前回は、小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月21日付『機密第25号信』に基づいて、昨年の4月16日のエントリーでの1894年(明治27年)6月16日付『電送第206号』 → 2月8日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月17日発『電送第210号』 → 前回の丙号 → 2月12日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月18日付『電受第264号』 → 前回の戌号と、ここまでの経緯を見てきました。

で、その戌号については、清国政府の存意を探る一方で、この件に関して局外漏洩を予防するためだったので、小村の方からは特に弁論しなかった。
ただ、徐用儀の言に、李鴻章からの電報で、3ヶ条は日本政府から天津領事の荒川を経て申し入れたとあり、汪公使からの電報との事は更に承知していないとの事だった、と。
んー、やっぱり汪鳳藻はちゃんと通知してなかったのかなぁ・・・。

で、陸奥から汪鳳藻に申し入れた件について、荒川経由で李鴻章に申し入れる筈が無いと考えて、2月19日のエントリーの1894年(明治27年)6月19日発『電受第268号』を発しておいたところ、2月26日のエントリーの1894年(明治27年)6月20日発『電送第225号』の通り重ねて電訓を受けたので、直ぐに清国政府側と対談。
その対話の次第が辛号の通り、と。
ってことで、その辛号を見ていくことにします。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』の11画像目から。

在東京清国公使汪鳳藻を経て、外務大臣より申入れられたる3ヶ條の提案に対する清国政府より回答の件に関し、明治27年6月20日午後3時総理衙門に於て面談筆記如左。

列席総署大臣 孫毓汶 徐用儀 張蔭桓 崇禮
臨時代理公使 小村寿太郎 三等書記官 鄭永昌譯述

小村
本日御面談致し度き義は、我政府より提出せし3ヶ條に対する貴国政府よりの御回答の件に付、尚ほ一応伺ひ度き事あり。
即ち、昨日貴大臣等の御話に拠れば、右3ヶ條に対する御回答は在東京貴国公使を経て我外務大臣へ転達すべき旨、李中堂へ御発電相成りたるやに了解致したるが、全く夫れに相違なきや。


然り。
本大臣等は、貴国政府より提出せられたる3ヶ條に対する我政府の意見(即ち昨日陳述せし如く)は、在東京汪公使を経て貴国外務大臣へ回答すべき旨を李中堂へ電達し置きたり。

小村
然るに、本日我外務大臣の来電に接したるに、汪公使は未だ何等の回答も致ささる趣。
即ち、昨日御申聞の事実と齟齬致し居るに付、再応御尋ね致す訳なり。


昨日も申上たる如く、最初より此の3ヶ條は在天津貴国領事より李中堂へ提出せしに付、李中堂は之に基き其回答振を本衙門へ伺ひ出たり。
依て本衙門は、我政府の意見を在東京汪公使経由貴国外務大臣へ回答すべき旨を同中堂へ電達せり。

小村
右3ヶ條の提案は、我外務大臣より在東京貴国公使をして貴政府へ申入れたること、事実相違なし。
然らば、貴国政府より之に対する回答は、是非汪公使を経て我外務大臣へ転達せらるべき筈と思考す。


李中堂の来電には、在天津日本領事より申入れたりとあり。
汪公使を経て貴国外務大臣より提出せられしことは、更らに通知を得ず。
多分、在天津貴国領事は、外務大臣の訓令に拠り汪公使よりの電報に先き立ち李中堂へ申入れたる事と推察す。
又、李中堂は同領事の申入に対し、我政府の意見を口頭にて回答せしならむ。

小村
仮令在天津我領事より右3ヶ條を李中堂へ申入たるにせよ、我外務大臣は公然在東京貴国公使の手を経て提出せし事相達なければ、李中堂も公然汪公使を経て回答せらるる方当然の事と存ず。
実は在天津日本領事を経て回答せらるるは、公然の回答と認め難し 。


貴国領事も外務大臣の電訓に拠り李中堂へ申入たる義に付、之を私の取扱とは云ひ難し。
但し、本大臣等は我政府の回答を在天津貴国領事を経て転達すべしと李中堂へ電達せし事なし。
公然、在東京汪公使をして貴国外務大臣へ回答せしむべき旨を申遣したり。

小村
在天津日本領事が、外務大臣の訓令に基き3ヶ條の申入を為したる事は未だ承知致さず。
此度の事件は、速急貴国政府よりの回答を要する場合に付、願くば昨日御陳述相成たる貴国政府の御意見を、汪公使を経て直接に我外務大臣へ御回答相成度し。


本衙門より直接に汪公使を経て回答致すも、李中堂を経て転達するも、其の出る所は一に帰し、更に等差あるを見ず。
殊に、従来の行掛りも有之。
已に其回答転達方を李中堂へ電達し置きたる上に、又更に本衙門より汪公使へ電令するは、穏当ならざる所置と思考す。

小村
然らば、貴大臣等より李中堂へ急に汪公使を経て回答せらるる様、至急電達あらむ事を希望す。


委細承知せり。
何故に汪公使をして外務大臣へ回答せざるや、電報を以て李中堂へ咨問すべし。

小村
李中堂よりの回答接到せられたる上は、本官心得の為め書面を以て御通知相成度し。


回電来着次第、御通知に及ぶべし。

執拗に汪鳳藻からの回答を要求。
李鴻章の個人的見解としてではなく、清国政府としての回答を求めている事に、清国政府でどれだけ気付いてるやら。

で、「壬号の通り電報差立置候」が、2月27日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月20日発『電受第274号』という事になります。


ってところで、内容的には薄いですが、今日はここまで。



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