トラビアン始めました。
watcher1氏のスレッド、「Let’s土幕民、移住者募集!」を見て始めたんですが、中々はまります。
ブログ書いてる最中に、息抜きに眺める程度で済むし。(笑)
興味のある方は、「サーバ1」の「南東」に村を!
そして、もうやってるって方はウリに惜しみない援助を!(笑)

さて、本題。
ロシア、イギリスと来て、今度はアメリカの干渉が始まります。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の1画像目。
アメリカの特命全権公使エドウィン・ダンから陸奥への、1894年(明治27年)7月9日付『機密受第961号』より。

No.52

Legation of the United States,
Tokyo, July 9, 1894.

His Excellency
Mutsu Munemitsu,
His Imperial Japanese Majesty's
Minister for Foreign Affairs

Sir:
I have received this morning from the Secretary of State of the United States a telegraphic instruction, a copy of the reading of which I have the honor to enclose herewith for your Excellency's information, which says:
"The Government of the United States has heard with sincere regret that, although the insurrection has been suppressed and peace prevails in Korea, Japan refuses to withdraw her troops and demands that radical changes be made in the domestic administration of Korea.
This demand is the more remarked in view of the fact that China favors the simultaneous withdrawal of both the Japanese and Chinese troops.
Cherishing sincere friendship for both Japan and Korea the United States indulge the hope that Korean independence and sovereignty will be respected, and in which I am instructed to say to Your Excellency's Government that the President will be painfully disappointed should Japan visit upon her feeble and defenseless neighbor the horrors of an unjust war."
I avail myself of this occasion to renew to Your Excellency the assurances of my highest consideration.

Edwin Dun

enclosure
Reading of telegram as above.
で、4画像目にその「Reading of telegram」があります。

Reading of telegram from the Secretary of State of the United States, dated Washington, July 8, 1894, and received July 9, 1894.

Dun, Minister, Tokio.

Your cipher telegram of the 5th received.
The government of the United States has heard with sincere regret that although the insurrection has been suppressed and peace prevails in Korea, Japan refuses to withdraw her troops, and demands that radical changes be made in the domestic administration of Korea.
This demand is more remarked in view of the fact that China favors the simultaneous withdrawal of both the Japanese and Chinese troops.
Cherishing sincere friendship for both Japan and Korea the United States indulge the hope that Korean independence and sovereignty will be respected.

You are instructed to say to the Government at Tokio that the President will be painfully disappointed should Japan visit upon her feeble and defenseless neighbor the horrors of an unjust war.

Gresham
これらの訳文が5~7画像目にありますので、そちらもテキストにしておきます。

外務大臣陸奥宗光閣下
亜米利加合衆国 特命全権公使エドウィン、ダン

以書柬致啓上候
陳者今朝合衆国国務長官の電訓に接候に付、貴大臣御承知の為め其解読写茲に致封入候。
該電訓に曰く、

「朝鮮国変乱既に鎮定に帰し国内平和なるにも拘らず、日本は撤兵を拒絶し、該国内政に対し急激の改革を施さん事を要求すると聞くは、合衆国政府の大に遺憾とするところなり。
而して、清国に於て日清両国同時に撤兵を行はんと希望するの事実あるに当り、右要求あるが如きは、殊に他の注目を招くものとす。
合衆国政府は日本朝鮮両国に対し深く友誼を懐くが故に、朝鮮国の独立并に主権の重んぜらるる事を希望するものなり」
依て本使は、同電文中貴国政府へ左之通り開陳可致旨訓令を受候。
「若し日本にして無名の師を起し、夫の微弱にして防守に耐へざる隣国をして、兵火の修羅場たるに至らしむる事もあらば、大統領は痛く望を失すべし」
本使は茲に重て閣下に向ひ敬意を表し候。


合衆国国務長官電訓の解読

東京米国公使ダン宛  グレシアム

去る5日発閣下暗号電報接受。
朝鮮国変乱国変乱既に鎮定に帰し、国内平和なるにも拘はらず、日本は撤兵を拒絶し、該国内政に対し急激の改革を施さん事を要求すと聞くは、合衆国政府の大に遺憾とするところなり。
而して清国に於て日清両国同時に撤兵を行はんと希望するの事実あるに当り、右要求あるが如きは、殊に他の注目を招くものとす。
合衆国政府は日本朝鮮両国に対し深く友誼を懐くが故に、朝鮮国の独立并に主権の重んぜらるる事を希望するものなり。
若し日本にして無名の師を起し、夫の微弱にして防禦に耐へざる隣国をして、兵火の修羅場たるに至らしむる事もあらば、大統領は痛く望を失すべしと東京政府へ申込むべし。
アメリカ国務長官グレシアムから在日本アメリカ公使のダンへ、7月5日発の暗号電報があった、と。

その内容は、東学党の乱が既に鎮定して朝鮮国内も平和なのに、日本は撤兵を拒絶し、朝鮮の内政に急激な改革を施す事を要求していると聞くのは、アメリカ政府の大いに遺憾とするところだ。

で、清国では日清両国の同時撤兵を行う希望している事実があるのに、そのような要求があるのは特に他の注目を招く。
アメリカ政府は、日本・朝鮮両国に対して深く友誼を抱いているので、朝鮮の独立と主権を重んじる事を希望する。

もし日本が無名の師を起こして、その微弱で防禦できない朝鮮を戦場にしたなら、大統領は痛く失望するだろうと日本政府へ伝えろ、って事で、それをダン公使が陸奥に伝達してきたんですね。

で、これを受け取った日本政府は、速攻で返事します。
8~10画像目から。
1894年(明治27年)7月9日付『機密送第46号』。

亜米利加合衆国
特命全権公使エドウィン、ダン閣下
外務大臣陸奥宗光

以書柬致啓上候
陳者本日附貴柬を以て、朝鮮事件に関し貴国国務長官閣下より御受領の電報解読御送附旁御申越の趣致領承候。
帝国政府が目下朝鮮国に対し謀る所のものは、敢て釁を啓くに在るにあらずして、専ら該国の安寧秩序及国政の善良を期する為めに有之。
而して、帝国政府に於て決して該国の独立及主権を重ぜざるが如き処置を執りたること無之ことは、本大臣より閣下に向て之を保証致し置候。
抑も、朝鮮国の邦安に背馳するが如き心情は、帝国政府の毫も懐抱せざる所にして、隨て両国間に衝突を生ずるが如き憂慮も無之。
而して帝国政府に於ては、其隣邦に対し釁端を招くことは更らに希望せざるところなるのみならず、却て其従来屡々起りたる内訌変乱を、将来に予防せんことを期せり。
而して、斯る期望は該国人民苦情の主因、即ち官場の弊実貪婪秕政を及ぶだけ芟除するに非ざれば、之を遂げ得べからずと相信候。
帝国政府が朝鮮国政府に勧告したるところの改革は、其政治を改善し因て以て其民福を増進する事を期するにあり。
而して、若し朝鮮国政府をして、能く自ら審思する所に一任せしめたらんには、此等の改革を実行すべきや殆ど疑を容れざる所なり。
然れども、朝鮮の事体に対する清国政府の挙動常理の外に出で、帰一する所なきを以て、不幸にも啻に該国国政の改善を遷延せしむるのみならず、絶えず東方亜細亜の安寧を妨げ、不穏の虞を生ぜしめ候。
清国が朝鮮に派兵したるは、朝鮮政府の請に応じ其変乱を鎮定する事を援助する為めなれども、帝国政府が派兵したるは、條約の権利に基きたるものにして、自衛の為めに有之。
然るに、今清国政府は該変乱は既に鎮定に帰したりとの口実を以て、同時に日清両国の兵を撤退することを提議せり。
然れども、帝国政府の見る所に拠れば、該変乱の起りたる原因未だ全く除かれざるのみならず、現に其変乱も尚ほ未だ鎮定に帰せざるが如く、且つ目下の形勢を観るも、未だ意を安ずる事能はざる所あるを以て、帝国政府に於ては此際其兵を撤退するの理由なく、又た之を撤退するは得策にあらずと確信致候。
但し、朝鮮国の情形にして、我兵を挙て撤回する事を得せしむるの時期到来することは、帝国政府が欣然之を待つ所に有之候。
茲に重て閣下に向て敬意を表候。
敬具
12→11画像目がこれの英文訳になってますが、そっちのテキスト起こしはちょっと勘弁して下さい。

内容的には、これまでの日本の対外発言をそのまま踏襲してますね。

日本政府が現在朝鮮国に対して提議しているのは、敢えて不和を招くものではなく、ただ朝鮮国の安寧・秩序・国政の善良を期すためのものである。
そして、日本政府が決して朝鮮の独立・主権を重んじないような処置を執ったことが無いのは、陸奥からダンに対して保証しておく。

そもそも、朝鮮国の安泰に反対するような心情は、日本政府は少しも持って居らず、従って、日朝間で衝突が生じるような心配は無い、と。
アメリカの「夫の微弱にして防禦に耐へざる隣国をして、兵火の修羅場たるに至らしむる事」に対するものかな。

そして、日本政府では隣国に対して不和の始まりを招く事はさらに希望しないだけでなく、逆に従来しばしば起きてきた内乱を、将来的に予防することを期している。
しかし、そのような希望は、朝鮮国人民の不満の原因である、官庁・官吏による悪政をできるだけ取り除かなければ、達成できないものと信じている。
日本政府が朝鮮政府に勧告した改革は、その政治を改善して朝鮮国民の幸福を増進する事を期している。
ま、10月6日のエントリーで大鳥がやっちゃったのは、それ以上のもんですが。(笑)

