今日は前置きなしで早速。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』の47画像目。
趙秉稷から大鳥への1894年(明治27年)6月23日書簡より。

敬啓者昨准
来覆閲悉一切査漢城本甚安静南匪早已削平乃貴公使以重兵駐我都城已閲旬日之久人心転益驚騷如鼎沸靡有底定本督辨迭将各情反覆詳陳不翅再四貴公使不徒不見聴従而又牽渉援兵以本督辨所見殊未為然貴兵既云護館商而来試看目下情形已無可護宜其速撤固不待言焉至来文内称何憚效労等語寔出本督辨意慮之外尤非所願聞也前後辯論迭次懇嘱言已至而礼又盡矣貴公使素以時局為念邦交為重諒有所涵亮尚望幡然改図函撤留兵俾熄騷訛至所襦切耑此順頌
日安
京城は元々非常に安静であり、南匪も既に平定されたけど、貴公使は多くの兵を我が都城に駐屯させて10日が経った。
そのため人心が益々騒がしくなったので、私は各情報を以て詳しい説明を再三再四してきたが、貴公使はそれを聞き入れず、さらに援軍を連れてきた。
日本兵は公使館と商民保護のために来たというが、目下の情勢はすでに保護の必要が無く、速やかに撤兵しなければならないのは言うまでもない。

ところで、来文の中に「何憚效労」等の言葉があったけど、私の思っても見なかった事で、聞くことを願っているわけではない。
前後の議論において言葉も礼儀もつくしてきたし、貴公使にはウリナラに対する愛情もあると思うので早く撤兵するように望みます、と。

私の思っても見なかった事って、割と返事になってないような。(笑)

つうか、良く考えてみたら、2月20日のエントリーで「然設欲審知援兵之去就応由貴公使向詢清国総理袁自可明晳矣諒不俟本督辨之言也」ってボロッと言っちゃった時って、閔泳駿が袁世凱を激怒させた日だよねぇ。
何か関係あるのかしら。(笑)

さて、続いては『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』の36画像目から。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月23日発『電受第294号』より。

Mutsu
Tokio

Received your telegram No.5, 6.
As it is absolutely necessary take measures mentioned in my telegram of 六月十八日.
May I take such steps immediately.
See 機密第九十六号信 dated 六月十八日.

Otori
貴下の電信第5号と6号は受け取った。
6月18日の私の電信に述べた措置をとる事が絶対に必要だ。
直ちにそのような手段をとって良いか。
6月18日付機密第96号を見てくれ、と。

電信第5号は不明。
第6号は、3月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月21日発『電送第230号』の事ですね。
清国の追加派兵を考慮すると衝突は避けられないと思われる。
日本は約2,000人の追加兵を送る予定であり、高宗と朝鮮政府が日本を頼りにするように上手く取り扱えって電信でした。

で、そのためには6月18日の私の電信、つまり2月13日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日発『電受第266号』の措置をとることが必要だが、直ちにそのような手段をとって良いか、と。
日本より先に清国の撤兵を要求し、袁世凱がそれを拒絶すれば朝鮮に対する宗主権維持のためのものと見なして、日本の朝鮮独立を保持しようという日本の努力を拒否したとみなし、兵力によって対抗する手段をとって良いかってヤツですね。

で、6月18日付けの機密第96号を見てくれと言うわけです。
これ、昨年の4月18日のエントリーで見た6月17日付『機密第96号』の事ですが、この時点ではまだ日本に届いておりません。
見てくれと言われても~。(笑)

続いて、同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/5 明治27年6月8日から明治27年6月24日(レファレンスコード:B03030205100)』から。
37画像目にロシアの西公使から陸奥への1894年(明治27年)6月23日発『電受第298号』が。
38画像目にその訳文が載っていますので、2つ続けて。

Mutsu
Tokio

I heard that a few month ago Russian Government promised to Chinese Government not to interfere with affairs or make any attempt to the integrity of Corean Kingdom.

在露公使


電信訳文

数月前、露国政府は清国政府に向て、露国は朝鮮の国政に干預することなく、又該国の独立を侵さざるべき旨を約したりと聞けり。
数ヶ月前、ロシアは清国に向かって、ロシアは朝鮮の国政に関与せず、また朝鮮の独立を侵害しない旨を約束したと聞いた、と。
ということで、今回の件についてはロシアは部外者に。

今日最後の史料は、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の16画像目から。
陸奥から大鳥への1894年(明治27年)6月23日発『電送第240号』。

Otori
Seoul

9. Your long telegram of 六月二十日 received.
加藤外務書記官 will leave 廣島 together with 2,000 troops 六月二十四日 for 京城 with full instructions for you.

mutsu
6月20日の長い電信ってのは、2月26日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月20日発『電送第227号』かな?
で、加藤が京城に向けて2,000人の追加兵と貴下への総ての指示と共に、6月24日に広島を出発する予定、と。


今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)
日清戦争開戦まで(二)
日清戦争開戦まで(三)
日清戦争開戦まで(四)
日清戦争開戦まで(五)
日清戦争開戦まで(六)
日清戦争開戦まで(七)
日清戦争開戦まで(八)
日清戦争開戦まで(九)
日清戦争開戦まで(十)
日清戦争開戦まで(十一)
日清戦争開戦まで(十二)
日清戦争開戦まで(十三)
日清戦争開戦まで(十四)
日清戦争開戦まで(十五)
日清戦争開戦まで(十六)
日清戦争開戦まで(十七)
日清戦争開戦まで(十八)
日清戦争開戦まで(十九)
日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)


AD