仕事が忙しくて更新ができない上に、史料が長いエントリーが続いてました。
正直、長い史料は今は勘弁してほしい・・・。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の23画像目から。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第107号』より。

6月20日発本官電稟に対する説明

清兵を撤回せしむ可き最後の処置に付、本月17日機密第96号本62并翌18日発電信を以て及上申候(同信は八重山艦に附託して電信と共に送呈す可き準備致し、既に二口翻訳官補を仁川迄差下し候処、同18日支那電線開通の報を得候に付、八重山艦の出帆を相止め申候)に付、委曲御承知之義と存候。
然る処、去18日発貴電同20日致接到候処、其中御訓示相成たる京釜間電線の譲与、日本人に対する内地課税の廃止及び防穀令全廃の事を朝鮮政府に厳談する事は、此場合に於て時勢及徳義上、孰れの点より考案を下すも、断じて得策と為すこと能はず。
抑今回我兵の派遣は、一は我公館と人民を保護し、他の一は朝鮮若し民乱を平定する能はざるときは之を援助す可しと云ふ厚誼に外ならざるに、若し中途に於て俄然其目的を変じ、厚誼の為めに動きたる兵威を借りて、却て彼を強迫する爪牙と為す時は、独り朝鮮政府の怨を買ひ、永く我信用を当国に得る能はざるのみならず、各国政府と雖も必ず我挙動を是視せざるべしと被考候。
加之我国今回の挙は、朝鮮に於て日清両国の勝敗を決し、独立藩属の問題を定む可き緊要の時期と考ふれば、此度の結果にて我勢力は支那を凌駕して充分に伸張するか、若くは其反対の不幸を見るかは相定り可申と存候。
幸に我に利益ある結果を得たるときは、今後我より朝鮮を愛護せざる可からざる代りに、我当然得べき権利も充分伸張するを得べく、且つ少々位の無理も相通り可申と存候(縦令此際支那と衝突を生ぜずとも、支那より我を避けて自ら退くときは、同様の結果を得可くと存候)。
故に、此際専ら朝鮮官民をして我方に左袒せしむること自今の急務なれば、瑣末の難題を持掛け圧制的に其目的を達することは、断じて不得策と思考致候。
又、内地課税及防穀令の如きは、本條約に違犯するものなれば、兵威を借らずとも之を廃止せしむるを得べく、又仮令兵威を借りて一時全廃の保証を得たりとて、大体に於て我勢力伸びざるときは、退兵の後之を再施せざるを保す可からず。
彼等は、元山防穀に因り巨額の賠償金を払ひたるに懲りもせず、毎年各地に大小防穀あるは好事例にて、畢竟彼等は徳義心に乏く、自己の利益を図らんが為めには国家の利害を顧みざるに出づる結果と御推察候。
又、釜京間電線に付ては別に清韓間の約條有之。
仁川埋立工事は各国の異論に妨害を受け居るものなれば、若し我より強て之を迫るときは、徒らに朝鮮政府を困難の中に陥らしむるのみと存候。
故に、御訓示の事件を提出することは甚だ不得策に有之。
且つ、之を提出する道理なき訳と存候に付、去る20日其大意電信にて上申及び候次第に有之候。
右は、去る20日本官の電稟に対する説明として此段及上申候也。
昨年の4月18日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月17日付『機密第96号』は、この前日の6月25日にようやく到着しています。(笑)
で、それと「翌18日発電信」、つまり2月13日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月18日発『電受第266号』で、「清兵を撤回せしむ可き最後の処置」について上申したので委細承知してると思う。

しかし、2月12日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月18日発『電送第218号』が6月20日に到着し、その中で訓示している京釜間電線の譲与、日本人に対する内地課税の廃止、防穀令全廃を朝鮮政府に厳しく求めるってのは、時勢においても道徳上においても、断じて得策とすることは出来ない、と。
2月27日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月20日発『電受第291号』の焼き直しっつうか、詳細バージョンって感じですね。