で、もし朝鮮政府が十分に自分でしっかり考えるのに一任するなら、それらの改革を実行する事はほとんど疑いがない。
・・・。
思ってもいない事を・・・。(笑)

しかし、朝鮮の事態に対する清国の動きは、道理にかなわず一定しないため、不幸にも単に朝鮮の国政改善を引き延ばすだけでなく、常に東方アジアの安寧を妨げ、不穏の懸念を生じさせてきた。

清国が朝鮮に派兵したのは、朝鮮政府の要請に応じて東学党の乱の鎮圧を援助するためだが、日本が派兵したのは条約の権利に基づいたものであり、自衛のためである。

にもかかわらず、現在清国政府は、東学党の乱が既に鎮圧されたという口実で、日清の同時撤兵を提議している。
しかしながら、日本政府が見るところでは、東学党の起きた原因はまだ全然取り除かれていないだけでなく、現にその東学党の乱もまだ鎮定していないようであり、かつ現在の形勢を見ても、まだ安心する事ができない処がある。
そため、日本政府は現在撤兵する理由が無く、また、撤兵するのは得策ではないと確信している。

ただ、朝鮮国の情勢が、総ての日本兵を撤兵する事が出来る時期が到来するのを、日本政府は悦んで待っている、と。

朝鮮国への駐留自体は、済物浦条約による権利です。
撤兵に関しては、天津条約の「其の事定まるに及んでは」について清国と見解の相違がありますが、それについての交渉は拒否られましたが、何か?
( ´H`)y-~~ プハー
みたいな。(笑)


ってところで、非常に長くなりましたが今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(九十七)
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



なんか10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』の別紙で足止めされてる気分。
つうか、文章的に解説要らない気もするんですが。
テキスト起こしだけ一気にやっちゃえば良かったかな?(笑)

兎も角、前々回前回に引き続いて、その別紙の続きを見ていきたいと思います。

『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の28画像目、一番左の行から。
別紙丙号の続き。

右各項の内、左の事項は3日を限り議定し、10日内に着手す可きものとす。

一.内外庶政を総理する機務は、挙げて之を議政府に復旧し、六曹判書をして各々其分職を守らしめ、而して勢道執権の弊制を廃止する事
一.内外政務と宮中事務と判然区別を立て、宮中に奉仕する官吏をして一切政務に干渉せしめざる事
一.外国交渉の事宜を重じ、国家に代り其責に任ずる大臣をして之を主宰せしむ可き事
一.従前の格式を打破して広く人材を登用する門を開く事
一.売官の悪弊を停廃する事
一.官吏収賄索銭の悪習を厳禁する事
一.京城と要港との間鉄道を建築し、并に全国重要の城市に通ずる堅牢なる電信を架設し、以て通信往来の便を開くこと
但し、末項鉄道電信の二工事は、10日内起工の決議を為し、準備出来次第其工を起すものとす。

左の事項は6ヶ月内に決行す可きものとす。

一.政事を施行するに必要なる官衙を存立し、其余は総て之を廃止し、又は甲官衙の事務を乙官衙に合併し、以て簡便に従ふ事
一.現在の府郡縣を廃合し、民治に妨なき迄の少数に止むる事
一.事務執行に必要なる官員を存し、其余の冗員は之を沙汰する事
一.時勢を参酌して官吏の俸給を定め、生を資け廉を養ふに差支なからしむる事
一.地方官吏の情弊を矯正する法を設くること
一.国家の収入及び支出を調査し其制度を立つること
一.会計出納を厳正にする事
一.貨幣制度を改定する事
一.不必要の支出を減省し、并収入増加の方法を講ずる事
一.各開港場にある税関は、一に朝鮮政府自から之を管理し、他国の干預を容れざる事

左の事項は2ヶ年内に決行す可きものとす。

一.各道の田畝を精査し、租税を改正すること
一.其他の諸税を改正し、若くは新税を設くる事
一.官道通衢は須らく修平推廣すべき事
一.旧法中、時宜に適せざるものは概ね之を廃革し、或は時宜を参酌して新法を制定する事
一.裁判法を改正して、司法の公正を明にする事
一.士官を養成する事
一.旧式水陸兵一切之を廃し、更に財力の許す所を量り新式兵を増置する事
一.京城及び各城邑に厳正なる警察を設くる事
一.時勢を斟酌して学制を新定し、各地方に小学校を設立し子弟を教育する事
一.学生中俊秀なる者を撰抜し、外国へ留学せしむる事
各項目については、前回の項目を期限毎にまとめたもの。

つうか、丙号って栗野が内信とか持って行った後に作ったんだよねぇ?
教育とかの綱目自体は、10月1日のエントリーで言ってるとおり、「右は去3日提出の綱領を追ふて取調候者に付、今更之を改むる訳に至兼ね候。」って事で仕方ないのは分かる。

でも、7月16日のエントリーの内信で、「我に向て必ず之を実行する事を約束せしむるの外、差向き評判宜からざる人物を免黜遷転せしむる事にて満足可致置。」とか、「裁判・会計・兵制・警察・幣制に関する各項に至ては、今といふて今実行し得らるべき事にも無之候へ共、差向き必ず改良すべしといふ明約を取附置候而已にて満足可致置。」とかってのは、どこに行ったのよ?と。

結局、現時点では差し当たっては評判の良くない人物の罷免・左遷で満足し、その他の事項については、改革の内諾とって窓口確定する程度で良いとしている日本政府と、このチャンスにやっちゃわなきゃ、奴らやるわけないじゃんという在朝鮮日本公使館側の思惑の違いなんかなぁ。

つうか、3日以内に議定して10日以内に着手とか、6ヶ月以内に決行とか、2年以内に決行とか、そんな短期間にできるんなら、朝鮮のような惨状になって無ぇだろ、と。
いや、長期間でも短期間でも、どっちにしろ無理だろってのは無しで。(笑)

1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』、やっと終了。

で、続いては『駐韓日本公使館記録2』から。
朝鮮の外務督弁趙秉稷から大鳥への、1894年(明治27年)7月9日付けの文書から。

照覆事照得我暦本月初五日接准
貴公使第七拾号来文内爲面遞抄擬綱領従速採択確切核覆一事均経閲悉足見 貴政府念切友睦殊堪欣悦除由我政府遴定内務督辨申正熙協辨金宗漢曺寅承訂於我暦本月初八日下午六点半鐘在老人亭会同
貴公使暢聆一切外相応備文照覆
貴公使請煩査照可也須至照覆者
右照会
貴公使第七拾号ってのは、10月3日のエントリーでやった乙号の事。
正確に言うと、乙号の漢文訳したものですね。
それを、日本暦の7月7日に受け取った、と。

その70号の中の、面会した時に手渡した綱領について速く採択して確答してくれと言うのは分かった。
日本政府の友睦の念は甚だ喜ばしい事であり、朝鮮政府が選定した内務督辨申正熙と、協辨の金宗漢・曺寅承が、7月10日午後6時半に老人亭で会同することになったんで、ヨロ、と。

10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』を見るに、まず7月7日朝に申正熙・金宗漢・曺寅承の3人を委員とする通知があったんですね。
公文云々の経緯からして、恐らく口頭通知だったんでしょう。

そこで、改めて8日昼を回答期限とする別紙乙号(70号)が出される。
8日夜になって、「公文出されると迷惑だから、撤回してくれよぉ。」と泣きついてきたのをバッサリと拒絶。
で、9日になって、上記のように10日の午後6時半に会合する旨の公文が送られてきたって経緯かな。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(九十六)
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



前回は、10月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』の別紙のうち、甲号と乙号について見ていきました。
今日は別紙丙号を見ていきましょう。
では早速。

『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の26画像目から。
大鳥の改革案である、別紙丙号。
長いので、条項毎に見ていく事にします。

丙号

内政改革方案綱目

第1條 中央政府の制度及び地方制度を改正し、并人材を採用する事

一.官司の職守を明にすること
内外庶政を総理する機務は、挙げて之を議政府に復旧し、六曹判書をして各々其分職を守らしめ、而して勢道執権の弊制を廃止すること
内外政務と宮中事務と判然区別を立て、宮中に奉仕する官吏をして一切政務に干渉せしめざること

一.外国交渉の事宜を重じ、国家に代り其責に任ずる大臣をして之を主宰せしむ可き事

一.政事を施行するに必要なる官衙を存立し、其余は総て之を廃止し、又は甲官衙の事務を乙官衙に合併し、以て簡便に従ふ事

一.現在の府郡縣治は其数過多なれば、宜く酌量して之を廃合し、民治に妨なき迄の少数に止むる事

一.事務執行に必要なる官員を存し、其余の冗員は之を沙汰する事

一.従前の格式を打破して広く人材を登用する門を開くこと

一.売官の悪弊を停廃する事

一.時勢を参酌して官吏の俸給を定め、生を資て廉を養ふに差支なからしむる事

一.官吏収賄索銭の悪習を厳禁すること

一.地方官吏の情弊を矯正する法を設くること
まずは政治制度と人材登用関係。
6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』のうち、「一.官司の職守を明かにし、地方官吏の情弊を矯正する事」と「一.外国交渉の事宜を重じ、職守其人を択ぶ事」の関係ですね。

