まだバタバタしてて、テキスト起こしどころか史料読む暇すら中々無い昨今、如何お過ごしでしょうか。
( ´H`)y-~~

さて、日本側は全軍を京城に移動。
一方で、清国側も東学党の残党狩りを朝鮮政府に要請してたり、袁世凱が閔泳駿と仲違いしたり、結構動きも激しくなってたところまで見てきました。

今日最初の史料は『駐韓日本公使館記録2』から。
芝罘の伊集院領事から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月25日付『機密京第2号信』。

爾来、当地方清国軍艦并に陸兵等の挙動に付、一層注意致し居るも、当港は威海・旅順と間接の関係にて事実殊に認め難く、当道台には当初李帥の隨伴せしに付、如何の口気なるやを聞かん為め帰国を待受け往来致候も、当政府の決心并に出兵後朝鮮模様等は秘する様より寧ろ分り居ざるものの如し。
然も我国出兵の件に付ては稍々不満の意に有之候。
右の次第に付、一般の人気は自然平穏の方なりしが、百■岱并に四砲台は、工事の行き掛りとも候得共、兼て独国に注文致置きたる大砲24サンチメートル3門、15サンチメ―トル3門、53密里8門、40密里12門も本月初上海より遇順艦に搭載し、威海衛に廻到し、夫より利運にて直に当港へ運送し来り。
更に、据付方殊に取急ぎ、10日を出でず何れとも其工を終へ候趣。
又、弾薬運搬等軍備致居候。
其後天津より朝鮮へ可送達大砲9門、法国船にて威海に廻達せしも、其の已に転送せしや詳にせず。
而して、丁提督陳統領にも出韓の探聞に接し、其の筋に付事実確め中、本22日帝国千代田艦突然入港致し、経遠に提督旗を飜へし、超勇・広乙を率ひ已に仁川沖にて出遇ひ候趣に付、右は確実と認め不取敢及御電報置き候も、後にて丁提督尚ほ威海に在り、林統領之を率ひ、軍艦は鎮遠、超勇、広丙たる事を探聞致候。
又、陳統領には芝罘より2営、張統領には3営を率ひ、目下一令の下に出韓の準備整ひ居り、愈々両統領にて出韓候節は、東山縣より1営、栄城縣より2営募墊候手筈に相成居候。
且つ、各軍艦は何時にても出韓の予意致し居候趣。
是等の事実は、昨今探聞に掛り急電可仕候処、析柄当港と済南府間電信線路に故障起り候為め、当港より本邦北京及び京城への電信は不通と相成り、且つ一週間後にあらざれば修繕覚束なきとの事同局員より聞及び候。
右は当政府の政略なるや否やは探偵中に候も、此際斯る通信の不便亦不得止次第に候。
当時威海にある軍艦は、定遠、経遠、来遠、威遠、広乙、鎮辺、広済なり。
致遠、済遠は、旅順にて工事尤も取急ぎ居候も、来月ならでは修繕し終らざる由。
又、朝鮮より支那に向け、続々帰国致し、22日鎮東にて700余名、翌23日肥後丸にて50名計。
是日千代田艦は佐世保に向け出帆せり。
又24日、平遠にて袁公使家族は当港に帰着せり。
兼て備へたる元と三井物産会社跡に仮便致し居候。
今般当政府出兵せる同予意の厳備なるは、何程迄の決心なるや知る能はざるも、要するに一朝事あるときは我が駐兵に劣らざるを期するものと為考候。
右は其確実と認め候もの、一括及御報告候也。
んー、分かりづらい報告だねぇ・・・。(笑)

清国の挙動については一層注意してたけど、芝罘港は威海衛や旅順港と間接的な関係なので特に報告すべき事項も無く、李帥の帰国を待ってどんな口ぶりか聞こうと思ってたけど、清国政府の心づもりや出兵後の朝鮮の様子などについては、秘密にしてるというより寧ろ分からないようで、日本の出兵についてはやや不満だ、と。
ってかんじで、一般の雰囲気も当然平穏な方なんだけど、百■岱と四砲台では、工期の関係かもしれないけど、以前ドイツに注文してた各砲が上海→威海衛経由で運ばれてきて、据え付け工事も10日も経たずに完工。
弾薬運搬等の軍備もしている、と。

