さて、今日は前置きなしで早速。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
2画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月21日付『機密第25号信』より。

朝鮮に対し、日清協同の義に関する来復電信並に口演書其他対話筆記相添申進の件

本件に関し、去る17日別紙甲号の通り貴電到達以後、其翌18日乙号の通り電訓に付、即日啓文を以て丙号口演書を総理衙門に発送。
これと同時に、其翌19日面会の義を申入れ、貴方へは丁号の通り電信差出、即ち当日午後3時半総理衙門に罷越該大臣と対話の次第は戊号筆記の通りにて、此行は彼方の存意を探り旁、局外に漏らせらるるを予防せんとの微衷に出たる義に候得ば、当方よりは別段何等弁論不致候。
尤も、徐用儀の言に、李鴻章よりの電報に3ヶ條は我政府より在天津日本領事を経て申入れたりとあり。
汪公使より電報との事は、更に承知せずと有之。
閣下より公然汪公使に御申入の義は、在天津荒川領事を経て李鴻章に御申入の筈無之と相考候に付、為念帰館直様己号の通り電報差立置候処、昨20日庚号の通り重て電訓に付、即日総理衙門に罷越該大臣と対話の次第は辛号の通りにて帰館直様壬号の通り電報差立置候。
右申進候也。
北京での経過のまとめって感じですね。
「去る17日別紙甲号」は、昨年の4月16日のエントリーでの1894年(明治27年)6月16日付『電送第206号』。
「其翌18日乙号」は、2月8日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月17日発『電送第210号』ですね。
その2つの電訓があったので、即日丙号の通りの口演書を発送した、と。

では、先にその丙号を見てみましょう。
5画像目になります。

日本政府不啻愿朝鮮現在變亂速有勦滅之功亦望将來平安該國基礎鞏固綿長儻再有變亂之事其歸致傷日清朝鮮之和好不可不絶之未萌即於本月十六日日本國外務大臣與清國欽差大臣相晤将日本愿與清國戮力同心之意由該欽差大臣轉達清國政府其要如左

一.彈壓現在叛徒出可及之力速復平安整齊
二.日清両國政府互派委員将朝鮮國行政理財之道應如何更正之處會同講究
三.俾朝鮮整頓精兵自護其國
想清國欽差大臣當経轉達其政府清國政府依以上所開由其欽差大臣迅速答復日本政府實有厚望焉
ほぼこれまでの話と同様ですね。
東学党の乱の早期鎮圧だけでなく、今後変乱が起きないようにするために、日清の共同鎮圧と、日清の委員派遣による朝鮮の行財政改革の研究と、朝鮮が自衛のために必要なだけの精兵をおく事。
これは清国公使から伝わってると思うので、できるだけ早く回答をしてくれ、と。

で、これと同時に面会を申し入れ、陸奥には2月12日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月18日付『電受第264号』を発信。
その時の大臣との対話の内容は戌号の通り、と。

それではその戌号を見てみましょう。
7画像目。

明治27日6月19日、朝鮮事件に関し総理衙門に於て対話筆記如左。

列席総署大臣 孫毓汶 徐用儀 張蔭桓 崇禮
臨時代理公使 小村寿太郎 三等書記官 鄭永昌譯述

本日は午後3時半に於て面会の約定なりしに、同時間に至るも英国公使オコーノル氏尚ほ衙門に於て談話中なりとて、最初出席せしは孫崇両大臣なり。
依て英国公使退散後、各大臣来会を待し、為め右両大臣と雑話数十分に至り、漸く徐張両大臣来席せり。

小村
本日参衙せしは、重大の事件に関し御面談致し度に付、英国公使の退散を待ち各位大臣へ面謁の上陳述せんことを希望し、只今迄両位大臣の御来席を相待たる次第なり。
其事は余の義に非らず。
即ち昨日朝鮮事件に付、我外務大臣よりの電訓に接したり。
其の趣旨は節略に認め貴覧に呈し置たるに付、已に御熟覧のことと存ず。
又、此件に付ては在東京貴国公使よりも、詳細上申せられたらむ。
右は重大の事件に付、貴国政府より可成速かに御回答らあん事を希望す。


貴国政府は在東京汪公使を経て、3ヶ條の提案を申入られたる云々とあれども、李中堂の来電に拠れば貴国政府は右3ヶ條を在天津日本領事を経て申入られたりとあり。
汪公使より電稟せしこと、更らに承知せず。
右は少しく事実相違せしやに思考す。

小村
外務大臣の電報に拠れば、右3ヶ條は在東京貴国公使を経て申入たりとあれば、事実の相違は有之間敷ことと信ず。


貴国政府より提出せられたる3ヶ條に対し、我政府の意見如何は在東京汪公使を経て回答すべき旨、已に李中堂へ申遣し置きたれば、最早同中堂より回電ありしことと信ず。
然る上は、此件に関し貴署大臣と弁論を層るに及ばさる事と存ずれども、此席に於て全く我々の私話として之を談及するには妨なかるべし。

