語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 最終話九十八」聞いていかれませんか。

 

「ねずさんのひとりごと」より


大切な「歴史の見方」についてお話ししたいと思います。歴史において「事実」は証拠に基づくべきですが、「ストーリー」は人それぞれ異なって構わないのだと思います。ただし、そのストーリーの立て方には、その人の人柄や価値観がはっきりと現れます。

たとえば「戦い」「征服」「支配された民族」という対立構造を中心に日本史を語る人がいます。でも私は、そうした見方には疑問を感じています。

私たちの祖先が築いてきたのは、征服と支配ではなく、“ひとつらなり”の血縁関係に基づく共生の社会ではなかったか。実際、かつての各国(駿河、甲斐、出雲、琉球、蝦夷など)の王族や国造たちは、「◯◯天皇の子孫」であることを誇りにしていました。それは、“自分たちは大家族の一員だ”という意識の表れだったと思うのです。

歴史を対立と闘争で視る見方も、もちろんありだとは思いますが、そもそも何のために歴史を学ぶのかといえば、私たちの祖先の記憶をよりよい未来の構築のために活かすためです。
そうであれば、歴史の闘争面ばかりをおもしろおかしく語るのではなく、もっと真摯で誠実な祖先の心をこそ、しっかりと学ぶべきことと思います。
~~~~~

 

わたしたちは八百万の神々がおわす国に産まれ生きています。なので、自分の親の親の親と、ずっーと祖先を辿れば、いずれかの神様に行き着くでしょう。言い換えれば、やまと国民全てが神の子孫というストーリーができます。

自分の中に神様がいる。そう思うと元気が出てきて感謝が湧いてきます。そして天照大神の系図を持つ国家最高権威である天皇から、民は「大御宝-おおみたから-」と慈しまれ平和を祈っていただき、国民は天皇を敬い大切に思います。このお互い思いあう周波数が、やまと国を安寧にし、やまと民族の精神を安心させ強くもしているのです。

 

戦後教育で削除されてしまった天皇中心の歴史は、これからの世界の安定のために必要な知識です。世界はやまとの開国宣言や神話についてちゃんと習っています。

他国が一強を取ると世界は植民地化しますが、わが国が主導権を握れば世界は平和になるでしょう。歴史が長いということは国家が成熟しているという証です。だから、やまとの文化や神道が、まだ歴史の浅い外国からは驚きの目で見られるのです。

 

さらに、やまとことばには言霊が宿っています。神社にお参りに行って、〇〇にしてくださいというお願いするよりも、健康に過ごさせて頂いてありがとうございます。生かしてくださってありがとうございます。と達成したイメージで感謝を伝えましょう。「お願いごと」はまだ叶っていない状況が場に拡がりますが、「感謝」は叶った状況が場に拡がります。この違いは、実際に現実化を生み出すほど大きなものなので、ぜひ実践してみてください。

 

歴史が正しく教えられていなくても、わたしたちの持つ大和魂が、徳のある行動を起こさせてくれています。

やまとの国は素晴らしい国であり、やまと民族であることは誇らしいことと知り、現代社会は不安を煽るニュースを多々ネットで目にしますが、これに囚われず、いたずらに不安を大きくしないで、笑顔で明るい未来を信じて、お天道様が見守ってくれている意識で生きていきましょう。

 

終わり

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十七」聞いていかれませんか。

 

「ねずさんのひとりごと」より

 

人はなぜ神話を学ぶのでしょうか。
西洋において、ギリシャ神話や旧約聖書が学ばれるように、日本でも古事記や日本書紀といった古書から神話が学ばれています。かつての武士たちもまた、武士道の原点として日本神話を学んでいました。

そんな日本神話の神様の中に、建磐龍命(たけいわたつのみこと)という神様がおいでになります。この神様は別名阿蘇大神と言って、日本の九州の真ん中にある巨大な外輪山を持つ阿蘇山の神様として、人々の信仰を集めています。どのような神様かと言うと、かつて阿蘇山は外輪山の内側が湖だったのだそうです。その湖の水を抜けば、そこに広大な農地を確保することができるとお考えになられた建磐龍命は、ある日、阿蘇山に登っていって、その外輪山の端を足で蹴飛ばして穴を開け、湖の水を抜いたのだそうです。おかげで人々は、広大な農地を確保することができるようになり、子々孫々まで繁栄を続けることができた・・と、このような活躍をされた男性の神様です。

このことは長い間、ただの神話と思われてきました。ところが近年の研究で、たしかに阿蘇山の外輪山の内側が、かつて湖であった時代があったことが確認されました。そして、その湖の水が、あるとき外輪山の一部が崩落することで流れ出し、阿蘇山がいまの形になったということまで、確認されたのです。

その「湖の水が抜けた時期」が、いつ頃のことであったのかと言うと、なんと7万3千年前。つまり日本では、7万3千年前という途方もない昔の出来事を、神様の行いという神話の形で遺していたということになるのです。そしてその神様は、日本の神様の中では、比較的新しい神様です。
もっと古い神様となると、おそらくそれは15万年ほど前、日本列島に人が住み始めた時代にまでさかのぼることになると言われています。日本の歴史が、「まばたき三千年」と言われるゆえんです。これは、日本の歴史にとっては、三千年という期間が、まるでまばたきをする程度の期間でしかないという意味の言葉です。

そもそも私たちが神話を学ぶ理由とは、どのようなものでしょうか。
それは、「未来をひらく鍵」としてというものとは言えないでしょうか。

神話は、過去→現在→未来を貫く羅針盤です。なぜなら神話は、ただの古い話ではなく、歴史の原点にあって私たちが未来を拓く羅針盤となるものだからです。そして神話は、万年の知識という普遍的知識を人々が共有することで、AIやグローバル社会に揺れずに普遍的な知恵を手にする根幹となるものです。

また神話は、自分が生きる使命(ミッション)や、生きる意味に気づく力を私たちに与えてくれ、未来に向かってどう生きるかを教えてくれるものでもあります。
その結果、神話は、分断や競争ではなく、響き合いによる新しい文明の土台としての共鳴共震を生む力を与えてくれます。神話の主人公はいつも悩み、迷い、苦しみながら、最後には困難を乗り越えて輝きます。その姿は、今の時代を生きる私たちに「道はあるのだ」というメッセージをくれるものといえます。

では日本の神話にどのようなことが書かれているのか。
今回は「古事記」の冒頭の文から、その内容の一部を見てみたいと思います。

****
はるか昔──
まだ天地(あめつち)が分かれておらず、何もかもが混ざり合っていたとき、はじめて高天原(たかあまのはら)が姿をあらわしました。
そのとき、最初に現れた神さまの名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)といいます。「天の中心を司る神さま」です。
つづいて現れたのは、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
そして、神産巣日神(かみむすひのかみ)このおふたりは、「命を生み出し、結びあわせる働き」の神さまです。この三柱の神々は、それぞれ単独で現れ、そのお姿を、その身の中に隠されました。

そのあと、まだ国が若く、海の上にはあぶらのようにとろりと浮かぶクラゲのようなものが、ただよっていました。
そのとき、ひとつの若芽──
「葦(あし)」の芽のようなものが、ぐんぐんと芽吹いていきました。
それが神さまとなり、名を**宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)**と申します。意味は「美しく、葦の芽のように力強く生まれ出た、若々しい神」。
つづいて現れたのが天之常立神(あめのとこたちのかみ)。「天に永遠に立つ存在」という意味です。この二柱の神々もまた、単独で現れて、そのお姿を、その身の中に隠されました。

ここまでに現れた神々は、あわせて五柱の神となり、これらの神々を「別天神(ことあまつかみ)」といいます。すなわち、天上界において、特別な神々として記されています。

その後に現れたのが、**国之常立神(くにのとこたちのかみ)**「地に永遠に立つ神さま」。そしてさらに、**豊雲野神(とよくもののかみ)**「豊かな雲の野を司る神さま」。このおふたりも、やはり単独で現れて、そのお姿を、その身の中に隠されました。

***

ここで「そのお姿を、その身の中に隠されました」とあるのは、日本語の原文では「隠身」と書きますが、それは「胎内に取り入れた」という意味です。
最初の神様である「天之御中主神」が、何も無いところに現れたということは、天之御中主神が「存在」のすべてです。


その存在のすべてが、その「存在」を自らの胎内に、まるで赤ちゃんのようにお腹(胎内)に入れたと書いているわけです。そして、ここに描かれた7柱の神々は、いずれも性別のない神様でありながら、それぞれの神様が存在のすべてを胎内に入れられたのです。つまり日本神話では、我々の住む世界は、七重に神々によって胎児とされているのだと、古事記はこのように書いているわけです。

お腹の赤ちゃんの体は、何兆個もの細胞によってできています。その細胞は、新陳代謝によって、日々生まれ、死んでいきます。つまりそれが私たちです。
細胞にはそれぞれに役割がありますが、そんな細胞のひとつが「役割なんてやってらんねえ」とばかり、仕事をしないで周囲の細胞から栄養分を吸い取るようになったら、私たちはその細胞のことを何と呼ぶでしょうか。そうです。「がん細胞」です。
