さて。
前回のラスト、1894年(明治27年)6月23日発『電送第240号』で「full instructions for you」とありましたが、それ自体は朝鮮に向けて出発した加藤に対して、下関で届けられる形になります。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の17画像目から。
1894年(明治27年)6月23日発『電送第241号』及び『電送第242号』より。

Kato
Naniwa Kan
Bakan

Take following cipher telegram to Otori and telegraph me when you received this.

△ To Otori 10.

You are hereby instructed to strongly press upon Corean Government in the form of recommendation actual and effective reform and amelioration of the system of administration, justice and finance so as to guarantee against future misgovernment.
You may support your argument with the reasons given in my reply to Chinese Minister which 加藤 takes to you.
You may judiciously disclose the above to foreign representatives so as to justify act of Japanese Government before the world.

Mutsu
右側の欄外によれば、この全文が加藤に伝えられる『電送第241号』。
△以下が大鳥に伝える事になる『電送第242号』と言う形になっているようです。

次の暗号電信を大鳥に渡し、この電信を受け取ったら返電しろ、と。
まぁ、下関に寄る予定の浪速の船中に居る加藤への電信ってことでしょうから、返電で受領確認が必要ですわな。

で、大鳥に宛てられた△以下。
貴下は統治、司法、財政の制度について実際上有効な改革と改善を行い、将来の失政が再び起きない事を保証するように、勧告状によって朝鮮政府に強く圧力をかける事を訓令する。
加藤が貴下に持って行く私の清国公使への回答で述べた理由を、貴下の議論のサポートとしろ。
貴下は思慮深く上記理由を外国公使等に開示し、世界に向けて日本政府の行為が正当である事を説明しろ、と。

my reply to Chinese Minister」は、3月6日のエントリーでの1894年(明治27年)6月22日付『親展送第42号』の事でしょうね。
これまでの事蹟を見れば、朝鮮半島は朋党争闘・内訌・暴動の中心地かのような惨状を呈し、このように事変がしばしば起きる理由は、独立国の守るべき責務を全うする要素を欠いている事が原因だと確信するに十分であるっていう、直球なヤツ。(笑)
つうか、直球投げて欠点指摘しても、ヤツら聞かないと思うけどねぇ・・・。

続いても、同日の陸奥から大鳥への電信。
20画像目。
1894年(明治27年)6月23日発『電送第243号』。

Otori
Seoul

11. In consequence of failure of negotiation with Chinese Government, Japanese soldiers cannot be now withdrawn from Corea on sole condition of withdrawal of the Chinese troops even 東学党 disturbance is quelled and also even collision with China should become unavoidable thereby sooner or later.
We are bound now to do single handed what we proposed to Chinese Government.
Detailed instructions will be brought to you by 加藤 and you will wait till his arrival.
機密第96号 dated 六月十八日 not yet arrived.
Concentrate all troops to 京城 immediately.

Mutsu
清国政府との交渉失敗の結果、例え東学党の乱が鎮圧され、いつかは清国との衝突が不可避になったとしても、清国軍の撤兵というただ一つの条件で今日本軍を朝鮮から撤退させる事はできない。
我々は、清国に提案した事項を単独で行う決意をしなければならない。
詳細な訓令は、加藤から貴下に伝達されるはずなので、彼の到着を待つこと。
6月18日付け機密第96号はまだ到着していない。
総ての兵力を、直ちに京城に終結させること、と。

これは、前回の1894年(明治27年)6月23日発『電受第294号』の返事かな?

結局、清国が撤兵したら日本も撤兵せざるを得ないわけですが、両国撤兵後の改革と言ってもやらない、或いはやれないというのは、天津条約第2条という前例で明らか。
2月13日のエントリーでも述べた問題点のうち、朝鮮における宗主国としての清国の地位向上と、日本の地位の相対的低下を招くという外交上の問題について、現状維持になる程度の効果はあるかも知れませんが、3,000人派遣による予算の無駄遣いによる議会攻撃という国内的問題と、抜本的改革をしない限り、内乱の再発を招き、同様の事態が予想されるという問題ってのは、全く解決しないわけで。
ってことで、撤兵せずに改革という路線堅持という事になったようで。

で、詳細な訓令は、先ほども出てきた加藤が持って行くのでヨロ。
勿論、現実には6月25日に届く事になる、6月18日の『機密第96号 陸兵を撤回せしむ可き最後の処置に付伺』はまだ届いてないよ、と。
つうか、電信や書簡の交錯って、今見てる我々でも整理つかないくらいグチャグチャなんだから、当時は切迫した状況もあって、大変だったろうなぁ・・・。

で、総ての兵力を京城に終結する事、と。
3月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月22日発『電送第236号』で、清国の追加派兵と衝突不可避の見解が伝えられ、渡韓兵力を京城に終結させる訓令が出てましたが、ここでもう一度命令、と。


ちょっと早めですが、今日はここまで。



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