小村
本官も、勿論此件に関し貴大臣等と彼是弁論する所存に非らず。
啻だ事重大に属し、一日も之を等閑に差置難きに付、貴政府より急速の御回答あらんことを面請する為めに参衙せり。


今度朝鮮事件に付、貴国政府の挙動は本大臣等更に想象の及ぶ所に非らざるなり。
清国は、朝鮮立国以来国内擾乱自力を以て鎮圧し難き際は、援兵派遣せしこと数回にして、今日始りたる事に非ざること御承知の事と存ず。

小村
本官は、朝鮮事件に関し我政府より未だ詳細の報知に接せざれば、実際の情形如何は承知せず。
本官単に一個人の資格を以て御話致すべし。
我政府が朝鮮に対する意向と貴国政府の所見と自ら異る所あれば、御了解なきも無理ならざる事と存ず。


貴国政府より提出せられたる第1ヶ條に、朝鮮の逆徒を鎮圧すべしとあれども、該叛徒の重立たるものは已に散乱し、各地方には多少の叛徒出没するのみにて、朝鮮自国の兵力を以て之を圧服するに難からざるに付、最早天兵の応援を仰ぐに及ばざるなりと、同国政府より袁世凱へ通知せりとの報告に接したり。
依て、清兵も内地へ進入を見合居る場合に付、今此弁法を施行するの必要あるを見ず。
貴国の兵員京城に達したるを以て、人心を動搖し却て事端を惹起するの患なしとせず。

小村
朝鮮政府に於て内地の逆徒散乱最早平定に至りたる旨、袁氏へ通知したりと云はるるも、今回の叛賊は全羅忠清の両道に跨り、其勢甚だ劇烈なる由に付、容易には鎮定し難き事と思考す。


袁世凱の上申に拠れば、日本政府は人民保護の為め兵員2、300名を朝鮮に派遣すべしと在京城大鳥公使より伝承せしに、漸々其兵数を増加し、已に800余名の多きに至れりと云ふ。
又其後2,000余の兵隊を貴国より操出すとの風説をも聞及たり。
国乱鎮定の今日に至り、如此多数の兵員を派遣せらるるは実に其意を得ざるなり。


第2第3條に、朝鮮国の内政理財を更正し軍務を整頓する云々とあれども、我政府は断然之に同意を表し難し。
朝鮮は自立の権を有し居れば、属邦と雖濫りに其内政に干渉するを得ず。
清韓両国の間柄さえ尚ほ且如斯。
況や日本は隣邦たるの誼あるのみに於おや。
又此干渉に付ては、諸外国に於ても各々其意見を異にし、遂には意外の事端を惹起し、却て両国間の迷惑を招くの憂あり。
此点に付ては宜しく注意を要する義と思考す。

小村
其辺の懸念あればこそ、我政府は此案を提出し、日清韓三国間の和好を永続固鞏ならしめんとの意に外ならず。


貴国政府より此案を提出せられたるは、元より好意に出たる事と信ずれども、我政府は前述の理由あるに依り何分同意を表し難し。

小村
今茲に貴大臣等の御注意を促し置度義あり。
即ち、右の個條は貴我両国間にて協議施行する重大の事件に付、互に之を秘密に致し置く事最も緊要と存ず。
若し他の外国公使に探知せらるるに於ては、彼是面倒なる関繁を醸成する恐不尠義に付、御他言無之事を切望す。


至極御同感なり。
貴署大臣に於て御他言なき以上は、本大臣等に於ても決して他に相洩れざる様注意すべし。


本大臣等に於ては、腹蔵なく我政府の意見を申上たる義に付、尚ほ貴署大臣よりも貴国外務大臣へ御報告相成も妨げなし。

小村
貴大臣より承りたる事は、其大略を我外務大臣に報告すべし。
貴政府より李中堂を経て御回答相成たる上は、最早他に御話致すことなし。

つうか、「属邦と雖濫りに其内政に干渉するを得ず。清韓両国の間柄さえ尚ほ且如斯。況や日本は隣邦たるの誼あるのみに於おや。」って。(笑)
朝鮮は清国の属邦だけどみだりに内政に干渉できない。
まして日本は隣邦の誼があるだけだろ、と。

朝鮮が「自立の権」を有してるなら、清国も「隣邦たるの誼」があるだけだろ。
「属邦」って一体何の権利なんだ、と。(笑)
つうか、そもそも「未だ曽て朝鮮国を以て貴国の属邦とは認居不申」だしな。


ってところで、途中ですが今日はここまで。



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