そんな「がん細胞」が赤ちゃんのからだの中のあちこちにできてしまったら、お腹の赤ちゃんは無事にはすみません。それどころか、赤ちゃんが胎児なら、母体にまで危険な影響を及ぼしてしまいます。

つまり古事記は、その冒頭からいきなり、個人がわがままに生きることは、それは神様をも殺しかねないたいへんなことなのだ、ということを「お姿をその身の中に隠されました」という言葉で表しているのです。私たち日本人は、こうした神話に基づいて、何千年もの昔から、互いにわがままを言わず、お互いを大切にしながら、自分にできる役割を、責任をもってまっとうする、という文化を築き上げてきたのです。

後年に登場した武士が、圧倒的な武力を持ちながらも、民衆の幸せこそが武士の幸せと考え行動してきた原点も、ここにあるのです。

ちなみに、ここで登場した神様は7柱です。私たちの住む世界は、縦横高さに、時間軸がプラスされた4次元です。そして4次元に、古事記の創生の神々の7柱を加えると、11次元になります。これは現代物理学が解析したこの世界の次元数と、不思議な一致を見せています。

 

続く

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十六」聞いていかれませんか。

 

「植物は知性を持っている」と論じたケニー・オースベル(Bioneers2017より)

 

科学は今、植物は感覚を持つ存在であることを示しています。

光を感じ、臭いを嗅ぎ、水を探し、人間よりも多くの情報を察知します。彼らは学び、記憶し、コミュニケーションを取ることができます。まるで「人格」を持つかのような特徴を示すのです。

実験では、植物が人間の存在を感じ取り、着ているシャツの色まで認識していることが確認されました。

目はありませんが人間でいう網膜の奥にあるものと同じ光受容体たんぱく質を全身に持っています。

脳もありませんが情報を電気的、化学的な信号に変換します。それは人間の神経細胞が使っているものと全く同じです。

植物に脳はないが脳のように働くとカナダ人の人類学者ナービー氏は言います。

ニューロンという言葉の語源はギリシャ語の「植物繊維」を意味します。実際ニューロンの見た目は植物の断面にそっくりです。

この30年の研究で、自然界全体に深い知性が宿っていることが明らかになりました。

 

 

「バイオニアーズ:自然と人間の心から起こす革命」 ケニー・オースベル2017年度「五井平和賞」受賞記念講演より

 

バイオニアーズ(Bioneers)というのは、リーダーのコミュニティです。この素晴らしい賞を、そのコミュニティを代表していただきます。

今日の問題は、あまりに大きく複雑で、一人の人間の力では解決できません。今、私たち一人一人がリーダーであることが求められています。リーダーは、様々なコミュニティの中からどんどん生まれますが、自然界でもそうであるように、優秀なソリストが何人いても、最終的にはシンフォニーが重要だからです。バイオニアーズは、農業における生物多様性を蘇らせることを目的に私が設立した有機種苗会社、シーズ・オブ・チェンジ社の投資家である友人と、1990年にニューメキシコ州の温泉を訪れていた時に誕生しました。

私はジャーナリストとしてそれまでに出会った、深刻な環境問題や社会問題にビジョンを持って取り組み、現実的な解決策を見出しているイノベーターたちについて熱く話していました。

彼らは、皆、問題はつながり合っていることを理解し、全体の問題として解決しようとするシステム思考家で、38億年の進化の歴史を持つ自然を先生として見ている人たちです。

彼らのことを生態系に学ぶパイオニアという意味で、バイオニアーズと名付け、彼らのことを世界が知れば、きっと変化が起きるはずだと熱弁する私に、友人は1万ドル提供するから、彼らを招いて会議をしようと言ったのです。これが、「バイオニアーズ」と環境会議「バイオニアーズ・コンファレンス」の始まりです。

最初は250人だった参加人数は、3000人規模へ成長し、28年が経った現在、バイオニアーズたちのアイデアや実践例は主流となり、世の中の考え方にも影響を与え始めています。世界が「緊迫」から「緊急」の時代となった今、ブレークダウンからブレークスルーへ舵を切る必要があります。 そのために、私たちは考え方を変えなければなりません。生命の網の目のようなつながりを尊重し、互いを尊重し、将来の世代を尊重しなければなりません。これからの時代は、人類の文明の中で最も重要な時期になるでしょう。そして、今こそがチャンスなのです。

世界では、バイオニアーズのようなイノベーターが政治、経済、社会、技術など、あらゆる分野において進歩的なモデルを示しています。人間の創造力は、問題解決に焦点を当てるようになったということです。これは、全ての生命の価値や人間の多様性を大切にしようとする考え方への変化です。自然を大事にすることは人間を大事にすること、人間を大事にすることは自然を大事にすること。つまり、「自然と人間の心から起こす革命」なのです。

 

■人間は自然の一部

バイオニアーズは、ネットワークをつくり、様々な課題、運動、人々をつなげることで、人間の多様性を尊び、生命のワンネスを祝うグローバルな知の文化をつくろうとしています。そして既に存在する良いモデルや解決策を拡散し、政治、経済、産業、社会に大きな変革を起こそうとしているのです。完全にクリーンなエネルギーや環境に負荷のかからない農業、自然に優しい様々なデザイン、バイオミミクリー(生物模倣技術)、流域の保全、社会的・経済的な正義、人種、ジェンダーの正義、民主的なガバナンスを地球規模の運動として育てようとしています。

バイオニアーズからの示唆をいくつか紹介しましょう。

真菌工学の研究者ポール・スタメッツは、ディーゼル油で汚染された土壌をキノコが数週間で浄化することを発見しました。さらに、そのキノコは自然が持つ自己修復力についても教えてくれました。キノコは腐り始めると虫に食べられ、虫は鳥に食べられます。鳥は種を運んでくるので、汚染された土地に植物が育ち、生命のオアシスに生まれ変わりました。また、2種類のキノコによって有毒なサリンガスの浄化にも成功しました。この成果に、化学兵器の処理方法を探していた国防総省も関心を寄せました。スタメッツは、国の安全保障に関わることとして、キノコが豊富に生育する太平洋の北西部の国有林を、伐採の危機から守るべきだと訴えたそうです。

私たちがこれから迎えるのは、情報の時代ではなく、自然の時代です。生物学者で、自然の仕組みをヒントにしたイノベーション、バイオミミクリーの提唱者であるジャニン・ベニュスも、人間は自然の一部であることを理解すべきだと言っています。そして、自然は太陽光をエネルギー源とし、多様性に支えられ、協力を是とし、根本から積み上げ、全てのものをリサイクルし、生命に優しい環境をつくる。これが生命の法則であると訴えています。

今日、自然から学ぶ科学は急速に普及され、技術、産業、経済、社会システムに応用されています。しかし、私たちが直面しているのは技術的な問題ではなく、人間の問題です。私たちは、文明の終盤で自然の世界と、そして、自分たち自身と衝突しようとしています。しかし、これは勝ち目のない戦いです。今こそ、人類総動員で平和をつくるために協力しなければならないのです。

 

■真の平和は癒しから

セネカ族の研究家で私の師、ジョン・モーホークから聞いた話を紹介しましょう。

北米の五大湖畔の5部族が血で血を洗う戦争を行っていた時代に、20歳にも満たないある若者が立ち上がり、暴力と復讐の連鎖を止めるための協定をつくろうと、村々を説得して歩きました。しかし、武器を捨てるのは敵が先だという姿勢を皆崩さなかった。そこで、若者が伝えたことは、敵も自分たちと同じように、幸せに暮らしたいと願っている。必要なのは共通項を探すことだ。暴力のない世界だけでは平和とは言えない。正義が必要だ。正義を達成するには、全ての利益を考える努力を継続しなければならないのだと。こうして、各部族の酋長に働きかけ、後のアメリカの憲法と民主主義に示唆を与えたイロコイ連邦が誕生しました。

さらに、人間が進化の鍵穴を通り抜けるには、私たち自身と社会が負っている傷を癒やすことも忘れてはなりません。これについては、心理療法士のエド・ティックの話が相応しいと思います。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむベトナム戦争の退役軍人の診療をしていたティックは、1970年にPTSDの苦しみの本当の原因はストレスではなく、過去のトラウマ(ギリシャ語で精神の傷という意味)にあると気づきました。 ティックは、退役軍人と共にベトナムを訪れ、かつての敵と会わせ、謝罪と許しを請い、心の傷を癒やしていきました。

ある時、彼らは、マイライの町を訪れました。マイライは、世界中の人たちが訪れる美しい平和の町ですが、かつては村人がアメリカ軍人によって虐殺された殺戮の地でした。虐殺された一家の中で、唯一生き残った75歳の女性に会いました。彼女は心に深い傷を負っていましたが、元軍人が訪れると「私の痛みは問題ではありません。私がこうしてあなた方の手をとり、許すことによって、あなた方を癒すことができる。それが重要なのです」と言ったのです。

ベトナムのマーブルマウンテンという聖なる場所に、当時野戦病院として使われていた仏教の寺院があります。爆撃の傷跡を残す寺院の外には、次の教えが書かれています。「憎しみによって、憎しみは越えられない。愛によってのみ越えられる」と。これは古代からの法則です。地球と私たちが負っている傷は、同じ傷です。平和をつくり出す人々は幸いなり。

