何か、一つは『今月の回顧録』とは言え、3日連続でエントリーするのに疲れてる、堕落したdreamtaleです。(笑)
ども。
以前は普通に毎日書いて、そこから週5日になって、週3日になって。
これ以上は更新ペース遅くならないように、頑張ります。
つうか、これ以上遅くなったら、話終わんねーし。(笑)

ってことで、今日もアジア歴史資料センターから史料を見ていきましょうか。
今日はまず『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
25→24画像目が英文で、26→27画像目が和訳になっています。
青木から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第389号』より。

Mutsu
Tokio

Considering false press statements respecting our designs in Corea absolutely necessary to publish your three propositions to China.
I have secured Reuters agency, can command thereby European press.
Perfect understanding with Minister for Foreign Affairs who recommends speedy negotiation in order to keep Russia out.
British Minister to China is instructed to render good-offices.
Minister for Foreign Affairs admit advantageous extensions possible on actual negotiation with China Minister for Foreign Affairs desires to secure the integrity of Corea by joint guarantee of China and Japan remembers my idea of separate occupation of 元山, 釜山浦.
China bought two steamers.
England's attitude in Treaty-revision unaltered; desires prompt conclusion.

在英公使


朝鮮に対する我が企図に関し、新聞紙に誤報を掲載するに付ては、貴大臣より清国へ提出相成りたる3ヶ條の提議を公にすること極めて必要なり。
本使は、「ライタル」通信社を手に入れたれば、之に因て以て欧州の新聞を左右することを得るなり。
英国外務大臣とは充分の談合付き、同大臣は露国を局外無関係の地に立たせ置く為め、速に談判を開くべきことを勧告す。
清国駐箚英国公使は斡旋の労を執るべき旨、訓令を受けたり。
同大臣は、清国と実際談判に臨み、利するとする多からんとのことを認め、且つ日清両国協同の担保を以て、朝鮮国土の完全を確めんことを希望せり。
両国別々に元山と釜山浦を占領することに関する、本使の考案を御記臆ありたし。
清国は、汽船二艘を買入れたり。
朝鮮に対する日本の計画に関して、新聞に誤報が掲載される事を思えば、陸奥から清国へ提出した3ヶ条の提議、つまり東学党の協同鎮圧、行財政改革、自衛のための十分な陸軍を組織の3点を公表する事が必要だ、と。

7月21日のエントリーなんかで、Timesで「日本や列強との共同占領や共同統治、共同での高宗への改革提議についての提案」とか李鴻章が言ってるようですし、日本の提議内容を公表するってのは、良い考えじゃないかと思うんですが。
つうか、そもそも何でもっと前から、報道だけじゃなく各国政府にも話してないのかが疑問。

次の「ライタル」通信社ってのは、英文見て分かるとおりロイター通信社の事。
それを手に入れたので、ヨーロッパの新聞の論調を左右できる、と。
本当かよ。(笑)

ロシアを閉め出すために速やかな交渉を勧告するイギリスの外務大臣と、完全に合意してくれ、かな?
訳文の方は微妙に違う気がする。(笑)

で、在清国のイギリス公使は、斡旋の労をとるように訓令を受けた、と。
9月15日のエントリーの、キムバーレーからオコンネルへの訓令の件でしょうね。

イギリス外務大臣は、清国と日本の共同保証により朝鮮国土の完全性を確保する事を希望している。
元山と釜山の分割占領に関する私の考案を記憶に止めて欲しい、と。
9月3日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電受第365号』で言ってた話の事ですね。
つうか、そんな考案眼中にあるわけ無ぇだろ。(笑)

清国は2隻の蒸気船を買った。
イギリスの条約改正の態度は変わらず、速やかな妥結を望む、と。
そういえば、条約改正というデカイ話も、この時期あったんだよねぇ。
忘れてた。(笑)

さて、次の史料から9日の史料に入っていきます。
まずは、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』から。
21画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月9日付け7月17日接受の『機密第121号 本70号』より。

