久しぶりの更新です。
会社の部署の異動があって忙しく、エンコリにすら中々顔を出せない日々が続いてまして。
もう暫くの間は、更新期間が空くかも知れませんが、御容赦の程を。

それでは、今日はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』の21画像目から。
1894年(明治27年)6月24日付『発第85号』。
長いので、分割しながら。

安駉壽氏の内話

本月20日同氏来館。
内話の要点を摘挙すれば、日本兵入城已来我政府の驚擾者甚敷、諸大臣拱手して策なく、独り閔泳駿は局面に当りて心配すれども、是とても好案なければ、専ら袁世凱に依頼し其説を聴て運動する迄なり。
又諸大臣は、日本兵入城の罪を外務督弁の不行届に帰するを以て、同協辨は病後に拘はらず、雨天を犯して奔走するは誠に気の毒の次第なり。
非職大臣中、金炳始・金宏集の2人は人物と称せらるるも、矢張他の老大臣等と同様に更に口を開かず、諸閔氏は本と泳駿と不中なれば、目下の困難を傍観して敢て之を助けず、却て其失錯を喜ぶものの如し。
政府外の有志者は勿論、現職に在る官吏と雖ども、日本兵の大挙入韓は我国改革の時機を促せりと雀躍し、平生閔氏に結托の人と雖ども、窃に保身の覚悟を為し、且つ内実皆閔氏に離心せり。
又改革希望派の人々は三々五々相集りて相談を為せども、之を発するの勇気に乏きと、之を引率する統領なきに苦めり。
大院君は最も之を統率するに適当の人物なりと雖ども、今日の場合はまだ閔氏を憚り、其門に出入して協議する者なきは勿論、院君も亦同志を引て事を謀るの機会を得ざるなり。
大君主陛下には時務の不可を悟られざるにあらず、去乍王妃殿下は左右を離れられずして、機密に参与せらるる趣。
到底御英断の御処分あること能はざる次第なり。
要之挙朝策略もなく、考案もなく、一に袁世凱に依頼し、いざと云ふときは難を避するの支度を為すに過ぎざるなり。

今日我政府は取捨去就に迷ひ居る要点は、一は日本兵の入城は本と清兵の来援ありしが為め興りしことなれば、清兵さへ引去るときは日兵も直ちに引去るべし。
故に清兵を撤回せしむるは急務なりと云ふこと。
他の一は、日兵の大挙して来るは、必らず他の意志あることなれば、若し清兵退去せば其機に乗じて発すべし。
故に清兵を引て内を守るは急務なりとの二説相対峙して、未だ決せざる姿なり。
第一説は外国事情に通する者之を唱ひ、第二説は袁世凱の主唱に出で、而して朝官の多数は第二説を是とするが如し。
抑々近年我政府が執りたる対日本方略は、総て袁世凱の方寸中に出で、一事件の興る毎に同氏に就いて相談を受けたりしが、袁氏の勧告は毎事其図に中らず、却て我国をして其弊を受けしめたり。
袁氏は、事の初めに於ては我政府に教唆して日本の請求を抗拒せしめ、事の敗るるに及んでは、手を収めて知らぬ顔するは其常なり。
斯く多年我政府は袁氏の為めに誤られたるにも懲戒せず、今日猶ほ毎事袁氏に依頼せんとする傾きあるが故に、過日余は閔泳駿に向て其不可を極諫したれども、毫も其耳に入らず、実に手の附け様なき状況なり。
何卒此上は、外兵の余威を借りて内部の改革を行ふより外に手段なきに付、貴国は今暫く其兵を駐留せしめられんこと、内心希望せり云々。

右の内話は、能く目下の事情を穿ちたる者と認められ候に付、特に報告中に■■申候。
安駉壽といえば、所謂開化派・進歩派の人であり、1898年の「高宗譲位上疏未遂事件」を始め結構頻出な人です。
その安駉壽が日本公使館を6月20日に訪れた、と。

その要旨は、日本兵の入城したけど諸大臣に策もなく、ただ閔泳駿だけがその局面に当って心配してるけど、やはり良い案は無いため、専ら袁世凱に依頼して彼の言う事に従おうと運動してるだけ。
諸大臣は、日本兵の入城の罪を外務督辨の趙秉稷の不行き届きのせいだとしてるので、趙秉稷は病気の後にも関わらず雨天の中奔走してるのはマジ気の毒、と。
確かに趙秉稷カワイソスwww

非職大臣の中で、金炳始と金宏集の2人は有能な人物を言われてるけど、やはり他の老大臣と同様に口を開かず、諸閔氏は元々閔泳駿とは不仲なので、傍観して閔泳駿を助けるような事はせず、かえってその失策を喜んでいるようだ、と。
閔氏にも色々あるのねぇ・・・。
つうか、何故みんな傍観者気取りなんだ?(笑)

政府外の有識者は勿論、現職官吏でも日本の入韓について朝鮮改革の時機が来たと小躍りし、普段閔氏と結託している人でも密かに保身の方向に走って、内実も皆閔氏から心が離れている。
改革希望派の人々は、三々五々集まって相談してるけど、改革を言う勇気が乏しいのとリーダー不在に苦しんでる。
大院君がそれを率いるのに適当な人物ではあるけど、現在はまだ閔氏を憚って大院君の元を訪れて協議する者がいないのは勿論、大院君も同志を率いて謀議するチャンスを得ていない、と。
高宗は現状じゃ駄目だと悟ってないわけではないけど、閔妃が常に側について離れず、機密に参与しているようなので、到底英断の処分は行えないという状況。
ま、開化派・進歩派の人の話なので、この辺は話半分に聞いておきましょう。

