なんか10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』の別紙で足止めされてる気分。
つうか、文章的に解説要らない気もするんですが。
テキスト起こしだけ一気にやっちゃえば良かったかな?(笑)

兎も角、前々回前回に引き続いて、その別紙の続きを見ていきたいと思います。

『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の28画像目、一番左の行から。
別紙丙号の続き。

右各項の内、左の事項は3日を限り議定し、10日内に着手す可きものとす。

一.内外庶政を総理する機務は、挙げて之を議政府に復旧し、六曹判書をして各々其分職を守らしめ、而して勢道執権の弊制を廃止する事
一.内外政務と宮中事務と判然区別を立て、宮中に奉仕する官吏をして一切政務に干渉せしめざる事
一.外国交渉の事宜を重じ、国家に代り其責に任ずる大臣をして之を主宰せしむ可き事
一.従前の格式を打破して広く人材を登用する門を開く事
一.売官の悪弊を停廃する事
一.官吏収賄索銭の悪習を厳禁する事
一.京城と要港との間鉄道を建築し、并に全国重要の城市に通ずる堅牢なる電信を架設し、以て通信往来の便を開くこと
但し、末項鉄道電信の二工事は、10日内起工の決議を為し、準備出来次第其工を起すものとす。

左の事項は6ヶ月内に決行す可きものとす。

一.政事を施行するに必要なる官衙を存立し、其余は総て之を廃止し、又は甲官衙の事務を乙官衙に合併し、以て簡便に従ふ事
一.現在の府郡縣を廃合し、民治に妨なき迄の少数に止むる事
一.事務執行に必要なる官員を存し、其余の冗員は之を沙汰する事
一.時勢を参酌して官吏の俸給を定め、生を資け廉を養ふに差支なからしむる事
一.地方官吏の情弊を矯正する法を設くること
一.国家の収入及び支出を調査し其制度を立つること
一.会計出納を厳正にする事
一.貨幣制度を改定する事
一.不必要の支出を減省し、并収入増加の方法を講ずる事
一.各開港場にある税関は、一に朝鮮政府自から之を管理し、他国の干預を容れざる事

左の事項は2ヶ年内に決行す可きものとす。

一.各道の田畝を精査し、租税を改正すること
一.其他の諸税を改正し、若くは新税を設くる事
一.官道通衢は須らく修平推廣すべき事
一.旧法中、時宜に適せざるものは概ね之を廃革し、或は時宜を参酌して新法を制定する事
一.裁判法を改正して、司法の公正を明にする事
一.士官を養成する事
一.旧式水陸兵一切之を廃し、更に財力の許す所を量り新式兵を増置する事
一.京城及び各城邑に厳正なる警察を設くる事
一.時勢を斟酌して学制を新定し、各地方に小学校を設立し子弟を教育する事
一.学生中俊秀なる者を撰抜し、外国へ留学せしむる事
各項目については、前回の項目を期限毎にまとめたもの。

つうか、丙号って栗野が内信とか持って行った後に作ったんだよねぇ?
教育とかの綱目自体は、10月1日のエントリーで言ってるとおり、「右は去3日提出の綱領を追ふて取調候者に付、今更之を改むる訳に至兼ね候。」って事で仕方ないのは分かる。

でも、7月16日のエントリーの内信で、「我に向て必ず之を実行する事を約束せしむるの外、差向き評判宜からざる人物を免黜遷転せしむる事にて満足可致置。」とか、「裁判・会計・兵制・警察・幣制に関する各項に至ては、今といふて今実行し得らるべき事にも無之候へ共、差向き必ず改良すべしといふ明約を取附置候而已にて満足可致置。」とかってのは、どこに行ったのよ?と。

結局、現時点では差し当たっては評判の良くない人物の罷免・左遷で満足し、その他の事項については、改革の内諾とって窓口確定する程度で良いとしている日本政府と、このチャンスにやっちゃわなきゃ、奴らやるわけないじゃんという在朝鮮日本公使館側の思惑の違いなんかなぁ。

つうか、3日以内に議定して10日以内に着手とか、6ヶ月以内に決行とか、2年以内に決行とか、そんな短期間にできるんなら、朝鮮のような惨状になって無ぇだろ、と。
いや、長期間でも短期間でも、どっちにしろ無理だろってのは無しで。(笑)

1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』、やっと終了。

で、続いては『駐韓日本公使館記録2』から。
朝鮮の外務督弁趙秉稷から大鳥への、1894年(明治27年)7月9日付けの文書から。

照覆事照得我暦本月初五日接准
貴公使第七拾号来文内爲面遞抄擬綱領従速採択確切核覆一事均経閲悉足見 貴政府念切友睦殊堪欣悦除由我政府遴定内務督辨申正熙協辨金宗漢曺寅承訂於我暦本月初八日下午六点半鐘在老人亭会同
貴公使暢聆一切外相応備文照覆
貴公使請煩査照可也須至照覆者
右照会
貴公使第七拾号ってのは、10月3日のエントリーでやった乙号の事。
正確に言うと、乙号の漢文訳したものですね。
それを、日本暦の7月7日に受け取った、と。

その70号の中の、面会した時に手渡した綱領について速く採択して確答してくれと言うのは分かった。
日本政府の友睦の念は甚だ喜ばしい事であり、朝鮮政府が選定した内務督辨申正熙と、協辨の金宗漢・曺寅承が、7月10日午後6時半に老人亭で会同することになったんで、ヨロ、と。

10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』を見るに、まず7月7日朝に申正熙・金宗漢・曺寅承の3人を委員とする通知があったんですね。
公文云々の経緯からして、恐らく口頭通知だったんでしょう。

そこで、改めて8日昼を回答期限とする別紙乙号(70号)が出される。
8日夜になって、「公文出されると迷惑だから、撤回してくれよぉ。」と泣きついてきたのをバッサリと拒絶。
で、9日になって、上記のように10日の午後6時半に会合する旨の公文が送られてきたって経緯かな。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



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