まずは訓令通り、官司の職責の明確化。
政治の総理事務は議政府に戻し、各大臣にその職分を守らせ、勢道政治の弊制を廃止し、国の事務と宮中の事務を明確に区別して、宮中に努める官吏には一切政務に干渉させんな、と。

次に、国の代表者としての責任ある大臣に外交交渉を主宰させろ。
陸奥は、7月16日のエントリーの大鳥への内信で「将来言行一致の行動をなす事を得る実力家、即ち所謂勢道と申す如き人物を外国交渉の当局者に任命せらるる事」って言ってましたが、その辺はずいぶん簡略化されちゃったようで。

で、以下は大鳥オリジナル改革案が続きます。
施政に必要な官庁を残して他は廃止し、事務も統合して簡便に行うこと。
現在の地方行政区域は多すぎなので、統廃合して支障ない程度の少数にすること。
事務の執行に必要な公務員は残して、それ以外はリストラすること。

この3つを簡単に言うと、行政のスリム化ですな。
つうか、そもそも職責や分掌事務を明確化にしなきゃ、出来ない事だと思うんですが・・・。(笑)

で、従来の格式にこだわらない広く人材登用。
売官の停廃止。
官吏の給料を物価に応じて定めて生計が立つようにし、清廉の気風を養うのに差し支えないようにする。
官吏の収賄督促を厳禁する。
まぁ、この辺は大鳥オリジナルとは言っても、6月6日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日『親展送第76号』の会計の項で、「貪官汚吏をして其侵蝕を恣にすることを得ざらしむべし。」にも絡んでくるわけですが。

で、最後に地方官吏の情弊を矯正する法律を作る事、と。

つうか、最初っから細かく要求しすぎじゃね?
いや、そもそも「地方官吏の情弊」って言われても、何が情弊なのか細かく言わないと分からないのかも知れませんが。(笑)

第2條 財政を整理し富源を開発する事

一.国家の収入及び支出を調査し、其制度を立つる事

一.会計出納を厳正にする事

一.貨幣制度を改定する事

一.各道の田畝を精査し、租税を改正する事

一.其他の諸税法を改正し、若くは新税を設くる事

一.不必要の支出を減省し、并収入増加の方法を講ずる事

一.国道通衢を推廣修平し、并に京城と要港との間鉄道を建築し、并に全国重要の城市に通ずる電信を架設し、以て通信往来の便を開くこと

一.各開港場にある税関は、一に朝鮮政府自ら之を管理し、他国の干渉を容れざる事
同じく6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』のうち、「一.会計出納を厳正にする事」と「一.幣制を改定する事」と「一.交通の便を起す事」の関係。

一つ目の歳入出を調査して制度化、二つ目の会計・出納の厳正化、三つ目の貨幣制度の改定、七つ目の主要道路の改修・鉄道敷設・電信架設が、陸奥から話があった項目。

それ以外が大鳥のオリジナル。
四つ目が土地調査と租税改正。
五つ目はその他の諸税の改正と新税創設。
六つ目が、歳出削減と歳入増加の方法を講じること。
この3つは、主に財源の確保についてですね。
6月6日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日『親展送第76号』の会計の項では「貢租賦税の実を調査」ってだけだったんですが、その改良方法にまで言及してるという。

最後の八つ目は、税関を朝鮮政府自身が管理し、他国の干渉を容れるな、と。
この頃の総税務司は、当ブログでもおなじみのJ.M.ブラウンですが、その他にも各税関雇いの外国人が多数いたようで。
つうか、国際問題になりそうな要求って、やばくね?

第3條 法律を整頓し、裁判法を改正する事

一.旧法中、時宜に適せざるものは概ね之を廃革し、或は新法を制定する事

一.裁判法を改正して、司法の公正を明にする事
古い法律中の時代に合わないものは廃革し、あるいは新しい法を制定することと、裁判法の改正により、司法の公正を明らかにすること、と。
んー、訓令は裁判制度の確立ってだけの話だった筈ですが・・・。

第4條 国内の民乱を鎮定し、安寧を保持するに必要なる兵備及警察を設くる事

一.士官を養成する事

一.旧式水陸兵は一切之を廃し、更に財力の許す所を量り新式兵を増置すること

一.京城及び各城邑に、厳正なる警察を設くること
士官の養成と旧式兵廃止&新式兵増員ってだけじゃ、「国安を保持」するに足りないよなぁ・・・。
他の項目と違って、何故か簡単に済んじゃってますね。

第5條 教育の制度を確立すること

一.時勢を斟酌して学制を新定し、各地方に小学校を設立し、子弟を教育すること

一.小学校の設立準備するを待て、漸次中学及大学を設立すること

一.学生中俊秀なる者を撰抜して、外国に留学せしむる事
学校の創設については、訓令の素案にあったものをわざわざ削除してんのに、大鳥の独断で復活。(笑)
まぁ、大鳥はその経緯は知らないわけですが。

ただ、最後の外国留学に関しては、6月11日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日『機密送第27号』に、内政改革要求とは別の、日本の利益に関する要求事項の中にありましたけどね。

つうか、どう見ても「取りあえず」の内政改革に過ぎないんだけど、それでも問題山積みだよなぁ・・・。(笑)


ってところで、途中ですが長くなりましたんで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(九十五)
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



前回は、朝鮮に対する内政改革要求の提出に関して、1894年(明治27年)7月9日付け『機密第121号 本70号』を見ました。
今日は、その別紙を見ていきたいと思います。
では早速。

『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』の23画像目から。
改革方案についての別紙甲号。

甲号

貴国内政改革の今日に必要なる所以、并我政府は其位地及友誼上の関係より之を貴政府に勧告せざる可からざる所以の理由は、先般本公使が貴国大君主陛下に進見したる際、具さに御前に陳奏したりと雖ども、本日内政改革案を提出するに当りて、改めて貴政府に向ひ其理由を詳陳せざる可からず。
抑々貴国は、最近10余年の経験に於て兵変民乱屡々興り、国内平穏ならず、其余響延て隣国に及び、或は竟に外国兵を招来するの不幸を見るは、貴我両国の共に憂ふる所なり。
必竟するに、貴国は其独立を維持する原素、就中国内の安寧を維持する兵備に缺乏せる所ありて其勢此に至るものと判定せざるを得ず。
我帝国は、貴国と一葦帯水を隔てて相隣接し、隨て政事及び貿易上の関係浅からされば、貴国に於ける変乱は我帝国の利益に影響する実に鮮少ならず。
左れば我帝国は、今日貴国の困難なる状態を観ながら、其侭に看過す可からざるは勿論の事なり。
何となれば、則ち我帝国は、此際貴国の困難を秦越視するは啻に年来の友誼に背くのみならず、之が為め我帝国の安寧を害し、利益を損せん事を恐るればなり。
是を以て、嚮きに帝国政府は東京に於て、貴国善後方案若干條を画策し、之を我国と略々同様の位地に立てる清国欽差大臣に提議し、同政府の協同を相求めしに、同政府は敢て之に応ぜず、冷淡にも我協議を斥けたり。
然りと雖ども、我政府は輒く当初の目的を変ずる者にあらず。
飽迄其趣意を追ひ、貴国に勧めて独立国に適当なる政治を確立せしめんと欲す。
依て茲に、本公使に訓令して改革方案5條を提出せしむ。
貴政府諸公広く宇内の形勢を観、国家百年の長計を慮り、以て我政府の好意を空ふする無からんこと深く希望する所なり。

内政改革方案綱領

一.中央政府の制度并地方制度を改正し、并に人材を登用する事
二.財政を整理し富源を開発する事
三.法律を整頓し裁判法を改正する事
四.国内の民乱を鎮定し、安寧を保持するに必要なる兵備を設くること
五.教育の制度を確立する事
右は内政改革の大綱領なり。
其細目に至りては、貴政府に於て委員任命の後更に本使より提議する所ある可し。
依て貴政府は第一着手として、大君主陛下の最も信用せらるる大臣数名を委員に任命せられんことを希望せり。
現在朝鮮で内政改革が必要な理由と、日本政府がその位置や友誼上におけて内政改革を勧告しなければならない理由は、先般大鳥が高宗に謁見したときに細かく述べたけど、本日内政改革案を提出するに当たって、改めて朝鮮政府にその理由を詳細に述べておかなければならない。

そもそも朝鮮は、最近10年余りに兵変や民乱がしばしば起こり、国内は平穏でなく、その影響は隣国にまで及んだり、遂には外国兵の招来する不幸な事態を見るのは、日本と朝鮮共に憂うところである。
最終的に、朝鮮はその独立を維持する要素、とりわけ国内の安寧を維持する軍備に欠乏しているため、こういう事態になっていると判定せざるを得ない。

日本は朝鮮と対馬海峡を隔てて隣接し、従って政治や貿易上の関係が深く、朝鮮における変乱が日本の利益に与える影響は、非常に大きい。
そんなわけで、日本は現在の朝鮮の困難な状況を看過できないのは当然だ。
なぜならば、日本が朝鮮の困難を秦越視するのは、単に年来の友誼に背くだけでなく、そのために日本の安寧を害し、利益を損なう事を恐れるからだ、と。
つうか、「秦越視」って何だ?

