さて。
今日も早速本題に入りたいと思います。
前回の1894年(明治27年)6月20日付『発第82号 我兵入京に付韓廷并に京城内模様探報』の続きです。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』より。

6月19日午前接 恵堂及袁氏の問答

5月14日(我6月17日)夜、恵堂袁氏に謂て曰く、東学乱民猖獗して全州落城するに至る。
郷兵之に敵せず、京軍出張する事多日なれども萬も剿滅するの道なかりしに、幸にして天兵来臨し、威聲先づ振ひ、賊をして風を聞て胆破れ、自から■れしむ。
京軍猛なりと雖ども、狂蜂窮狗豈亦咬射の毒なからん。
而して、今日流散せるものは専ぱら天兵の来臨に由る大矣皇恩極矣皇恩、且つ此れ大人の賜ふ所に非ざるは莫し。
現今日本兵故なく出て来り肆に都城に入る。
放肆凌侮朝鮮を以て無人の境に置く。
豈交隣の誼と云ふべけんや。
伏て大人善く裁断を為し、一は以て朝鮮を安んじ、一は以て紀綱を立てられん事希望の至りなり。
袁氏曰く、乱徒流散せるは貴邦の洪福なり。
慶すべし。
賀すべし。
皇恩の外弟敢て謝を受けず。
日人が此に乗じて兵を他国の京城に闖入せしめたるは、駭然せざるにらず。
清兵にして帰国せば、彼亦兵を退くべしと雖ども、若し然らずんば必らず各国の批難あらん。
而して、中国も原より亦問罪の兵を起さざらんや。
弟既に彼に向て談判する所あり。
此意を以て貴君主に稟達せられ、叡慮を安んぜられたし云々。
前回、「昨夜深更、閔泳駿は単騎袁氏を訪ひ夫より直ちに参内して密奏する所ありしが、其何事たるを漏聞かざりし。」という一文がありましたが、その前段部の6月17日に閔泳駿が一人で袁世凱と会談した時の内容ですね。

まずは閔泳駿が袁世凱と清国軍をヨイショするわけですね。
割と露骨なゴマすり。

つうか、「京軍猛なりと雖ども、狂蜂窮狗豈亦咬射の毒なからん。」て、どんな言い訳やねん。(笑)

で、日本軍が今理由もなく来て欲しいままに王都に入ってる。
勝手で規律も無くて馬鹿にして辱めて朝鮮に人が居ないかのように振る舞う。
どこが交隣の誼ニカ!
何とか一つ朝鮮を平安にし、規律正しい状態にして欲しいニダ!と。

これに対して袁世凱は、東学党の乱の鎮圧を祝した後に、日本人がこの機に乗じて兵を他国の王都に入れたのはビックリしたアルよ。
清国の兵が帰国すれば日本も撤兵するだろうけど、もしそうでなければ必ず各国の批難があるだろうし、中国でも罪を問う出兵するアル。
今談判してるとこだし、このことを高宗に伝えて安心させるアル、と。

袁世凱も自分で言ってるとおり、援兵のためにきた清国兵が鎮圧を済ませたとして帰ったのに日本軍が駐留を続ければ、各国の批難を浴びるわけで。
2月15日のエントリーでも言ったけど、さっさと清国軍撤退させて、日本の非を鳴らせば良いのにねぇ?(笑)

