さて。
今月最初の史料は、軍用電信線架設の話。
アジア歴史資料センター『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の5画像目。
参謀総長熾仁親王から陸奥への、1894年(明治27年)6月27日付『機密受第860号』より。

■第3号

朝鮮国京城釜山間之電線架設に付、其枝隊長へ別紙の通訓令致候条、右及移牒候也。

追て昨26日川上次長携帯致候第1電線架設枝隊司令官に与ふる訓令中、第1項に但書を加■候に付、■■■分返却相成度、右申添■■。
で、次の6画像目が「第1電線架設枝隊司令官に与ふる訓令」で、7画像目が「第2電線架設枝隊司令官に与ふる訓令」になっています。
続けて見ていきましょう。

第1電線架設枝隊司令官に与ふる訓令

一.枝隊は、朝鮮国釜山より起工し、大邱星州秋風駅を経て清州に至る迄、速に電線を架設し、此地に於て第2枝隊の線と連絡し、通信を開く可し。
但、釜山大邱間は、成るべく朝鮮国用在来の電線を利用し、竣工の迅速を図るべし。

二.起工に先だち、沿道地方官に予報し、所要の幇助を受くべし。
但、此地方官との交渉は、釜山領事と協議し適当の方法に依るべし。

三.電線を破壊し、或は工事を沮礙し、或は其他の方法を以て第一項の目的を妨害せんとする者あらば、適宜の方法を用い之を排除することを計るべし。

四.電線架設枝隊の護衛として、在釜山の歩兵第21連隊第5中隊(1小隊を欠く)を派遣し之に属す。
故に、護衛上に就ては、司令官は其中隊に命令を下すを得。


第2電線架設枝隊司令官に与ふる訓令

一.枝隊は、朝鮮国京城より起工し、清州に至る迄電線を架設し、此地に於て第一枝隊の線と連絡し、速に通信を開く可し。
但、成るべく朝鮮国用在来の電線を利用し、竣工の迅速を図るべし。

二.起工に先だち、沿道地方官に予報し、所要の幇助を受くべし。
但、此地方官との交渉は、在京城本邦公使と協議し適当の方法に依るべし。

三.電線を破壊し、或は工事を沮礙し、或は其他の方法を以て第一項の目的を妨害せんとする者あらば、適宜の方法を用い之を排除することを計るべし。

四.枝隊司令官は、所要の護衛兵を大島混成旅団長に請求すべし。
ってことで、第1電線架設枝隊は釜山側から。
第2電線架設枝隊は京城側から電線を架設していくんですね。

基本になる在来の電線を利用した迅速な竣工や、沿道の地方官から必要な幇助を受け、電線の破壊者や工事の妨害者については適宜の方法で排除ってのはどちらも同じ。

最初、4月25日のエントリーの1894年(明治27年)6月24日発『電送第244号』で見た、京釜線の修繕を両端からやる話かと思ったんですが、「成るべく朝鮮国用在来の電線を利用し」だと修繕では無いわなぁ、と。

んで、良く考えたら、3月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月22日付『機密送第25号』で、朝鮮政府で修繕するか、返事を引き延ばすようなら日本軍が工事するから、と言ってた事を思い出した。
3月~5月まで、頻回の更新が出来なかったブランクはこういう処にも現れる。(笑)

さて、次はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の27画像目。
陸奥から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月27日発『電送第256号』より。

Otori,
Seoul

(15) Regarding our proposal to Corea for reform its detailed instructions will be sent in writing by earliest opportunity.
In the meantime you may commence to lay proposals before Corean government as soon as you deem proper opportunity arrived by using your discretion in my telegram 10.
朝鮮の改革のための我々の提案について、詳細な指示は最も早い機会に文書で送られるはずだ。
その間、貴下は適切な時期と判断したら、直ちに私の電文10号で言及した内容を、慎重に朝鮮政府に提案し始めても良い、かな?

電文10号ってのは、3月18日のエントリーの1894年(明治27年)6月23日発『電送第242号』でしょうね。
統治、司法、財政の制度を改革して、将来失政が再び起きない事を保証しろってヤツ。

っつうか、電信が発着日の関係で前後して、話が全く咬み合ってない気が・・・。(笑)

さて、続いてアジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の16画像目から。
陸奥から北京の小村公使への、1894年(明治27年)6月27日発『電送第257号』より。

Komura,
Peking

You may tell British Minister as your own opinion that in spite of late Chinese rejection of our proposal, Japanese Government may be disposed to entertain Chinese proposal if they are approached on a basis of mutually respecting the integrity of Corean territory and preventing disturbance.

Mutsu
貴下は、イギリス公使に貴下個人の意見として、先に我々の提案に対する清国の拒否にもかかわらず、朝鮮の領土保全に対する相互尊重と、騒擾の防止を基本とした申し入れがされれば、日本政府は清国の提案を受け入れる気があるかも知れないと言ってもよい、と。

昨年の4月11日のエントリーでも「或は別に貴政府より何か提出せらるべき案に賛同するか」と陸奥が汪鳳藻に向かって言ってましたが、取りあえずその姿勢はキープしてんのかな?
まぁ、個人的意見で且つ「かもしれない」ですから、単なるポーズの可能性も無いわけではないですが、イギリス公使が仲介のために条件揃えてきたら断れないでしょうし。


ってことで、今日はここまで。



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