兎も角、このために日本政府は東京で朝鮮の善後策について計画し、日本とだいたい似たような境遇の清国に提議し日清の協同を求めたところ、清国は応じず、日本の提議を斥けた。
しかしながら、日本政府は当初の目的を変更するものではない。
あくまでその趣意に基づいて、朝鮮に勧めて独立国として適当な政治を確立させたい。

ってことで、大鳥に訓令して改革方案5条を提出させた。
朝鮮政府が世界の情勢を視て、国家百年の長計を思い巡らし、それによって日本政府の好意を空しくするような事が無い事を、深く希望している、と。

前置き長ぇ・・・。(笑)
まぁ、思ってたより直球な話が多いですけど。

で、内政改革の方法に関する5項目の綱領。
まずは、中央政府の制度と地方制度を改革し、人材を登用する事。
続いて、朝鮮の財政を整理し、財源を開発すること。
3つ目は、法律を整頓し裁判所法を改正すること。
4つ目が、朝鮮国内の民乱を鎮定し、安寧を保持するのに必要な軍備を整える事。
最後が、教育制度を確立すること、と。

で、上記5つは内政改革の大まかなものであり、細かいとこについては、朝鮮政府が委員を任命した後、更に大鳥から提議するものもあるだろう。
ってことで、朝鮮政府はまず、高宗が最も信用している大臣数名を委員に任命して欲しい、と。

前回色々言ってるほどには、6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』の勧告内容と、見た目それほどかけ離れてはいないようで。
まぁ、どうやっても大枠としては似たようなもんになるのか。

続いて25画像目からの、朝鮮政府に対する照会の別紙乙号。

乙号

第70号
以書柬致啓上候陳者我暦本年6月26日、本公使が貴国大君主陛下に進見したる際、貴国内政改革の今日に必要なる所以、并我政府は其位地及友誼上の関係より、之を貴政府に勧告せざる可からざる所以の理由を御前に陳奏し、尋て本月3日貴督弁に御面会を遂げ、改革案一冊即ち別紙同文を提出して大君主陛下に御代奏相成候様御依頼致置き候。
然るに、今日に至る迄既に5日を経たるも、貴政府には採否孰れに御決定相成候■哉、未だ何分の御回答に相接し不申候。
抑々我政府は、今般貴政府に向ひ内政改革を御勧告及び候次第は、該案趣意書にて詳陳致置候通り、東洋の大局を保全せんと願ふ深慮より起見し、偏に貴政府の御採用あらんことを希望する■なれば、唯一日も速に御回答相待居り候。
依て、前記提出案に対し、明日即我暦本月8日正午12時まで、何分の御回答相成候様致度、此段照会得貴意候。
敬具
要するに、回答督促。

6月26日に高宗と謁見した時、朝鮮の内政改革の必要性と日本がそれを勧告する理由を述べ、7月3日に外務督弁の趙秉稷に面会して改革案を提出して、高宗に代奏してくれって依頼しといたよね、と。

それなのに、5日過ぎたけど音沙汰無いんだけど。
日本が内政改革の勧告した理由って、東洋の大局を保全したいと願う深慮からで、ひたすらに朝鮮政府が採用することを希望するだけなので、1日も早い回答を待ってるんだよ。
ってことで、提出した改革案に対して、明日、7月8日の正午までに何らかの回答寄こせ、と。

つうか、今気付いたけど、高宗の肩書きが「陛下」になってるわね。(笑)


ってことで、丙号が残ってますが、取りあえず今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(九十四)
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



何か、一つは『今月の回顧録』とは言え、3日連続でエントリーするのに疲れてる、堕落したdreamtaleです。(笑)
ども。
以前は普通に毎日書いて、そこから週5日になって、週3日になって。
これ以上は更新ペース遅くならないように、頑張ります。
つうか、これ以上遅くなったら、話終わんねーし。(笑)

ってことで、今日もアジア歴史資料センターから史料を見ていきましょうか。
今日はまず『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
25→24画像目が英文で、26→27画像目が和訳になっています。
青木から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第389号』より。

Mutsu
Tokio

Considering false press statements respecting our designs in Corea absolutely necessary to publish your three propositions to China.
I have secured Reuters agency, can command thereby European press.
Perfect understanding with Minister for Foreign Affairs who recommends speedy negotiation in order to keep Russia out.
British Minister to China is instructed to render good-offices.
Minister for Foreign Affairs admit advantageous extensions possible on actual negotiation with China Minister for Foreign Affairs desires to secure the integrity of Corea by joint guarantee of China and Japan remembers my idea of separate occupation of 元山, 釜山浦.
China bought two steamers.
England's attitude in Treaty-revision unaltered; desires prompt conclusion.

在英公使


朝鮮に対する我が企図に関し、新聞紙に誤報を掲載するに付ては、貴大臣より清国へ提出相成りたる3ヶ條の提議を公にすること極めて必要なり。
本使は、「ライタル」通信社を手に入れたれば、之に因て以て欧州の新聞を左右することを得るなり。
英国外務大臣とは充分の談合付き、同大臣は露国を局外無関係の地に立たせ置く為め、速に談判を開くべきことを勧告す。
清国駐箚英国公使は斡旋の労を執るべき旨、訓令を受けたり。
同大臣は、清国と実際談判に臨み、利するとする多からんとのことを認め、且つ日清両国協同の担保を以て、朝鮮国土の完全を確めんことを希望せり。
両国別々に元山と釜山浦を占領することに関する、本使の考案を御記臆ありたし。
清国は、汽船二艘を買入れたり。
朝鮮に対する日本の計画に関して、新聞に誤報が掲載される事を思えば、陸奥から清国へ提出した3ヶ条の提議、つまり東学党の協同鎮圧、行財政改革、自衛のための十分な陸軍を組織の3点を公表する事が必要だ、と。

7月21日のエントリーなんかで、Timesで「日本や列強との共同占領や共同統治、共同での高宗への改革提議についての提案」とか李鴻章が言ってるようですし、日本の提議内容を公表するってのは、良い考えじゃないかと思うんですが。
つうか、そもそも何でもっと前から、報道だけじゃなく各国政府にも話してないのかが疑問。

次の「ライタル」通信社ってのは、英文見て分かるとおりロイター通信社の事。
それを手に入れたので、ヨーロッパの新聞の論調を左右できる、と。
本当かよ。(笑)

ロシアを閉め出すために速やかな交渉を勧告するイギリスの外務大臣と、完全に合意してくれ、かな?
訳文の方は微妙に違う気がする。(笑)

で、在清国のイギリス公使は、斡旋の労をとるように訓令を受けた、と。
9月15日のエントリーの、キムバーレーからオコンネルへの訓令の件でしょうね。

イギリス外務大臣は、清国と日本の共同保証により朝鮮国土の完全性を確保する事を希望している。
元山と釜山の分割占領に関する私の考案を記憶に止めて欲しい、と。
9月3日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電受第365号』で言ってた話の事ですね。
つうか、そんな考案眼中にあるわけ無ぇだろ。(笑)

清国は2隻の蒸気船を買った。
イギリスの条約改正の態度は変わらず、速やかな妥結を望む、と。
そういえば、条約改正というデカイ話も、この時期あったんだよねぇ。
忘れてた。(笑)

さて、次の史料から9日の史料に入っていきます。
まずは、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/3 明治27年7月5日から1894〔明治27〕年7月17日(レファレンスコード:B03050308300)』から。
21画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月9日付け7月17日接受の『機密第121号 本70号』より。

内政改革案提出の件

朝鮮政府に向ひ内治改良勧告の儀に付、去6月28日機密第26号貴信を以て屡々御訓示有之候処、同件に付ては其前既に再三の御電訓有之、且つ加藤書記官を以て御口達の訓令も有之候に付、本月3日(即機密第26号貴信接到の2日前)、別紙甲号之通り改革方案綱領5條に趣意説明を添へ、外務督弁に提出して大君主陛下に転奏方依頼致候。
然処、当政府の内部には改革反対派の勢力頗る熾にして、改革派は之に抵抗する能はず。
加之改革派と雖ども、去17年金朴等の失敗を鑒み、進んで改革を唱ふるもの無之に因り、果ては満朝反対の声と相化したるが如く致伝聞候得共、我勧告に向ても亦彼等推切りて之を拒絶する気力無之候哉、去7日朝、内務督弁申正熙、同協弁金宗漢、曹寅承の3名は、我勧告に従ひ改良取調委員を命ぜられたる旨、同夜外務督弁より官員を派して通知有之候。
尤も、内政改革協議に付、初めより外務督弁は公然照会等を用ゆる事なく、内密に取計度旨申出候得共、御訓示の次第も有之候に付、同7日に至り遅延ながら別紙乙号之通り照会し、併に委員と会同せん事を相促し置候処、昨8日夜属員を派し、「公然照会せられては迷惑の廉不少に付、何卒撤回する様にと」依頼有之候へ共、断然拒絶致置候。
猶ほ、今明日にも委員会同の期に立至り候はば、第一彼等の委任の権限相慥め、果して我相談に応じて改革実行に至る可き権限を有し居り候はば、別紙丙号之改革案を以て協議に及び、且つ各條の緩急を見計ひ、期限を定め必行相迫り可申と存候。
将又別紙丙号の改革綱目は、機密第26号貴信にて御訓示の條項とは致相違候得共、右は去3日提出の綱領を追ふて取調候者に付、今更之を改むる訳に至兼ね候。
尤も、御訓示の條項をば一切其中に含蓄せしめ、遺漏なき様に取計候。
別紙相添右及上申候也。
「6月28日機密第26号」ってのは、6月4日のエントリーの栗野が持って行った1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』ですね。
つうか、あれから約4ヶ月も経ってるのか・・・。_| ̄|○