で、今回の日本の派兵ってのは、昨年の1月30日のエントリーで大鳥に訓令されたように、第一に日本公館と人民保護を目的とし、他の一方では朝鮮がもし民乱を平定できない時には援助するという厚誼に外ならないのに、もし途中でその目的を変えて、厚誼のために派遣した兵威を借りて朝鮮政府を脅迫する道具にすれば、ただ朝鮮政府の怨みを買い朝鮮の信用が得られないだけでなく、各国政府も日本の挙動を座視しないだろう、と。
まぁ、そうですわなぁ。

で、日本の今回の挙は、朝鮮で日清両国の勝敗を決し、独立国か藩属国かの問題を定める重要な時期と考えるので、その結果として、日本の勢力が清国を凌駕するかその反対の結果を見るかわかるだろう。
もし日本が勢力を伸張させれば、今後日本が朝鮮を愛護しなければならない代わりに、当然受けるべき権利も充分伸張できるだろうし、多少の無理も通るだろう。
で、たとえ清国と衝突が起きなくても、清国が日本を避けて自ら撤退するときは、同様の結果が得られるだろう。
従って、今は朝鮮官民を日本側に引きつけるのが急務であり、小さな難題を持ちかけて圧制的にその目的を達しようというのは、断じて不得策である、と。

大鳥は、清国との力関係の決定後に、朝鮮人の事大根性を上手く利用すれば良いという立場。
割と、大鳥の言ってる事って、「それ清国のやってる事と何が違うの?」っていう世界な気がするんですが。(笑)
まぁ、従来「独立国」として取り扱ってきた結果が、「現状」ですからねぇ・・・。
一方で陸奥は、現状で清国と同等の権利を日本によこせって立場、かな?
最恵国待遇でもあれば、陸奥の言うことも「あり」なんですがね。
それでも陸奥の方が「独立国」としての取扱をしている気が。(笑)

で、内地課税や防穀令なんかは、元々条約違反なんだから兵威を借りなくても廃止できる。
逆に兵威を借りて一時全廃させたとしても、日本の勢力が浸透しなければ、撤兵後にまたやるだろ、と。
いや、日本の勢力が浸透しても、条約違反はやらかすと思うんですが。(笑)

朝鮮では、1889年(明治22年)の防穀令事件で多額の賠償金を払ったのにも懲りず、毎年各地に大小の防穀があるのは好事例で、結局彼等は道徳心に乏しく、自分の利益のためには国家の利害も顧みない結果だと思う、と。
出所が「全羅道地方旅行の我国人某」なのでソースとしては怪しいですが、昨年の1月8日のエントリーでも、東学党の乱が始まる大元になった古阜郡守の趙秉甲の防穀令の話が出てました。
で、その時に「っていうか、防穀令事件以外にも普通にあちこちで防穀令とか出てたのかなぁ・・・。」と疑問を呈していたわけですが、やはり結構あったようで。

で、釜山・京城間の電線については、別に清国と朝鮮間で約束がある、と。
高宗実録では高宗23年2月11日、つまり陽暦の1886年(明治19年)3月24日に『中國代辨朝鮮陸路電綫續款』という記事があり、その翌年の高宗24年3月25日、陽暦の1887年(明治20年)4月18日に「中國允譲朝鮮自設釜山至漢城陸路電線議定合同條約成」という記事があり、全7条の合同條約が見られます。
恐らくは、後者の話だと思うんですが、先客あり、と。
まぁ、陸奥も3月6日のエントリーの半公信等で見たとおり、取りあえず修繕させろや、という方向ではあるんですが、しょっちゅう使えなくなりますからねぇ。
俺に電線ひかせて保守させろ!って言いたくなる気持ちは、史料見てれば痛いほど分かります。(笑)

次に、仁川埋立工事は各国の異論で妨害を受けたものなので、もし日本が強いて迫れば、朝鮮政府も困るだろう、と。
ってことで、この機会を利用した利権の要求ってのは非常に不得策であり、単なる条約違反だったり、先約があったりでそれを提出する道理も無い。
だから、2月27日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月20日発『電受第291号』として大意を上申した次第だ、と。

まぁ、折角の説明ですが、これまた7月4日まで着かないんですよねぇ。(笑)


今日はここまで。



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