今日は前置きなしで早速。

『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の32画像目から見ていきます。
大鳥から陸奥への1894年(明治27年)7月10日付、7月17日接受の『機密第122号 本71』より。

朝鮮内政改革の勧告拒絶せられたる時、我が執るべき手段に付伺

朝鮮政府に向て内政改革案提出の顛末は、既に機密第121号信に詳陳致候通りに有之候処、当政府の内情を探偵するに、国王には大分改革に傾意せらるると雖も、先般来李鴻章の内意を受けたる電信天津より続達し、袁世凱又之に附和して恐嚇し居るが為め、守旧即ち事大派の気焔を一層強めたれば、彼等は我に向て外面改革を口にするも、其実行は到底見込無之候。
彼等の胸算は、一時我が鋭鋒を避け、我勧告に応ずるが如き顔色を装ふて時日を送り、其間に李鴻章及び各国公使に依頼して我駐在兵を撤退せしめんとの考案に可有之と被推察候。
就ては、我より尋常手段にて之に当るときは、必然彼等の術中に陥り可申掛念有之候に付、此際断乎たる処置に出て後害を残さざる様注意するを緊要の義と存候。
就ては、朝鮮政府に於て断然我勧告を拒絶するか、若くは遷延して可否決答を為さざるか、又は表面我勧告を容れて之を実行せざる場合に於ては、総て我勧告を拒絶したるものと見做し、本官は左記両案の内必其一を執り、直接又は間接に改革の必行を促し度と存じ候。

(甲) 朝鮮政府より陽に或は陰に拒絶を受けたる時は、我より「朝鮮政府は内政不整頓なるが為め、屡々変乱を挑発し、或は外援を招くに至り、実に我国に向て危険を与へり。我国は、政事及貿易上朝鮮との関係甚だ深きが故、自衛の為め朝鮮内政の改革を促し、変乱の根源を絶たざるべからず」と云ふ事を辞柄と為し、兵威を以て之に迫り、其必行を促すべし。
但し、兵威を以て之に迫るの手段は、我護衛兵を派して漢城の諸門を堅め、且つ王宮の諸門を守り、彼等が承服する迄手詰の談判に及ぶべし。

(乙) 朝鮮政府若し陽に或は陰に我勧告を拒絶したる時は、我は先づ公文を以て「朝鮮政府の拒絶は全く東洋の大局を顧みず、我国と相提携して共に富強を図るに意なきを表示したるものなれば、我国は遺憾ながら本国の利益を保護する手段を執らざるべからず」との決意を申送り、之と同時に左の要求を為すべし。

一.日朝条約中、「朝鮮は自主の邦にして日本国と平等の権を保有す」の主義を推拡して、従来清韓間に有せし宗属の関係を悉皆革除せしむること(但し、清韓間宗属の問題は、我より提出すべからざる旨御電訓にて承知致居り候へども、朝鮮に向て之を提出するは強て差支有之間敷と存候)。

二.最恵国条款に依りて、支那政府及人民に許与したる権利特典(就中朝鮮国内に於て朝鮮人民を裁判する権利、并電信架設等)を我に要求すること。
右2ヶ条の実行を保証する迄、我は兵を派して漢城并王宮諸門を守るべし。
但し、両国交渉事件の未決にするものは、通常談判として別に提出するを可とす。
何となれば、此際提出するものは強迫の材料に供する迄なれば、若し朝鮮政府が敢て改革を妥行するときは、必ずしも提出に及ばざるものなればなり。

已上甲乙両案とも聊か例外に在りと雖も、此際斯る例外の処断に出でざるときは、好結果を収むべき見込無之候。
尤も、其内甲案は、改革の目的を貫徹する方に取りては都合善しと雖も、余り例外に奔馳したりとの譏責を免れざるべく、乙案は我に一応の口実ありと雖も、要するに改革の目的の相齟齬するを以て、我挙動は始終相貫徹せざる嫌有之候。
乍去、是亦改革を力迫する一手段に過ぎざれば、寧ろ譏責の軽き乙案に従ふ方可然やとも被考候。
右は、目前に差迫り候事件に付、本信御落手次第何分之御電訓有之候様致度、此段至急伺出候也。
10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け7月17日接受の『機密第121号 本70号』等で見られるように、朝鮮に対して内政改革案が提出されたわけですが、それが拒否された時の対応についての伺い。

ってことで内政改革案を提出したけど、朝鮮政府の内情を探ると、高宗はかなり改革に傾いてるけど、この前から李鴻章の内々の意向を受けた電信が天津から続々と届き、袁世凱もそれに同調して恐喝してるので、守旧派即ち事大派が勢力を増しているので、彼らは日本に向かっては表向き改革を口にしても、その実行は到底見込みが無い、と。

