今日は前置きなしで。
『駐韓日本公使館記録3』から。
仁川の能勢領事から大鳥への、1894年(明治27年)7月14日付け『臨庶第39号』より。

貿易商田中良助聞取書

自分は、3月15日汽船漢陽号にて郡山及黄山に往き、多く黄山に滞留し、江鏡には日々往復したり。
而して本月11日正午、風帆船栄福丸にて黄山を出立し、同日午后12時郡山に着し、昨午前4時又栄福丸にて郡山を発し本日午前9時着港したり。

黄山江鏡等に滞留中、同地方に日本人の行商者は黄山に土川政泰、白木彦太郎、源野伊八郎、姫本吉太郎、木下清兵衛、尾崎某、河合某、小柳某、野村政蔵の9名、江鏡に長谷川勝蔵、出口某、合計11人なりし。

本月6、7日頃、全州城外に3日間滞在せるとき、全州城内に清兵500屯在せりとの事を聞けり。
又、全州よりの帰途、恩津縣監に面会せし時、昨日支那騎兵50名程同地を通行せりと云へり。
始めは1,000人とか又は2,000人の支那兵公州迄来りしが、一旦引返し、更に再び500名程来りしなりと云ふ。
又、通路の風説にては1,500名程の清兵全州に来るべしと云へり。
然れども、自分は支那兵を目撃せる事なし。

東学党一件は、今日にては何等の噂をもある事なけれども、今後再発するや否に至りては不明なり。
然れども、京兵は皆引上げたりと云ふ事は事実なり。
蓋し、江鏡黄山辺の住民は街道等に出て通行の官軍、支那兵又は官吏等に見出さるるときは、忽ち使役せらるるの恐あれば、誰も全州以南に進まざるより、全州より先は如何なる景況なるや聞知する事だも能はざればなり。

全羅監司更任後、更に何等の著しき評判はなきも、只此辺は南道の本街道に当るを以て、通行の軍隊官吏等が米苗の植付に従事する農民を執へて擅に使役せしむるを以て、農民は皆恐怖して遁避したりしが、新任監司は耕業に従事中の農民をして強て使役せしむべからずとの伝命を出したるより、幾分か農民の困苦を救ひたるものの如しと。

黄山江鏡地方の住民は、支那兵の来るは東学党征討の為めなりと信ずるも、大に之を嫌悪するの風あり。
蓋し支那兵来るときは、賦役糧食等勝手に徴発掠奪するを以てなり。

日本兵に対する風評は最も喧すくして、多数の日本兵、支那兵共に来るを以て、向後如何なる形勢に至るや知るべからず。
京城居民の如きは什中七、八まで忠清全羅地方に逃れ去りたりと云ふて、人心恟々。
自分等に対し、何故に日本兵は渡来するかと問ふもの頻々なり。
為に、目下各地方共に商業取引は全く中止の姿なり。

東学党騷乱の為め、忠清全羅地方官吏更迭後著るしき改革は、第一に不納米上納無期猶予と、各地方に於ける分税撤去の伝命とす。
尤も、全然実行の場合には至らざるも、概して分税取立方は大に軽くなり、又全く取立てざる所もありて、我内地行商者に対して一時分税徴収を中止したるの実ありと云ふ。

公州川筋に於ける船舶拘留の弊は未だ之を除かざるのみならず、近頃一層甚だしきが如し。
江鏡より上流の地方に於ては、支那兵又は官吏等の為め船舶を差押へ、其搭載の米穀を徴発して糧食に供するの状あり。

世上に伝ふる東学党暴発の原因は、昨年と異なり真の東徒に非らずして、全く農民が地方官の苛政に激したるにあり。
其主因は、昨年秋冬の交より本年春に亘り、転運御史に於て厳酷に不納米を徴収し、3年乃至5年以前に溯り、上納済の証書を有するものに向ても猶ほ之を督促し、時としては地方官中人民の為め其免除を請求したるも、之を聞かざりしにあるものの如し。

農作に至りては、麦は全羅忠清南道到処近年比類なき豊作にして、昨年に比すれば2倍以上の収穫ならんと云へり。
米は植附は十分に終り、降雨も多量にありたれば、今日の分にて経過せば農作の見込なり。
然れども、雨量過多なりければ蟲害あるべしとて心配するものあり。

商業取引に至りては、日本人に対する商品注文は全く中絶し、何れの朝鮮人も貸金残りを取立に奔走中にて、更に仕入等を為すものなし。
其故を問へば、遠からずして日清兵を交ゆるならんとの事なりき。

支那行商者は公州数十人も入り込み居たれども、盡く引き揚げたり。
又、江鏡に残りたる14、5人も近々帰るとて、専ら貸金取立に奔走し居たり。
全州地方には一人も居らずと云ふ。
黄山江鏡地方に行商の日本人も近々仁川へ帰るとて、何れも目下準備中なり。

