ぶっちゃけ飽きてきた。(笑)
いつもの病気ですね。
時間がなくて、ブログ以外の調べ物っつうか、息抜きの調べ物ができないっつうのもあるのかも。

ってことを考えながら、今日の史料へ。
今日は、今回の連載で初めて取り上げる綴りかな?
アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/2.仁川港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143600)』からになります。

文字通り、日清戦争の時の仁川港の局外中立問題の話になるわけですが、ピラッと開いたら、もう取り上げてなきゃ駄目な史料が・・・。(笑)
つうか、21画像目まで全部そうだよ・・・。_| ̄|○

とりあえず、どうしても取り上げておきたい2画像目を。
仁川の能勢領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月24日発『電受第301号』より。

Mutsu
Tokio

(3) All the foreigners will hold a meeting to protest against Japanese army making 仁川 a place of military operation declaring it is neutral port.

Nosse
一応、3画像目が和訳になってます。
外国人は全て、仁川を局外中立港だと断言し、日本軍が仁川を軍事行動の場所にしようとすることに対して抗議するため、集会を開くらしい、と。

取り上げたかったのは内容ではなく。
アジ歴の当該目録について。



Lokio.

(3) all ttu @oiegueso will gapaneel a@wuy makiug 仁川 a place of nulilang openatuoi dcelavuig it is nuvtsal porr. Nocee.
「Mutsu」はどこ行った?
「hold a meeting to protest against」の部分、丸ごと1行無ぇぞ。
「Lokio」ってどこだ?
「Nocee」って誰?

つうか、何語だよ!(笑)

飽き始めたボクに笑いを提供してくれるアジ歴に感謝。
つか、アジ歴の目録はこのくらいの誤字は頻出なので、この程度で笑っちゃうってのはやっぱり飽きてる証拠かしら。(笑)

いや、それだけのために2画像目をテキストに起こした。
( ´H`)y-~~

残りの4画像目からの部分、どうすっかな・・・。
全部やるのは面倒くさいので(笑)、一応、流れの分かりそうな史料だけでも取り上げておく事にします。
んーと、まずは4画像目。
仁川の能勢領事から外務次官林董への、1894年(明治27年)6月24日付『機密第28号』より。

清国官吏の勧説、各国租界内駐兵に付居留外国人の苦情、并に仁川港をして局外地たらしむるの運動等に関し報告の件

帝国派遣軍第二次三大隊、本月15日に於て来着するや、在港清国理事は即日来訪し、該軍隊の上陸及び駐陣に関し再三勧阻せし趣は、曽て機密第27号を以て申報の次第有之候処、我兵上陸後各国租界内日本人所有の地所家屋等に駐宿する儀に関し、在港英国副領事其他より種々苦情申出候始末は別紙京第36号、仝40号及び英副領事来文寫甲乙丙各号に就き、逐次御熟悉相成度候。
然るに、今般清兵5,500発遣の確報に接し、昨23日大鳥公使の電報に拠り、大島少将は当港駐留の兵3,000を引率し、即夜京城へ進発致候処、昨日威海より来港せる清国北洋水師分遣艦隊司令官林泰曽は(鎮遠、超勇、廣丙の3隻を以て6月22日来着)、之を探知するや否や深更上陸。
劉理事等同伴にて来館し、小官に対して我兵の入京を阻止せんとし、談論数刻に及びたる次第は別紙京第41号寫の通りに有之候。
以上の如く、清艦の来着に続き我兵の入京等の情形を視て、両国開戦の危機旦夕に迫れるを察し、在港各外国人は租界の安寧を保つが為め、遂に仁川港をして局外地たらしむるの議を起し、昨25日各国居留地のの臨時会を開き、以て之を議決し、直ちに京城使臣会議へ提出すべき事と相成たるを以て、小官は右に関する方針の確定を希望し、別紙機密第8号寫の通り大鳥公使へ及請訓候始末に有之候。

以上為御参考別紙一括及送呈候間、御査閲相成度不取敢此段申進候也。
簡単に纏めると、日本軍が仁川到着して清国公使が抗議→租界内への日本軍の駐留に対して英国副領事が苦情申し立て→清国軍艦の到着や日本軍の京城移動等を見て、居留地で臨時会を開いて仁川を局外地とする議決→京城使臣へ提出予定、と。
で、それに関する方針の確定を大鳥に求めたのが、3月24日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月24日付『機密諸第8号』なんですね。

で、具体的にどのような事に対するどのような苦情なのかが、6画像目からになってます。
長いけど、一応取り上げておくか・・・。
能勢領事から大鳥への、1894年(明治27年)6月19日付『京第36号』より。

