さて、先月中頃に4つもエントリーを使うほど対韓政策についての具申を述べてた京城領事の内田定槌ですが、その返事も無いうち、というか、その翌日には再び具申を行っています。(笑)
今日はまずそれを見ていきたいと思います。

史料は、アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』。
25画像目。
内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月27日付『機密第28号』より。

対韓政策に関し意見再申之件

今回帝国政府より、海陸の大軍を当国へ向け御派遣相成候好機会を利用し、当朝鮮国を以て我日本帝国の保護国と為すの条約を締結し、我政府に於て当国の内治外交に干与し、其進歩改良を図りて之を富強の域に導き、一は以て我帝国の勢力を拡張し、併せて帝国商民の刑益を増進するの御政策を執られ度旨、昨26日付機密第26号を以て上申致置候処、右条約の締結方は一日も御遅延無之、可成速かに御決行相成度ものと存候。
何となれば、斯る条約を締結するには、当国政府に向て多少の威力を示すの必要も可有之と存候処、若し今後清国の軍隊が続々入京することにも相成候はば、現政府の当路者は例によって之を頼みとし、我外交官の言を容易に採用せざるべきを以て、其掛合方、益々困難に至るべき義と存候。
尤も、斯る計画を実行するには、我国と清国との衝突は到底免る可からざる義に付、早晩交戦を要する事と存候処、弥交戦の廟議相定り候上は、我軍隊が当地に於て昿日持久、清兵陸続として来着するを俟ち、彼より我に向て戦端を開きたる時に至り始めて之に応戦せんよりは、寧ろ清兵の入京に先立ち速に当国政府に要請し、朝鮮国をして我日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結し、我政府は此条約に依り、朝鮮政府をして現に牙山其他の地方へ屯在する清兵の撤去を要求せしめ、若し之を撤去せざるときは、其所為を以て当国の安全を害するものとし、我より進んで之を襲撃し、爾後続々当地へ向て来着する清兵は皆、之を途に要撃して其入京を拒絶する様致度ものと存候。
若し夫れ然らずして徒らに清兵の来着を俟ち、戦否を決せず、亦当国政府に対しても何等の処分を決行せざるときは、折角我数千の軍隊が当地へ先入したる甲斐も無之候に付、今回の事件は何卒清韓両国を始めとし、其他の列国をして所謂霹靂一声迅雷耳を掩ふに遑あらざるの感を起さしむること、頗る肝要と存候。
右及再申候。
敬具
5月16日のエントリー5月19日のエントリー5月21日のエントリー5月23日のエントリーで具申した保護条約の件については、成るべく早急に締結をして欲しいと思う、と。
いや、前日に具申したばっかりなのに。(笑)

何故なら、このような条約を締結するためには、朝鮮政府に対して多少軍事的圧力をかける必要もあるだろうと思うが、もし今後清国の軍隊が京城入りすることになれば、朝鮮政府当局者は例によってこれを頼みとし、日本の外交官の言葉を簡単には採用しないだろうから、その交渉は益々困難になるだろう。

尤も、このような計画を実行すれば、日本と清国との衝突は到底免れないだろうから、遅かれ早かれ交戦が必要だろうし、いよいよ交戦が廟議で決定されれば、日本軍が為すことなく月日を過ごして清国軍が続々と到着するのを待ち、清国から日本に向けて戦端を開いてから応戦するよりは、清兵が入京する前に朝鮮政府に要請し、朝鮮国に日本の保護を受けさせる条約を締結し、朝鮮政府から清国兵の撤去を要請させ、もし撤去しない場合にはそれを朝鮮の安全を害するものとし、その条約に基づいて日本から清国軍を襲撃し、以後朝鮮に到着する清国兵は、みんな途中で要撃して入京を拒絶するようにしたいと思う、と。

まぁ、確かに専守防衛よりは先制攻撃の方が被害は少なくて済むわけですが。
つうか、前回の具申の時もそうだったんだけど、視野が狭い気が・・・。(笑)
実際に開戦避くべからず、って状況になれば有効な手段かも知れませんが、まだ色々と交渉中ですからねぇ。

で、それをせずに徒に清国兵の来着を待ち、戦うか否かを決定せず、朝鮮政府に対しても何も行わなければ、折角日本軍数千が朝鮮に来た甲斐も無いため、今回の事件は清韓両国だけでなく、その他の列国に対しても雷鳴が鳴って耳を塞ぐ暇がないって感じを起こさせるのが、非常に重要だろうと思う、と。

いや、「開戦」だけならそうかも知れませんがねぇ・・・。(笑)

さて、これで6月27日の史料終わったかと思って、28日の旅団報告を見に行ったんですが、27日の旅団報告がまだあることが分かりまして・・・。
5月30日のエントリーで見た『第8号』で、6月27日の報告終わりじゃなかったのね。
_| ̄|○

ってことで、アジア歴史資料センター『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第9号(レファレンスコード:C06061758500)』を見ていくことにします。
んでは早速。

混成旅団報告  第9号日

一 第二次輸送兵、本27日午後5時頃悉皆到仁す。
 直に揚陸に着手し、上陸次第出発。
 龍山に向ひ出発することに決す。
 第二次の先着大隊は、直に出発する筈なり。

二 此諸兵は、龍山先着隊の幕営地の西方、揚花鎮より南大門に至る道路の附近に宿営せしむる予定なり。

三 宮門を守備することは目下必要にして、本便を以て到来したる加藤并に釜山総領事も大賛成に付き、右両人公使へ談判の為め、夜を冒して京城に入る筈なり。

右謹而報告仕候也。
5月30日のエントリーで見た『報告第8号』中にも、「第二次輸送諸隊、本日仁川に到着するの予定なるを以て、長岡参謀を仁川に派遣す。」とか「午后8時20分、在仁川兵站監の電報到着。曰く、我運送舩続々入港す。」なんて報告がありましたが、第二次輸送隊の到着は27日の5時頃、と。

すぐに京城へ出発し、龍山に先に到着している部隊の西、揚花鎮から南大門への道路附近に宿営予定。
宮門を守備する事が目下のところ必要であり、この輸送隊と共に仁川についた加藤と釜山総領事も大賛成なので、加藤と釜山総領事は大鳥公使に談判のだめに、夜でも敢えて京城入りする筈、と。

加藤が外務省の加藤増雄書記官で、釜山総領事が室田義文かな?
つうか、宮門の守備の「宮門」ってどこの事を指すのかなぁ・・・。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



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