~~~~~

 

土の中にバラバラに存在している菌糸類、粘菌たちが、雷や雨の後に電気的な信号で一気に集まって胞子体を作る
粘菌の知性を試すテストで迷路を作るとちゃんとクリアしていく菌たち

光の電気信号が植物間を移動している

根を通して窒素などの不足分を異種間の木々でも送りあって樹叢全体のバランスを取ろうとしている

木は伐採され切り株だけが残ると腐っていきます。しかし、そこに苔や菌、他の生き物が棲みつき、周囲の木々と根で繋がったネットワークを通じて栄養やエネルギーが送り込まれ生き続けることがあります。

森は全体でひとつとなり懸命に生きているのです。

 

 

日本神道の「山川草木すべてに神が宿る」「人間は自然界の一部である」という思想は、最も古いけれど普遍的な真理をあらわした教えだったのです。

そして、8月6日と9日、無差別殺人及び2種類の新型爆弾の実験台とされたことへ報復するという選択肢を選ばず、「同じ苦しみを他の人に経験させたくない」という思いで、静かに慰霊のセレモニーを行う日本人の姿にも尊いものがあります。

「優秀なソリストが何人いても、最終的にはシンフォニーが重要」とあるように、昔のような気高く、強く、美しい日本に立ち返るためには、正しい歴史を知り目覚めた国民たちの統合意識が重要になるということを知っておいてください。

 

続く

 

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十五」聞いていかれませんか。

 

「ねずさんのひとりごと」より

■ 「記念日」ではなく「忌日」として
8月6日は、昭和20年に広島に原爆が投下された日です。
このときの爆弾は、どうやら原子爆弾ではなかったのではないかという説を林千勝先生が唱えており、私もこの説を支持しています。理由は、実際に爆心地近くの「被爆樹木」が今もなお元気に生きているからです。原子爆弾ならば、地上600メートルという低空に太陽が現れたのと同じです。しかも風速440メートル/秒の爆風が襲ったはずなのです。立木が燃えもせず、飛ばされもせずに生き残ることは、物理的にありえないのです。
当時の日本政府も、この爆弾を「新型爆弾」と表現しています。ですので、本稿では以後「新型爆弾」と表記します。
さて、この日を「広島原爆記念日」と呼ぶ方がおられますが、間違いです。正しくは「広島平和記念日」もしくは「広島原爆忌」です。くれぐれもお間違いのないようにお願いします。ただの言葉の問題ではすまされないのです。20万人以上の命の犠牲があるのです。
6日の8時15分と9日の11時2分には、黙祷を捧げさせていただきます。

■ 昭和天皇の御英断
米国が投下した新型爆弾が、果たして原子爆弾なのか疑わしい一方で、日本は昭和20年の1月の時点で、原爆を完成させていたという話があります。
この完成を昭和天皇に奏上にあがったとき、昭和天皇は、
「敵がこの爆弾を用いる可能性はあるのか」と御下問されました。参謀長が「もともとはドイツの技術であり、米国がドイツを占領している以上、その可能性はあります」と答えますと、昭和天皇は、
「そのような事態になったとき、朕はどのように国民にあやまれば良いのか。皇祖皇宗にどのように謝れば良いのか。答えよ」と杉山参謀長に御下問されました。参謀長が答えに窮していると、昭和天皇は
「新型爆弾の開発は即刻中止せよ。使用もまかりならん」と仰せになられたといいます。
勝利よりも、誇りと未来を選ばれたそのご英断は、文明のあり方そのものを問うたご英断であり、我が日本の誇りとすべきものです。

■ 「戦争」の終わりはいつか
一般的に「終戦記念日」とされるのは8月15日です。けれど私は、8月6日こそが「戦争の終わりの日」であると申し上げています。なぜなら、新型爆弾投下の瞬間から、「戦争」が「虐殺」に変わったからです。戦争とは、国家の行う外交の最終手段であり、「交戦国の正規軍同士が戦うもの」であって、一般市民を無差別に殺すことは、戦争行為とは国際法上、認められていません。それはただの「犯罪行為」です。

広島の原爆について、トルーマン大統領は「軍事施設を攻撃した」と言い訳しましたが、現実には、市街地への威力の高い新型爆弾投下によって、子どもや高齢者、妊婦さんまでもが一瞬で命を奪われています。これは明らかな、無差別殺戮であり、戦争の枠を超えたものです。
つまり、この日を境に、戦争は終わったのです。これ以降の戦闘は、たんなる虐殺であり、殺戮(ジェノサイド)であり、犯罪です。

■ 日本はなぜ「選ばれた」のか──原爆投下の背景
広島と長崎に投下された2つの爆弾は、それぞれウラン型とプルトニウム型でした。
ロスアラモス研究所は後に、「史上初めて、人間の都市に対して2種類の原爆の実験が成功した」と述べました。「実験だった」と述べているのです。
では、なぜ日本が選ばれたのか?
答えは単純です。この時点で日本は、「絶対に報復してこない国だったから」です。当時、日本はすでに制海権も制空権も失っており、アメリカ本土に攻撃する手段も残されていませんでした。つまり、実験によってどれだけ非難されても、アメリカは痛くも痒くもないという状況でした。
人類の未来を左右するような兵器の「実験場」にされた日本──その現実の重さに、私たちはしっかりと向き合わなければならないと思います。

■ 日本は「誇り」を選んだ
アメリカの攻撃は明らかに非戦闘員を狙った虐殺でした。
しかし日本は、捕虜に対して人道的な処遇を施し、国際法に則って行動していました。
終戦を決意された昭和天皇は、終戦の詔勅の中で、日本のことだけではなく、「人類の未来と文明の存続」にまで思いをはせておられました。
「未来に生きる人々が、これ以上地獄を見ないように」

その心が、8月15日のご詔勅なのだと、私は思います。

■ 戦争の反対は「平和」ではない
戦争の反対語は、平和ではありません。「虐殺」です。
戦争というのは、正規の軍隊同士がルールをもって戦うものです。ルールが崩れれば、それはただの虐殺であり、無差別殺戮という地獄絵図です。新型爆弾投下の瞬間から、日米の戦争は終わりました。以後はただの虐殺者と、これへの日本側の抵抗活動だけの状態です。

広島と長崎で犠牲となられた方の数は、およそ35万人です。彼らは、現代の私たちに何を思うのでしょうか。それは報復でしょうか。
違うと思います。
お亡くなりになられた皆様のお気持ちは、等しく、
「決して私たちの死を無駄にしないでくれ。
 俺達の子孫が、平和で豊かで安全で安心な国を、絶対に築いてくれ。
 それは、生きているお前たちにしかできないことなのだ」
というものではないでしょうか。

■ 生きているからこそできること
私たちは生きています。食べることができて、寝ることができて、笑うこともできます。その命を、奪われずに今日も生きているということ──それだけで、実は本当にありがたいことです。だからこそ、生きている私たちには役割があります。それは「平和と繁栄と安定安心という役割」です。

新型爆弾が投下された日だから、沈鬱な顔で話さなければならないという人がいます。気持ちはわかります。
けれど、私たちはいま、生きています。そして何より、私達自身が、そして子どもたちが、孫たちが、笑顔で安心して生きていくことができる国つくりをすることができるのは、御霊となった人たちにはできないことなのです。私たち自身が、行わなければならないことなのです。