我軍隊が外国人租界内外国人所有の地所を使用し、各国租界に入営したる等の為め苦情申出候儀に附、縷々発第161号を以て御申越の趣き承知致候。
今回我軍隊の来着するに当てや、小官も其当港に滞在すべきは、僅に両3日間とのみ相考へ居候に付、其意を以て各国居留地会員各外国人にも相談し、可成彼輩の迷惑を来たさざるべき旨相通じ置き候へども、其兵数兵科馬匹の如きは素より軍機に係るは勿論、小官と雖も之を前知せざるを以て之を遺漏することなかりしより、彼輩に於ても格別留意するの模様無之。
現に、先発一大隊留営の際の如きは、大に歓迎の意を表はしたるの実有之候処、先着全軍の来着に至て其兵員の数多なる事、大小銃砲携帯の事、馬匹の夥多なる事を目撃し、何れも大に驚怖し、斯く本邦が仁川に駐兵せしむるに於ては清国も亦た派兵するも難計、其場合に於て両兵相衝突するが如き事あらば、当港内にある外国人の生命財産に危害を及ぼすに至らんとて、爰に初めて非常に危疑恐懼せるより、租界を警備するに必要なる兵員の外は都て租界に移陣せられたしとの事を提出せるに外ならざる儀と存候。
就ては、其唱ふる所の苦情とても、各国人を代表するに非ずして全租界の安危を慮るものに外ならざる様に有之候。
其故は、馬匹繋留場の如き租界D号第11第12号の地は英国人ハチソンの所有にして、堀久太郎の借受居候ものなれば、堀久太郎の許諾を受けたるものに有之候。
又、大小弾薬置場なるD第13第14号は独逸人の所有なれども、小官に協議無之直ちに使用候為、本日其所有主より苦情申出候に附き、弾薬は明朝当館内に移置せられんことに副官中原大尉に協議致置候儀に有之。
又、英領事公文内に云ふ砲台建設云々は、前記堀久の借用地内にして、本館裏手なる小高き場所に野戦砲6門を南面して排列し、兵士抜剣して之を護衛するより、或は之を以て砲台と看做せしやは承知不致候へども、未だ砲台を建設致せし事なく、又英国人の地所を強取せる云々とあるは、該地は英国人ハチソンの地所なれども、堀久に1ヶ年340$の地代にて貸渡しあるものに附き、其使用如何は地主なる英国人に於て云々すべきものにあらざるものの如くに有之候へども、目下の形勢野戦砲6門の排列は衆人をして徒らに疑懼心を起さしむるべきに付き、寧ろ領事館表門内に移置する方可然被存候。
此外に外国人所有地若くは各国租界内の地所を持主又は管理者の承諾なくして使用致候等に儀は、目下小官の預知する所にては無之様子に候。
其各国租界内我国人の所有地、及所有の家屋、及外国人の所有の地所家屋にして我国人の借用するものに対しては、未だ何等の苦情申出ざるは、前述の通り元来我大兵が本港に滞陣するに際し、一朝清兵との間に葛藤相生じ候場合には、全港の安危に罹るとの懸念より相成し候次第は、大兵淹留銃数日に及ぶときは、物価は騰貴し、飲料水は欠乏し、人心は洶々生業に安ずる能はざる等の口実より出候儀に有之候。
尤も、軍馬見物の為め、又は野戦砲置場を横切り、又は弾薬置場を距る数十米突を通行せんとして、衛兵の為め抜剣又は携銃にて制止せられたるものは英国領事1人に止まらず、本邦人中にも数人有之。
又、清国租界間の公道、朝鮮町と各国居留地との界道等に於て同様衛兵の為め誰何せられ、通行を制止せられたるもの昨日迄に日、清、外国人中にも数多有之趣聞及候に付き、右は中原副官に申通し取調方依頼致置候。
又、一昨日曜日には、兵士の清国租界併に朝鮮町に三々五々遊歩するもの多きが為め、清国領事併に監理使より取締上に付き大に懸念し、屡次掛合来り候のみならず、元来右両地区は、淫売賭博の巣窟、病毒侵染の地なるを以て、自今遊歩等の為め多数立入らざる方可然旨、是又副官へ申入置候。
又、過日清国租界内信局の京仁間配達方山東人某は、九硯山下に於て衛兵水兵に通行を遮断せられたるも、幸に我郵便局の脚夫の言明に因り通行を得たる旨、予て清国領事より申出候に付き目下調査中、昨18日午前、右清国脚夫は再び九硯山下に於て衛兵の為め攔阻せられ、其携帯する所の信書袋を開き、是を検点し、当港より京城へ届方を依托せられたる刀剣の上包を開き、剰さへ刀を以て頭部を按じ威嚇の所為ありたるより、該脚夫は大に恐怖して以後京仁間往復を謝絶せりとの事を訴出候に付き、電報にて旅団長に御照会有之度申上候と同時に、所管兵站監竹内中佐へも掛合置候次第に有之候。
右は追々所轄領事等より貴官に対し申立有之儀と被存候へども、為御参考御回答傍此段申進候也。
アジア歴史資料センターの『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第5号(レファレンスコード:C06061757800)』の5画像目によれば、衛兵等による通行止め等についての調査結果は不明ながら、その都度厳格に注意喚起されてたのは事実なようで。

また、英国人の土地云々については、『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第6号(レファレンスコード:C06061758100)』の10画像目左端から話がありますが、嘘報だ、と。

つうか、清国租界と朝鮮町は「淫売賭博の巣窟、病毒侵染の地」て。(笑)

まぁ、仁川から出て行って欲しい外国人達と、水も満足に補給できない「不毛の地」である仁川から早く出たい日本兵。
その辺は共通してるんだけどなぁ。
如何せん、この頃はまだ朝鮮政府の差し止め要求に応じてる頃だからねぇ。


ってところで、取りこぼした分しかやってませんが、長くなったので今日はここまで。



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