私用で忙しかったので、1回飛ばしちゃいました。
あまり居ないと思う、更新を楽しみにしてくれている方、すいません。(笑)

さて、今日も英文史料から。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の56画像目左側。
前回同様、小村から陸奥への電信になります。
1894年(明治27年)7月10日発『電受第405号』より。

Mutsu
Tokio

At the conclusion of interview 七月九日 王大臣 authorized me to communicate to my Government their declaration concerning withdrawal of troops as the view of their own Government and asked me to acquaint them with reply of my Government without any delay.

Komura
7月9日の会談の結果、王大臣は彼ら自身の政府の見解として、撤兵に関する彼らの宣言を日本政府に伝える権限を私に与え、即刻日本の回答を彼らに伝えるよう求めた、と。

おお。
凄ぇ一方的。(笑)
俺だったらこれで交渉決裂な感じですなぁ。

続いてはアメリカの情報。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』より。
9画像目。
在アメリカ公使の建野郷三から陸奥への、1894年(明治27年)7月10日発『電受第410号』。

Mutsu,
Tokio

On every occasion possible, I have explained to Secretary of State Japan's attitude towards Corea as stated in your telegrams, but he has got an impression from other sources that Japan’s actions directly interfere with Corean independence.
This was reason for telegram of 七月七日 sent to 在日本米公使.
Secretary of State said that arbitration would be best method for the settlement of differences between Japan and China.
I did not admit the state of affairs called for arbitration but I believe the President would consent to arbitrate if requested.

在米公使
この電文、何故か『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の29画像目に同じものがありまして。
日付が7月11日発なんですが、30画像目の訳文を見るに10日発となっているので、恐らく同一電文でしょう。
ってことで、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の30画像目から、訳文も起こしておくことにします。

本使は、機会ある毎に国務大臣に向ひ、朝鮮に対する日本国の意嚮は、貴電にて御垂示の如くなる旨縷陳したれども、同大臣は他の筋より聞込たることありと見へ、日本国の行為は直接に朝鮮国の独立に干渉するものなりとの感を抱き居れり。
之れ、7月7日附を以て同大臣より在日本米公使へ電信を送りたる所以なり。
同大臣は、日清の紛議を結了するに、之れを仲裁裁判に付すること最も得策ならんと云はれたるなり。
然れども本使は、現今の状況未だ仲裁を要するものと認めざる旨申入れ置きたれども、大統領に於ては請求次第仲裁の労を執ることを承諾さるるならんと信ず。
建野は機会があるごとにアメリカ国務大臣に向かって、朝鮮に対する日本の意向は陸奥の言ってたような事だって言ってるんだけど、国務大臣は他の筋からも何か聞いてるらしくて、日本の行為が朝鮮の独立に干渉するものだという感想を抱いている、と。
「日本の行為」って、どっからどこまでの部分なんだろ?

で、若干日付が違うようですが、恐らくそれが10月10日のエントリーでやった在日本アメリカ公使のダンによる申し入れの関係で、グレシアムからダンに電信が送られた理由だ、と。

アメリカ国務大臣は、日清の紛議を終わらせるためには、仲裁裁判に付する事が最も得策だろうと言ったので、建野は今の状況はまだ仲裁は必要ではないと言っておいたけど、アメリカ大統領は請求があり次第、仲裁の労を執ることを承諾するだろうと信じる。

常設の仲裁裁判所は、この後にオランダのハーグに出来るわけですが、この頃ってどんな形で開かれてたんだろ?

さて、次は『駐韓日本公使館記録2』を見ていくことにします。
まずは、芝罘の伊集院領事から大鳥公使への1894年(明治27年)7月10日付『機密第3号』より。

爾来其向へ探偵方無怠注意致居候処、本月5日夜、威海衛より稍々可信探聞に接し、同衛には目下石炭其他軍器等最も軍備を戒厳し、前に朝鮮への派出軍艦は本月2、3両日に於て帰衛。
又、修繕中なりし致遠は本月同2日修繕を了り、水雷2隻を率ひ同衛に入口したり(当時済遠も了修帰衛之筈に有之候)。
現に碇泊中大小艦11隻は、本月7日迄に戦闘の準備可致旨命令有之候由にて用意中之趣に付、右は必用と認め翌朝早速別紙の通電報差立候も、電報は不通なりとて差回し候。
又、東京北京には同様及電報候処、翌之8日に至り済南府総局より不通の旨申来れりとて同原案返し来り候始末なり。
尤も、其後何たる模様も不相見惟待命之由に有之候。
右及御報告候也。
探り入れるのを怠らないようにしていたら、7月5日の夜に威海衛からやや信ずべき情報を受けた、と。
んで、威海衛では現在石炭や武器等の軍備を厳重にし、以前朝鮮に派遣されていた軍艦も7月2~3日中に帰って来てる。
また、修理中だった致遠も7月2日に修理を終え、水雷艇2隻を率いて威海衛入り。
済遠も修理終わったら威海衛に来る筈、と。

んで、現在停泊中の清国艦11隻が、7月7日までに戦闘準備をするように命令があり、その準備中らしいので、必要な情報だと思い8日朝に別紙のとおり電報したけど、電報は不通ってことで差し戻された。
東京と北京にも同様の電報をしておいた所、8日になって済南府総局から不通ってことで、原案を返してくる始末だ、と。
んー。
電報不通って、嘘くせぇ。(笑)

ただ、その後は出発の様子は見えず、命令待ちって事らしいよ、と。

残念ながら別紙については記載なし。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



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