8月6日と9日を、ただ「かわいそうだったね」と言うのではなく、しっかりと歴史を見つめ直し、しっかりとした今を生きることで、すこしでも良い未来にやってきてもらえるように努力する。それが、私たち日本人が、お亡くなりになられた方々の思いと共鳴し共震しながら、未来を拓くということなのではないかと思います。

~~~~~

 

8月9日、長崎に2度目の新型爆弾が投下されました。爆心地から1,4㎞に位置する病院にいたにもかかわらず、玄米ご飯とお味噌汁で命が救われた実話があります。

放射能被爆という未知の状況で、医療機器、物資も少ない環境で「どうすれば、この命を守れるのか?」その答えを日頃の食養生の教えに求めました。

秋月辰一郎医師は、被曝という状態そのものが強い陰性である。陰に傾いたときは、陽性のエネルギーで中庸へと戻す。これは自然界の法則であり、宇宙の真理でもあります。この法則に則って、玄米、天然塩、味噌汁の陽性の食材を与え、白砂糖や果物、生野菜などの陰性の食材を避けることを徹底しました。結果、医師はもちろん、スタッフも誰一人、原爆症を発症しなかったのです。

 

「薬よりも、まず食べるものを正しなさい。それが本当の予防であり治療です」

わたしたちの体は、今日食べるもので作られます。日本は周囲を海で囲まれ、年間降雨量は世界平均の2倍あります。そのため、胃腸が弱く、陰に傾く傾向があるので、「まごわやさしい」の食材で和食を食べることが、病気を遠ざける秘訣になります。

 

続く

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十四」聞いていかれませんか。

 

驚くべきことに、日本の発明は単に便利な道具にとどまらないということです。

その背景には「誰かの役に立ちたい」「技術は皆で共有すべきだ」という日本人らしい思いやりの精神が流れているのです。緻密な開発や細部にまでこだわる几帳面さや誠実さを象徴する精神でもあります。機能よりも人の心に寄り添う物づくり、それこそが日本が世界に誇る技術の本質なのです。

そして、もうひとつ

どんなに優れた発明であっても独り占めしないという日本人ならではの精神です。

 

〈QRコード〉

株式会社デンソーウェーブ 原 昌宏 1994年にQRコードを提唱・開発

「私は当時、バーコードやOCR(文字認識)などの読み取り装置を開発する部署にいました。その頃、自動車業界・電気電子業界では英数字で20文字程度しか記録できないバーコードを使用していましたが、扱える情報量が少なく汚れにも弱いことから、バーコードでは生産現場の管理が困難になってきたことがきっかけで、QRコードが誕生しました。最大で7000文字ほどの情報が扱えるQRコードは、現在では世界中で広がり、最近ではキャッシュレス化のカギを握る技術としても使われています。
どうせ開発するなら世界でも通用するものに、と思って作って開発したものが、このように世界で認められて、予想を超えて広がっていることは大変嬉しく思います。これからも、様々なIT技術が発達していくなかで、新しい未来の実現にQRコードが貢献できるように、開発を進めていきます(2014年インタビューより)」

 

彼は今も現役で開発を続け、鉄道のホームドア開閉制御システムを実用化したり、コードに画像を取り込めないかと取り組んでいます。2024年のインタビューで、どうやって現場の課題をキャッチしているのかという問いにこう答えていました。

「プライドや手間を厭わずに、誠意をもって対応することで、お客さまからの信頼を得られます。すると自然に、こんなことで困っているんだけど、解決できない?という相談が、取引先や関係者から来るようになる。こうした信頼関係ができて初めて、本当の困りごとを教えてもらえるようになるのです」

 

〈TRON〉

1984年に坂村健教授が提唱。その目標は、「オープンでフレキシブルなシステム」を提供し、情報社会における利便性を向上させることです。TRONは特定のハードウェアに依存せず、さまざまなデバイスで動作する設計が特徴です。

  • 自動車分野:エンジン制御、エアバッグシステム、車載情報システムなど
  • 家電製品:エアコン、テレビ、洗濯機などの制御
  • IoTデバイス:スマートホームデバイスやセンサーネットワーク

これらの分野での普及により、TRONは現代社会に欠かせない基盤技術の一つとなっています。

TRONが使われている機器で有名なものはたくさんあります。たとえば、小惑星探査機「はやぶさ」、H2Aロケット。あるいは、アクションカメラのGoPro、トヨタのエンジン制御、BOSCHなどのカーナビ、各社のプリンタや複合機、デジタルカメラ、携帯電話の電波制御部……と世界のさまざまな電子機器で使われています。

 

坂村健がインタビューでこう答えています。

「私はこれを売って儲けているわけではなく、無償で公開しているのだから、自由に使って社会を発展させてほしいという願いがある。それが本当の技術者の役割だと思っています。

Linuxなどの情報処理用OSでは、OSを作る人だけでなく、利用する人もプログラミングができることが多い。そこで、OSを改変や拡張した場合、その部分を公開せよというルールがあります。一方、組み込みOSの世界では、自動車とかプリンタを使っているのは、基本的に利用するだけの一般消費者です。ですから、OSの改善や改良を公開することにこだわらなくていい。だったら、公開しないでいいよと。組み込みOSはあくまで黒子ということで、TRONは主張しないんです。だから、逆に技術者には受けて、広がった」

 

この姿勢は、発展途上国を含む多くの地域で評価され、TRONは世界で年間100億台以上の機器に採用されています。

 

 

日本には特許を取得しながら、それを無償で公開し、多くの人々に使ってもらうことを選んだ技術者が少なくありません。

技術を独占するよりも分け与える

利益を追うよりも、社会を豊かにする

世界中から日本の技術が愛される理由のひとつです。

 

・自撮り棒

・カセットコンロ

・インスタントラーメン

・缶コーヒー

・プレイステーション

・光ファイバー

・高速通信

・ウォークマン

これらも日本の発明品です。

 

日本の発明はただ便利なだけではなく、誰かの為にという思いが根っこにあります。

発明を世界に広げる際に特許を無償公開する姿勢や他人の立場に立ったモノづくりは日本独自の特徴として海外でも高く評価されています。

 

自己主張ではなく、全体の調和の中でどう貢献するのかを重視する考え方、

その思考が技術のあり方にまで反映されているのです。

 

続く

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十三」聞いていかれませんか。

 

暮らしの中で何気なく使っている製品の中には、日本人が生み出した発明が数多くあります。しかし、その多くがあまり知られていません。

 

2022年特許取得件数

中国   76万件

日本   28万件

アメリカ 28万件

数だけを見れば、中国が1位ですが、アメリカの調査機関による「最も革新的な企業ランキング」にはトップ100に最も多く入っているのはアメリカと日本なのです。中国の企業はほんの数社にすぎません。

 

〈ヤギアンテナ〉(屋根の上にある魚の骨のようなアンテナ)

八木秀次博士「私の組み立てた波長約4mの超短波発信機は共振回路としてプレートグリッドにそれぞれ1本の導線のループがあり、これが互いに接近して取り付けてあった。このループが予想外に強い指向性の電波を射していることに気が付き、かつ驚いた。今なら当たり前のことである。これが私に電波の指向性ということについて興味を覚えさせることになった」間もなく反射器・導波器を組み合わすことを思いつき、八木・宇田アンテナが生まれました。つまり、超短波を空間に放射する放射器の前に、その半波長よりやや短い金属導体を置くと、電波はある方向に集中して出るということを発見し、理論づけたのです。その後、大正15年、八木は宇田新太郎氏との共著で「新電波投射器と無線燈台」「電波よる電力輸送の可能性について」と題する報告を第3回汎太平洋学術会議で行っています。これらの研究は外国において「超短波論文の古典」として高く評価されました。また、昭和3年のアメリカでの講演は、全米各地にセンセーションを巻き起こしました。

 

この大正時代に発明された八木アンテナは、そのまま現在の世界中のテレビ、無線通信、航空機の通信、レーダーに活用されています。

 

〈液漏れしない乾電池〉

日本人の屋井先蔵は、高等工業学校の入学試験に5分遅刻し受験できなかった経験から「絶対に時を狂わせない時計を作ろう。電気の力で」と決意しました。

電気で正確に時を刻む電気時計を製作していた屋井は、電源に使っていた輸入の湿電池(液体電池)の液漏れと内部金属の腐食を克服する電池づくりに独自で挑みます。さまざまな試作を重ねた末に、液体の電解質(電解液)に石こうを混ぜてのり状に固め、外部漏れを克服します。さらに、内部金属(プラス極)の腐食については、石油から分離した白色半透明の固体(パラフィン)でプラス極の炭素棒を固め、腐食を大幅に防ぎ液漏れしない乾電池を1887年明治20年に完成させました。

屋井先蔵の功績は2014年(平成26年)、電気・電子工学、および情報技術の分野における歴史的に重要な技術的業績を公式に顕彰する制度IEEE(アイ・トリプル・イー)マイルストーンにも正式に認定されています。

この安全な乾電池は、目覚まし時計が正確になり、子ども用おもちゃに電池が使え、災害時の懐中電灯などに活用されています

 

