さて。
7月18日のエントリーで、「今夜12時までに必ず返事よこせよ。( ´H`)y-~~ 」という大鳥の照会に対して、回答延期のお願いしてた外務督辨の趙秉稷。
大鳥は、趙秉稷のお願いを受け取ったわずか1時間後に、速攻で督促します。(笑)
『駐韓日本公使館記録2』から。
1894年(明治27年)6月30日付『第64号』。

迅啓者頃展貴暦甲午五月二十六日貴督辨来函承悉値有要公進
宮批於明日内容図佈復等因本公使閲読之下曷勝駭然而本公使既有言在先本不応稍緩片刻但持念素日情誼於此断不能緩頬中仍稍予通融展限於明日即我暦本月三十日上午八点鐘時刻待
貴督辨確覆可也倘或過此限期則再不稍移時刻即当有所決相応覆請貴督辨諒照爲盼
肅此順履
刻安
朝鮮暦甲午5月26日付の貴督辨の書簡に、「参内しなきゃ駄目なんで明日中に回答したい」ってあったけど、それを読んで愕然とした。
既に言ったとおり、これは少しも延ばすことができない。
ただ、普段の情誼により、延ばすことができない中でも多少の融通を持って、明日、即ち日本暦の今月30日午前8時まで期限延ばすから、それまでに返事よこせ。
それ越したら、決するところがあるから。( ´H`)y-~~

つうか、7月18日のエントリーでも言ったけど、独立国か属国かの回答って、即答できんもんかね?(笑)

ってことで、いつも通りの回答遷延策を許しちゃう日本側ですが、これに対して趙秉稷から返事が。
1894年(明治27年)6月30日付の書簡より。

敬覆者刻奉来函為本日上午八点鍾確覆一事当経閲悉惟該覆文裁繕另有訳本此件就整可延幾刻容特佈告尚望
涵諒稍展上午十二点時辰以便繕覆至所盼禱耑此仍頌
時祉
面倒くさいので超訳。
大鳥の書簡に午前8時まで返事よこせって書いてるけど、午前12時まで延ばしてくれないニカ?と。

で、12時までに来たのかどうかは分かりませんが、30日中には回答が来た模様。
1894年(明治27年)6月30日付『第16号』より。

大朝鮮督辨交渉通商事務趙 爲
照覆事照得我暦本月二十五日即貴暦六月二十八日接准
貴公使是日来文内開現奉我
外務大臣札開我暦本年六月初七日准駐東京清国欽差大臣汪来文内開派兵援助乃我保護属邦旧例等語惟査我国政府于始認朝鮮為自主独立之邦按明治九年二月二十六日所訂両国修好條規第一款首載朝鮮国自主之邦保有與日本国平等之権字様而今拠清国欽差大臣来文乃大相逕庭殊堪駭異也惟此事於日朝両国交際上所関綦重果是於朝鮮政府亦自認其為保護属邦与否之処確切詢明等因奉此相応照録清国欽差大臣公文照会貴督辨査照并望限於明日即我暦本月二十九日内核奪確覆是為至要等因准此査丙子修好條規第一款内載朝鮮自主之邦保有与日本平等之権一節本国自立約以来所有両国交際交渉事件均按自主平等之権辨理此次請援中国亦係我国自由之権利也与朝日條約毫無違礙本国但知遵守朝日定立條約認真挙行且本国内治外交向由自主亦為中国之素知至中国汪大臣照会逕庭与否応与本国無渉本国与
貴国交際之道只可認照両国條規辨理為妥相応備文照覆
貴公使請煩査照将此転達
貴外部大臣可也須至照覆者
右照覆
意訳。
朝鮮暦の今月25日、即ち日本暦6月28日に大鳥が送った書簡をみると、6月7日に清国の汪公使の送った文書内に、派兵援助については属邦を保護した旧例云々等の言葉があった。
日本政府は当初から朝鮮を自主独立の国と認め、1876年(明治9年)2月26日に締結した日朝修好条規の第1款でも朝鮮は自主独立の国で日本と平等の権利を持つという語句が載せてるのに、汪の文書は大きく隔たっており、非常に驚いてる。
これは、日韓両国の交際上重大な関係を及ぼすので、朝鮮政府が保護属邦を自ら認めるのかどうか、明確にして欲しいので、汪の公文書も送るから29日までに回答よこせや、とあった。

ま、もっと簡単に言うと、6月25日のエントリーで取り上げた、1894年(明治27年)6月28日『第59号』を見た、と。(笑)

で、日朝修好条規の第1款に載っている、朝鮮は自主の国であり日本と平等の権利を持つという1節について、朝鮮が自立を約束して以来、両国の交際・交渉事件でも均しく自主平等の権利を有しているとして適切に処理されてきた。

今回中国に救援依頼をしたこともまた朝鮮の自由の権利に係るものであり、日朝条約に少しも違えていない。
朝鮮はただ日朝間に成立した条約を遵守して誠実に履行するだけだ。

且つ、朝鮮の内治・外交が自主による事は、中国ももとより分かっているはずだ。
汪大使の照会に隔たりがあるかどうかは、朝鮮の関与するところではない。
朝鮮では、貴国との交際の道は、ただ条約に照らして適切に処理するのが妥当だと思っている。
かな。

まぁ、遵守とか言ってるわりに、防穀令事件とか起こすわけですが。(笑)

ってことで漢文史料が続きましたが、次からは英文史料。
割とグッタリ。(笑)
アジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の34画像目。
仁川の能勢領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第331号』より。

Mutsu,
Tokio.

It has been heard that 袁世凱 is planning to remove the King of Corea to 水原 京畿道.
加藤 telegraphed immediately to 大鳥 stating that it is deemed necessary to post Japanese soldiers at the gates of the Castle.
加藤 left for 京城 10.30. p.m. 六月二十七日 accompanied by 室田 but coming back 六月二十八日.

Nosse
袁世凱が、高宗を京畿道の水原に移す事を計画していると聞いた。
7月28日のエントリー7月30日のエントリーでの長岡外史の私報でも水原遷都の話は書かれてましたね。

で、加藤は、城門に日本兵を配置する必要だと考え、直ちに大鳥に打電した。
加藤は6月27日午後10時半に室田と同行して京城に出発したが、6月28日に帰ってきた、と。

加藤、28日に京城に着いたばかりの筈なのに、その日のうちに仁川に帰ってきたのか・・・。
つうかこの電信、何で下関発なんだ???
またどっか電信不通とかか?(笑)


ってところで、今日はここまで。



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