長文の史料をやってると、やる気が削がれていく気がしたり。
つうか、要約になってない要約書く意味、無ぇんじゃね?
そのまま史料のテキスト起こしだけで良いんじゃね?
なんて考えたりするdreamtaleです。
ども。

さて、今日の史料はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』に入っていきます。
3→2→1画像目の順になっている、 陸奥からロシアの西公使への1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』より。

・・・てか、冒頭で長文イヤン!って言ったのに、英文の長文史料かよ!(笑)
と思ったら、4~7画像目に和訳があるんで、そっちを見てきたいと思います。
では早速。

露国公使は、6月25日朝鮮事件に関し本大臣を訪問し、本大臣に左の如く告げたり。
清国政府は露国政府に斡旋を乞ひたるを以て、露国政府は日本国政府に清国との衝突を務めて避くることを同公使より勧告せんことを命じたり。
而して、目下両国の軍隊朝鮮国に駐在するを以て、衝突は実に危きに頻せるが如く思はると。
本大臣は之に対し、我政府の目的は朝鮮国の現状を改良し、其独立を鞏固永遠なる基礎に置かんと欲する外ならず。
而して此目的を達せんが為め、我政府は清国政府に向ひ、朝鮮国の内政改良の方策を議定するの業務に専ら従事せしむる為めに、両国協同委員の設置を提議せり。
而るに、清国は此提案を排拒したり。
加之ならず、清国政府は日本軍隊は之を朝鮮国より撤退すべしと要求するにも拘はらず、自らは現に朝鮮国へ援兵を増発することに従事し、己に朝鮮国に在る清兵2,500の外、更らに1,500の兵を同国へ送遣するの準備をなせり。
清国政府の挙動は実に前後矛盾せり。
且つ又日本国政府は、清国の朝鮮に対する慣用手段の沿革を熟知するが故に、我政府は不幸にも清国より唯だ一片の口頭の保証を以て、我兵を撤去するに足る充分の担保とは認むる能はざるなり。
何んとなれば、我軍隊と清国軍隊と同時に撤退する時は、暴徒再び起り、清国をして朝鮮国へ再び出兵するの口実を得せしむべければなり。
畢竟朝鮮国の独立は、其内政に根底的改革を施すを待て始めて永続するを得ることは、日本国政府の確信する所なり。
蓋し今日の形勢たるや、事情己むを得ざるに出でたるものにして、我より進で之を求めたるにあらず。
之を以て日本国政府は、左記の方法中其の一を実行するにあらすんば、我兵は撤去することを欲せずと述べたり。

第一 日本国と清国と協同し、朝鮮国の独立を永遠に保持し、同王国の現状を改良するの目的を以て其の方策を調査するの取極をなすこと。

第二 若し清国に於て右の如き事業に与かることに付き、絶対的の異議あるときは、清国は日本国に於て此事業を遂行せんとするの企図に対し、直接間接に論なく毫も干渉を試みざることを約すること。
終りに臨み、本大臣は露国公使に向ひ、日本国の朝鮮国に対する政略は平和的にして、且文明的のものなり。
而して清国に対しては、日本国は退守的の地位にあるものなりと宣言したり。
閣下は、前記の旨意に基づき露国政府へ宣言すべし。
前記の電文は、其の末尾に左の如く附記ありて在英公使へも転送せらるべし。
閣下は前記の趣意に従ひ、英国政府へ宣言すべし。
但し、在日本露国公使及び露国政府に関することは、悉く削除せらるべし。
5月2日のエントリーと、5月8日のエントリーで見た、ヒトロヴォと陸奥の対談要旨ですね。

「駐留」に関して言えば、清国の方が分が悪いわけです。
鎮圧依頼を受けて出兵したのですから、鎮圧したなら撤兵すべきで。
天津条約では「其の事定まるに及んでは、仍即ち撤回し再び留防せず。」なわけですが、鎮圧依頼を受けた国が撤兵していない以上、事が定まったと見なせない、というロジックを日本側としては使えるわけです。
しかも、更に本国から増援が来る話もあるわけで。

