今日も前置き無しで早速。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』の6画像目。
陸奥から大鳥公使への1894年(明治27年)6月21日『半公信』より。

此後の模様如何に依りては、京城日本間電信往復の道相絶候事有之候哉も難被計、其節には閣下にも、又其地出張陸軍総指揮官にも何れも一々請訓之都合に難相成に就而右の如き形勢に立到れば、閣下自ら諸事臨機之処分可相成事件多々可有之、特に大島陸軍少将との交渉協議の事件は、双方の意見協同致候様御注意相成度。
若又双方の間に意見一致せざる場合等も相生候はは、兼て派遣之福島中佐等をして両間に立て周旋せしめられ候様被成度。
此事は、参謀本部の方よりも出張総指揮官に内訓相成候筈に付其御含にて万事可然御計相成度候。
将又前述の通、弥よ事を生候場合に至りて、其地と当方との電信不通と相成候ては、何事にも不便を感候義に付今朝電信にて申上候釜山線修復の件は、十分御尽力相成度候。
右のみ草々敬具
そうでなくても不安だらけの朝鮮電信なわけで、京城・日本間の電信途絶の可能性も当然あるわけで。
そうなった時には、大鳥にも朝鮮に出張している陸軍総指揮官にも、一々請訓するわけにもいかない場合もでてくるだろう。
そうなれば、大鳥公使が自分で臨機応変の処分をしなければならない事も多く出てくるだろうし、特に大島陸軍少将との交渉や協議の必要がある事に関しては、双方の意見が一致するように注意して欲しい。
もし、双方の意見が一致を見ない場合が出てきたら、既に派遣している福島中佐等を間に立てて仲立ちしてもらうようにしたい。
これは、参謀本部からも陸軍総指揮官に内訓する筈なので、その辺を含んで何事も然るべく取りはからうようにして欲しい。

それから、前述のとおり何か事が起きた場合に朝鮮と日本の電信が不通であれば、何事も不便を感じるわけで、今朝電信で述べた釜山線の修復については、十分尽力してくれ、と。
今朝電信にて申上候」の電信が見つからないわけですが、京城・釜山間の電信線の修復に関する電信のようで。
まぁ、乱の最中なら兎も角、東学党の乱は終わってる筈なので、南部の電信線の修復も容易なはずですねー(棒読み

さて。
前回此申入たるや、直言すれば我提議を拒絶したるものに異なるなけれども、本大臣は公文を以て申入れられたしと申聞て別に確答せず。」とありましたが、その公文による回答が届きます。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』の25画像目がその公文になってまして、27画像目に訳文がありますので、その訳文を見ていこうと思います。

以書簡致啓上候。
陳者本使は、唯今本国政府よりの電訓に接し候処、貴国政府より御商議相成候朝鮮事変及善後の方法に付ては、篤と考慮を加えたる上、左の通り及回答候。

一 朝鮮の変乱は已に鎮定したれば、最早清国兵の代て之を討伐するを煩わさず。
就ては、両国にて会同して鎮圧すべしとの説は之を議するの必要なかるべし。

一 善後の方法は其意美なりと雖ども、朝鮮自ら釐革を行うべきこととす。
清国尚ほ其内政に干預せず。
日本は最初より朝鮮の自主を認め居れば、尚更其内政に干預するの権なかるべし。

一 変乱平定後兵を徹することは、乙酉の年両国にて定めし条約に具在すれば、今茲に又議すべきことなかるべし。
以上は、本使より已に御面話に及置候得共、尚為念以書簡申進候。
敬具

光緒20年5月18日(我6月22日)
清国特命全権公使 汪鳳藻
日本国外務大臣 陸奥宗光 閣下
同公使よりは、両国委員撰任行政改革等の箇條はなかりし。」だった筈ですが、本当に篤と考慮したのか、と。(笑)

兎も角、内容的には、まず東学党の乱はすでに鎮定したので、最早清国兵が代わりに討伐せずに済んだ。
ってことで、日清両国が会同して鎮圧しようという説については、議論の必要も無いだろう。
ま、それについてはおっしゃる通りで。

次ぎに、善後の方法については、その意見は良いけれども、朝鮮が自分で改革を行うべきであり、清国でさえその内政に関与しない。
まして日本は最初から朝鮮の独立を認めているのだから、尚更その内政に関与する権利は無いだろう、と。
だから、「清国尚ほ」とか「尚更」、原文だと「中國尚」や「尤」とかって何よ?
清国は朝鮮の自主を認めて無いって事かよ。(笑)

