前回は、李南珪の上疏、「全く信憑し難き節も少なからず」な宮中からの情報、量の割に中身の薄い現地報告という、見てても、テキスト起こしててもつまらない報告でした。(笑)
ってことで、今日もさっさと続きを見ていきたいと思います。

『駐韓日本公使館記録3』から、1894年(明治27年)6月22日付『発第83号』の続き。

8) 6月22日接探報
両3日前、閔泳駿は袁世凱に面会し謂て曰く、君は誓て貴軍兵を城内に入るとの策を執らざるへしと明言せられしにも拘はらず、昨今の模様一変して貴兵入城の挙あるが如し。
果して然らば、我国の不幸を来すへければ、清兵入城を止められたしと。
袁氏之を聞て大に憤怒し、種々罵言を加へ、終に其面に唾するに至りしと云ふ。
閔泳駿は過日其兼官なる統衛使(統衛営の大将)を辞したるところ、右願意を聞届けられ、後任には扈衛副将申正熙をして兼務せしむる旨翌23日の朝報に見へたり。
袁世凱氏国王に上書して曰く、幸に死したる玉均を斬戮せしより、寧ろ生ける玉均を斬らば国内無事ならんと。(蓋し此意は、朴・徐等の諸氏を得て而して甘心するを謂ふ乎)。
3日前、閔泳駿が袁世凱に面会して言った。
ニムは誓って清国兵を城内に入れるようなことはしないと名言していたニダが、最近は状況が変わって清国兵入城が行われるらしいニダ。
もし本当なら、ウリナラの不幸を招くので、清国兵入城はやめてくれニダ。
これを聞いて袁世凱激怒。
さまざまに罵倒して、しまいにはその顔にツバするに至った、と。
どんだけぇ~。(笑)

で、閔泳駿は先日兼任している統衛使の職について辞意を述べたところ、その願いが聞き入れられ、後任に申正熙を兼務させる旨が23日の官報に掲載された、と。
また、袁世凱は高宗に上書して、「幸いにして死んだ金玉均を切り刻むより、寧ろ生きている金玉均を斬れば国内は安泰だろう」、と。
生きている金玉均ってのは朴泳孝や徐載弼等のことで、彼等の言に納得したり感服したりしている状況を言っているのだろう、と。

んー、混沌としてきましたねぇ。(笑)

9) 在松都或我国人の私報に拠れば
去る18日、坡州の北1里許の処にて支那人3名に出会す。
各駿馬馳て京城に向ふ。

○ 只今支那巡査2名京城より当府に入城せり。(入城後直に商人体の服装にて市街を徘徊するを発見せり。其他5、6名の同国人在城各擬商人ならんか)
巡査も現に目撃せり。

○ 去16日、支那人10名入城。(現今其行処を知らず)
近日支那兵約4,500人当府へ着するならんとの風説あり。
其の何れより来るかは、説を為す者も知らずと云ふ。
松都は今で言う開城らしいですね。
そこに住んでいる日本人からの報告では、6月18日に京畿道の北側にある坡州の北1里くらいの場所で、清国人3名と出会った。
それぞれ馬を走らせて京城に向かった、と。
そして、今清国巡査2名が開城府に来て、直ぐに商人風の服装で市街を徘徊。
その他5~6人の清国人が開城に居る偽商人ではないか。
巡査も現に目撃した、と。

去る6月16日、清国人10名が開城に。
今どこに行ったのかは不明。
最近、清国兵4,500人が開城府に来るという噂があるけど、どこから来るのかは、来るという噂を流している者も知らないという、と。

んじゃ、続き。

10) 6月23日午前接
平安兵使義州府尹状啓大概(22日夜宮中にて開封)
清国兵二万名已為入境将向京城日行八十里前進不幾日抵京事登聞云耳

去20日、閔泳駿袁氏を訪ひしも遂に追ひ帰へされ、失意家に帰り、直ちに上疏して将兵の任を辞し、門を杜して客を謝すと云ふ。
又同氏は近来護兵を以て邸宅の周圍を守り、以て不虞に備ふと。

○ 最初清国より兵を朝鮮に送るや、袁氏は閔氏に対し、凡て軍用の費は我国より担当支出して貴国に仰がざるへしと相約せるも、今に至りては、前後諸費は一々朝鮮に於て負担すべしと恐嚇せりと。

○ 清国は、既に派遣せる兵の外尚5,000人を送り、南陽馬山浦に上陸せしめ直に京城に向ふと云ふ。

○ 袁氏人に対して曰く、朝鮮は一恵堂の奸計小謀を以て焉ぞ敢て我を欺く乎。
吾意已に決せり。
誓て罪を問はんとす。
只だ憐むべき者は人民なりと。

○ 閔泳駿、安駉壽と密議を経たる後、外務督辨をして密かに俄国公使を訪問せしめたりと。
只た其意は何事なりしやを知らず。
然れども、専ら保護を悲願するに存するべし。

○ 袁氏初めは日本を怨みたるに、今は却て憤りを閔泳駿及安駉壽に含み、20日早朝400余字電報を発せりと云ふ。
まずは、平安兵使と義州府尹からの報告。
清国兵2万人が既に国境を越え、京城に向かっている。
1日80里進み、幾日もせずに京城に到達する、と。
んー、平安道と義州府って遼東半島に隣接する地域ですので、そこから来た清国兵2万人越境の報告ってのは非常に嫌な報告ですなぁ・・・。

で、先ほども顔にツバ吐きかけられた話が出ていましたが、6月20日に閔泳駿が袁世凱を訪問したけど、最後には追い返されて失意のまま家に帰り、直ちに上疏して将兵の職を辞し、門を閉ざして来客とも会ってない。
また、最近閔泳駿は、邸宅の周りを護衛兵で守り、不測の事態に備えている、と。
朝鮮に清国兵を引き入れた張本人なのに。
お約束のように辞職&引き籠もり。(笑)

続いて、最初清国が朝鮮に兵を送る時に、袁世凱は閔泳駿に向かって軍費は全部清国で支出し、朝鮮には負担かけないからと約束してたのに、現在では費用は全て朝鮮で負担しろと脅してる、と。
いや、朝鮮で援兵依頼したのは事実なわけですから、戦費負担するのは当然じゃないかと。
まぁ、最初の袁世凱の甘言がアレなんですが。(笑)

続いて、清国は既に派遣済みの兵のほかに5,000人を送り、南陽馬山浦に上陸させて直ちに京城に向かうという、と。

次ぎに、袁世凱は人に向かって、朝鮮は閔泳駿一人の奸計小謀によってどうして敢えて私を欺くのだろうか。
私の気持ちは既に決まった。
誓って罪を問おうと思う。
ただ可哀想なのは人民だがな。
あー、ぶち切れてる、ぶち切れてる。(笑)

で、閔泳駿は安駉壽と密議した後、外務督辨に密かにロシア公使を訪問させた。
その内容は不明。
しかし、主に保護を悲願するためだろう、と。

最後に、袁世凱は最初日本を怨んでいたが、今は却って閔泳駿と安駉壽に憤り、20日早朝に400字あまりの電報を発したという、と。

これまで割と単純だった構図が、ここに来て一気に複雑に。(笑)


長くなりましたが、今日はここまで。



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