兎も角、朝鮮政府に対する内政改革勧告の件については、以前から再三の電訓があり、かつ加藤書記官の口達による訓令もあったので、『機密送第26号』が届く2日前の7月3日に別紙甲号のとおり、改革方案綱領五條に主意説明を添えて外務督弁に提出して、高宗への転奏を依頼しておいた、と。

高宗への転奏云々に関しては、9月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電受第360号』でも触れられてましたね。
つうか、6月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日発『電送第256号』で、「Regarding our proposal to Corea for reform its detailed instructions will be sent in writing by earliest opportunity.」って言われてんだから、文書の到着待てよ!
誰が具体的な改革案まで提出しろって言ってんだよ。
全く。

で、朝鮮政府内部の改革反対派の勢力は非常に盛んで、改革派はそれに抵抗できない。
おまけに、改革派も明治17年の甲申事変の失敗を鑑みて、進んで改革を唱える者も居らず、最後には反清国派になったかのように伝え聞いてた、と。
改革推進と清国への反対って割と表裏一体ではあるんですが、その辺差し引いても、目的が反清国になっちゃったんだろうなぁ。
つうか、単なる党争かも。(笑)

兎も角、そんな感じで改革反対派の方が勢力が強いけども、かといって日本の勧告について押し切って拒絶する気力も無いようで、7月7日に申正熙、金宗漢、曹寅承の3名が、日本の勧告に従って改良取調委員に命ぜられたという通知が外務督弁からあった、と。

尤も、内政改革の協議に付いては、最初から外務督弁は公文書を使わず、内密に取りはからいたいという申し出があった。
しかし、訓示の次第もあるので7月7日に別紙乙号で照会し、併せて委員と会同することを督促しておいたら、「公然と照会されては迷惑の種になる事も少なくないので、何とか撤回してよ」と依頼があった、と。
清国にばれるとヤバイもんね。(笑)

勿論大鳥はそれを拒絶。
7月16日のエントリーの内信でも、口約束だけじゃ後日言った言わないの水掛け論になって、いつものように有耶無耶な状態になる懸念もあるので、公文で照会してその回答も公文で出させろって言われてましたしね。(笑)

で、今日明日にも委員と会同する事になれば、まずは委員の委任の権限を確かめて、本当に日本の相談に応じて改革を実行できる権限があれば、別紙丙号の改革案で協議し、かつ各条の緊要度に応じて期限を定めて実行を迫りたいと思う、と。

いや、7月16日のエントリーの内信、ちゃんと読めよ。(笑)

また、別紙丙号の改革項目は、6月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日起草『機密送第26号』とは相違してるけど、これは7月3日に提出した綱領の後で来たんで、今更変更できないけど、訓示の条項は全てその中に含めて遺漏の無いようにするんで、と。

つうか、先走りすぎだよねぇ・・・。


長くなりましたので、別紙については次回。
ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(九十三)
日清戦争開戦まで(四十四) 
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



6月とかは、1ヶ月で2日分の史料しか進まなかったりしたんですが、今月は約1週間分も進んでたり。
書簡による報告等が少なくなって、恐らくスピード重視で電信メインになってるからだとは思うんですが、おかげで英文史料ばっかりに。(笑)
訳すの面倒くせぇ。

< 2008年9月のエントリー >
なんか、淡々と外交交渉が進んでる印象。
あまり笑いどころは無い。(笑)

日清戦争開戦まで(八十一)

清国との開談条件が重要なエントリー。
1.朝鮮の内政改革を基礎として開談を申し入れるなら異議は無い。
2.清国が朝鮮独立の問題を起こさなければ、日本も触れない。
3.撤兵については開談当初に取り決める。
4.朝鮮の政治上・通商上、清国と同等の権利・特権の保持。
一方、朝鮮に対する改革要求の方も、着々と進んでいる模様。


日清戦争開戦まで(八十二)

イギリス外務大臣と青木公使の面談内容の史料だけで終わったエントリー。
青木、話どこまで通じてるんだろうか・・・。


日清戦争開戦まで(八十三)

清国がロシアの干渉に期待しているらしいという小村からの電報と、聶の布告に関して強硬な抗議を申し立てる事を訓令した陸奥から大鳥への電報が重要かな。


日清戦争開戦まで(八十四)

内政改革要求に関する草案提出の話と、イギリスに対して「日清戦争開戦まで(八十一)」の開談条件が最大限の譲歩である旨、及び日本側の撤兵条件について伝える訓令が重要。


日清戦争開戦まで(八十五)

イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・オーストラリア・オランダ・イタリア・ドイツ・清国・ハワイ・メキシコの日本公使等に向けて、これまでの経緯の概略が伝達されます。
余計な話が無い分、まとめとしては結構見やすいと思う。


日清戦争開戦まで(八十六)

在清国イギリス公使から、清国側で開談の受入意向を伝えてきた史料が重要かな?
後は電信関係。
朝鮮政府が修理したから、日本の軍用電信架設は朝鮮の主権侵害になるんじゃね?と。


日清戦争開戦まで(八十七)

清国との交渉が始まれば、日本の提案が拒否された事を根拠に拒否し、聞くだけにしろという訓令が出されます。
イギリスはイギリスで、朝鮮を独立国扱いしてねーし。(笑)


日清戦争開戦まで(八十八)

なんか、省略されてるのか何なのか分かりませんが、どんどん英文電信の中身が分かりづらくなってきてますが・・・。
栗野から陸奥への電信は非常に興味深いんですが、やはり詳細が不明。


日清戦争開戦まで(八十九)

『駐韓日本公使館記録』から、これまでの漏れてた分をまとめてやったエントリー。
自衛以外には開戦しないと明言してるんだから、清国の入京を武力で阻止するなんて攻撃的手段取んな、って電信が重要。
つうか、内政改革がポーズ云々の話もそうだけど、陸奥って、単に外交上の言質を守ってるだけじゃね?と。


日清戦争開戦まで(九十)

一人で勝手に盛り上がった、天佑俠(天佑侠)に関する史料を取り上げてるエントリー。(笑)
ま、日本人商人から強盗してるっつう史料なんですが。
つうか、天佑俠(天佑侠)が東学党の乱に合流とか全琫準との会見とかいう話、時期的に考えて凄ぇ眉唾なんですが。( ´H`)y-~~


日清戦争開戦まで(九十一)

聶の布告について、袁世凱から所謂「属国自主」の回答。
もう一つは、清国におけるこれまでの経過整理。
別紙はこれまでのエントリーで取り上げてきてるんで、割とリンク集の様相を呈しておりますが。(笑)


日清戦争開戦まで(九十二)

イギリスの調停斡旋に基づく、日清交渉関係の資料が中心。
つうか、言葉不足過ぎて、どういう進行になってるのか良く分からん。(笑)


日清戦争開戦まで(九十三)

大鳥公使に対する、清国政府との交渉中に実質的利益の確保に努めろという訓令。
小村臨時代理公使からの、良く分からない清国との実際の交渉状況。
西公使からの干渉拒否回答後の反応に関する報告の3点。
イギリスを介した日清の会談関係の話って、重要な局面迎えてる筈なのに・・・。(笑)


そろそろ英文史料、勘弁して欲しいんですが・・・。(笑)




何か、前よりかなり日付が進むテンポが速くなって、何か史料抜けてんじゃないかとビクビクしているdreamtaleです。
ども。

さて、今日もアジア歴史資料センターから見ていきます。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の40画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月8日発『電送第307号』より。

Otori
Seoul

(33) British good offices at Peking may have effect before long resulting in negotiations with Chinese Government.
In anticipation of the possible turn of event, you should in the meantime secure every possible material advantages such as railway, telegraph line, and other pending questions mentioned in instructions brought by 栗野.
Because advantages thus secured prior to opening of negotiations will be so much gain to remain intact.
Notwithstanding the above prospect of negotiation you need not avoid conflict in case of actual provocation.

Mutsu
北京でのイギリスの調停は、まもなく清国政府との交渉をもたらすだろう。
事態の変化の可能性を予想し、その間に栗野の届けた指示で言及した、例えば鉄道、電信及びその他懸案事項等の実質的な利益を可能な限り確保すべきだ。
なぜならば、交渉開始に先だって確保した利益は、その多くが依然として得たままとなる筈だからだ、かな?

んー、9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』とか、前回の1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』って、やっぱ時間稼ぎのための手段なんだろうか?

でも、それだったら清国に返答遅延させとけば良いしなぁ・・・。
もしかして、対清交渉を見据えてるんじゃなくて、その後にあるイギリスとかの諸外国との交渉まで見据えてるのかな?
ま、個人的な推測ですが。

で、前述の交渉の見込みにもかかわらず、実質的な挑発が行われた場合には、戦争を避ける必要は無い、と。
日本から能動的に戦争はしませんと宣言してるわけですが、清国から「挑発」があった場合には戦うのは吝かではないって事で。

ただ、9月19日のエントリーの一番最後の史料を見るに、清国兵の入京程度では「actual provocation」にはならないようですし、諸外国に戦争の起因として説明出来うるような「挑発」ってのが、「conflict」の前提になるんでしょうね。

さて、続いては『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』を見ていくことに。
18画像目右側。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第385号』より。

Mutsu
Tokio

I am acting in communication with British Minister, he thinks Chinese government will make proposals.
The rumor of the departure of 李鴻章 for 北京 is not true.

