今日は前置きなしで。
今日も、『駐韓日本公使館記録』から見ていきたいと思います。
天津の神尾少佐から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月27日付の清国軍の動きに関する報告から。

別紙小官の過去に於ける所見及要電二三貴覧に供し度差出候也。
追て御一覧の上は、軍部当局者及渡辺少佐に御示し相成度し。
神尾の所見といくつかの要電の報告。

ってことで、その別紙を見ていきます。
まずは、神尾の所見。

朝鮮事件一転して日清の関係となりし以来、李鴻章の行為は左の如くなりしと判断せらる。

一.本月17日より18日に至る間に於て、李は左の決心を為したるべし。
兵力に訴へ候も、自己の所信を枉ぐる事能はず。
換言せば、日本の要求は断じて容る事能はず。
寧ろ兵力に訴べし。

一.前記の決心に基き、次の処置を為したり。

一.盛京軍及北塘の兵并に軍艦数隻に出師準備を命ぜり。
二.一時出発を見合せありし蘆臺山海関の残余の兵を送遣せり。
三.北洋一般に戒厳令を布けり。
四.盛京軍北塘兵の派遣を奏請せり。
五.朝鮮国王に電報せり。
云く、如し日兵をして先づ撤せしめざれば、我も亦兵を派して彼れと争はん爾の因危し。
然るに、1日待ち2日待つも遣兵の勅許は来らず。
漸く21日若くは22日に至り、軍機大臣より密寄あり。
曰く、和すべくは和し、戦を避けよと。
之と同時に総理衛門よりも来翰あり。
各国公使が出兵を以て不可と為す故に、貴大臣出兵の事には同意し難しと。
出師準備を完れり在朝の為官は切りに増兵を請ふにも拘はらず、今日まで1兵も派する事能はざるなり。
然し、目下尚北京政府と往復中なるべく、且又盛京軍等は全く準備を終へ一令の下発し得る用意を為し居れり。
但し海軍の準備はなし。
カウントカシニー氏は肥後丸に乗る筈なりしが、俄に其行を止めたり。
密に寄り尚数週間は滞在すべしと。
思ふに、両国間に口入れの為めなるべし可悪云云。
盛京軍の出発は、北京政府が李の説に同意したる時なり。
宣戦布告と同様に心得不能被為候。
さて、李鴻章は6月17~18日の段階で日本の要求を受け入れず、むしろ兵力に訴えるべきだという決心をしたらしい、と。
この辺、2月19日のエントリーの1894年(明治27年)6月19日付『機密第8号』でも見ましたね。

で、各兵の出発準備をすると共に、北洋一帯には戒厳令を布き、盛京軍北塘兵の派遣を要請。
高宗に対しては、もし日本兵を先に撤兵させなきゃ、清国も兵を出して戦争になるかもよ、と。

ところが、待ってても中央から出兵の許可が出ないばかりか、軍機大臣からは妥協できるとこは妥協して戦争は避けろ、と。
同時に、総理衛門からも、各国公使が反対してるから出兵には同意できない旨の書翰が来て、出兵できないでいる、と。
3月5日のエントリーを始め、何度か清国の援軍が送られる話が出ていたのに実際にはまだ送られてないのは、そういう事情のためだったんですね。

で、現在北京政府とやりとりしてて、増援部隊は準備を終えて、命令が出たら即出発できる態勢。

在清ロシア公使のカッシーニは、3月4日のエントリー辺りでは海路でロシア本国に帰る事になってたんですが、どうやら延期して暫く滞在するようで。
っつうことは、5月2日のエントリーでウェベルを予想してた李鴻章からの斡旋依頼は、カッシーニのまんまで良いのかな?
ま、いいや。(笑)

最後に、盛京軍が出発=北京政府が李鴻章に同意だから、宣戦布告と同様だと思っておいた方がいいべ、と。
東学党の乱が鎮圧したと言っている以上、現段階以上の増兵ってのは日本側への敵対行動に他ならないわけで。

続いては、別紙のうちのもう一つ。
要電2~3の方を見ていきます。
全部まとめて見ていきますので、よろしく。

6月22日李鴻章の幕僚より葉提督に送りし電文

蘆防隊伍300人、馬80匹、楡防雷営70余名、帯旱雷100余、踹雷30并碰雷各件18晩到塘沽上陸定19晩潮出口赴牙江18晩五點鍾自沽關牙19

6月23日聶士成よりの来電

近日教匪雖未盡平己派小隊恠緝匪首惟倭人陸続来兵万人船9艘由仁至漢布置厳密並於漢城修築行営砲台韓王甚恐頃拠袁観察電称明日倭使請見韓王必議三事雖囑其堅持我無大兵助其胆未知究能持否云適在軍門処見相電己由芦楡両防来兵300馬70並水旱各雷比清軍門電止縁此時与倭議尚未定局若果議不成我再水陸多来大兵俾各名正言順今僅来300無濟抱事反惹倭人籍口此成愚見未審高明以為然否 20 成

前電の返電

漢城即逓 聶統領函電悉情形得為代達所論倭議未完添小隊無益甚為有是名亦深知雷馬現無大済惟軍門電催海定載馬100匹人419下午五點鍾己自唐沽開牙三更軍門電至止行業己無及牙山駁船究有幾隻就地添僱尚易否望告軍門早筹并詳示名

6月25日葉提督よりの来電

効両電悉余匪未清現派功亭帯続往剿撫兼行倭兵日増築台立営分布漢仁扼要各処反客為主多端侮韓勢張甚令憤々殊難堅忍超禡午

前電の答電

禡午電悉倭師張狂韓延惶惑無主令人憤懣懸軍究海勢皆難相述尊意進紮三路所見極是訳署以各国公使勧勿添兵難違其意尚祈加意撫循堅忍以待功亭進搜余匪自是正辨想已切戒弁勇但得治渠魁数輩勿苛協従再相聞全城被乱遺民焚糧惨苦頗為怜憫戒飭査明稍々賑恤以布国家字小之仁尤為得体於公意如何禡未
東学党の残党の話と日本兵の状況報告。
日本兵が進駐して京城や京仁間の要所押さえたりしてるし、高宗はそれにビビッてる状態。
でも、日本兵との議論が終わってないうちに増派するのは無益だし。
うぃ。
各国公使も止めとけっていってるし、取りあえず我慢して匪賊の残党狩りしといて。
って、超訳しすぎかな・・・?(笑)


兎も角、長くなってきたので今日はここまで。



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