今日は前置きなしで。
アジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の13~15画像目。
天津の荒川領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月2日付『機密第9号』。
長いので、分割しながら。

李鴻章并に露国公使挙動及び雑件報告

李鴻章竝に欧米人等の動静上注意致居候処、去月19日以来李伯は出師の準備相急ぎ候如く相見へ、且つ内々探偵頼置候者共よりも、現状内報致し来候。
然るに、去月25、6日頃より模様忽ち一変し、準備済の軍隊も空しく命令を待つに止まり出発の模様無之に付、精々探索を遂げ候処、李の主戦意見北京政府の拒絶する所と相成り、暫時李は断然日本に敵対するの止を得ざる理由を貫撤せしむる方に尽力致居る旨聞及候。
約5,000人の追加派兵については、3月5日のエントリーを始めとして何度も話が出てきました。

また、その派兵の留保については、6月13日のエントリーで「和すべくは和し、戦を避けよ」という軍機大臣からの書翰や、「各国公使が出兵を以て不可と為す故に、貴大臣出兵の事には同意し難し」という書翰について、天津の神尾少佐から大鳥公使への報告が見られました。

で、それ以降李鴻章は、断然日本と敵対するのがやむを得ない理由を貫徹させる事に尽力している、と。
李鴻章、もう戦る方向でしか考えて無いのね。(笑)

其間露国公使伯爵カシニーは、去月25日急に当地出発を見合せ候に付、同人の挙動に注目致居候処、当港税務司にして李鴻章の外政顧問と目せられ居るデトリング氏并に盛海関等と会合すること頻繁なりと伝聞し、又同公使は露国政府へ電報を発し、其返電次第出発すべしとの事実は露国公使館附武官の口外するところなれば、愈不審に存居候処、内密に報ずるものありたり。
云く、実際李鴻章の内■を受け、デトリングと内議の上日清間の仲裁を取るの意を決したるを以て本国政府へ請訓せり。
愈同政府に於て許可するに及ばば、同公使は再び北京に帰りウエバー代理公使は京城に復任すべし云々。
依て、其真偽は知るに由なきも、事実上疑ふべき点不少候に付、不取敢別紙甲号の通り電報及置候。
今日迄同公使は出発の模様相見へ不申候。
2月19日のエントリーから帰る話が出ており、その後ずっと天津に居座ってるカシニーですが、天津税務司のデトリングと内議して、日清間の仲裁をする意を決してロシア本国へ請訓。
もしロシア政府が許可すれば、カシニーは北京に帰り、ウェベル代理公使は朝鮮に帰任するだろう、という内報があったようで。

ま、日本に言ってきたのは、「仲裁」じゃ無い気がしますが・・・。(笑)

ってことで、カシニーに関する話の真偽は不明だけど、事実上疑うべき点が少ないため、取りあえず別紙甲号の通り電報したけど、今日迄カシニーが出発する様子は無い、と。
別紙甲号については、17画像目の上段のものになるんですが、これは8月4日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月30日発『電受第333号』ですね。

んじゃ、続き。

李鴻章の挙動は去月30日より又々一変し、軍備を急ぎ、大に計画する所あるよし。
元より同伯の軍備上に関する件には秘密を厳守せしめ候次第なれば、何人も実事を知るもの少なし。
昨日来、2、3の外国人来て内報する処に依れば、清国政府も李の主戦意見に同意したる如くに相見申候。
で、一時増派中止してたわけですが、6月30日からまたもや一変し、軍備を急ぎ、大に計画する所があるらしい。
元々李鴻章の軍事に関する件は、秘密を厳守しているので本当の所を知る者は少ないが、7月1日から何人かの外国人が来て内報するところによれば、清国政府も李鴻章の主戦意見に同意したように見える、と。

つうか、ロシアとイギリスの仲裁の最中・・・。(笑)

日本政府より提出せる3ヶ条の協議案は、幾百弗を投じて探索するも更に知れざる由なり。
僅に3ヶ条の要求ありと申し居るものあり。
現に露国・仏国武官等の如きは、金銭を投ずる莫大なるも、実際のヶ条は知らざるなれば、李鴻章も深く秘し居ること明なり。
日本から提出した3ヶ条の協議案、つまり、東学党の乱の協同鎮圧と、両国委員等による内政調査と、朝鮮の国力に合った陸軍創設って協議案については、僅かに3ヶ条の要求があると言ってる者がいる程度で、知られていない模様。

現にロシアやフランスの武官等は、莫大な金銭を投入してるのに、実際の協議案は知らないので、李鴻章も極秘にしていることは明らかだ、と。

んー、2月18日のエントリーで、日本領事にすら「同公使よりは、両国委員撰任行政改革等の箇條はなかりし。」って言ってるわけで、秘密にしてるわけじゃなくて、マジに李鴻章自身が詳しく知らないって可能性は無いのかしら。(笑)

