連載100回目だよー。
東学党の乱から通算すると214回。
俺、馬鹿じゃないのかと思う事がたまにある。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』から見てきたいと思います。
54画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月9日発『電受第395号』より。

Mutsu
Tokio

At an interview 七月九日 総理衙門王大臣 declared that Chinese Government would not enter into negotiation until Japan withdrew her troops from Corea because Tientsin Convention required immediate withdrawal of troops on the suppression of disturbance and if China and Japan detained troops there was danger that other powers might claim right to do the same.
The effort of British Minister and myself has failed to induce them to make further proposals.

Komura
7月9日の会談に於いて、総理衙門王大臣は、日本が軍隊を朝鮮から撤兵するまで、清国政府は交渉に入らないと宣言した。
天津条約は、騒擾の鎮圧による早急な撤兵を要求しており、もし清国と日本が軍隊を駐留させれば、他の列強も同様の事をする権利を主張するかも知れない危険があるためである。
さらなる提案を行うよう彼らに勧めるイギリス公使と私の尽力は、失敗に終わった、と。

9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』で、協議が始まったとしても日本の提案を拒否った事を根拠に、清国の提案を拒否って聞くだけにしろっつう訓令も出てましたが、それ以前の問題に。(笑)

suppression of disturbance」の解釈に関して、見解の相違があるにも拘わらず、一方的な撤兵要求って。
イギリスの努力とか、台無し。(笑)

つうかね。
日本は良いんだよ、別に。
朝鮮の内政改革、単独で進めるだけだから。(笑)

で、次で7月9日の史料は最後です。
多分。

『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』より。
29画像目が英文、30画像目が訳文になってますので、一緒に見ていきましょう。
ロシアの西公使から陸奥への、1894年(明治27年)7月9日発『電送第396号』より。

Mutsu
Tokio

Chief of the Asiatic Department has informed me that Russian Government are satisfied with your reply and sincerely desire our peaceful arrangement to be made with China as soon as possible.
Instructions will be sent to 在日本露公使 and Russian Minister to China in the above sense.

Nissi


亜細亜局長本使に告げて曰く、露国政府は貴大臣の回答に満足し、可成速に清国と平和の取極めあらん事を冀望せり。
在日本露国公使及在清国露国公使へ、其旨を訓令に及べりと。(本文は特に秘密を要し候)
そのままですね。

ロシアのアジア局長が西に向かって、「ロシア政府は陸奥の回答に満足し、なるべく速やかに清国との平和の取り決めがなされる事を希望する。
在日本ロシア公使と在清国ロシア公使にその旨訓令した。」と述べた、と。

んー、ロシアがこの決定に至った背景って、どんなんだったんだろう?

さて。
次からは7月10日の史料に入ります。
まずは、軍用電信線に関する話題から。
『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の20画像目から。
陸軍の兵站総監川上操六から陸奥への、1894年(明治27年)7月10日付『発第10号』より。

今般京城・釜山間に架設せんとする電線は、当時完成の急速を要せし為め、其幾部分は朝鮮国用線を利用する目的を以て、大邱より迂回して清州に至る線路を採用し、之を両電線架設枝隊に訓令せしと雖も、目下の形勢に於ては必しも完成の急速を要せざるを以て、其迂回線を利用せむよりは、将来兵略上に公算多き路線、即ち兵站線路に適する道路に沿ふて架設するの有利なるに如かず。
因て、曩の計画を改め、釜山・大邱・尚州・忠州を経て京城に至る直線、俗に中路と称するものに沿ひ架設致す事に相成、別紙之通両枝隊司令官に訓令致候間、其旨大鳥公使へ御通示相成度、此段及御移牒候也。


第1電線架設枝隊司令官に与ふる訓令

一.京城・釜山間の電線架設に付、我邦と朝鮮国との協議調ひ架設に着手するに至らば、曩に与へし訓令に記載せる電線架設線路を左の如く変換すべし。
釜山・大邱・尚州を経て鳥嶺を越へ忠州に至り、此地に於て第2枝隊の線と連絡すべし。

二.釜山・大邱間に要する材料は追送す。
故に、携行せし材料は大邱・忠州間に使用すべし。


第2電線架設枝隊司令官に与ふる訓令

京城・釜山間の電線架設に付、我邦と朝鮮国との協議調ひ架設に着手するに至らば、曩に与へし訓令に記載せる電線架設線路を左の如く変換すべし。
京城より廣州を経て忠州に至り、此地に於て第1枝隊の線と連絡すべし。
之に要する材料の不足は、追送すべし。
曩に与へし訓令」ってのは、6月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日付『機密受第860号』に別紙として付いてた訓令かな?

その訓令では、釜山→大邱→星州→秋風嶺→清州っていう経路で電線を架設し、釜山・大邱間は「成るべく朝鮮国用在来の電線を利用し」だったわけですが、朝鮮の電線利用を止め、大鳥と朝鮮の協議が整い次第、釜山→大邱→尚州→鳥嶺→忠州→廣州→京城という経路で直線的に架設することにして、その変更に関する訓令をしたって話ですね。
で、各枝隊には、朝鮮の電線を利用するはずだった区間について、その材料を追加で送る、と。

つうか、「目下の形勢に於ては必しも完成の急速を要せざる」って、すぐにでも開戦するっていう緊張感からは遠のいたのかな。


ってところで、今日はここまで。



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