Komura
私は、イギリス公使と連絡をとって動いており、彼は、清国政府が提案をすると思っている。
李鴻章が北京に向けて出発したという噂は、事実ではない。

前回の1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』に対する返事なんかな?
それとも、1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』に対する返事なのかな?
これまた端折りすぎて良く分からん。
勘弁してくれ。(笑)

続いて、同じく19→18画像目。
西から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第386号』より。

Mutsu
Tokio

Your last telegram regarding reply to 在日本露公使 received 七月五日.
I had an interview with chief of the Asiatic Department 七月六日 who said to me that no telegram of it has been received yet from 在日本露公使.
I explained him contents of your reply, He found it not very satisfactory stating that nothing has been made against a dangerous collision, then pointing out disinterestedness of our object.
I evidenced inconsistencies of Russian Government's doubt and that in case they repeat similar advice to Japan the consequence will be very serious as at present it is impossible for us to withdraw troops.
He said that he will consult with Minister for Foreign Affairs who lives in the country being very ill and promised to inform me in all case of their decision before instructions be sent to 在日本露公使.
I am doing my utmost to keep them from further intervention.
I want to have here somebody will acquainted with English on account of Corean question.
Please send immediately for a tissue one of the members of Legation in Europe.

Nissi
んで、何故か飛んで22→23画像目に訳文があるので、そちらもテキストにしておきます。

在日本露国公使への回答に係る貴大臣の最近電報は、7月5日接受せり。
7月6日本官は、亜細亜局長に面晤せり。
同氏曰く、右に関する電報は未だ在日本露国公使より接受せずと。
依て本官は、貴答の要領を同氏に説明せしに、同氏は右にては衝突の危険を予防するものなきを以て、甚だ不満足なる旨申聞けたり。
故に本官は、我目的の全く私を計る意に出でたるに非ざる旨を表示し、且つ露国政府の疑念と事実相違の旨を証明し、若し露国政府にして日本へ対し同様の忠告を再びするに於ては、事体甚だ軽からざることとなるべし。
如何となれば、今我兵を撤回することは、到底出来得べからざることなればなりとの旨を答へたるに、同氏曰く、外務大臣は目下重病にて田舎に保養致し居れども、同大臣と協議を遂ぐべしと。
且つ、兎に角在日本露公使へ訓令を発する前に、露国政府の決議を必ず本官へ告知すべき旨約束せり。
本官は、露国政府をして此上の干渉をなさしめざる様、全力を尽し居れり。
ロシア公使への回答に係る陸奥の電報ってのは、8月25日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第277号』かな?
それを7月5日に受け取り、翌6日にロシアのアジア局長に面会。

アジア局長は、その回答に関する電報はまだヒトロヴォから受け取ってないよ、と。
そこで西が、回答の要領をアジア局長に説明すると、衝突の危険に対して何もしていない状況について非常に不満。
ってことで、日本の目的は私欲では無いことを指摘し、ロシア政府の疑念の矛盾を証明し、もしロシア政府が日本に対して同様の忠告を再び行えば、事態は非常に深刻化するだろう。
なぜなら、現在日本にとって撤兵は不可能だからだ、と。

アジア局長は、外務大臣は現在重病で田舎で保養中だけど、彼と協議すると言うわけです。
そして、とにかくヒトロヴォに訓令を出す前に、彼らの決定を必ず西に告知すると約束した、と。
で、私はロシアのさらなる介入を妨げるため、最善を尽くしている。

次の2行が、和訳から抜けてますね。
朝鮮問題のために英語に精通した者が必要だ。
早急に欧州の公使館の職員を一人送って欲しい、と。

んー、これまでの英文電報見るに、英語に精通した人物って、あちこちで必要そうな印象なんですが・・・。(笑)


今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 
日清戦争開戦まで(四十四) 
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



何故かこのところ長いエントリーが続いて、ちょっとグッタリ。
今日は長くなんなきゃ良いなぁ。(笑)

ってことで今日最初は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
17画像目右側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』より。

Komura
Peking

Have you seen 王大臣.
If so with what result and have you imparted it to British Minister to China what did he say.
Telegraph these to me as soon as possible.
It is rumored that 李鴻章 went to Peking.
Is it true.

Mutsu
もし貴下が王大臣と会ったのならば、その結果とそれを在清国イギリス公使へ伝えたかと、彼が何と言ったかについて、できるだけ早く私に電信するように。
李鴻章が北京に行ったという噂があるが、それは事実か?
かな?

いっつも悩むんだけど、ピリオドの場所分かりづれぇ・・・。
つうか、クエスチョンマークとかも、ちゃんと書いてくんねぇかなぁ・・・。(笑)

続いては、同じく17画像目の左側。
今度は、小村から陸奥への電信ですね。
1894年(明治27年)7月7日発『電受第384号』より。

Mutsu
Tokio

At an interview 七月七日 総理衙門王大臣 asked whether I was not instructed to enter into discussion as suggested by British Minister.
I explained that the proper course now to be followed was for Chinese government to make proposals, and they promised to answer after a consultation 七月九日 at the latest.

Komura
7月7日会談で総理衙門王大臣は、イギリス公使によって示唆されているように議論に入るよう指示されなかったのかどうか尋ねた。
私は、現在従うべき適切な進行は、清国政府によって為される提案だと説明した。
彼らは、遅くとも7月9日まで協議した後の回答を約束した。

先ほどの1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』を受けての返事なのかな?
つうか、端折り過ぎてて、どういう話になってるのかサッパリ分からん。(笑)

で、これで7月7日の史料終わりかな。
次からは7月8日の史料に入って行きましょう。

まずは、『駐韓日本公使館記録2』から。
前回冒頭の袁世凱からの書簡を受けての返事になります。
1894年(明治27年)7月8日付書簡より。

大日本特命全権公使大鳥 爲
照会事接准貴暦光緖二十年六月初五日貴総理来文内開聶軍門所出告示字様係照我国與朝鮮向来体制制応行各節辨理数百年例案備載章籍可考固非初出新裁云々等因准此本公使査我国政府以朝鮮認作自主独立之邦即拠日朝訂約以来暦所践行実在事蹟断不可移者也所有原委己罄之於我暦本月初三日本公使公文内旡煩再敍至所詔例案章籍者固不可推究之於今日亦非本公使所応與聞也為此備文照会
貴総理請煩諒照可也須至照会者
右照会
大清総理交渉通商事宜 袁
貴下の公文書内に、聶軍門の告示の中の文字については、清国と朝鮮がこれまでずっと維持してきた体制で、これによって様々な事を数百年の習わしとして処理してきて、文書にも載ってるし、言うまでもなく、今回が初めってってわけじゃ無いってあった。
日本政府は日朝訂約で朝鮮を自主独立の国と認めて以来、ずっと実行してきており変わるものではない。
8月29日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日付けの書簡の話をもう一度書く気はないけど、習わしとか関係ねーから、と。

話、ずれてんだろ。( ´H`)y-~~
ってことかな?(笑)
単なる「習わし」に基づく表現なら、「属国」という記述をやめても何ら問題無いわけですしねぇ。

「宗主国」とか「属国」って一言で言うけど、「条約体制」下における「冊封体制」について、どういう義務や権利関係になってるのか、明確に説明できれば問題無かったんじゃないかなぁ。(笑)

さて、続いてアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』に戻りましょう。
24画像目右側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』より。

Komura
Peking

Received your telegram of 七月七日.
See British Minister at once and telling him promise of 王大臣 ask him to induce 王大臣 to make proposals not much differing from the sense of four points suggested by me as soon as possible stating that delay will make Corean situation more serious and dangerous and that if Chinese proposals greatly differ from those points negotiation could not be smoothly and speedily concluded.

Mutsu

If proposals they make are similar to those made by Russian Government, Japanese government will be forced to decline to enter into negotiation for Japanese government cannot accept the same proposal after the refusal of Russia.
先ほどの、1894年(明治27年)7月7日発『電受第384号』は受け取った。
早急にイギリス公使に会い、王大臣の約束について話し、私の提案した4点の意味と大きく違わない提案をし、遅延は朝鮮の状況をより深刻且つ危険にし、もし清国の提案がそれらの点と大きく違えば、交渉は円滑且つ迅速には結了しないと、王大臣を説得するよう求めろ、と。

9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』では、例え前提に基づいた提案が行われても、断る気満々に見えましたが・・・。
前提と全く違う提案がされた場合に、「約束が違う!」と怒って席を立つのとどう違うんだろう?

で、もし、彼らにより行われる提案が、ロシア政府により行われたものと同じようなものであれば、日本政府はロシアの提案を拒絶した以上、同様の提案を受け入れることはできず、交渉に入ることを断らざるを得ないだろう、と。

つうか、良くあんだけの電文から、こんだけの返事を返せるな・・・。
何か他にも電文とか来てんのかしら?


