仕事イソガシス・・・。_| ̄|○
ってことで、ちょいと更新滞り気味になると思いますが、乞う御容赦。
ハァ・・・。

さて、日本の提案に対する清国側の拒否回答&撤兵要求と、それに対する日本の遺憾表明&撤兵拒否回答から、非常に焦臭い史料が続いております。
もっとも、閔泳駿なんかが笑いのスパイスを振りまいてくれてはいるんですが。
あまりシリアスになり過ぎると「ボクが」飽きてくるんで、丁度良いタイミングでやらかしてくれてると思います。(笑)

さて、今日最初の史料も『駐韓日本公使館記録2』から見ていきたいと思います。
今日最初は、元山の上野二等領事から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月24日付『機密第6号』から。

清国兵員を咸鏡道北部に派遣云々の風説

東学党一事に付ては、咸鏡・江原両道共に是迄至極平穏にして、民間の評説も余り無之候処、昨今に至て当元山市韓人の間に専ら風説有之候は、今般清国兵員を全羅・忠清両道に発送したるを機会とし、清国政府は当国政府と協議の上当咸鏡道の北青より以北、慶興までの間に当る要害の場処二、三ヶ所を撰定し、兵営を築造し、之れに清兵を分派し以て露国兵の侵入を防禦し、永遠の安全を謀る事に密約相整たりとの説頻りに流布致候。
又た、一説には露国兵も公使の護衛を名とし、浦鹽斯徳より陸路慶興を経て京城に派出せしむるに際し、慶興近辺に兵隊を屯在せしめ、尚ほ当元山港へも軍艦を定繋せしめ、万一の用に備ふべし。
而して右軍艦は、不日当港に向け来航すべしとの取沙汰有之候、右両説共に其出処相分兼ね、固より信を置くに足らざる事とは存候得共、当地電報局幇辨なども多少如是説を聞込居候由内話致候。
殊に露国兵員派遣云々の事に付ては、先頃来御内報にも相成居候に付、右は速に電報を以て報上可致と存候得共、去15日より電線断絶未だ修繕相整はず。
不得已郵信に付し、右の趣報明に及候。
尚ほ、此後の景況は探知次第重て可申上候。
匆々敬具
東学党の乱については、咸鏡道・江原道ではこれまで非常に平穏であり、民間の評説も無かったけど、この頃元山市の韓国人内で、清国の今回の出兵を機会に、清国政府は朝鮮政府と協議の上、咸鏡道の北青から慶興までの要害2~3ヶ所に兵営を造り、そこに清国兵を入れてロシアの侵入を防ぎ、朝鮮の安全を図るという密約が整ったという噂が、頻りに流布してる、と。
一説には、ロシアも公使館護衛の名目でウラジオストックから陸路で京城に派出する際、慶興附近に軍を駐屯させ、万一の事態に備えて元山港にも軍艦を停泊させるめ、遠からず元山港に来航するという噂も出てる、と。

どちらも出所不明の噂で信用できる話ではないけど、昨年の4月7日のエントリーで大鳥から上野に電信があったように、以前ロシアの派兵についての話が来てたので、速やかに電報で送ろうと思ったけど、電線の断絶がまだ修理されてないから、仕方なく郵便で送ります、と。

毎度ながらイザベラおばさんの「朝鮮は流言蜚語の国なのである。」を思い出すわけで。(笑)
朝鮮で流れている噂を一々気にしててもしょうがない。
でも、当てずっぽうでも当たるときはあるわけで、内容が内容だけに報告しないわけにはいかないという。
困ったものですなぁ。(笑)

さて、次。
3月21日のエントリーで、仁川に駐留していた日本軍が京城に向かう事が決まっていましたが、それに関連した史料。
大鳥公使から趙秉稷への書簡を『駐韓日本公使館記録2』より。
1894年(明治27年)6月24日付『第56号』。

敬啓者我兵之向在仁川港逗留者本属応調入京城以充備警但本公使審察時勢暫令該処逗留候命祗以現在該処良水漸形短絀未可久留等情屡有所報茲於本日将該兵調來楊花津一帯地方暫行結幕紮住矣為特備函奉佈即希貴督辨照諒可也耑此順頌
台祉
仁川港に逗留している我が兵は、元々京城で警備に充てる予定だったけど、大鳥が状況を察して暫くそのまま逗留させるよう命じていた。
しかし、現在そこでは水があまり出ないため、長期間留まる事ができないという報告がしばしば送られて来たため、軍を楊花津一帯の地方に移して駐屯することとした、と。

楊花津ってのは、現在のソウル特別市麻浦区合井洞。
京城のすぐ近くですね。
駐屯地がそこになるって話なのかな?