〈リチウムイオン電池〉

1958年にアメリカでW.R.ハリス博士が、有機溶媒からリチウム塩を電析することに成功。

1970年代前半、リチウムイオン電池は一次電池として実用化され、アメリカでは宇宙開発や軍事用途、日本では民生用に研究が進められました。この頃、現在の二次電池に必要な技術が徐々に整っていきました。

1980年代、技術革新によりリチウムイオン電池は二次電池として実用化に向けた大きな進展を見せます。特に注目されたのが、ジョン・グッドイナフ博士と水島公一博士が提案したコバルト酸リチウムを正極に使う方法。そして、1981年に吉野彰博士らが、負極にポリアセチレンを採用することで、リチウムイオン二次電池が形になり始めました。

1991年には、ソニー・エナジー・テックが世界で初めてリチウムイオン電池を商品化。これが大きな転機となり、リチウムイオン電池の商業化が実現しました。

ソニーは、リチウムイオン電池の安全性を高めるための独自の開発を行い、その結果、現在のリチウムイオン電池の基本となる技術が完成しました。これにより、リチウムイオン電池は急速に普及し、携帯電話やノートパソコンなどの消費者向け製品に搭載されるようになったのです。

 

〈電気を通すプラスチック〉

「導電性プラスチック」は、従来のプラスチックの性質はそのままに、電気を通すという大きな特色を持ったプラスチックです。 1977年に白川英樹博士、A. J. Heeger博士、A. G. MacDiarmid博士によって、ポリアセチレンというプラスチックに金属のように電気が通ることが発表され、2000年ノーベル化学賞につながりました。

このポリアセチレンがリチウムイオン電池の電極素材として利用されました。

 

〈フロンティア電子理論〉

1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一の「化学反応におけるフロンティア電子理論」。 それは、受賞の年から30年近くも遡る、1952年に米国物理学会刊行の「化学物理雑誌」4月号に、「芳香族炭化水素の反応性に関する分子軌道理論」という論文として、初めて発表されたものでした。この理論のおかげで、それまではうまく説明できなかった「化学反応のメカニズム」が、よりよく説明できるようになりました。それまでの理論では、化学反応のメカニズムが解けなかった。それまで「化学反応のメカニズム」を説明する理論には、「電子論」(英国のR・ロビンソンによるもの)と呼ばれるものがありました。 これは、プラスとマイナスの電荷が引き合うという古典的な考えのもと、化学反応している化合物(分子)の中の電子を、すべて平均的に扱おうとする理論です。しかし、この「電子論」では、化学反応の実験における実際のデータと理論がうまく合わないことが分かっていた。「芳香族炭化水素」という化合物では、とくに計算が合わなかったのです。最も外側の軌道にある電子だけが反応にかかわると解明した「フロンティア電子理論」。福井が「もっとも化学者らしくない化学者」という形容をされたのは、彼が「白衣と試験管」が付き物の化学者のイメージではなく、代わりに「紙と鉛筆」によって計算で理論を打ち立てようとする、「理論物理学者」的な姿勢をもっていたからです。 実際、彼は化学が好きになって、化学者の道に進んだわけではなく、恩師(喜多源逸;京都大学工学部応用化学科教授)の言った、「数学が得意であるなら、化学をやりなさい」という言葉がキッカケになって、化学者になりました。 また、量子力学の本質を理解していたことも、化学反応のメカニズムを解くうえで役に立ったのです。 彼は、それまでの「電子論」の考え方を改め、分子のもっとも外側にある軌道(フロンティア軌道)の電子だけが化学反応に関わっており、すべての電子が平均的に反応に関与するわけではない、とする考えを打ち出しました。 「フロンティア軌道」というのは、電子が化学反応に関わる軌道です。そして、この「フロンティア電子理論」がその後広く認められ、電池化学の理論基盤を築いたのです。

 

ノートパソコンを開発した東芝の開発チームの言葉です。

「僕たちは、どれだけコンピューターが高性能でも人の役に立たなければ意味がないと思っていました。道具は人のためにあるべきだ」
 

小さく、軽く、高性能を求められるスマートフォンのバッテリー、画面の表示技術、通信の仕組み、ノートパソコン、電気自動車、ドローン、人工衛星技術、そのひとつひとつに、多くの日本人による長年に渡る技術が深く関わっているのです。

 

続く

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十二」聞いていかれませんか。

 

YouTube「一阿の言の葉(いちあのことのは)」93歳が語る戦前の教育より

 

今の学校は6・3・3年制ですが、戦前は6・5・3年制でした。大学3年を加えると長い教育期間でありました。

小学校では毎朝、朝礼の時明治天皇の御製を斉唱しました。

水曜日は「あさみどり澄み渡りたる大空の広さをおのが心ともなが」です。なんだか心の中までスッキリしたように感じたものです。

 

中学に入学すると、5年生は兄貴というより親父に見えました。12歳と17歳ですから。17歳にもなれば、しっかりした考え方を持っております。5年生は、お父さんに対するような絶対感をもっておりました。5年生から注意を受け、叱られ、大変怖い存在ではありました。成績のよい者は4年生から高等学校に行きました。普通は5年生からですがね。中学校で団体行動の最も大切な部分を教えられ、国家の大切さと有り難さを実感しました。

 

和多志が中学2年の時、皇紀2600年がございました。「紀元は2600年」という歌がございますが、大変、いい深い華やかなお祭りがその時ありました。その時、中学のボロボロの木造校舎が、近代的な鉄筋コンクリートの校舎に建て替わりましたね。

 

中学校の教室の後ろに、ひとつ前の型の銃が並んでいました。3年生までは触れることは許されませんでした。4年生になってやっと持てた時の嬉しさを思い出します。銃を持って最初に習うのは手入れ方法です。銃筒の中に刻まれている線がキレイに見えるように銃筒の中を掃除することが務めでありました。中学校には2名の将校が配属されていまして、ピカピカに磨かれていないとぶん殴られましたね。

 

県内の全中学を西軍と東軍と分かれて、青野ヶ原という大きな原っぱで合同演習がありました。陣形を作り、策を練り、頭と身体を使った演習でした。夜の宿舎の風呂場で真っ裸のまま風呂桶一つで他校の生徒数人とわたりあった懐かしい思い出がありますが、こんなものは今のいじめと全く関係なく明るいものでした。

 

戦前の日本は軍国主義じゃないかと、今のマスコミは囃し立てますが、決してそんなものではなく、その当時、我々の心にあったのは、軍隊とか、演習とか、勝ち負けとかそういうことよりは、小銃という道具を使って自分の心を磨く、あるいは身体を磨くというひとつの道具のような感じでしたね。戦争に行ってどうのこうのということは全くなかったです。軍国主義というのとは全く違う世界でしたね。もっと静かな、緊張した修行という感じの生活でございました。敵をやっつけたり、戦いに勝ったり、そういうふうな軍国主義とかなんとかというものとは全く違う世界でございます。

 

和多志の経験ではですね、小銃を握って軍事演習をしましたけれど、もちろんそれは国を守る為ですから、少年の頃からそうして鍛えたわけですけれど、軍国主義とは全く違う世界でありました。こうして93歳過ぎた爺さんが、この肌で感じ、目で見て、足で踏んで感じたことですから、嘘偽りなくそう申します。

 

こんな言葉で表現するのは不適切かもしれませんが、今の世の中よりは、戦前の方が、ずっと静かで温かくて、そして優しく、誰もが日本人としての誇りを持っていた世の中でしたね。なんか、清冽な清い流れが流れているような感じを、和多志は今しております。今はドブの中でドロドロに濁ったような、ま、それは極端ですけれど、濁った流れのような気がします。

戦前の日本を軍国主義と罵り、暗い悪い時代のように間違ったマスコミは報じ、さもありなんという顔で皆聞きますが、そんなことは絶対にございません。戦前の方がもっと本当の日本でありました。

 

教育制度が戦いを終え、マッカーサーの占領下で指示されたことによって、全く変わってしまいまして、和多志は昔の教育制度の方が良かったなぁと思います。万葉集を読み、神皇正統記を読み、徒然草を読んで、それで育ったんです。小学4年生になると神武天皇から仁徳天皇まで16代のお名前を覚えることもしました。今でも言えます。一貫して忠君愛国の精神がありました。陛下に対して忠義を尽くし、国を愛することです。これを心柱として、おのおのが自分の役割を務めて笑顔で暮らしておりました。この美しい国風は日本だけの特色でございます。

 

今は人権、人権と主張します。これでは世界中どこにでもあるような国と同じになってしまいました。これは和多志のぼやきみたいなものですけれど、戦前の教育というのは読み書きそろばん、難しい漢字を読める、書ける、はだしで学校に通う、朝、校庭で乾布摩擦、冷水摩擦をする、そういう時代を経て参りました。それがつらかったという印象よりは、楽しかったなという印象が残っております。嘘偽りを言ってはいけない。自分をごまかしてはいけない。皆と議論して物事にあたる。この日本精神が自分を律してきたのでございます。

 

 