で、最後に変乱が平定されたら撤兵するってのは、天津条約で決まってる事なんだから、今ここで論議する事もないだろう、と。
いや、それ日本の照会に無いし。(笑)

んで、この清国からの拒否回答に対して、同日22日付、23日送付で直ぐに返事が出されます。
同じく29画像目から。
1894年(明治27年)6月22日付『親展送第42号』より。

大清特命全権公使 汪鳳藻 閣下
外務大臣 陸奥宗光

以書簡致啓上候。
陳者閣下は貴国政府の訓令に従ひ、朝鮮国変乱鎮定并善後の辨法に関する帝国政府の提案を御拒絶相成候趣、貴暦光緖20年5月18日附の貴簡を以て御申越相成致閲悉候。
顧て、朝鮮国刻下の情勢を察するに於て、貴政府と所見を同ふする能はざるは、帝国政府の遺憾とする所に有之候。
之を既往の事蹟に徴するに、朝鮮半島は朋党争闘内訌暴動の淵叢たるの惨状を呈し、而して斯く事変の屡々起る所以は、独立国の責守を全ふするの要素を欠くに職由するものと確信するに足るべき義に有之候。
疆土接近と貿易の重要とを慮るに於ても亦、朝鮮国に対する帝国の利害は甚だ緊切重大なるを以て、彼国内に於ける斯る惨情悲況を横視傍観するに堪へず候。
情勢此の如くなるに当り、帝国政府措て之を顧みざるは、啻に平素朝鮮に対し抱持する隣交の友情に戻るのみならず、我国自衛の道に背くの誚を免れず候。
帝国政府に於て、朝鮮の安寧静謐を求むる為めに種々の計画を施すの必要は已に前述の理由なるを以て、更に之を看過する能はず。
今にして遅疑施す所なくして日を曠ふせば、該国の変乱愈よ長く滋蔓するに至るべく候。
是を以て帝国政府に於て其兵を撤去するには、必ず将来該国の安寧静謐を保持し、政道其宜を得ることを保証するに足るの辨法を協定するに非されば決行し難く候。
且つ帝国政府が斯く撤兵を容易に行はざるは、啻に天津條約の精神に依遵するのみならず、復た善後の防範たるべくと存候。
本大臣が斯く如く胸襟を披き誠衷を吐くに及び、仮令貴国政府の所見に違ふことあるも、帝国政府は断じて現在朝鮮国に駐在する軍隊の撤去を命令すること能はず候。
此段御回答旁、本大臣は茲に重ねて敬意を表候。
敬具
汪鳳藻公使が、清国政府の訓令に従って朝鮮国変乱の鎮定と善後策についての日本側の提案を拒絶する件について、1894年(明治27年)6月22日付の書簡を見た。
朝鮮国の目下の情勢に関する所見が、清国政府と同じく出来ないのは遺憾である。
これまでの事蹟を見れば、朝鮮半島は朋党争闘・内訌・暴動の中心地かのような惨状を呈し、このように事変がしばしば起きる理由は、独立国の守るべき責務を全うする要素を欠いている事が原因だと確信するに十分である、と。
最初から、独立国に相応しくない国を独立国扱いしなきゃ良かったのにね。(笑)

で、領土が近いのと貿易の重要性を考慮すれば、朝鮮国に対する日本の利害は非常に緊切重大であるため、朝鮮国内のこのような悲惨な状況を黙って見ているわけにはいかない。
情勢がこのようになっているのに、日本政府がそれを気にとめないならば、普段朝鮮に対して持っている隣交の友情に悖るだけでなく、日本の自衛の道に背いているという責めを免れる事ができない。
今ためらって何もせず、むなしく日を過ごせば、朝鮮国の変乱は一層長く蔓延るに至るだろう。
ってことで、将来の朝鮮の安寧静謐を保持し、政治が宜しきを得る事を保証できるだけの方策を協定するのでなければ、日本政府は撤兵を決行し難い、と。

6月16日の汪鳳藻との会談の時と、全く変わらぬスタンスですね。
変わったものといえば、日本が撤兵拒否した場合に、「何か」から清国人を保護するための追加派兵があることぐらいかな?(笑)


と長くなりましたが、今日はここまで。



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