然れども、李が兵力を以て日本の行為に対し敵対する決心は、充分に相顕はれ候。
目下準備済にして出師命令を待ち居る兵は、小站八営并に北塘貳営にして、其司令官は小站は衛汝貴、北塘は呉育仁と申すものなるよしなり。
依て、一営500人とせば10営にて5,000人なれども、此後の模様に依れば多少増加するも知る可からず。
本月1日以来の内報に依れば、李鴻章は大兵を満州に集むるの計画を為し居るとの事なり。
并に、今後朝鮮に出兵するに於ては大同江より上陸せしむべき筈の由、窃に探知せるを以て、本日其旨第1号の通り電報致置候。
しかし、李鴻章が兵力によって日本の行為に対して敵対する決心は、充分に現れている。
現在待機中の兵は5,000人だが、今後の状況によっては多少増加するかもしれない。

7月1日以降の内報によれば、李鴻章は大軍を満州に集める計画をしているとの事であり、併せて今後朝鮮に出兵する際には、大同江から上陸させる筈という事を密かに探知したので、今日その旨を第1号のとおり電報しておいた、と。

この第1号については、最後に回して次に進みます。

外国人等竝に普通清国人等の伝ふる所に依れば、日清間の事情大に切迫し来り、5、6日間には開戦に及ぶべしと、何となく穏ならざる風聞に有之候。
現に、本日日本郵船会社代理店主フィリッポー氏来館。
云く、或る清国官吏より窃に聞く所に依れば、事情旦夕に迫り居候に付、本月6日着津すべき玄海丸は、大沽炮台より発炮の恐れありと。
果して右様の場合なれば、同船は着津前相当の注意を与へ度存候が如何に候哉と同人より申出候。
依て小官は、右様危急の理由あるを知らず。
日清間争闘の模様ある如きは、毫も承知致さず候に付、何にも気遣ふに及ばざるべしと答置候。
外国人や一般の清国人等には、日清間の状態は非常に切迫しており、5~6日間で開戦に至るだろうと、何となく穏やかでない風聞があり、現に日本郵船会社代理店主のフィリッポーが領事館を訪れ、「清国官吏から密かに聞いたところでは、状態が切迫しているので、7月6日に天津に到着する玄海丸は、大沽砲台から発砲される恐れがあるって言うんだけど、もしそうなら、玄海丸に注意するように伝えたいんだけど、どうすれば良い?」と言ってきた。

ってことで、そんな危急の理由がある事自体知らないし、日清間が戦争状態になったとか少しも知らんし、心配する必要無いよって言っといた、と。

んー、元山だけじゃなかったのか・・・。(笑)
情報少ないって、怖ぇ~なぁ・・・。

日韓間の談判上清が干渉する証跡は、此際御参考に可相成ものと相信じ、内々探索致候得共、別に未だ入手不致候処、6月23日牙山出張将官聶士成より李鴻章へ発電したる電文中、大鳥公使朝鮮国王へ3ヶ条の案を提出されたる件に付、多少袁世凱が同国王へ申し含めたる如き文意有之候に付、別紙聶よりの電文寫第乙号茲に封入差出候条、御査閲相成度候。
右雑件為御参考及御報告候也。
で、最後に日韓間の談判に関して清国が干渉する証拠は、今後の参考になると思って探ってたけど特に証拠も入手できてなかった。
そこに、6月23日に牙山の聶士成から李鴻章に発電した電文中に、大鳥公使が朝鮮国王に3ヶ条を提出した事について、多少袁世凱が高宗に申し含めたような文意があるんで、乙号で送るんでヨロ、と。

この別紙乙号については、6月13日のエントリーの神尾少佐から大鳥への1894年(明治27年)6月27日付報告の別紙として出てきてましたね。

さて、かなり長くなってますが、どうせ乗りかかった船なので、中頃に出てきた別紙第1号について、やっちゃいたいと思います。
17画像目下段の、1894年(明治27年)7月2日付電信より。

Mutsu Tokio

Chinese Government appears to have agreed to warlike measures proposed by 李鴻章.
Landing place of Chinese army in future appears to be 大同江.
Chinese army ready for start is still waiting for orders.

Arakawa
清国政府は、李鴻章の主戦論に同意したらしい。
今後の清国軍の上陸地点は大同江らしい。
清国軍の出発準備が整い、命令を待っている状態だ、と。
んー、結局ロシアに調停依頼したのって、単なる時間稼ぎだったのか?


ってところで、長くなりましたが今日はここまで。



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