一阿さんは昨年97歳で天寿を全うされました。YouTube動画は息子さんが残してくれているため観ることができます。秀才しか行けない海軍兵学校に入学され卒業前に終戦を迎え、戦線にでることは無かったそうです。その後東大に入学。90歳を過ぎてからYouTubeで言葉を紡いでくださっていました。その時代の生き証人として、戦前の様子を穏やかな品のある口調で話してくれています。

 

続く

 

 

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十一」聞いていかれませんか。

 

日本語には目に見えない構造があります。

沈黙に意味がある。

言わないことで尊重する。

余白があるからこそ感情が滲みます。

 

例えば「風花が舞ってたよ」

風花とは晴れているのに、舞うように降る儚い雪のことです。英語なら雪はsnowという表現ひとつだけです。

日本語には細やかに自然の機微に寄り添う言葉がたくさんあります。粉雪、ぼたん雪、細雪。ひとつひとつの雪に個性があるような語彙です。こういう言葉があるということで、趣のある繊細な世界が見て取れるようになるのです。

 

「もったいない」という言葉は、単に無駄にするなではなく、本来あるべきものの尊さが損なわれることへの畏敬の念が込められています。

「おかげさま」は、自分の成功や幸運さえも、他者との関係性あってこそだという価値観で、

自己完結を是とする西洋文化とは異なる考え方です。

 


あるひとりの外国人の言語学者の男性の体験談を話しましょう。

 

自分はこれまでいったいどれほどの感情を、言葉を持たなかったがゆえに見逃してきたのか。言葉に名前が与えられることで、その存在に始めて気づけることに注目しました。

西洋文化の浸透により「反論は早ければ早いほど知性を証明する」と日本でも信じられていますが、日本語には「間」の力があります。沈黙は、思考の為の空白であり、相手への敬意を伝える余白でもあるのです。言葉のない時間が言葉以上のものを伝えていることがあります。「沈黙」がこんなにも意味を持つ言語は日本語だけです。

日本語は情報を伝える言語ではなく、関係を結ぶために設計された、人類最深のコミュニケーションシステムです。

 

日本語を学んだ外国人の感想です。

「はいでもいいえでもない返答に苛立たなくなった。むしろ、そのあいまいさの中に、相手の配慮やためらいを感じ取るようになりました」

変化したのは語彙力や文法の習得度ではなく、人と人との間合いの取り方でした。

 

日本語は、情報伝達のためだけでなく、関係の維持の為に進化した言語である。これは他の言語では見られない、きわめて高度な社会的適応構造です。

日本語は、相手の心を読むことを前提としています。明言しないことで、相手に判断の余白を委ねます。これは効率を捨て、関係性の質を最優先にした言語なのです。まさに、論理ではなく人間性に最も近づいた進化形態です。

 

日本語は心に触れる言語です。論理を超え、沈黙すらも語る。それは、人類が到達しうる最高のコミュニケーションであるという結論で、各地で講演し賛同を得ました。

 

この男性の日本での講演会で、老婦人から質問を受けました。

「日本語を、関係性を大切にする言葉というのなら、あなたにとって日本語を話すことは、どんな気持ちなのでしょうか?」

講師にとっては初めての質問内容で、しばし考えましたが答えます。

「日本語を通じて、待つことの意味を学びました。相手の言葉が終わるまで、空気が動かないことの価値を知りました。そして、それが心を寄せる行為だと気づきました」

老婦人は静かに頷きました。会場には温かな雰囲気が満ちていました。

 

その後訪れた商店街の和菓子屋さんが、外国人である講師に、小さな紙袋を渡しました。中を見ると小さな菓子が入っています。講師がお金を払おうとすると

「遠くから来られたのでしょう。いいんですよ。始めての方には、おためしですから」

それは、ごく自然で、どこまでも静かな、もてなしの言葉でした。講師の胸にはあらゆる感情が溢れ出してきました。おためしという4文字に、あらゆる意味が詰まっていたからです。

「あなたを歓迎しています」

「これは見返りを求めるものではありません」

「この出会いを大切に思っています」

講師は震えるように微笑みながら、頭を下げました。

「ありがとうございます」

それは、彼が初めて、意味ではなく、思いで返した日本語でした。

 

その夜、講師は手帳に記しました。

「今日、始めて、言葉にされない優しさに触れた。それは論理でも制度でもなく、人と人の間に流れるあたたかい余白だった。あの一言が、私の中にあった硬い殻をそっと壊した。

言語の最高進化形態とは、言わずとも伝わることなのかもしれない」

日本語の真の姿に触れたような、ひとりの人間として、心の奥底から、誰かと繋がれた気がした瞬間だったのです。

 

深い眠りの中で、何かが聞こえてきます。人の話し声ではなく、風の音、虫の声、人の気配。そんなものたちが、言葉よりも確かに、彼の胸の奥と繋がっているような感覚でした。

翌朝、「もしかすると、私は聞こえるようになったのかもしれない」と呟きました。日本語が話せるようになったという意味ではなく、むしろ何も語られないものが、耳に届くようになったという感覚でした。

この国では、言葉は常にすべてを語るわけではない。むしろ語られないことでこそ伝わることがある。彼はそれを体感したのです。

 

日本語は、相手のことを考える言語であると同時に、自分の内面と対話するための装置でもある

 

日本語を第二言語として学習した成人に共通した体験がありました。「言葉にできなかった感情」に初めて名前が与えられたという実体験です。

イタリア人女性は

「もったいないという言葉を知ってから、私は食べ物だけでなく、人間関係や時間の使い方にも慎重になったんです。それは罪悪感ではなく、感謝に近い気持ちでした」

イギリス人男性は

「しょうがないという言葉に出会ってから、人生に対する構え方が変わりました。自分を責めずに、受け入れるという姿勢を、初めてこの言葉で理解できた気がします」

 

日本語には、感情や思考のあいまいな輪郭を、そっと形にしてくれる力がある。

人間の感情は常に明確ではありません。怒りと悲しみが混ざる時もあれば、好きと怖いが同居する時もある。

日本語にはそれらの揺らぎに寄り添う語彙が無数に存在していたのです。

「なんだか、上手く言えないんですが・・・」

「ちょっと、もやもやしていて」

「その、まあ、うーん・・・」

こうした言い回しは、他言語では非論理的とされがちですが、日本語では、むしろ丁寧さや配慮、共感の入口として受け止められます。こうした曖昧な自己表現が、人間を深く見つめ直す時間を与えてくれるのです。

 

「自分が何をこわがっているのか、上手く言葉にならないんです」

「それでも大丈夫です。言葉にならないものに耳を傾けることこそ、一番最初の言葉なのだと思います」

 

言葉は他人と繋がるためにある。でも、それと同じくらい、自分自身と和解するためにもある。そして日本語は、その両方に深い優しさを持っています。

 

講師は日本の和菓子屋を再訪しました

「今日はおためしではありませんよ。ちゃんと買います」

店主は笑顔で返します。

「いえ、それでも、また、おためしでいいんですよ。初めてじゃなくても、人の縁はいつでも、最初の一歩ですから」

 

最初の一歩

それは何度でも踏み出していい。過去を清算しなくても、正解が出なくても、人と人はいつでもやり直せるという意味なのかもしれません。

今、この瞬間にあらゆるものを決着させようとせず、曖昧に残し、柔らかく包み込む文化。それは、他者だけでなく、自分自身にも向けられた優しさでした。

日本語は人の心に、こう語りかけます。あなたは、今のままでも大丈夫です。

 

日本語が自分自身を変えてくれたという実感が彼にはありました。

以前は、人の話を最後まで聞けなかったのに、日本語について学んだ後は、間を大切にし、沈黙の奥にある思いに気づけるようになった。話し方ではなく、聞き方が変わった。伝える力ではなく、受けとめる力が育った。

 

日本語は単なる言葉ではありません。

それは、人と人の間に、どんな関係を築くかという、生き方そのものの設計図だったのです。

 

続く

 

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 九十」聞いていかれませんか。

 

安部首相内閣総理大臣の談話(首相官邸ホームページより)

 

2020年令和2年9月11日

  1. 私が内閣総理大臣の任に就いて7年8ヶ月、我が国の安全保障政策に大きな進展がありました。平和安全法制を成立させ、日米同盟はより強固なものとなりました。我が国自身の防衛力向上と、日米同盟の強化、更には「自由で開かれたインド太平洋」の考え方に基づき諸外国との協力関係を構築することにより、我が国周辺の環境をより平和なものとすべく努力してまいりました。
  2. 我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。特に、北朝鮮は我が国を射程に収める弾道ミサイルを数百発保有しています。核兵器の小型化・弾頭化も実現しており、これらを弾道ミサイルに搭載して、我が国を攻撃する能力を既に保有しているとみられています。また、昨年発射された新型の短距離弾道ミサイルは、ミサイル防衛網を突破することを企図していると指摘されており、このような高度化された技術がより射程の長いミサイルに応用されることも懸念されています。