だからロシアも、んじゃ清国撤兵すれば日本も撤兵すんの?と言うわけです。

一方で、乱が治まったとは言っても、首謀者が捕まったわけでも無く、原因が取り除かれる事になったわけでも無い。
再発に対する対策を講じない場合、「定まった」と見なせるかどうか、という問題もあるわけでして。
増して、甲申事変を初めとする前例があるわけで、口約束だけじゃ撤兵できねーよ、と。

ってことで、朝鮮の独立保持と現状改良のための方策を調査する取り決めか、それに異議ある場合は邪魔すんな、ってののどちらかという撤兵条件に。

もっとも、実際に清国が撤兵してしまえば、天津条約違反だという批難には簡単には抗し得ない状況になったと思うんですがねぇ・・・。

最後に、朝鮮に対しては平和的かつ文明的だし、清国に対しては消極的だよ。
以上をロシア政府に宣言し、在イギリス公使に転送して、イギリス公使はロシア公使とロシア政府に関する事以外はイギリス政府に宣言してね、と。

さて、次は・・・。
同じくアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の8画像目から10画像目になるわけですが、これ宛先が京城の大鳥と北京の小村になってるだけで、内容同じじゃん・・・。_| ̄|○

文頭に番号入ってるから省略しずらい・・・。
ってことで、一応英文の方も挙げておく事にします。
そんでは、1894年(明治27年)6月26日発『電送第247号、電送第248号』より。

Otori, Seoul
Komura, Peking.
13) The following telegram has been sent to 在露日本公使 and 在英日本公使.

Russian Minister called on me 六月二十五日, regarding Corea.
He informed me that Chinese Government had asked good offices of Russian Government and that in consequence Russian Government had instructed him to suggest to the Japanese Government that they should endeavor to avoid a collision with China which owing to the presence of troops of both countries in Corea seemed imminent.
I assured Russian Minister that our sole object was to ameliorate condition of Corea and place her independence upon firm and enduring foundation and that in fulfillment of that object we had proposed to Chinese Government the creation of joint commission devoted to the labor of formulating measures looking to an improvement in Corean administration.
That scheme, I added, had been rejected by China.
I then called Russian Minister's attention to inconsistence of Chinese Government in demanding the withdrawal of Japanese troops from Corea while actually engaged in dispatching reinforcements to Corea and making preparation for sending thither additional forces amounting in all to 5,500 soldiers, besides of the 2,500 already there.
Japanese Government, I continued, were familiar with the history of methods pursued by China in Corea and consequently that they unfortunately could not regard mere verbal assurances of China as a sufficient guarantee upon which to withdraw their force, since the withdrawal of their army with that of China might occasion renewal of the revolt and serve a pretext for reintroduction of Chinese troops into Corea.
In Short I said that Japanese Government were convinced that the continued independence of Corea depended upon the introduction of radical reforms in the administration.
I also told Russian Minister that present situation had been forced upon us by circumstances beyond our initiative or control.
Under these circumstances I said that Japanese Government did not feel at liberty to withdraw their troops unless one of the following course was adopted.

1st: That Japan and China joint in an arrangement to examine and devise measures having for their object the perpetuation of Corean independence and the amelioration of the condition of the Kingdom: or, 2nd: If China finds insuperable objection to taking part in such work that she shall engage neither directly nor indirectly to interfere with Japan in the prosecution of the undertaking.

Finally I declared to Russian Minister that our mission in Corea was one of peace and civilization, and that so far as China was concerned we are in defensive attitude.
You are hereby instructed to make declaration to Russian Government in above sense.
内容的には、在ロシアの西公使あての『電送第246号』と同じなので省略。


ってところで、今日はここまで。



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