ねぶた祭りも、2日、3日と雨に見舞われ・・・。
まぁ、ハネトは雨程度じゃビクともしないわけですが、ねぶた本体と観光客は可哀想ですねぇ。
特に、観光客の方には楽しんでいって貰いたいのに。

ってことで、今日も30日発の英文電報の方を見ていく事にします。
前回と同じくアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の34画像目から。
元山の上野領事、かな?
から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第332号』。

Mutsu,
Tokio

It is rumored here that Corean Government made an agreement with China that Chinese soldiers will be stationed at two or three places of northern part of 咸鏡道 in order to defend Russian encroachments and also that Russian troops as the legation guard will be sent by overland route from Wladivostock.

Uyeno.
(Yonsan 25th through Eitaki)
内容的にやっぱり元山の上野領事からのものだと思うんだけど、何で龍山とか、Eitakiとか出てくるんだ?
7月14日のエントリーでも出てきてたけど、「Eitaki」って、誰よ?(笑)
永瀧久吉の事なら、この時期には在釜山総領事事務代理してたので、元山→龍山→釜山っていう経路か。
やっぱ、電信関係でまた何かあったんだろうなぁ・・・。(笑)

で、内容としては、こちらでは朝鮮政府がロシアの侵犯を防ぐため、咸鏡道北部の2~3ヶ所に清国兵を駐屯させる協定を清国と締結した一方、公使館保護のためのロシア兵が、ウラジオストックから陸路で派遣されるだろうという噂がある、と。

何か、7月7日のエントリーとか見ても、既に元山は別な世界にあるっぽいですねぇ・・・。(笑)

続いて35画像目。
天津の荒川領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第333号』より。
次の36画像目が訳文になってるんで、続けて見ていきます。

Mutsu
Tokio

Russian Minister stays at 天津 leaving per 肥後丸 for Russia via Japan and meet with Commissioner of customs at 天津 several times since 六月二十五日.
It is reported that he has suggested his Government to take good offices between Japan and China at the request of 李鴻章 and will leave here for Peking, if Russian Government accept his suggestion.

Arakawa


電信訳文

露国公使は天津に滞在し居れり。
肥後丸にて日本を経由し貴国の筈なり。
6月25日以来天津税務司と屡々会合せり。
聞く所に拠れば、同公使は李鴻章の依頼に応じて、露国政府の日清両国間に立て居仲周旋する事を其政府に建議し、而して同政府に於て其建議を採用せし場合には、北京に出向く筈なりと。
カシニー、まだ天津に居るようで。
で、6月25日から天津の税務司とたびたび会合し、聞くところでは、カシニーは李鴻章の依頼で、日清間の和睦周旋をロシア政府に建議し、それが採用されれば北京に行く筈、と。

この辺、これまでも何度か報告されてましたが、着日を考えると7月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日発『電受第322号』に続く、第二報になんのかな?

次の37画像目からは以前やってますので、ちょっと飛んで42画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第339号』より。
これまた43画像目が訳文になってますので、そっちも一緒に。

Mutsu
Tokio

王大臣 called upon British Minister 六月二十九日 and expressed their views on the situation taking care not to commit themselves.
They insist upon Japan's waiving the question of suzerainty and withdrawing troops as a preliminary step to negotiations.
I stated to British Minister that their withdrawal would neither facilitate subsequent negotiation nor remove danger of renewal of revolt.

Komura.


電信訳文

総理衙門王大臣は6月29日英国公使を訪ひ、朝鮮事件に関し深く言辞を慎み、其の意見を陳述し、且つ両政府に於て談判に取り掛る第一着手として、先づ日本をして朝鮮自主国論を唱ふるを止めしめ、竝に其の派遣兵を撤回せしむる事を主張したり。
本官乃ち英公使に答て曰く、撤兵の挙、必ずしも此後の談判に便宜を与へざるべく、又た朝鮮変乱再発の患を除く能はざるべしと。
王大臣から、イギリス公使経由で談判開始の条件提示。
一つは、まず、日本が朝鮮自主国論を唱えるのを止めること。
もう一つが撤兵。

これに対して小村は、撤兵は今後の談判を促進しねーし、朝鮮変乱の再発の憂慮もあんだろ、と。
つうか、撤兵が何で第一条件なのか良く分からん。(笑)

続いて、番号的に微妙に前後しますが、アジア歴史資料センターの『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』。
9画像目から、大鳥から陸奥への1894年(明治27年)6月30日発『電受第337号』を見ていきましょう。


Mutsu
Tokio

Received your telegram 六月二十九日 about shipment of telegraph wire.

Otori
電信線発送についての6月29日の貴下の電文を受け取った、と。

いや、単に7月14日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日発『電送第263号』で、「もしこの電信が届いたら、教えてくれ」って言われてるんで、返事しただけなんですがね。(笑)


ってところで、今日はここまで。



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