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 
日清戦争開戦まで(四十三) 
日清戦争開戦まで(四十四) 
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)



んー。
右側のShiftキーが、散歩に出たまま帰ってこない・・・。
どうも、飼い犬が壊してどっかに咥えていったらしいんだが。(笑)
使いづれぇ。(笑)

って、どうでも良い話は置いておいて、今日は『駐韓日本公使館記録2』から。
袁世凱から大鳥への、1894年(明治27年)7月7日(光緖20年6月初5日)付書簡より。

大清駐紮朝鮮総理交渉通商事宜袁 爲
照覆事照得本年六月初一日准
貴公使照会内開
聶軍門告示字様一案准此査
聶軍門所出告示字様係照我国與朝鮮向来体制応行各節辨理数百年例案備載章籍可考固非初出新裁至朝鮮與各友国立約交際内治外交向由自主竝
曾與欧西各国照会聲明在案無俟
貴公使来文声明本総理久己知悉惟
貴公使如何視断非本総理所敢與聞相応備文照覆
貴公使請煩査照可也須至照会者
右照会
大日本特命全権公使 大鳥
8月29日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日付けの書簡に対する返事ですね。

その書簡の中で、聶軍門の告示の中の文字については、清国と朝鮮がこれまでずっと維持してきた体制で、これによって様々な事を数百年の習わしとして処理してきて、文書にも載ってる。
言うまでもなく、今回が初めってってわけじゃ無い。
朝鮮が各友邦と条約を結んで交際することになった時、内治外交については自主になったし、曽て西欧各国とも照会文により声明した前例があるのを大鳥の照会前から知ってるけど、君がどう思うかは私の関与するところではないね。
かな?

自主云々の西欧各国との文書で有名なのは、シューフェルト条約の時の照会文ですね。

< 参考スレ >
■『属国文書』の背景説明

ってことで、所謂「属国自主」について述べた返事って事になるのかな?

んじゃ、次。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/5 明治27年7月2日から明治27年7月19日(レファレンスコード:B03030206500)』から。
22画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月7日付け『機密第30号信』より。

本件にて総理衙門大臣、当地英国公使オコノル氏を訪問並に本官より英公使に申聞の件に関する往電は、別紙甲号寫の通り。
又、在日本露国公使よりの公文、並に在英我公使よりの電文、並に在日本英国代理公使の晤談、並に本官より英公使に内話の件に関する来電は乙号の通り。
又当地仏国公使ヂヱラルド氏方に到達の電報、並に同公使所存の件に関する往電は丙号の通り。
又、英公使独立語云々申聞の件に関する往電は丁号の通り。
又、在日本露公使へ回答の件に関する来電は戊号の通りにて、此来電末文の訓令に依り露公使と往復の次第は、早速在天津並に芝罘我領事に致転電候。
又、在日本英国代理公使より当地英公使へ通知の次第、並に其義本官より英公使に通知の件に関する来電は己号の通りに候。

貴方6月11日附機密送第10号信を以て御回送の、両陛下大婚25年の御祝儀に対せらるる清国皇帝陛下への御答翰、去る28日到達。
全権公使在任に候はば、無論謁見捧呈可相成筈に候得ど、臨時代理の本官にては謁見の有無難計とは存候も、兎に角一応総理衙門に可申入と存候に付ては、時節柄該王大臣の言動を見聞して、衷情を推測するの方便にもと存じ、去る3日総理衙門に罷越、先づ謁見の義を談判以後、果して該王大臣より朝鮮問題に言及有之候。
徐用儀より、此程伝聞する処に拠れば、在東京露公使は今般の件に付、何等貴国政府へ申入たる由に候処、貴国政府は最早其申入れに対し御回答有之候哉と相尋候間、其義更に承知不致候得共、本官一個の考にては、我政府は其申入に対し拒絶の意を表せしならんと存候。
其故は、右の如き申入れを許容するに於ては、向後とも朝鮮事件に対し干渉せしむる先例となるべきのみならず、或る国の如きはこれを口実として更に求むる所なしとせざるを以て、可成は他国の干渉を避くるを得策と認定すべければなりと。
此語、固より一場の私語として相答候処、重て徐用儀より、今度の件にて貴国政府の御意見は広く他国政府の知る所と相成る上は、何とか好き辨法も可有之と云ひたる如く、只管平和主義にて専ら露人即ち目下在天津同国公使カウントカシニー氏の仲裁に従事しつつあるを頼み、流石に日本も我を折るならんと思考するものの如くに被見請候間、此際露国の干渉を拒ぎ、且つ朝鮮国内に我国の地位を強固にすべきに於て、機一髮時を失なふべからず。
又、英人の朝鮮に於ける意句は、露人の南下を阻止せんとするに在るは申迄もなき事にて、是迄の行掛の上、彼等は我国の朝鮮に於ける施為に対し、如何の観念を抱き居り候哉。
或は、寧ろ清国と提携するに如かずと思考するにはあらざる歟と推測せられしことなきに非ず。
然るに、今般我国の施為は如何にも敏捷活溌、一切万端彼等の意表に出で、彼等も改観して、心中或は頼母敷念に居るならんと推測せらるることなきにあらざる折柄、我国の朝鮮を管理の義を英公使に説得するは、差して困難にもあらざるべしとの件に関する往電は庚号の通り。
又、英公使総理衙門王大臣と面晤以後、来館談話の次第、並に至急訓令の請求、並に此上或は條約を議訂せられんにも、之を廃棄せらるる様の事あるを予防の為め、批准済迄は我兵の駐韓は必要なるべく、而して清国の政府唯一の目的は撤兵に在るべしと思考の件に関する往電は辛号の通りに候。

当方6月28日附機密第28号信を以て申進の、露国代理公使ウエバー氏当地に就任以後未だ1個月をも経ざるに、又々京城に赴任の為め昨朝当地出発。
右は、必定途中天津に於てカシニー氏には勿論、或は李鴻章とも鼎坐打合せ何等計画の次第可有之と存じ、不取敢壬号の通り電報差立、同日癸号の通り電訓に付、本日午後3時総理衙門に致越、王大臣に面晤可相成候。
右申進候也。
経過整理ですね。

まず、総理衙門大臣がオコノルを訪問した時の内容について、小村が応答したという別紙甲号は、32画像目。
8月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月30日発『電受第339号』ですね。

で、在日本ロシア公使からの公文と、青木公使からの電文と、在日本イギリス代理公使の申し入れ、小村からイギリス公使への内話に関する乙号は、32→31画像目。
8月18日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電送第271号』。

フランス公使からの情報と所存についての丙号は30画像目。
同じく8月18日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電受第347号』。

イギリス公使の、独立という単語に関する丁号も30画像目。
8月25日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電受第352号』。

ロシアの介入への対応についての戊号は29→28画像目。
8月27日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第280号』。
で、これについては、訓令中にあるとおり天津領事と芝罘領事に転伝した、と。

それから、在日本イギリス代理公使から在清国イギリス公使への通知と、青木への通知に関する己号が28→27画像目。
9月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電送第287号』。

で、これまで取り上げていませんが、6月11日付『機密送第10号』で送られてきた、天皇大婚25年の御祝儀に対する清国皇帝への返書が6月28日に到着。
小村が臨時代理公使という地位なので、謁見出来るかどうか分かんないけど、もしかしたら王大臣の言動とかで、その内心を探れるかも知れないんで、取りあえず7月3日に謁見を申し込みに行ってみたら、やっぱり朝鮮問題に言及があった、と。

で、王大臣の一人の徐用儀から、在東京のロシア公使が今回の件について何か日本に申し込んだって聞いたけど、それに対して何か返事した?と聞いてきたので、知らんけど、俺の考えでは日本政府はその申し入れを拒絶するだろうね。
だって、そんな申し入れを受け入れたら、今後朝鮮での事に干渉させる先例になるだけじゃなく、某国なんかはそれを口実にして、更に求めるところが無いとは言えないわけで、なるべく他国の干渉を避けるのが得策だと思うからね、と答えておいた、と。

これは公的立場じゃなくて私的立場で述べた話だけど、徐用儀から更に、今回の件での日本政府の意見は広く他国政府に知られたわけで、何か良い方法もあんじゃね?と言われたように、ひたすら平和主義を取って、カシニーが仲裁してんだから流石に日本も折れるだろうと考えているように見受けられたので、ロシアの干渉を防いで朝鮮国内の日本の地位を強固にすべき事について、チャンスを逃してはいけない。

また、イギリスの朝鮮での意向ってのは、ロシアの南下を阻止する事にあるのは言うまでもなく、これまでの行きがかり上、日本の朝鮮における行為に対してどのように思っているだろうか。
あるいは、寧ろ清国と提携しといた方が良いと考えてるんじゃないかと思われる事も無いわけではない。
しかし、日本の今回の行為は素早く、活発であり、総て彼らの意表をつき、彼らも見方を改めて、心中では頼もしいと思っているのではないかと推測される部分もなきにしもあらずなので、日本が朝鮮を管理する事についてイギリス公使に説得するのは、それほど困難じゃないだろうという庚号は、27画像目。
9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発『電受第361号』ですね。

つうか、電文より凄ぇ長ぇ。(笑)

で、イギリス公使と王大臣が会談して、日本公使館に来て話したことと、至急の訓令請求と、条約の内容が決まっても廃棄されちゃうのを予防するため、批准が済むまでは日本軍の駐韓は必要だけど、清国の唯一の目的は撤兵だろうという辛号は、26画像目。
9月12日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電受368号』。

次に、7月9日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『機密第28号信』で言ってたウェベルの就任から、1ヶ月も経たないのに、彼は昨日の朝京城に赴任しに出発した。
これは、途中の天津でカシニーは勿論、李鴻章とも何か計画するのかも知れないという別紙壬号が、26画像目右側。
9月17日のエントリーの1894年(明治27年)7月6日発『電受第380号』。

同日、25画像目の癸号、つまり9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』のように電訓があったので、7月7日午後3時に総理衙門に行って王大臣に面会するだろう、と。

一部のまとめだけなのに、何か凄ぇ長くなったな・・・。


ってことで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)   日清戦争開戦まで(九十)



さて。
前回は、アジ歴等で見つからずにこれまで漏れてた史料について、『駐韓日本公使館記録』の電信控を基に書き起こしてみました。
今日からはまたアジ歴等を中心にした話に戻ります。

まずは、『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の18画像目左側。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月6日発『電送第301号』より。

Otori
Seoul

31. 軍用電信隊 sent at your request and now being placed in awkward position.
They cannot be now recalled without doing anything.
Moreover present repair is very poor causing interruption so easily and so often.
So under any pretext such as furnishing men and materials to Corean Government try to make more substantial repair or to construct a new line so that to give employment to 軍用電信隊.

