今日は前置きなしで早速。

アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』より。
23画像目。
在イギリス青木公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月20日発『電受第278号』から。

Mutsu
Tokio

With reference to eventual understanding with China respecting Corea, I call your attention to Anglo-French agreement of 2月 2日 1888 with regard to their con-dominion on the Somali Coast.
Separate protectorate is always preferable.
I therefore propose to protect four southern provinces under our exclusive control of their external and internal affair recognizing at the same time Chinese protection of three northern provinces under same conditions, while leave 京畿道 provisionally to the entire control of Corean King with mutual obligations of both protectorates to oppose any attempt on the part of third power to acquire or assert any right over this province.

在英公使
朝鮮に関する清国との最終的な合意に関して、私はソマリコーストの共同統治に関する1888年2月2日の英仏協定について、貴下の注意を促す。
分割保護領が常に望ましいため、南部4道の内外の事件を我々の独占的支配下で保護し、同時に北部3道を同様の条件の下で清国の保護を承認し、一方で京畿道は双方の保護領としてこの地域の何等かの権益を獲得または主張する第三勢力のいかなる企てにも対抗する相互義務を付けて、暫定的に朝鮮国王の完全な支配下に置くことを提案する、かな?。

ってことで、北半分を清国領朝鮮。
南半分を日本領朝鮮。
京畿道を朝鮮の暫定統治地域にという、やたら唐突な分割統治案ですな。

恐らく、4月14日のエントリーでの1894年(明治27年)6月16日付『電送第208号』によってイギリスの外務大臣辺りに伝達し、それに対する返事って事だとは思うんですが、このまますんなり読めば、無関係な青木公使の唐突な意見という事に。(笑)
青木くん、言葉足りなすぎだよ・・・。

つうか、清国との最終的な合意って、気が早いだろ。
しかも、既にソマリア辺りと同一視されてるし。(笑)

続いて、同じく24画像目左側。
大鳥公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月20日発『電受第284号』より。

Mutsu
Tokio

全羅道 revolt seems to have been completely quelled.
Why do you send Japanese soldiers to 釜山浦 and 元山 without consulting me.

Otori
全羅道の反乱は、完全に鎮圧されたと思われる。
何故私に相談せずに、日本兵を釜山と元山に送ったのか、と。

いつの時点の上陸か不明ですが、当初予定に更に追加して派兵するには、時期的に早すぎる気がしますので、やはり大鳥公使の現状報告前に送られたものだと思うんですけどねぇ。
ちょっと保留。

続いては、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の19→18画像目より。
同じく大鳥公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月20日発『電受第291号』。

Mutsu
Tokio

Carefully considered your telegram 六月十八日 which was received 六月二十日 of p.m.
But I cannot take steps mentioned in that telegram because we have no grounds whatever to make such demands against Corea, and in my opinion, there is no other course than that mentioned in my telegram 六月十八日 it is absolutely necessary prompt and decided action should be taken and I expect your prompt answer.
It appears that some Powers entertain suspicion upon our attitude toward Corea in sending such powerful forces.
Hope you will take best possible means to explain our object to those powers.
6月18日付の電信は、勿論2月12日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日付『電送第218号』の事。
この機会を利用して、京城・釜山間の電信線の権利、日本人への内陸部での課税廃止、防穀令の完全な廃止などを要求するかもしれないってヤツですね。
まぁ、電信線の修繕ってのは確かに吃緊の課題でしょうけど、その権利や内陸部の課税廃止や防穀令の完全な廃止ってのは無茶な話なわけで。(笑)
ってことで大鳥も、根拠無ぇーし無理、と。

で、6月18日の私の電信ってのは2月13日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日発『電受第266号』の事でしょう。
私の見解では、それで建議した事項以外には方法は無い、と。
これは、日本兵より先に清国兵の撤退を要求する件でしょうね。

ってことで、迅速で断固とした行動を取ることが絶対に必要であり、直ちに回答を願う。
いくつかの列強は、朝鮮にあれほどの大軍を派遣した我々の態度を疑っているように見える。
貴下は、その列強達に我々の目的を説明する最善の方法をとるよう願う、と。

続いて、再び『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』に戻って、10画像目左側。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月20日発『電受第274号』。

Mutsu
Tokio

王大臣 promised to telegraph 李鴻章 to answer through 在日本清国公使 as previously instructed though I urged them to telegraph 在日本清国公使 direct to secure quickness.

Komura
王大臣は、以前の訓令のように、在日本清国公使を通じて回答するよう李鴻章に打電すると約束した。
しかし私は、迅速性を確保するために、直接在日本清国公使に送ることを促した。
前回の1894年(明治27年)6月20日発『電送第225号』を受けての要求ですね。
結局回答は清国公使を通じて行われる事に。


今日はここまで。



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