息子が入院したので、水曜日はお休みにしちゃいました。
半ばこの季節のルーチンみたくなっちゃってるわけですが・・・。
つうか、俺自身も低調な状態を脱していないんですけどね。

そんな中で、7月11日の史料は前回のやつで最後なのかな?
ってことで、今日からは7月12日の史料に入って行きましょう。

まず最初は、『駐韓日本公使館記録2』から。
久しぶりな気もする、ワンダーランド元山の上野領事から大鳥への文書。
1894年(明治27年)7月12日付『機密第10号』より。

本月1日付機密第9号信発送以来、本地の景況別に相変候事無之、惟だ日清間交渉事情に関し、韓人の間には種々雑多の取沙汰致居候而已に候。
一昨日永興府より当地に来りしものの説に拠れば、近頃清国陸軍士官3名(一説には、士官3従行者4名なりと云ふ)永興府の各地方を徘徊致居候哉の風説、専ら有之。
尤も、此れは果して士官なるや否其実際を確かめたるものは無之、且つ何処を通過して何地方より永興に来りしか、其辺も探知致居候もの無之。
誠に漠然たる説には有之候得共、此節柄或は斯かる挙動なしとも申され難きに付、目下折角探偵中に有之候。
若し公然士官の名義を以て通行する事なれば、其筋より徳源府或は本地監理処杯には何とか通報あるべきに、昨日までは何たる事も相知居不申候。
又た、当地韓人等の説にては、右士官の永興に来りしは、1,500人の清国兵員北部より進来の筈に付、諸事準備の為め先着したるものならん杯専ら伝説致居候。
此等固より例の虚構の説たる事論を俟ざれども、只だ御含の為め申進置候。
前便第7号機密信を以て申進置候、当地居留人民保護上の事に付ては、定て適宜の御処置相成候事と存居候。
本地目下の形勢は、別に掛念可致程の事実は万々無之候得共、前便にて稟報致置候通り、此際当港のみ未だ一隻の軍艦も繋泊致居らず、殊に本地の如き遠隔の地方に在ては実際の事情に明瞭ならざる丈けに、種々の風説も累出し、隨て人心何となく危懼を生ずるは事情の免かれ難き事と被存候。
依て卑官は時々告諭致し、徒らに世間の流言に惑はず、其業に安んずる様可成押鎮居候間、差向き軍艦一隻なりとも来泊の都合に相成候はば、自然安堵可致と被存候。
其辺御諒察、何卒可然御取計相成度候。
只今、海関臨時便有之趣通知を得候に付、不取敢此段申進候。
恩々敬具
相変わらず役に立たない情報ばっかり送ってきて・・・。(笑)

永興府から元山に来た者の話では、最近清国陸軍の士官3名が永興府の各地方を徘徊してるって噂がある。
でも、士官かどうかを確かめた者は無く、どこからどこを通って永興に来たのかも知っているものが居ない。
非常に漠然とした噂だけど、時期も時期だしそういう事もあるかも知れないと思って現在調査中、と。

もし士官の身分で通行しているなら、徳源府なり元山監理署なりに通報があるべきなのに、現在のところ彼らも何も知らないらしい。
また、元山の韓国人の噂では、士官が永興に来たのは、1,500人の清国兵が北から来るはずなので、色々と準備するために先乗りしたんじゃね?と。

もちろんこれらは、いつもの虚説なのは論を待たないけど、ただ一応報告しとくね。
つうか、「『例の』虚構の説たる事論を俟ざれども」て。(笑)
こういうの見るたびに、イザベラおばさんの「どんな男もできるかぎりニュースを集め、あるいはつくる。耳に入れたことを嘘と誇張で潤色する。朝鮮は流言蜚語の国なのである。」を思い出しちゃうんだよねぇ・・・。

で、4月14日のエントリーでやった1894年(明治27年)6月25日付『機密第7号』で言っておいた、元山の居留民保護については適宜処置してくれると思う。
まぁ、元山には特に懸念すべき事も無いんだけど、1隻の軍艦も停泊してないし、元山のような遠隔地では正確な情報も入ってこないだけに、色々な噂が重なって出てきて、人心も何となく危惧するようになるのは仕方ないと思う。
ってことで、上野は時々「徒に世間の噂に惑わされずに、自分の仕事に精を出してね」と言い聞かせてるけど、取りあえず軍艦の1隻でも来てくれれば自然と安心すると思うんだよね、と。

つうか元山、半島の反対側だしなぁ・・・。
軍艦張り付かせるどころか、顔見せに行くのもちょっと、だよなぁ。(笑)

んで、続いても『駐韓日本公使館記録2』から。
大鳥公使から朝鮮政府への、1894年(明治27年)7月12日付『第76号』より。

敬啓者所有勧勉釐政事宜曽於我暦本年七月初七日第七十号公文抄附擬辨綱領照会
貴督辨査照在案旋准貴暦甲午六月初七日第十七号
来文内開足見貴政府念切友睦殊堪欣悦除由我政府遴派内務督辨申正熙協辨金宗漢曹寅承云々等因准此本公使閲悉之下足徴
貴政府従善如流允依我政府勧勉之言本公使深庸欣抃即遵来示業於初十十一両日與
貴政府委派各員会同出示擬辨綱目併将未盡之義詳為解説矣茲特将擬辨綱目抄呈一分以進述日前擬辨綱領細目即希耑此
貴督辨核閲一過庶幾此中原委瞭然会通也耑此佈達順頌
台祉
7月7日の第70号って何だっけ、と思ってたら、10月3日のエントリーでやった乙号の事ですね。
7月7日の史料取り上げてた頃の、必死になって探して見つからないと思ってたら・・・。(笑)

その、7月7日の第70号に綱領添付して照会した。
で、陰暦6月7日の第17号ってのは10月8日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け文書の事かな?。
その文書で友睦に気遣ってくれてサンキュー、と。

文書中「我政府遴派内務督辨申正熙協辨金宗漢曹寅承」とあり、それを受けて7月10日、11日の2日間に委員と会同して、綱領を見せて詳しく解説しといた。
綱領一部書き写して細目と一緒に送るんで、閲覧して分かってくれよ、と。

あんまり大した話じゃなかった・・・。


ってことで、今日もちょっと疲れ気味なんで、早めに。


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