国王には大分改革に傾意せらるる」。
これ、かなりくせ者。
高宗って、対日本に限らず、誰かに何か言われたら取りあえず「うん」って言うヤツだから。(笑)
押しが弱いだけなのか、主体性が無くてフラフラしてるだけなのかは知らんが。

で、守旧派・事大派の胸算用は、一時的に日本の矛先を避けるために、日本の勧告に応じるふりをしておいて、その間に李鴻章や各国の公使に依頼して日本の駐在兵を撤退させようという考えだろう、と。
まぁ、開国以来からのいつもの手。

ってことで、日本が普通の手段で対処しようとすれば、必然的に守旧派・事大派の術中にはまる事が懸念されるので、この際断固とした処置に出て、後に害が残らないように注意する事が緊要だと思う。
つうか、改革やりたくないなら勝手にしろって、放置できる場所だったら良かったのにねぇ・・・。

そんなわけで、朝鮮政府が断然日本の勧告を拒否するか、もしくは回答の引き延ばしを図るか、表面上日本の勧告を受け入れて実行しない場合、総て日本の勧告を拒否したものと見なして、以下の甲・乙いづれかの案のうち必ず一方を執り、直接的または間接的に改革を必ず実行する事を促したい、と。
割と大きなお世話。
つうか、朝鮮に夢見すぎ。(笑)

で、勧告拒否されたときに執る方策のうち、まずは甲案。

朝鮮政府によって明確にでも実質的にでも拒絶された場合、
「朝鮮政府は内政不整頓のためにしばしば変乱を起こし、あるいは外国の援兵を招くことになり、日本に向かって危険を与えた。
日本は政治や貿易上、朝鮮との関係が非常に深いことから、自衛のために朝鮮内政の改革を促し、変乱の根源を絶たなければならない。」
という口実により、武威によって朝鮮に迫り、改革を必ず実行させる。

ただし、武威で改革を迫る手段としては、日本の護衛兵を派遣して京城の諸門を固め、かつ王宮の諸門を守って、朝鮮政府が応じるまで猶予を与えず厳しく詰め寄る、と。
この辺が、王宮占拠事件につながっていく話。
まぁ、「包囲」じゃなくて「占拠」自体が計画だったなんて言ってる人も居ますが。(笑)

一方の乙案。
同じく勧告を拒絶されたら、まず公文によって、
「朝鮮政府の拒絶は、全く東洋の大局を顧みておらず、日本とお互いに提携して共に富強を図る意志が無い事を表したものなので、日本は遺憾ながら日本の利益を保護する手段を執らざるを得ない」
という決意を述べ、同時に次の要求をする。

第一に、日朝修好条規第1条中の「朝鮮は自主の邦にして日本国と平等の権を保有す」という主義を拡大し、清国と朝鮮間の宗属関係を総て清算するっつう要求。

ただ、8月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電送第270号』で、「日本の提議にして独立及び擾乱の予防を基礎となし、属邦論は之を度外に置くときは、清国政府に於て之を受理するの意嚮ありといへり。右の事情なるが故に、本問題を挙げて、或は直接に各国政府との間に容易ならざる外交上の葛藤となるも計られず。」とか言われてたけど、朝鮮に向かって言うんなら特に問題無いっしょ、と。

第二に、最恵国条款によって、清国政府や清国人に与えている権利・特典(朝鮮国内で朝鮮人を裁判する権利や電信架設等)を日本の要求すること。

その第1及び第2の要求の実行を保証するまで、京城や王宮の門を守るっていう名目での強迫的手法については、甲案の方と手法的に同じ。

ただし、日朝の交渉事件で未決のものは、通常の談判として別途提出することでオッケー、と。
なぜならば、この時に提出する要求ってのは、強迫の材料にするためだけのものなんで、もし朝鮮政府が改革を行うなら、必ずしも提出する必要がないからだ。

この甲案・乙案は両方とも多少例外的な事項だけど、このような例外の処断を行わなければ、良い結果を収められる見込みがない。
ただ、甲案は改革の目的を貫徹するためには都合が良いけど、あまりに例外に走りすぎてる気がするし、乙案は日本に一応の口実があるけど、改革っていう目的からは齟齬する。
しかし、これも改革を迫る一手段に過ぎないんだから、寧ろ責められる可能性の少ない乙案の方が良いんじゃないかと思う。

これは、目前に差し迫った事件のため、この書簡が着いたら直ぐ何らかの電訓よこせ、と。

つうか、いつから目的が「改革」になったんだよ!(笑)


ってところで、一つしか史料やってませんが今日はここまで。



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