  3. このような厳しい状況を踏まえ、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、何をなすべきか。やるべきことをしっかりやっていく必要があります。まず、イージス・アショアの配備プロセスの停止については、その経緯を確認し、既に公表したところです。その上で、その代替として取り得る方策については、検討を進めているところであり、弾道ミサイル等の脅威から、我が国を防衛しうる迎撃能力を確保していくこととしています。
  4. しかしながら、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことが出来るのか。そういった問題意識の下、抑止力を強化するため、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を検討してまいりました。もとより、この検討は、憲法の範囲内において、国際法を遵守しつつ、行われているものであり、専守防衛の考え方については、いささかの変更もありません。また、日米の基本的な役割分担を変えることもありません。助け合うことのできる同盟はその絆(きずな)を強くする。これによって、抑止力を高め、我が国への弾道ミサイル等による攻撃の可能性を一層低下させていくことが必要ではないでしょうか。
  5. これらについて、与党ともしっかり協議させていただきながら、今年末までに、あるべき方策を示し、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境に対応していくことといたします。
  6. 我が国政府の最も重大な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の生命・身体・財産、そして、領土・領海・領空を守り抜くことです。これは、我が国が独立国家として第一義的に果たすべき責任であり、我が国の防衛力は、これを最終的に担保するものであり、平和国家である我が国の揺るぎない意思と能力を明確に示すものです。そして、我が国の繁栄の不可欠の前提である、我が国の平和と安全が維持されるよう、今後とも、政府として取り組んでいかなければなりません。

 

令和2年9月11日、安倍総理は、総理大臣官邸で会見を行いました。

 総理は、内閣総理大臣の談話について、次のように述べました。

「国民の生命と財産を守る大切な議論です。国家安全保障会議において、5回議論を重ねてきました。私は、退任していくわけでありますが、退任に当たりまして、今までの議論を整理し、そして談話という形で国民の皆様に発表させていただいたところであります。次の内閣においてもしっかりと議論していただきたいと思っています」

「縛ることにはなりません。正に国民の生命と財産を守る、これはシームレスに議論していくのは当然のことであり、最大の責任であります。次の内閣においても議論を深めていくことは、その責任を果たしていく。当然のことであろうと思います」

 

 

地球儀を俯瞰する外交をした内閣総理大臣です

♦安倍首相外交軌跡

訪問回数81

訪問国・地域80

のべ訪問国・地域176

飛行距離1,581,281 km地球 約39.53周

 

2020年(令和2年)1月11日~1月15日中東諸国訪問

2019年(令和元年)12月23日~12月25日日中韓サミット出席

11月3日~11月5日ASEAN関連首脳会議出席

9月23日~9月28日第74回国連総会及び欧州連結性フォーラム出席

9月4日~9月6日第5回東方経済フォーラム出席

8月23日~8月27日G7ビアリッツ・サミット出席

6月12日~6月14日イラン訪問

4月22日~4月29日欧州及び北米訪問

1月21日~1月24日ロシア訪問及び世界経済フォーラム(WEF)年次総会2019(ダボス会議)出席

1月9日~1月11日オランダ及び英国訪問

2018年(平成30年)11月29日~12月4日

G20ブエノスアイレス・サミット出席,ウルグアイ及びパラグアイ訪問

11月14日~11月18日ASEAN首脳会議出席、豪州訪問及びPNG・APEC首脳会議出席

10月25日~10月27日中国訪問

10月16日~10月20日欧州訪問及び第12回ASEM首脳会合出席

9月23日~9月28日第73回国連総会出席

9月10日~9月13日第4回東方経済フォーラム出席

6月6日~6月11日米国訪問及びG7シャルルボワ・サミット出席

5月24日~5月27日ロシア訪問

4月29日~5月3日中東訪問

4月17日~4月20日米国訪問

2月9日~2月10日平昌オリンピック開会式出席

1月12日~1月17日欧州訪問

2017年(平成29年)11月9日~11月15日

ベトナムAPECダナン首脳会議及びASEAN関連首脳会議出席

9月18日~9月22日第72回国連総会出席

9月13日~9月15日インド訪問

9月6日~9月8日第3回東方経済フォーラム出席

7月5日~7月11日欧州訪問及びG20ハンブルク・サミット出席

5月25日~5月28日G7タオルミーナ・サミット出席及びマルタ訪問

4月27日~4月30日ロシア及び英国訪問

3月19日~3月22日ドイツ,フランス,ベルギー及びイタリア訪問

2月9日~2月13日米国訪問

1月12日~1月17日東南アジア及び豪州訪問

2016年(平成28年)12月26日~12月28日ハワイ訪問

11月17日~11月23日

APEC首脳会議への出席,ペルー及びアルゼンチン公式訪問並びに米国立寄

9月18日~9月24日第71回国連総会出席及びキューバ訪問

9月4日~9月9日

G20杭州サミット及びASEAN関連首脳会議出席

9月2日~9月3日東方経済フォーラム出席

8月25日~8月29日

第6回アフリカ開発会議出席,ケニア訪問及びシンガポール訪問

8月20日~8月23日リオデジャネイロ・オリンピック閉会式出席

7月14日~7月16日

モンゴル訪問及び第11回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合出席

5月1日~5月7日欧州及びロシア訪問

3月30日~4月3日米国核セキュリティ・サミット出席

2015年(平成27年)12月11日~13日インド訪問

11月29日~12月2日COP21首脳会合出席及びルクセンブルク訪問

11月18日~23日フィリピンAPEC首脳会議及びASEAN関連首脳会議出席

11月13日~17日トルコ訪問及びG20アンタルヤ・サミット出席

11月1日~2日日中韓サミット出席

10月22日~28日モンゴル及び中央アジア5か国訪問

9月26日~10月2日第70回国連総会出席及びジャマイカ訪問

6月5日~9日ウクライナ訪問及びG7エルマウ・サミット出席

4月26日~5月3日米国訪問

4月21日~23日アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議出席

3月29日~30日故リー・クァンユー元シンガポール首相国葬への参列

1月16日~21日中東訪問

2014年(平成26年)11月9日~17日

APEC首脳会議,ASEAN関連首脳会議及びG20首脳会合出席

10月15日~18日第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合出席

9月22日~27日第69回国連総会出席

9月6日~8日バングラデシュ及びスリランカ訪問

7月25日~8月4日中南米訪問

7月6日~12日

ニュージーランド,豪州及びパプアニューギニア訪問

6月3日~7日

G7ブリュッセル・サミット出席,イタリア及びバチカン訪問

5月30日~31日シンガポール訪問

4月29日~5月8日

ドイツ・英国・ポルトガル・スペイン・フランス及びベルギー訪問

3月23日~26日核セキュリティサミット出席等

2月7日~9日ソチ・オリンピック開会式出席等

1月25日~27日インド訪問

1月21日~23日ダボス会議出席

1月9日~15日

オマーン・コートジボワール・モザンビーク・エチオピア訪問

2013年(平成25年)11月16日~17日カンボジア・ラオス訪問

10月28日~30日トルコ訪問

10月6日~10日

APEC首脳会議等及びASEAN関連首脳会議出席

9月23日~28日カナダ訪問及び国連総会出席

9月4日~9日

G20サンクトペテルブルク・サミット及びIOC総会出席

8月24日~29日中東・アフリカ諸国訪問

7月25日~27日マレーシア・シンガポール・フィリピン訪問

6月15日~20日

G8ロック・アーン・サミット出席及び欧州諸国訪問

5月24日~26日ミャンマー訪問

4月28日~5月4日ロシア及び中東諸国訪問

3月30日~31日モンゴル訪問

2月21日~24日米国訪問

1月16日~19日東南アジア訪問

 

続く

語り部アロマが紡ぐ

「やまと語り 八十九」聞いていかれませんか。

 

第71回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説(首相官邸ホームページより)

2016年平成28年9月21日

 

北朝鮮は平和の脅威

 議長,北朝鮮はいまや,平和に対する公然たる脅威としてわれわれの正面に現れました。これに対して何ができるか。今まさに,国連の存在意義が問われています。

 北朝鮮は,SLBMを発射しました。その直後には,弾道ミサイル3発を同時に放ち,いずれも1000キロメートルを飛翔させ,わが国排他的経済水域に着弾させました。このとき民間航空機や船舶に被害がなかったのは,単にまったくの偶然に過ぎません。