さて、続いての史料は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』から。
39画像目。
大鳥公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月24日発『電受第303号』。

Mutsu
Tokio

8. In a private conversation 六月二十三日 evening Russian Chargé d'Affairs ad-interim argued withdrawal of Japanese soldiers as soon as possible.
He said that he has telegraphed morning 六月二十三日 在日本露公使 to inquire into real intention of Japanese Government.
He added that Russian Government would not send their soldiers to Corea in the present circumstances.
I answered that I am waiting for instructions about the withdrawal, that Japanese Government have no object other than to protect our Legation and the people; in this connection I have confidentially informed him Chinese Government have declared to Japanese Government that China has sent troops to Corea in order to assist tributary state.
He told me he would inform his Government the said declaration.

Otori
6月23日夜の非公式会談において、ロシア臨時代理公使は日本軍の早期撤兵を主張した。
彼は、6月23日の朝、日本政府の実際の意図を問い合わせるよう、電信を発したという。
彼は、現在の状況ではロシア政府は朝鮮に軍を派遣しないと付け加えた。
私は、撤兵に関する訓令を待っており、日本政府は我々の公使館と居留民保護以外の何の目的も無いと言った。
これと関連して、私は清国政府が日本政府に対して、属国援助のために朝鮮に軍を送ったと宣言した事を内々に知らせた。
彼は、本国政府にその宣言を伝えると述べた。
このロシア臨時代理公使って、ウェベルかな?

さて、続いてはイギリスの状況。
同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』から、40画像目に本文が。
41~42画像目に訳文が載っていますので、訳文の方のみ取り上げてみたいと思います。
それでは、在英青木公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月24日発『電受第305号』。

英国外務大臣は本日本使を招き、東京及北京よりの電信3通を示せり。
該電信中に、袁世凱は6万の兵丁を要求せりとあり。
英国政府に於て、日清間に交戦起らば第三国の干渉を招くべきに付き、之を防がんと欲すること甚切にして、貴大臣最後の電信に関し穏便の処置を貴大臣に勧告あり度旨本使へ依頼せり。
本使は一己の考として、清国自侭の措置を弁駁し多少説明を為したるに、同大臣も清国と何か適当の談合を付くること望ましからんと自認したり。
然れども同大臣の意見にては、右撤兵を為したる後に談合を付くるを以て可とする方なり。
本使の私かに希望するところは、若し貴大臣に於て英国外務大臣の斡旋を望まるるなれば、常に本使に向て報告し置かるること必要なり。
本使は、今回の事件に付き英国を日本方に引入れんと尽力せり。
東京及び北京からの3通の電信ってのがどういうものかは分かりませんが、その中に袁世凱が6万の兵を要求したってのがあった、と。
袁世凱、やる気じゃん。(笑)

しかし、イギリス政府は日清間で戦争が起きれば第3国の干渉を招くだろうから、それを防ぐことを切に願っており、陸奥の最後の電信に関して穏便の処置を陸奥に勧告してほしいと、青木に依頼した、と。
この最後の電信ってどれだっけ?

で、青木は一個人的考えとして、清国のわがままな措置について弁駁し、多少の説明を行ったところ、イギリス外務大臣も清国と何か適切な話し合いを付ける事が望ましいと自認した、と。
しかし、イギリス外務大臣の意見では、それは撤兵後に話し合いする方が良い、と。
撤兵後に出来るんなら、苦労しねぇ。(笑)

青木が密かに希望しているのは、もし陸奥がイギリス外務大臣の斡旋を望むなら、常に青木に向かって報告しておくことが必要だ、と。
で、青木は今回の事件について、イギリスを日本側に引き入れるように尽力する。
いや、それ当たり前だし。(笑)

何か青木公使はピントがずれてる気がするなぁ・・・。(笑)


長くなりましたが、今日はここまで。



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