で、その後天津から朝鮮へ送られる大砲が9門、フランス船で威海衛に輸送されてきたけど、それが既に朝鮮に転送されたかは分からない。
ただ、丁提督や陳統領が朝鮮に行くという情報を受け、その筋に事実確認を行ってる最中、6月22日に千代田が突然入港し、仁川沖で提督旗を掲げた経遠が超勇・広乙を率いてるのと出会ったってことなので、確実と認めて取りあえず電報しておいたけど、後になって丁提督はまだ威海衛におり、林統領が率いる鎮遠、超勇、広丙だったと聞いた。

また、陳統領は芝罘から2営、張統領は3営を率いて、現在命令が下れば直ぐ朝鮮へ出発する準備が整っており、正に両人が出発するときには、更に東山縣から1営、栄城縣から2営を集める手筈になっており、各軍艦もいつでも出発できるようにしてる。

以上の事実は、最近探聞したので急電しようとしたけど、芝罘と済南府間の電信に故障があって日本・北京・京城への電信が不通となり、修繕も1週間後でなければ覚束ないという事を聞いた。
この電信不通が清国政府の政略なのかどうかは調査中だけど、この時期このような通信の不便はやむを得ない事。

現在威海衛にある軍艦は、定遠、経遠、来遠、威遠、広乙、鎮辺、広済。
致遠、済遠は旅順で修理を急いでるけど、7月でなければ修繕し終わらないとの事。

また、3月24日のエントリーでも仁川の能勢領事が述べていたように、清国人は朝鮮から清国へ続々帰国しており、22日には700名ほど、23日には50名ほどが帰国。
24日には平遠で袁世凱の家族が到着。
千代田は23日に佐世保へ向け出港。
ってことで、今回清国政府の出兵の準備が、どこまでの決心によるものかは知る事が出来ないが、要するに何かあれば日本の朝鮮駐留兵に劣らない事を期しているものと考える、と。
やはり、一両日程度で清国兵は仁川に着けるんでしょうねぇ・・・。

さて、続いてはアジア歴史資料センターの史料から。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の23画像目。
北京の小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月25日発『電受第308号』より。

Mutsu
Tokio

(9) All your telegrams to no. 12 received.
Telegraph for my information disposition of treaty powers especially Great Britain, Russia, France about the attitude of Japan toward Corea and also telegraph from time to time every change of the disposition.

Otori
No12までの総ての貴下の電文を受け取った。
当方の知識のために、朝鮮に対する日本の態度について、条約国、特にイギリス、ロシア、フランスの意向を送り、また、その意向のいかなる変化についてもその都度知らせてよ、と。
まぁ、現場の公使としては当然の要求。

で、3月17日のエントリーで6号まで受け取った話が出ていましたが、その後のNo7が不明。
No8は3月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月22日発『電送第236号』。
No9は3月17日のエントリーの1894年(明治27年)6月23日発『電送第240号』。
No10と11は、3月18日のエントリーの1894年(明治27年)6月23日発『電送第242号』と1894年(明治27年)6月23日発『電送第243号』。
No12も不明、というところまで書いたところで、No12発見。

アジア歴史資料センターの『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の4画像目左側。
1894年(明治27年)6月24日発『電送第244号』。

Otori
Seoul

12 Telegraph line between 京城 and 釜山浦 will be repaired quickest by military engineers commencing from both ends.
Use your discretion whether the work is done as under direct control of Japanese Government or in the form of request of Corean in compliance with which Japanese Government furnished engineers and necessaries, which will be sent soon.
Consult with 大島 who will receive instructions on the subject.
Arrange for commencing repairs from 釜山浦 end.

Mutsu
京釜間の電信線は、陸軍の技術者により両端から始められ、迅速に修理される筈だ。
その作業が直接日本政府の管理下で行われるか、朝鮮政府の依頼に応じて日本政府が間もなく送られるだろう技術者と必需品を提供する形式にするかは、貴下の裁量に任せる。
大島がその件に関する命令を受けるはずなので、彼と相談すること。
釜山の方で修繕を始める用意をすること、と。

つうか、この史料の右側とか2画像目とか見ると、大鳥から修繕用の材料や技術者派遣の要請が来てたのね・・・。
いや、3月6日のエントリーで「「今朝電信にて申上候」の電信が見つからないわけですが、京城・釜山間の電信線の修復に関する電信のようで。」とか言ってたヤツじゃん・・・。
_| ̄|○
こんなにバラバラだと、探すの大変じゃんかよぉ!(笑)


ってところで、長くなりましたが今日はここまで。



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