ってことで、結局政府には何の策略もアイデアも無く、まずは袁世凱にを頼り、いざというときには難を避ける準備をしているに過ぎない、と。

現在朝鮮政府がどちらを取るか迷っている点は、まず一つは、日本が来たのは清国が来たからなんだから、清国が撤兵すれば日本も撤兵するだろうってことで、まずは清国を撤兵させるのが急務だとする説。
もう一つは、日本が大挙として来たのは、必ず他の目的があるんだろうから、もし清国が撤兵すればその機会に乗じて事を起こすだろうってことで、清国兵で内を守るのが急務だという説。
以上の2説が対峙して、未だに決まらない状態。
清国の撤兵を急務とするの、外国の事情に通じた者で、清国兵の守護が急務だというのは袁世凱の主唱。
で、官吏の多数も清国兵の守護が急務という説を是としている、と。

最近朝鮮政府がとってきた対日本戦略は、全て袁世凱の胸の内から出たもので、一つ事件が起きるたびに袁世凱に相談してきたけど、袁世凱の勧告は毎回的を外し、かえって朝鮮に弊害を与えてきた。
袁世凱は、事の最初は朝鮮政府を教唆して日本の請求を拒絶させ、それが失敗すると手を収めて知らない顔をするのが常道。
つうか、朝鮮政府も学習しろよ。(笑)

そのように長年袁世凱のせいで失敗してきたにも係わらず、現在でも何事も袁世凱に頼る傾向があるので、先日私は閔泳駿に向かって言葉を尽くして厳しく諫めたんだけど、少しも聞く耳を持たず、実に手の付けようが無い有様なので、こうなったら外兵の威を借りて内部の改革を行うほかに手段が無いため、日本はもう少し兵を駐留させることを内心希望している、と。

これ以降の流れについて、この辺から話が出てくるんですね。

んじゃ、続き。

袁・閔両氏俄に隔絶を生じたるに付詳報

袁・閔両氏は、久く相結托して事を行ひ、特に今回の援兵は専ら両氏の相談に依て成功したる処、清兵の着韓に引続き我大兵の入韓したるが為め、両氏の計画全く齟齬し、今や幾んど進退維谷の苦境に迫りたりと評するも正鵠を失はざるが如し。
然るに、5、6日前の事とかや、閔泳駿氏が清館を訪問したる際、袁氏は頻りに清兵入衛の談を促し、一隊を派して京城外義州路の要害を守らしめ、一隊は漢江沿岸の要処に置き、残兵を以て城内各処を守らしむ可きに付、必要の処々は貴方より指示されたしと相迫り候処、閔氏始めより清兵撤回の請求を申出でんとする際、案外の談合にて返答に窮し、拙者は軍事に諳んぜざれば何処を守り何処を固むべきや更に相分らず。
其辺は韓圭・(咼の上にト)に御尋ね下されたしと相答候処、袁氏は其色を見て大に怒り、是迄汝の如き小人と事を謀りたるは余の失錯なりと罵り、逐出すが如くにして之を返したるより、閔氏大に恐懼を懐き夫より俄に其思考を転じたるものにや、本月22日已来、平生彼に反対せる金嘉鎮氏を始めとして、2、3の日本派の人を採用し、我国に依頼せんとの意向を相示したり。
3月13日のエントリー3月24日のエントリー等で出ていた、閔泳駿と袁世凱の仲違い&閔泳駿がヒッキーになった話の詳細。

5~6日前に閔泳駿が袁世凱のところを訪問した際、袁世凱からしきりに清国兵で朝鮮を守備する話が出、どこを守らせれば良いか指示を出せと迫ったんですが、その時には閔泳駿は清国の撤兵請求を申し出ようとしていたので、返事に窮し、「ウリ、軍事の事は分からないから、どこを守ってどこを固めるかは更に分からないニダ。韓圭・(咼の上にト)に聞いて欲しいニダ」と答えたところ、袁世凱激怒。
「これまでお前のような小人と謀議してきたのは、儂の失策だったアル!」と罵って追い出すように帰したため、閔泳駿ビビリまくり。
で、急に考えを変えたようで、22日以来、普段から閔泳駿に反対している金嘉鎮を始め、2~3人の日本派を採用して、日本に擦り寄る意向を見せ始めた、と。
だから、変わり身早すぎだって。(笑)

政府改革派の運動

今般我兵入韓して韓廷に大驚動を与へたるを好時機として、平生改革を希望する人々は盛に運動を初め、其機漸く熟したるが如くに伝聞せり。
其人々は、金嘉鎮・趙羲淵・権永鎮・兪吉濬・金鶴羽・安駉壽・洪鍾宇等にして、先づ閔氏を退け、大院君を総理に載き、政事を根本より改革せんとする計画なりと云へり。
依て該派の人々は、日本兵の一日も永く滞陣するを希望し、其撤回前に改革を決行したしと目下頻りに事功を急ぎ居ると云ふ。

右及具報候也。
ってことで、日本の入韓が朝鮮政府に大きな驚きを与えたのをチャンスに、普段改革を希望している人々は盛んに運動を始め、その機が熟したと聞いている。
その人々は、金嘉鎮・趙羲淵・権永鎮・兪吉濬・金鶴羽・安駉壽・洪鍾宇等であり、まずは閔氏を退けて大院君を総理にし、政治の抜本的改革をする計画だという。
そのためそれらの派の人々は、日本兵が一日も長く滞陣することを希望し、その撤兵前に改革を決行したいと現在しきりに効果を上げようと急いでいるという、と。
相変わらず、他人頼りの迷惑な奴らですなぁ。


長くなりましたが、ここまで。



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