Mutsu
軍用電信隊は貴下の要請により派遣され、現在まずい立場に置かれている。
何も為す所無く呼び戻す事は出来ない。
それに加えて現在の修理は非常に粗悪であり、非常に簡単に、また非常に頻繁に途絶の原因となる。

従って、よりしっかりとした修理を行うとか、新しい電信線を架設する朝鮮政府の試みに技術者と物資を提供するなど、何らかの口実に基づいて軍用電信隊に仕事を与えろ、かな?
何か、単語が抜けてる気もしないでも無いんですが。(笑)

これで、6日までの史料は終わりかな?
んじゃ、7日の史料に入っていきましょう。
最初は、『駐韓日本公使館記録2』から。
釜山の永瀧から大鳥への、1894年(明治27年)7月7日付け『親展ノ一』より。

長崎縣平民馬木健三は、此程昌原府龍潭の金鉱試堀の為め、長男辰次郎と共に同処に赴き居りし処、去6月30日午後7時頃、群馬縣人元陸軍大尉田中次郎、福岡縣人大原義剛、石川縣人吉倉睡聖并に鈴木某外8名は、荷物運搬の為め雇入れたる韓人2名を伴ひ同処に至り、馬木に面談して云く、近頃全羅道地方に於て東学党騷擾を起し、続て支那兵は之を鎮圧の為め已に牙山に上陸せりと聞く。
自分等も、此際国家の為め応分の力を盡さん為め全羅道地方に出張の途次なるが、当地近傍に在る韓人の旅家に於ては米飯を得ること能はざるに依り、何卒今夕は自分等一行を此処に止め、且賄ひ呉れよと懇ろに請求したるに依り、馬木は一夜の事なれば敢て差支なしとて之を諾し、直ちに雇人に命じ食事の用意を為さしめし処、田中等は尚ほ語を進めて、馬木父子に向ひ兼て礦山用に貯蔵せる火薬を分配し呉れ間敷やと云ひしに依り、馬木は之を否みしに、彼等は再三再四之を懇望したるも、馬木父子は他品なれば兎も角、火薬は決して付与し難き旨を以て固辞せしに、田中等は一たび口に発して而して遂行する能はざるが如き卑怯なるものにあらず。
若し強て之を否むに於ては我々も決する所あらんとて、恐嚇の体を示し、尚ほ馬木父子を麻縄にて縛し、倉庫番人奥田友太郎をして鍵を出さしめ、直ちに火薬庫の鍵を開き、且つ他の倉庫の鎖鑰を破壊して火薬2罐(凡そ10斤)、ダイナマイト2函(凡そ120発)、雷管凡そ百三、四十発、導火5把と、外に各所の鍵凡そ10個計りを奪取し、同夜12時過ぎ龍潭を発し全羅道に赴くと称し咸安に向け出発せり。
初め田中等が馬木父子を対面せし時は、語調も頗る丁寧にして互に寒喧を敍し、且つ吉倉、大原、田中は曽て釜山及京城に於て面識あるものなれば、雙方打解けて旧を語り、新を話し、互に腹蔵する所なかりしが、火薬授受の事よりして遂に一波瀾を生じ、強談の末終に前陳の如き暴行に及びたるものにして、右12名の日本人は何れも仕込杖及び短銃等を携帯し、火薬横奪の際は馬木の住せる家屋の周囲を警護して出づる事能はざらしめたり。
依て、馬木辰次郎は右遭難の次第報知の為め、本月1日龍潭を発し当港に来るの途上、尚ほ3名の本邦人に邂逅せし処、同人等の語気よりして推測するときは、何れも右暴行者の党類なるが如しと。
以上は、去3日馬木辰次郎が当館に申報する所の要領なり。
該旅行者は、何れも本館より内地通行券を受領して出発したるものにあらず。
又、一時に出発せるものにもあらずして、1、2名づつ出発したるものなるべきに依り、其姓名及旅行先も確と分明ならずと雖、該人員中には新聞通信員と称し、内地より渡来し直ちに出発したるものも可有之、其形跡甚だ疑しきを以て、不取敢該本邦人に対し取調を要する義有之に付、捜索の上当館迄て護送すべき様、当港監理署に依頼致置候。
又た、両3日前内地より来港せし本邦人等の言ふ所に拠れば、福岡玄洋社員凡そ4、50名は当国に来援の支那兵に対し乱撃を加へ、因て以て日清両国の葛藤を引起さんとの目的を以て、漁船に乗り、対洲を経て当国(来港の地は未詳なれども、何れ未開港場の海村ならんと被存候)に渡来せんことを目下計画中に有之趣に候。
依て、是亦直ちに外務大臣へ并せて具報に及び置候。
右為御参考及御通報候。
敬具
天佑俠(天佑侠)キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!! (笑)

長崎県の馬木健三と、その長男の馬木辰次郎が、金鉱試堀のために昌原府龍潭に行ってた、と。

この馬木健三、2月6日のエントリーでも昌原の金礦採掘の話で当ブログに出演済みなんですが、中々可哀想な人生を送ってるようで。
今回の天佑俠による強盗事件の他にも、1897年(明治30年)には、『金九は誰を殺したか(二)』で出てきた大久保機一と並んで、「2万124円59銭7厘 馬木健三」として被害損害額算定のリストの中に名前が見られますし、1901年(明治34年)の史料にも、活貧党の類と目される暴徒の襲来を受け、金品を強奪された上、重傷を負わされたという記録が残ってたりします。
カワイソスwwwww

すると、6月30日の午後7時ころに、田中次郎、大原義剛、吉倉睡聖、鈴木某外8名が馬木のところに来た、と。
ま、漢字間違いはあるんですが、所謂「天佑俠」のメンバーですね。
田中侍郎・大原義剛・吉倉汪聖に、鈴木は鈴木天眼かな?

で、最近全羅道地方で東学党の乱が起き、支那兵が鎮圧のために牙山に上陸したと聞き、自分たちも、国家のために相応の尽力をしようと全羅道地方に出張する途中だが、この辺じゃ米飯を得る事ができないんで、何とか今日は自分たちを泊めて飯を喰わせてくれないかと馬木に言ってきたんですね。

馬木は、一晩だし良いよと承諾。
直ちに雇人に命じて食事の用意をさせてると、田中達は更に鉱山用に貯蔵してる火薬を分けてくれないかと言ってきた。
馬木が拒否したところ、それでも再三再四懇望してくる。
更に馬木は、他の物なら兎も角、火薬はあげらんないよと固辞。
それで、事態一変。(笑)

「有言不実行の卑怯者じゃないぞ!もし強いて拒否するなら、こっちにも考えがある!<#`Д´>」と恐嚇。
で、馬木親子を麻縄で縛り付け、倉庫番に鍵を出させて倉庫から火薬・ダイナマイト・雷管・導火線と各所の鍵を奪い、夜中の12時に全羅道に行くと言って咸安に向け出発した、と。

強盗じゃん・・・。( ´H`)y-~~

最初は語調も丁寧だったし、吉倉・大原・田中とかは以前釜山とか京城で面識があったんで普通に話してたんだけど、火薬の話で一変して上のような暴行に及んだもので、これら12名の日本人は皆仕込み杖や短銃で武装しており、火薬を強奪した時には馬木の家の周囲に見張りを立てて、家から出られないようにした、と。

ん?
12名?
田・大原・吉倉・鈴木外8名だから、14名じゃないんけ?

兎も角、馬木辰次郎は事件の通報のために釜山に来る途中、さらに3名の日本人に会ったけど、その語気からするに暴行者の同類だろう、と。
以上が、馬木辰次郎が7月3日に釜山総領事館に通報してきた要点。

で、これらの旅行者はいずれも釜山領事館で内地通行権を受け取って出発した者ではなく、また一斉に出発したものでもなくて、1~2名づつ出発してるんで、姓名も旅行先もはっきり分からないけど、その中には新聞通信員と称して日本から来た者もあるようで、その形跡が非常に疑わしいので、取りあえずそれらの日本人に対して取調が必要だから、捜索の上釜山総領事館に連行するよう、釜山の監理署に依頼しておいた、と。

また、3日前に来た日本人が言うには、福岡の玄洋社員約4~50人が、朝鮮に来た支那兵に乱撃を加えることによって、日清両国の葛藤を引き起こそうという目的で、漁船に乗って対馬経由で朝鮮に渡来する事を計画中との話なんで、陸奥に併せて具申しておいた、と。

テラ迷惑www
つうか、何しに来たんだ、お前等。
強盗?(笑)



今日も長くなりましたが、とりあえずここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)