んじゃ、続き。

6月19日午後接 報告

袁氏、恵堂に対して大言して曰く、日本は東方の一褊小国なり。
既に亜細亜の一部に在りながら、小を以て大に事ふることを念はず。
而して、中国より毎々罪を問はんと欲するもの久し。
余は彼に向て言はんとす。
爾の恃む所は何の強ぞ。
頼る所は何の力ぞ。
爾萬兵を以て来り戦はば、我二萬を以て之に敵せん。
爾十萬兵を以て来り戰はば、我二十萬を以て之に敵せんと。
今般の事を以て之を言へば、兵を都城に入るるは萬国に例なし。
而して渠れ強毒を恃み、朝鮮を凌侮すること紀極あるなし。
中国実に朝鮮の為めに痛憤す。
且つ隣国の都城二十里内に於て賊変あれば、締約の各国兵を領して来り護るは公法に載する所。
而して、今朝鮮の内乱は尚ほ五百里外にあり。
日本兵の来るもの実に無名妄動と為す。
況んや他国の都城内に入るに於ておや。
以て償金を要求するも可なり。
此事は余自から担当して妥結せしむべし。
故に若し日本公使に談判するところあらば、毎々此意を以て攻撃すべし。
中国の威を以て日本に示すは、草芥の如きのみと。

恵堂此意を以て内奏せしかば、此より毎事全く袁氏の周旋を恃み、毎々大小の内務外交の事を協議す。
故に有志の人は退て緘黙すれども、内心大に嗟嘆せりと云へり。
去る18日我居留人の報に拠れば、昨今に至り一般朝鮮人民の恐怖疑懼の念弥よ増加し、之に反し下等社会の事あれがしと望む連中は、何となく愉快気に見ふる模様あるは事実なり云々。
右及御報候也。
続いて19日の午後の報告なんですが、いつの会話かは分からず。
ただ、「恵堂此意を以て内奏せしかば」ですので、先ほどの会談と同様、前回の「昨夜深更、閔泳駿は単騎袁氏を訪ひ夫より直ちに参内して密奏する所ありしが、其何事たるを漏聞かざりし。」のうち、今度は後段部の閔泳駿が参内して密奏した内容、と考えるのが妥当っぽいですね。

日本は東方の狭く小さい国で、アジアの一部にある癖に事大しないアル。
だから中国は、しょっちゅう罪を問おうと思って久しいアル。
ワタシ日本に向かって、アナタの恃んでるのは何の強さで、頼ってるのは何の力か聞きたいアルね。
日本が1万の兵で来ればワタシ2万の兵で対し、日本が10万の兵で来ればワタシ20万の兵で対するアル。

今回の事で言えば、兵を王都に入れるのは世界に類を見ないアル。
朝鮮を馬鹿にして侮辱すること限りないアル。
中国は朝鮮のために痛憤してるアル。

隣国の王都20里以内で内乱が起きれば、条約を結んでる各国が兵を率いて守るのは公法にも載ってるアルが、朝鮮の内乱は500里も離れてるアル。
日本兵が来たのは名目もない妄動アル。
まして、他国の王都に兵を入れてるアル。
それによって賠償金を請求することも出来るアル。
それについてはワタシ担当して妥結させるアル。
だから、もし大鳥と談判するのなら、毎回この意によって攻撃するアルよ。
中国の威を以てすれば、日本なんてゴミみたいなものアル。

これを、袁世凱が閔泳駿に向かって言ったと。
これまた閔泳駿の嘘なのか、袁世凱が本当に言ったのか。
袁世凱でも言いそうなところが怖いところですが、先ほどの会話の内容と併せて考えるに、もし似たような事を言ってたとしても、大幅に閔泳駿が脚色してる気がします。
いや、やっぱり袁世凱でも言いそうだよなぁ・・・。(笑)
まぁ、どっちにしろ伝聞情報なので、本当かどうかも分かりませんしね。

ってことで、閔泳駿がそういう内奏を行ったので、その時から総て袁世凱の援助を受ける形になり、大小の内務・外交の件について協議している。
そのため、心ある人は退いて口を閉ざしてるけど、内心は大いに嘆いているという、と。

6月18日の日本人居留民の報告によれば、最近になって一般朝鮮人民の恐怖疑懼の念は益々増加し、それに反して何か起きれば良いのにと思ってる連中は、何となく愉快気に見ている模様があるのは事実だ、と。


今日はここまで。



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