 北朝鮮は本年だけで,計21発の弾道ミサイルを飛ばしました。加えてこのたび9月9日には,核弾頭の爆発実験に成功したと宣言しています。

 核爆発実験は,今年の1月に次ぐものでした。しかし一連のミサイル発射と核弾頭の爆発は,景色を一変させるものです。

 北朝鮮による核開発は,累次に及ぶ弾道ミサイル発射と表裏一体のものです。北朝鮮は,疑問をはさむ余地のない計画を,われわれの前で実行しているのです。いまやその脅威は,これまでとおよそ異なる次元に達したと言うほかありません。

 よってわれわれは,既往に一線を画す対応をもって,これに応じなくてはならない。力を結集し,北朝鮮の計画を挫かなくてはならないのです。

 核実験の一報を聞いたわたくしは,直ちにバラック・オバマ米国大統領に電話をしました。次いで韓国の朴槿恵大統領とも電話で話し,三国で足並みを揃え,北朝鮮に対し断固たる態度を示すことで一致しました。

 次は,国連の出番です。安全保障理事会が,新次元の脅威に対し,明確な態度を示すべき時です。

 

安保理議論を主導する
 たった,4か月前のことでした。初めて炸裂した核爆弾により,無辜・無数の市民が犠牲となった広島に,オバマ大統領が訪れました。

 誓いを新たにした日でした。たとえどれだけ時間がかかろうと,核廃絶に向けた努力を片時たりとも怠ってはならない。誓いはあの日,太平洋両岸を結んで新たな力を得たのです。

 にもかかわらず,北朝鮮はいま,挑発をエスカレートしている。人類の良心に対する挑戦です。もしこれを看過するなら,わたくしたちは,わたくしたち自身の良心に対して,どう申し開きができるでしょうか。

 平和とは,ガラスのようなものです。磨かれ,透き通った状態では,その存在が意識にのぼりません。小さなヒビは,しばらく無視しても変化を生じないでしょう。

 しかしいつしかヒビは広がって,ガラスはやがて,音を立てて割れてしまう。だからヒビなど入らぬよう,ガラスを注意して扱う心の習慣を,日々営々と育てねばなりません。

 わたくしは,両大戦を踏まえて発足した国連における初志とは,そのような,切実な自覚だったと思います。

 ならばこそ,軍事的挑発を許し続けてよいはずはない。それはガラスに,白昼公然ヒビをつけるに等しい行為だからです。

 しかも今われわれの前に現れた平和の脅威,北朝鮮が続ける軍事的挑発の性質は,以前よりもっとはるかに深刻なものです。

 潜水艦から発射する弾道ミサイル。弾道ミサイルに搭載する核弾頭。これらを北朝鮮は,確実に,自らの手中にしつつある。

 かつこれを実行しているのは,当時13歳だった少女を含む多数の日本人を拉致した国です。彼らに速やかな全員の返還を強く要求しています。

 しかし,残念ながら,未だに祖国への帰国を認めず,彼らの人生を奪った国,人権を蹂躙し,権力に対する抑制と均衡がなにひとつ働かない国,国民の困窮を一顧だにせず,核・ミサイル等の軍備増強に邁進する国なのです。

 国際社会に与える脅威は深刻の度を増し,一層現実的になりました。もはや昨日までとは異なる,新たな対処を必要としています。

 議長,本年12月,日本は国連に加盟し60年の節目を迎えます。国連の前庭で,例年「国際平和デー」に,日本の一市民が送った鐘が静かな音色を響かせるようになってから数えると,62年の月日が流れました。

 あの鐘は鋳型の中で,ローマ法王が送った硬貨を溶かしてつくられた。世界60を超える国の人々,子どもたちが送った硬貨やメダルを溶かして鋳造されました。そこに日本人の込めた願いとは,何だったか。

 60年前,名誉あるこの会堂に席を得た日本人が心の奥底から求め,以後一貫して,一切の揺るぎなく望み,かつ主張してきたものとは,いつにかかって世界の平和であり,核兵器の廃絶です。世代を継いで,その実現に向け歩みをやめまいという誓いです。

 議長わたくしは,本来ならば,本日この場で,60年の歩みを振り返り,世界の平和と繁栄を目指したわが国の来し方に,静かな省察を述べるつもりでありました。

 しかし北朝鮮の脅威が新たなレベルに達したいま,わたくしはわが国60年の誓いにかけて,決意を語らなくてはならないと感じています。

 国連が,北朝鮮の野心を挫けるか,安保理が,一致して立ち向かえるかに世界の耳目が集中する今,日本は,理事国として,安保理の議論を先導します。

 わたくしはこのことを決意として,本会議場に参集する諸国代表の皆さまを前に,断じて述べようとするものであります。

 

海に法の支配を
 議長,当面するありとあらゆる課題にもかかわらず,いえそれゆえに,加盟60年を迎えた日本は,国連を強くするための努力を惜しみません。

 これまで日本が払った国連分担金,PKO分担金の累計は,その時,その時の金額の積み上げで,200億ドルをゆうに上回ります。過去約30年,日本に勝る財政的貢献をした国は,唯一米国を数えるにすぎません。また開発援助の実績は,これもその時々の額を足し上げた数字で,3,345億ドルに上ります。

 思いますに,国連には,その歴史を貫く3つの大義がありました。

 平和への献身,成長の追求,そして,不義と不正のない世界への願望です。日本とは,いずれの大義に対しても,60年力を惜しまなかった国であることを,お認めいただけるのではないでしょうか。

 わけても成長は,すべての基礎となるものです。成長があってこそ平和は根づき,長い時間をかけて不義をただしていくことができます。

 ご覧ください,民主主義の下に暮らす人口は,いまや広域アジアが,他のどの地域をもしのいでいます。これこそは,1980年代半ば以降に,――それはあたかも,日本企業がアジア各国に旺盛な直接投資を始めた時期以来ということになりますが,アジアが獲得した成長の果実なのです。

 自由で開かれた通商・投資環境があってこそ,日本は成長できました。アジア諸国に今日の豊かさを与えたものも,また同様であります。

 海洋における平和,安定,安全,ならびに航行と上空飛行の自由は,国際社会の平和と繁栄の土台です。

 争いごとがあれば法にもとづく主張をし,力や威圧に頼らず,平和的に解決していくとする原則を,国際社会はあくまで堅持しなければなりません。

 日本は,開かれ,自由で,法とルールの支配において揺るぎのない世界の秩序を守る側に,どこまでも立ち続けます。

 またわたくしは,日本政府の中枢に,持続可能な開発目標(SDGs)の実施に向けた特別のチームを作り,自ら率いています。わが政府は気候変動に関わるパリ協定の締結を急ぎ,途上国に向け,2020年における1.3兆円の支援という約束を確実に実施します。

 日本は,既往の60年と同様,この先60年においても,国連強化のため努力を惜しみません。わたくしは,日本国民への信頼にかけて,お約束したいと思います。

 

これが日本の「国連精神」
 その人は,ジュバの一角に,ふらりと現れました。場所は,わが陸上自衛隊施設部隊が,国連のブルーヘルメットをかぶって活動していたところです。

 「日本が道路を作ってくれることに,自分は感謝している。信頼を寄せている。自分にできることはないか。見返りはなにもいらないから手伝わせてほしい」

 翌日も,また次の日にも,国連の最も若い加盟国,南スーダンの首都で幹線道路を敷く現場に,その男性は現れました。3日目からは必要な作業を先回りして始めるようになったこの人と,陸自隊員との共同作業は結局8日続きます。

 別れの日,肩を叩きあって離別を惜しむ中,この男性が,やはり感謝の言葉ばかり口にするのを聞いたわが施設部隊隊員たちが,深い感動に襲われたのは言うまでもありません。ジュマ・アゴ・アイザック。隊員たちは,さもなくば無名の,一人の南スーダン人の名前をおのおの手帳に書きつけて,記憶に留めることにしたのです。

 議長,場所はどこであれ,仕事がなんであれ,国際協力の現場に携わる日本人たちは,常にこうした出会いを無上の喜びとします。

 彼らの行くところ,名もない市井の人々が,自らの力に目覚め,国造りとは自分の立っているそこから始まるのだと自覚する。それを目撃する日本人たちは,自身生涯の思い出となる感動を得る。

 わたくしは,日本と国連との関わりが,過去60年,このように心と,心の交歓をアジアで,アフリカで,随所で築くものだったことに,静かな誇りを覚えるものです。これが日本の,国連精神。忘れず,育て,次世代に継いでいくことをお約束します。

 

安保理改革は急務
 最後にわたくしは,国連のガバナンス構造に根本的変化が必要であることを指摘し,討論を終えようと思います。

 アフリカや,ラテン・アメリカの国々は,世界の政治でも,経済でも,かつてない影響力を築きました。しかし安保理では,満足な代表をもてていません。この一事をとっても,安保理の現状は,今を生きる世代に説明しようのないものです。

 71年前に戦火が終息した時の国際関係は,今や歴史書の1頁を飾るものでこそあれ,その後に独立を果たした国々にとって縁も,ゆかりもないものです。

 先ごろ日本がアフリカ諸国と開いた会議「TICAD VI」で,わたくしは,安保理にアフリカの代表がない状況を「歴史的不正義」と彼らが呼ぶのを聞き,深く頷きました。アフリカはその長期ビジョンにおいて,2023年までに,アフリカから常任理事国を出すことを目標に掲げています。大いに支持したいと思っています。

 安保理の改革は,いま実行するのでなければ,容易に10年,20年と先送りされてしまいます。国連の価値を損ねる立場に立つのか。それともわれわれは,国連の強化を念じるのか。後者に立つ限り,安保理改革が急務であることは多言を要しません。

 この点を強調し,討論を終えます。ありがとうございました。

 

続く