内政改革案提出の件

朝鮮政府に向ひ内治改良勧告の儀に付、去6月28日機密第26号貴信を以て屡々御訓示有之候処、同件に付ては其前既に再三の御電訓有之、且つ加藤書記官を以て御口達の訓令も有之候に付、本月3日(即機密第26号貴信接到の2日前)、別紙甲号之通り改革方案綱領5條に趣意説明を添へ、外務督弁に提出して大君主陛下に転奏方依頼致候。
然処、当政府の内部には改革反対派の勢力頗る熾にして、改革派は之に抵抗する能はず。
加之改革派と雖ども、去17年金朴等の失敗を鑒み、進んで改革を唱ふるもの無之に因り、果ては満朝反対の声と相化したるが如く致伝聞候得共、我勧告に向ても亦彼等推切りて之を拒絶する気力無之候哉、去7日朝、内務督弁申正熙、同協弁金宗漢、曹寅承の3名は、我勧告に従ひ改良取調委員を命ぜられたる旨、同夜外務督弁より官員を派して通知有之候。
尤も、内政改革協議に付、初めより外務督弁は公然照会等を用ゆる事なく、内密に取計度旨申出候得共、御訓示の次第も有之候に付、同7日に至り遅延ながら別紙乙号之通り照会し、併に委員と会同せん事を相促し置候処、昨8日夜属員を派し、「公然照会せられては迷惑の廉不少に付、何卒撤回する様にと」依頼有之候へ共、断然拒絶致置候。
猶ほ、今明日にも委員会同の期に立至り候はば、第一彼等の委任の権限相慥め、果して我相談に応じて改革実行に至る可き権限を有し居り候はば、別紙丙号之改革案を以て協議に及び、且つ各條の緩急を見計ひ、期限を定め必行相迫り可申と存候。
将又別紙丙号の改革綱目は、機密第26号貴信にて御訓示の條項とは致相違候得共、右は去3日提出の綱領を追ふて取調候者に付、今更之を改むる訳に至兼ね候。
尤も、御訓示の條項をば一切其中に含蓄せしめ、遺漏なき様に取計候。
別紙相添右及上申候也。
「6月28日機密第26号」ってのは、6月4日のエントリーの栗野が持って行った1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』ですね。
つうか、あれから約4ヶ月も経ってるのか・・・。_| ̄|○

兎も角、朝鮮政府に対する内政改革勧告の件については、以前から再三の電訓があり、かつ加藤書記官の口達による訓令もあったので、『機密送第26号』が届く2日前の7月3日に別紙甲号のとおり、改革方案綱領五條に主意説明を添えて外務督弁に提出して、高宗への転奏を依頼しておいた、と。

高宗への転奏云々に関しては、9月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電受第360号』でも触れられてましたね。
つうか、6月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日発『電送第256号』で、「Regarding our proposal to Corea for reform its detailed instructions will be sent in writing by earliest opportunity.」って言われてんだから、文書の到着待てよ!
誰が具体的な改革案まで提出しろって言ってんだよ。
全く。

で、朝鮮政府内部の改革反対派の勢力は非常に盛んで、改革派はそれに抵抗できない。
おまけに、改革派も明治17年の甲申事変の失敗を鑑みて、進んで改革を唱える者も居らず、最後には反清国派になったかのように伝え聞いてた、と。
改革推進と清国への反対って割と表裏一体ではあるんですが、その辺差し引いても、目的が反清国になっちゃったんだろうなぁ。
つうか、単なる党争かも。(笑)

兎も角、そんな感じで改革反対派の方が勢力が強いけども、かといって日本の勧告について押し切って拒絶する気力も無いようで、7月7日に申正熙、金宗漢、曹寅承の3名が、日本の勧告に従って改良取調委員に命ぜられたという通知が外務督弁からあった、と。

尤も、内政改革の協議に付いては、最初から外務督弁は公文書を使わず、内密に取りはからいたいという申し出があった。
しかし、訓示の次第もあるので7月7日に別紙乙号で照会し、併せて委員と会同することを督促しておいたら、「公然と照会されては迷惑の種になる事も少なくないので、何とか撤回してよ」と依頼があった、と。
清国にばれるとヤバイもんね。(笑)

勿論大鳥はそれを拒絶。
7月16日のエントリーの内信でも、口約束だけじゃ後日言った言わないの水掛け論になって、いつものように有耶無耶な状態になる懸念もあるので、公文で照会してその回答も公文で出させろって言われてましたしね。(笑)

で、今日明日にも委員と会同する事になれば、まずは委員の委任の権限を確かめて、本当に日本の相談に応じて改革を実行できる権限があれば、別紙丙号の改革案で協議し、かつ各条の緊要度に応じて期限を定めて実行を迫りたいと思う、と。

いや、7月16日のエントリーの内信、ちゃんと読めよ。(笑)

また、別紙丙号の改革項目は、6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』とは相違してるけど、これは7月3日に提出した綱領の後で来たんで、今更変更できないけど、訓示の条項は全てその中に含めて遺漏の無いようにするんで、と。

つうか、先走りすぎだよねぇ・・・。


長くなりましたので、別紙については次回。
ってところで、今日はここまで。



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