ただ忙しいだけじゃなく、会社のパソコンは壊れるわ、リズムは掴めないわで大変・・・。
(;´H`)y-~~

さて。
今日はまず、アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の21画像目。
仁川の能勢領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月24日発『電受第300号』を。

Mutsu
Tokio

(2) All Japanese troops will leave for 京城 1 a.m. 六月二十四日.

Nosse
3月21日のエントリーで、仁川に駐留していた日本軍が京城に向かう事になってましたが、24日の午前1時に京城に向けて出発予定、と。
まぁ、目立たないように夜間行軍って事でしょうか。
つうか、3月21日のエントリーで「6月24日午前1時出発に臨み」って大島が書いてたね・・・。_| ̄|○

続いて、同じく22画像目。
大鳥公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月24日発『電受第303号』。

Mutsu
Tokio

(7) According to secret information it appears that 閔泳駿 is now in bad terms with 袁世凱, and 金嘉鎮 and several others of Japanese party have been appointed officials.
Men desiring entry of 大院君 into Government are gradually increasing.

Otori
秘密情報によれば、閔泳駿は現在袁世凱と不仲となったようで、金嘉鎮及びその他何人かの親日派が官吏に任命されたという。
大院君の入闕を希望する人が、次第に増えている、と。
3月24日のエントリーの大鳥から上野領事への1894年(明治27年)6月24日付『機密105号』や前回の1894年(明治27年)6月24日付『発第85号』などで見られた話ですね。

前回の1894年(明治27年)6月24日付『発第85号』は接受日が7月4日ですので、それよりは10日ほど先に着いてる事になるのか。

さて、次からは6月25日の史料になっていきます。
まずは、『駐韓日本公使館記録1』から。
1894年(明治27年)6月25日の報告。

5月22日(我6月20日)袁世凱より朝鮮政府に送りたる機密書簡

敬密啓者頃接葉大師電開頃接史丞探報沿道地方官與雲史丞意見均合准全羅道今聞雲前往古阜一帯百計阻攔不慮匪而慮倭并言匪已散蓋其中顕有情弊等語地方官既不協又無嚮導良莠不齋勦撫無従措手祈兄転達韓廷迅飭辨理并催韓進勦云准此応即備函請煩貴政府速飭各官前往進勦以期一律粛清免留餘孼致復萌起甲并飭該道地方官遇有我処探軍妥派嚮導勿更延阻爲要專此密布敬頌
勛安維祈電照不既


探報者云 此書翰、袁世凱より議政府に抵したるものなり。
東学已に散ず。
而聶帥前進剿滅を期せんと欲す。
故に迎接使の切に進む勿れと阻擋す。
然るに、聶帥は其言を信ぜず、雲史丞を送り兵を率ひて往かしむるに至る。
実に勦討すべきものなきなり。
此を以て迎接使書を政府に送る。
再昨日、閔泳駿清館に進み、其余徒の慮るに足らざるを以て、速に清兵撤還を請ふ。
袁氏其言を信せず。
因循の答を為し、敢て決する所あらざりし。
葉志超からの電報によれば、雲史丞の探報では沿道の地方官と雲史丞の意見は、全羅道を目標とする事について一致してたけど、今聞いたところによれば、雲史丞は匪賊対策ではなく日本対策のために先に古阜辺りに行っており、匪賊は既に解散したって言ってたけど、その中に情弊とか言うヤツもいるし、地方官は協力せず、道案内もせず、良民と匪賊の区別もせず、討伐もせず、慰撫もしない、かな?
だから葉さんから朝鮮政府に速やかに伝え、朝鮮は軍隊を出して彼等を討伐させて下さいと言ってる。
ってことで、秘密裏に朝鮮は速やかに各官吏に命令して、匪賊を討伐させて残党が再び蜂起しないようにし、同時に地方官にも道案内させるように言え、と。

3月14日のエントリーでも、袁世凱が韓国に匪賊を剿滅させろと言われて、それを朝鮮政府に伝えてましたが、これもその一環なのかな?

で、探報者が言うには、東学党は既に逃げ散ったけど、聶士成は更に前進して掃滅しようとしたので迎接使が進まないでくれと邪魔する。
しかし、聶士成はそれを聞き入れずに雲史丞を古阜に行かせた。
でもやっぱり掃討すべき賊が居ない。
ってことで迎接使は朝鮮政府に書簡を送る。

閔泳駿は袁世凱の処に行って、残党は心配するほどじゃないので、速やかに撤兵してくれと述べたけど、袁世凱はそれを聞き入れず、歯切れの悪い答えをして敢えて何も決めなかった、と。
つうか、朝鮮側も朝鮮側で、残党対策として討伐するなり慰撫するなり、何かしろよと思うわけですが。(笑)

続いての史料は、『駐韓日本公使館記録2』から、元山の上野領事から大鳥公使への1894年(明治27年)6月25日付『機密第7号』。

本港へは、是迄帝国軍艦の繋泊するもの無之候処、機密第6号信を以て報上致置候通り、清国兵員の風評追々流布致し、殊に露国軍艦来航の説も有之。
此際一隻の保護艦も無之ては、大に我居留人民の感情にも相関候間、帝国臣民保護として急に一隻丈けにても派遣相成候様致度候。
且つ、此度我国陸兵の発送せらるるは、専ら在韓帝国臣民の安全を保つ為めの主意なる事は、既に世間の公認致居候事なれば、当地へも釜山同様相当の兵員派遣相成候様致度と存候。
尤も、右等の事は既に夫々決定致居候義とは推考被致候へ共、当港の如き通信不便の地方に在ては殊更に人民の感情も強く、隨て兵員派遣等の事は最も渇望致居候。
此に付、前情不取敢上申致置候。
悤々敬具
「機密第6号信」は、3月26日のエントリーで見ました。
ってことで、清国の駐留の噂とロシア軍艦が来る噂があるけど、元山港には1隻も日本の軍艦が居ないので、元山の居留民の感情にも係わってくるから、日本人居留民保護用に1隻だけでも送ってくれ。
ついでに、日本兵が朝鮮に送られたのは日本人居留民保護のためだってのは既に世間の公認を得てるんだから、元山にも釜山と同様に相当数の兵を送って欲しい、と。

当時の開港地は、仁川・釜山・元山の3港。
仁川や釜山に比べたら、重要性については一段落ちるしなぁ・・・。


ってところで、今日はここまで。



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