水曜はここのコメント欄でもおなじみのxiaoke氏来青のためお休みでした。

さて。
今回からは24日の史料に入っていきます。
まずは、3月7日のエントリーで清国の追加派兵と衝突不可避の見解が伝えられ、これを受けて3月14日のエントリーでは朝鮮内の各領事に伝達事項がありました。
これらをうけて、仁川に留まっていた軍にも動きがあります。

史料はアジア歴史資料センターの『明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/6月23日 本日迄船中に置きたる第21聨隊第2大隊 明24日より上陸せしめんとし其幕営地等定む 此の即時正午頃大本営より清国出兵の電報あり急に山口大隊上陸せしむ 軍・・・(レファレンスコード:C06060160500)』から。
1894年(明治27年)6月24日付混成旅団報告第6号のうち、6月23日の記録を。
長いですが、内容的には大した事ないので、一気に見ていきます。

6月23日 晴又曇

一 午前早く、帝国軍艦松嶌号牙山附近偵察の為めに赴く

一 本日迄舩中に置きたる第21連隊第2大隊(3中隊)を明24日より上陸せしめんとし、其幕営地及び上陸手続を定む。

一 此の即時正午頃、大本営より清国出兵の電報あり。
士気頓に奮ひ、急に山口大隊(山口少佐の率ゆる大隊)を上陸せしむることに定め、午後2時過ぎより着手。
6時過ぎに至り全く終る。

一 此より後るること凡そ30分、大鳥公使より清国4,000の兵を出す確報と、衝突は免れざるべし。
速に兵を京城に入れられたし。
後続兵も同様にたのむとの報あり。
先是今朝、参謀より福嶌中佐に宛て諸情報に依れば、支那の出兵疑ひなし。
速に公使の所決を待つと云へる照会の書信を出したり。

一 此同時又伊集院少佐より艦隊に宛てたる電報を通知す。
浪速艦、陸兵を護送して朝鮮に向ひ、24日頃出発の筈と。
是に依り、第二次輸送兵の到着を察す。

一 軍機一変せり。
午後5時、会報を以て明24日行軍に関する部署を定む。
其大要左の如し。

1 工兵は直に出発し、今夜星峴に宿し、楊花鎮に至る道路を修理す。
2 設営隊は橋本少佐指揮し(本官は過日旅団長上京のとき随行せしめ、竜山附近の陣地を偵察せしめたるものなり)、24日午前1時出発。
3 本隊の行軍序列は、騎兵中隊、歩兵2中隊、砲兵大隊(1中隊)、歩兵第11連隊、野戦病院、大行李
4 星峴と楊花鎮に湯を沸かすこと
5 24日の晩食は京城在屯大隊より送ること
6 兵站用諸荷物は水運すること
之が為め、汽船一隻を更に借り入るること
7 漢江に於て、渡舩50艘を買い占むること(是れは、公使館附担任)
8 騎兵将校、斥候を牙山の方向に向け出すこと
9 山口大隊は、仁川に残留すること
一 英国人所有家屋に強迫的に舎営したる云々の御電報全くの嘘なり。
成程始め舎営を配布するとき、領事に協議し、各国居留地は可成避くべきことを参謀より云ひたれ共、領事曰く日本人現在居留及び各国租界と雖も、日本人所有の家なれば差支へなしとのことに付き、之に舎営せしむることに決し、之を実行したり。
其後6月19日、旅団長入京のとき、公使より各国租界には舎営するを断るとのことに付き、電報を以て其撤去を舎営司令官に命じ、20日に於て各隊全く日本人居留地并に日本居留民所有地(公園附近)のみに幕営することとなれり。
確かに聞く。
各国居留地会は、我兵舎営のことに関し臨時会を開きたるに、多数を以て、日本兵は安眠を妨ぐる等のこと無し。
之を許すべしと決したり。
但し、之が為めに下掃除代の多費になるは甚だ迷惑なりと云ふ位にて、多数は遂に我兵舎営を許すことに決せり。(独商モーゼルの信用すべき日本商人に話したる言)
然るに、支那人某(仏蘭西の女を娶るもの)頻りに税関雇英人某に運動し、遂に領事を説き附け、領事より公使に照会させたるものなることを確聞せり。
一昨21日雨多し。
英国人を除きて、他の外国人は我兵の不幸を憐みたりと確聞せり。

一 帝国軍隊軍紀の厳粛に就ては、外人より数多の褒辞を受く。

右謹而報告仕候也。

6月24日午前1時出発に臨み
混成旅団長 大島 義昌

参謀総長 熾仁親王 殿
23日午前早くに、松島が牙山附近偵察に出発。

で、これまでは昨年の3月20日のエントリーなんかで見たように海兵と交代した800人と、2月11日のエントリーのように、要衝と漢江沿岸に配備された一部の部隊を除いて、仁川に留まることになってました。
更に一部は船の中に留めっぱなしだったようで。
その可哀想な部隊、第21連隊第2大隊(3中隊)を6月24日から上陸させようと、幕営地と上陸手続きを決定。

そんな中、正午頃に大本営から清国出兵の電報が。
急遽山口大隊を上陸させることにして、それに午後2時から6時までかかった、と。
上陸ってことは、山口大隊も船の中だったのか・・・。

で、大本営の電報から30分後なのか、山口大隊の上陸後30分なのかは分かりませんが、大鳥公使から清国兵4,000人の追加出兵の情報と、衝突は免れないだろうから速やかに兵を京城に入れて欲しい。
後続兵も同様に頼むとの報告があった、と。
前回の1894年(明治27年)6月23日発『電送第243号』は24日の到着ですので、3月7日のエントリーでの釜山の室田経由での1894年(明治27年)6月22日発『電送第236号』が、このころ大鳥の手許に届いたのかな?
で、23日の朝には参謀から福島中佐にあて、諸情報によれば清国の出兵は疑いなく、速やかに公使の決断を待つという文書を出しておいたって事かな?

同時に、伊集院少佐から24日に浪速が陸兵を護送して出発するはずという電報があり、それによて第二次輸送兵の到着を察した、と。
で、午後5時には24日の行軍に関する担当を決定。
ここまでが23日に起きた事。

それ以降は、3月7日のエントリーでも「宿営等のことに付居留英国及其他の国民よりの苦情不少趣なり。」なんて軽く触れられていましたが、イギリス人所有の家屋に強制的に宿営したという話が出ていたようで。
それは全くの嘘だ、と。

最初に舎営を設置するときには、領事と協議して各国居留地はなるべく避けようと参謀から言ったけど、領事が日本人所有の家であれば日本人居留地でも各国租界でも差し支えないって事で、そこに舎営させた。
その後、6月19日に旅団長が入京したとき、大鳥公使から各国租界は断ると言われたので、電報でその撤去を舎営司令官に命じ、20日には総ての部隊が日本人居留地と日本居留民所有地だけに幕営することになった、と。

で、結局はある清国人が税関に雇われてる某イギリス人に働きかけ、領事が説得されて公使経由で各国居留地への舎営が不許可になったという話だったという事で。


長くなりましたが、今日はここまで。



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