を調停するために出された一個の政策。
成り行き上、日本が単独でやらなきゃならなくなったので、政治的必要がある部分について勧告を行う。
そしたら「義侠論」の連中も勝手に勘違いしてラッキー。
後は清国の出方次第。
( ´H`)y-~~  プハー

って、書いてるそのままだと思うんですが、この内政改革の勧告を「ポーズ」とか「口実」って言ってる人って、勧告内容とかちゃんと読んでるんですかねぇ・・・?


ってことで、長くなりましたが今日はここまで。



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