右為御参考及報告候。
敬具
貿易商の田中良助からの聞き取り調査について。

前置きの部分は飛ばして、7月6~7日に全州城外に3日間滞在しているとき、全州城内に清国兵500名が駐屯しているということを聞いたってとこから。

全州からの帰りに恩津縣監に面会した時に、前日に清国騎兵50名程が恩津を通行したと言ってた。
最初は1,000人あるいは2,000人の清国兵が公州まで来てたけど、一旦引き返して、その後再び500人が来たという。
また、通ったとこの噂では、1,500人程の清国兵が全州に来るだろうって事だったけど、田中自身は清国兵を目撃しなかった、と。
どこまでが本当で、どこまでが誇張あるいは噂に過ぎないのか、全く判断できませんねぇ・・・。
困ったもんで。(笑)

東学党の乱については、現在は何の噂も流れていないけど、今後再発するかどうかは不明。
ただ、中央の兵は全て引き揚げたというのは事実だ。
江鏡・黄山周辺の住民は、街道などに出て官軍や清国兵や官吏なのに見つかれば、すぐに使役される恐れがあるので誰も全州より南には行かないため、全州から先はどんな状況なのか、聞知することすら出来ないからだ、と。
要するに、全州から南がどうなってんのか分からないから、当然東学党の乱が再発するかどうかも分からないってことかな?

全羅監司の交代以降、更に何らかの顕著な評判はないけど、この辺は南道の本街道になるため、通行する軍隊や官吏が農作業してる農民を好き勝手に使役するため、農民はみんな恐れて逃げ去ったけど、新任の監司は農作業に従事してる農民を無理矢理使役すんなという伝命を出したので、いくらか農民の困苦を救ったようだ、と。
農作業中でも、好き勝手に使役されるんだ・・・。
そりゃ生産性も上がんないよなぁ・・・。

で、黄山・江鏡地方の住人は、清国兵が来るのは東学党の征討のためだと思ってるけど、非常に清国兵を嫌っている。
それは、清国兵が来れば、賦役・糧食などを勝手に徴発したり略奪したりするからだ、と。
属国も大変よねぇ・・・。(笑)

日本兵についての噂は最もうるさく、多数の日本兵が清国兵と一緒に来たため、今後どのような状勢になるか分からず、京城の住民なんかは10中8、9まで忠清道や全羅道地方に逃げたと言って人心はビクビクし、田中等に向かって何で日本兵が来たのかと質問する者が次から次に出てきた。
そのため、現在は各地方で商業取引は中止となっている。

東学党の乱のため忠清道や全羅道の地方官が更迭された後、著しい改革は、第1にまだ収めていない米の上納を無期猶予することと、各地方の分税を取っ払う伝命。
尤も、完全な実行までは至ってないけど、大体分税の取り立ては非常に軽くなったり、全く取り立てしない所もあって、日本の内地行商者に対して一時分税徴収を中止した事実があるという。

公州川筋での船舶拘留の弊害は未だに継続中なだけでなく、最近は一層甚だしくなってきたようだ。
江鏡から上流の地方では、清国兵や官吏によって船舶が差し押さえられ、載せてある米穀は徴発されて糧食にされてる状態、と。

で、世間で伝わっている東学党の暴発の原因は、1893年と違って本当の東学党の徒ではなくて、農民が地方官の苛政に激発したためで、その主要因は1893年の秋・冬の頃から1894年の春にわたって、転運御史が思いやりに欠けた非常に厳しい不納米徴収を行い、3年から5年以前に遡って、もう収めた証書を持ってる者にも更に督促し、時には地方官の中で人民のために免除を請求する者がいたけど、それを聞き入れなかったためのようだ。
つうか、厳しく取り立てるのは兎も角、もう収めた証書持ってるヤツにまで請求って何よ?(笑)

そんな中、麦は全羅・忠清南道など至る所で近年まれに見る豊作で、昨年に比べれば2倍以上の収穫になるだろうという。
米の植え付けも十分に終わり降雨も多量なので、このまま推移すれば豊作の見込み。
しかし、雨量が多すぎれば蟲害があるだろうと心配している者もいる。

商取引は、日本人に対する注文は全くなくなり、どの朝鮮人も貸し金の取り立てに奔走中で、更に商品仕入れなどをする者は居ない。
その理由を聞くと、遠からず日清で交戦があるだろうから、と。

清国の行商人は公集に数十人もいたけど、全て引き揚げた。
江鏡に残っている14~5人も近々帰るって事で、専ら貸し金の取り立てに奔走中。
全州地方には1人も残らないという。
黄山江鏡地方で行商している日本人も近々仁川に帰るってことで、みんな現在準備中、と。
まぁ、悠長にしてる時勢では無いですわな。


ってところで、久しぶりに長くなりましたが、今日はここまで。


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