んー、いよいよ「東学党の乱」の続きをやる事に。
つうか、今度も長くなりそうなんで、やる前からかなり憂鬱なんですが・・・。(笑)

東学党の乱の前半戦は、全州奪還でひとまずケリがついたものとして、取りあえず「東学党の乱、ここまでのまとめ」から、東学党関連を除いた、今回の話に関係してきそうな話のおさらいを。

1894年(明治27年)6月1日
高宗及び閔泳駿が清国への援兵要請を決定。
勿論、5月18日の御前会議で否決されたと思っている朝鮮政府は、誰もこの事実を知らず。

1894年(明治27年)6月2日
朝鮮政府、御前会議で清国出兵について議題に上る。
「袁世凱に朝鮮軍を指揮させるってどうよ?」という高宗の折衷案も実らず、結局高宗及び閔泳駿が袁世凱への内議を既に終えており、今更覆す事も出来ないと追認する形に。
一方日本政府は、済物浦条約及び高平臨時代理公使の知照に基づく出兵を閣議決定。

1894年(明治27年)6月3日
朝鮮政府が清国に援兵を公式に依頼。
この3日夜から4日にかけて、清国軍艦4隻が出港。

1894年(明治27年)6月5日
日本政府、天津条約に基づいて出兵の通知を閣議決定。
大鳥公使、横須賀を出発。

1894年(明治27年)6月7日
清国側・日本側、相互に出兵の知照。
この時点で、文中の「保護属邦」を問題視し、日本側は清国側に抗議。
朝鮮政府、清国に上陸差し止めを要求。

1894年(明治27年)6月8日
牙山に清国兵約1,000人が到着。
朝鮮政府、日本に派兵撤回の要求。

1894年(明治27年)6月9日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に仁川港に到着。
第二陣の清国兵500人が牙山に到着するも、上陸はせず。

1894年(明治27年)6月10日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に京城入り。
第三陣の清国兵600人が牙山に到着するも、これまた上陸せず。

1894年(明治27年)6月11日
6月9日からこの日まで、順次日本の後続隊が出港する。
大鳥公使、旅団派遣の中止を要請するも間に合わず。

1894年(明治27年)6月13日
日本の第二陣の陸兵800人が京城に到着し、先発の海兵隊と交代する。

1894年(明治27年)6月15日
日本政府、朝鮮の内政改革を柱とする閣議決定。

1894年(明治27年)6月16日
外務大臣陸奥宗光、在日清国公使の汪鳳藻と会談し、閣議決定の内容を伝える。

1894年(明治27年)6月17日
大鳥公使は、内乱が鎮定されたのであればそれを目的に朝鮮に来ている清国軍が撤兵すべきであり、それを鎮定の証拠として今度は日本軍が撤兵する手順を決意。
ここまでですかね。

計算上は清国が合計2,100人で、日本が合計1,220人。
清国は1,000人が上陸済みで、1,100人が上陸待機中。
日本が1,220人上陸済みで、そのうち最初に入京した海兵隊420人は第二陣の陸兵800人と交替して、交替後はイマイチ掴めてない状態、と。

さて。
今回最初の史料は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』の24画像目から見ていきましょう。
陸奥から、天津の荒川領事への1894年(明治27年)6月17日発『電送第209号』より。

Arakawa,
Tientsin.

Received your telegram of 六月十六日.
See 李鴻章 and tell him that I have not yet received definite report about restoration of peace and order in Corea, and that with a hope not only to restore peace and order quickly now but also to secure them for the future so as to avoid permanently troublesome occurrences on account of Corea, I have proposed to Chinese Government as per my last telegram which you should tell him in full, and ask him to give answer through 在日本清公使 as soon as possible.
If he asks you to convey his message to me on the subject, you are to answer that it is desirable to be communicated through proper channel namely 在日本清国公使.

Mutsu.
冒頭の6月16日の電報を受け取ったってのは、4月12日のエントリーの1894年(明治27年)6月16日発『電受第250号』の事で、葉提督の報告によれば、朝鮮政府が全州を回復したのは事実であり、日本政府が同時に日本軍を撤収させるなら、清国も直ちに撤兵する云々って電報の事ですね。
つうか、変なところで区切っちゃったなぁ・・・。(笑)

で、李鴻章に会って、まだ朝鮮の平和と秩序の回復に関する明確な報告を受けていないって言っといて。
そして、現今の平和と秩序の回復を希望するのみならず、将来もそれを確保し、朝鮮でやっかいな事件を永久に起こさないために、中国政府については、荒川が李鴻章に詳細に知らせるべき私の最後の電信に従って提案済みだから、李鴻章に在日本清公使を通して直ちに回答するように促せ。
もし李鴻章が、本件に関する彼のメッセージを荒川から私に伝えようとする場合、正式な通信方法である在日本清国公使を通して伝達するのが望ましいと回答すべきだ、と。

「荒川が李鴻章に詳細に知らせるべき私の最後の電信」ってのは、4月16日のエントリーでの陸奥から北京の小村臨時代理公使と天津の荒川領事への1894年(明治27年)6月16日付『電送第206号、電送207号』で、内容的には4月15日のエントリーの陸奥外務大臣から大鳥公使への1894年(明治27年)6月16日付『電送第205号』と同じ。
つまり、「朝鮮の反乱を鎮圧して秩序を回復し、日清両国が合同委員を任命して朝鮮の行財政を改革し、朝鮮の自衛のために十分な陸軍を組織すること」ですね。
これを清国政府に伝達済みだから、お前、李鴻章から返事もらえや、って事ですね。


連載再開で、久しぶりに活字じゃない史料なんで、リハビリがてら軽めに一つの英文史料だけで、今日はここまで。(笑)



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