そろそろ平日更新に戻したい気もするんだけど、英文史料や漢文史料が入ると途端に面倒くさくなり・・・。(笑)

さて。
前回、大鳥公使から袁世凱に対して、牙山の聶士成の告示に関して照会が行われていましたが、これに関して陸奥へも情報が送られます。
アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』から。
26→25画像目。
1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』より。

Mutsu,
Tokio

11. 加藤 not having arrived, I have not yet officially communicated to the Corean Government propositions mentioned in your telegram; but after private measures taken and many informations obtained, I have found that Corean Government being firmly convinced of the to suggest to China our propositions will not be carried out all those effectual reform will be made as long as Corea is under the influence of China.
I think it is absolutely necessary at this moment to decide the question of Chinese suzerainty.
Meanwhile having obtained a copy of proclamation issued by Chinese General 聶 in which it is stated that he has been sent to aid 属国.
I asked 袁世凱 六月二十六日 by official letter if it is true.
May I take such steps as I deem necessary to contradict the above proclamation even by force.
Answer immediately.

Otori
加藤が到着しておらず、まだ貴下の電文に言及された提案を、朝鮮政府には公式に伝達していない。
しかし、私的方法で入手した多くの情報によれば、朝鮮政府は・・・。
何を堅く信じてるんだ?(笑)
convinced of the to suggest ・・・」って明らかに何か抜けてるよなぁ・・・。

ま、兎も角、朝鮮が清の影響下にある限り、効果的な改革は成り立たないだろう。
清国の宗主権問題の解決が、絶対に必要だと思う。

清国の聶将軍が出した布告の写しを入手したが、そこには彼が属国援助のために送られたと記載されている。
私は、袁世凱に公文書を送って、それが事実なのか照会した。
上記の布告を否定するために、力づくでも必要と考える措置をとって良いか。
直ちに回答願う、と。

冒頭の加藤云々は、3月18日のエントリーの『電送第242号』または『電送第243号』の話。
要するに、加藤が詳細持ってきて朝鮮の内政改革云々とか言うけど、清国の影響下にある限り無理だべ。
聶の布告を足がかりに、宗主権排除するように動いて良いんけ?って事かな?

さて、次からはようやく6月27日の史料に入っていきますよ。
まずは、混成旅団の動き。
アジア歴史資料センター『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第8号(レファレンスコード:C06061758400)』より。

混成旅団報告  第8号 6月26日

情報

一 招討使洪啓董、巡辺使李元會等の引率して全州に向ひたる兵、追々帰京す。
未だ着京の原因を詳にせず。
目下偵察中の趣、公使館附渡辺少佐より報告あり。

一 振威縣より水源迄の間は、地方官沿道の土民に課し、材木及土石を運び、道路の修繕に従事す。
牙山の清兵進京の為め準備するものなりと、渡辺少佐より報告あり。

一 大同江附近異状無き旨、八重山艦長より報告を得たり。

一 郡山より入港の朝鮮国商舩顕益号は、朝鮮兵600名を馬山浦に上陸せしめ、猶ほ100名を仁川に上陸せしむ。
牙山碇泊の清国軍艦は、鎮遠、揚威、済遠、康丙、操江なり。
陸兵の屯処は、白石浦より凡そ一里半奥の山下に幕営せりと、八重山艦長より報告あり。

一 本邦より持来りし馬舩は、貯水又は架橋用に使用するの目的を以て、龍山に招致せり。


情報  6月27日

一 牙山附近に在る歩兵中尉有吉雅一の報告に、24日午后平澤縣発本日午前司令部に到着す。
曰く、牙山にある支那兵の件に就ては、前報に異ることなし。
曽て、仁川より斥候として派遣せられし歩兵中尉西山盛壽に、牙山附近にて會合し、西山は24日天安に向へりと。

一 在仁川兵站監の報告に、支那兵若干服装を変じ、江華に入込みたると云ふ。
依て仁川にある大隊より、将校斥候を派遣す。

一 福島中佐京城より齎し来りたる通報に、李鴻章は日本の対韓事件に一致する能はずと断言せるに付、戦争の用意を要すべしと、北京公使より外務大臣に報告せしとの通報を得たり。

一 6月26日午后8時20分天津発荒川より大鳥公使宛電報に、李鴻章は総理衙門の意を承け、6月25日提督葉に左の電報を発せりと。
曰く、清国政府は増加兵を葉に送るを欲せず。
目下の処忍耐せよ。
右、京城公使より通報し来る。

一 在京城福島中佐の通報に、松都(開城府)地方に出張せし偵察者よりの報告に曰く、昨23日松都を発し金川に向ふ途中、支那兵4騎に遭遇せり。
孰れも錆びたる銃器を携帯せり(10日以上困難なる旅行をなせしものと認む)云々。
右に付、明28日騎兵1分隊を開城府方向に派遣す。
尚ほ、下士斥候を水源府方向に出して、牙山方向を偵察せしむ。

一 本日午后3時、将校斥候を大同江に向て派遣す。

一 第二次輸送諸隊、本日仁川に到着するの予定なるを以て、長岡参謀を仁川に派遣す。

一 午后8時20分、在仁川兵站監の電報到着。
曰く、我運送舩続々入港す。

一 患者は極少数にして重症の者一人もなし。

右報告仕候也。
読めば大体とりあえずポイントだけ。

3月11日のエントリーで、洪啓薫は陸路、李元會は海路で全州から引き揚げる話が出ていましたが、その関係かな。
で、何で戻ってきたのか詳細不明、と。
まぁ、まだ清国軍滞在中なのに、何で朝鮮側だけ戻って来てんのよ、みたいな。(笑)

次の「水源」は、水原のことかな?
要するに、牙山方面と京城方面の間の道路を修繕してて、これは清国軍が京城に進むためのものだろう、と。

一つ飛んで、群山から馬山浦に600名、仁川に100名の朝鮮兵到着、と。

で、27日の報告まで飛んで2つめ。
仁川からの報告で、清国兵若干名が変装して江華に入り込んだってことなので、仁川から将校斥候を派遣、と。

3つめでは、李鴻章は日本と一致できないと断言したので、戦争の用意が必要だと、北京の小村から陸奥に報告したという通報を得た、と。
27日分なら、これからその報告が出てくるのかな?
っつうか、交渉決裂?(笑)

4つめは、天津の荒川から大鳥への電報で、李鴻章から葉志超に向けて、現状増援送れないから忍耐しろと電報があった、と。

後は、開城府から金川の途中で、清国兵と遭遇したので騎兵1分隊を派遣したり、水原方面に下士斥候を派遣したり、将校斥候を大同江に派遣したり。
第二次輸送隊が仁川に到着したり、と。
水面下での動きが激しくなってきましたねぇ・・・。


ってところで、今日はここまで。



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